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写真の中の笑い声(序)プロローグ|もう誰もいない遊園地から始まる、初恋と喪失の物語

これは、広島を舞台にした、実話のような青春恋愛小説です。

もう誰もいない遊園地の跡地で、五十歳になった「僕」は一枚の写真を見つめています。

初恋と喪失の記憶をたどる物語は、ここから始まります。

あなたにも、冬になると思い出す人はいますか。


**この作品について**

本作はフィクションです。登場人物はすべて架空であり、実在の人物・団体とは関係ありません。物語の舞台となる地名(広島・呉・松山・岡山・神戸・山口・太田川ほか)は、臨場感のため、実在のものを用いています。

**あらすじ**

 誰もいない遊園地の跡地で、五十歳の僕は、一枚の古い写真を見つめる。肩を組んで、くしゃくしゃに笑う、僕と、白石ほのか。

 清楚な見た目とはうらはらに、誰よりも大きな声で笑う女の子。小学校で離ればなれになった二人は、数年後、予備校の自習室で再会する。

 好きなのに、最後の数センチが渡れない。手もつなげず、「好き」も言えない。それでも、片耳ずつ分け合うイヤホンの中に、二人だけの恋は、確かにあった。神戸の大学を二人で目指し、ずっと一緒にいる未来を信じていた。

 けれど、その時間は、ほのかの病によって、静かに断ち切られていく。最後まで笑い、最後まで僕の未来だけを案じた、ほのか。

 三十年後、なぜ僕は、いま、この物語を書くのか――。写真の中で、彼女の笑い声は、まだ、響いている。

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プロローグ 写真の中の、笑い声

 冬になると、僕は、もうない遊園地のことを考える。


 五十年、生きてきた。

 仕事を覚え、家庭を持ち、子を育て、髪に白いものが混じるようになった。短くはない時間だ。

 それでも、ふと振り返ると、いちばん先に、手ざわりを持って戻ってくるのは、そのうちの、十年にも満たない時間だ。

 彼女と過ごした、あの日々。

 僕という人間のいちばん柔らかいところは、いまも、あの短い時間に置き去りになっている気がする。


 あれから、何年が経ったのだろう。

 数えようと思えば、数えられる。でも、いつからか、やめてしまった。数えるほど、彼女が遠ざかっていく気がして。


 今日、僕は、その場所に立っている。

 呉の海ぞいに、かつて遊園地があった。観覧車があって、コースターがあって、夏には、潮の匂いに混じって、誰かの歓声が、風に乗ってきた。

 ここへ来るのは、何年ぶりだろう。一度、ふいに訪れて、それから、また足が遠のいていた。だからこの場所は、もう、地図の上にあるというより、僕の心の中にある。目を閉じれば、いつでも、ここに立てる。


 今は、あの頃のものは、ほとんど残っていない。

 観覧車のあったあたりには、芝生が広がっている。すべり台で子どもがはしゃぎ、ベンチでは家族が弁当を広げている。冬の海から吹いてくる風だけが、あの頃と、同じだった。冷たい。頬を刺すように、冷たい。

 この季節に足が向くのは、たぶん、偶然ではない。楽しかった思い出の多くは、夏にある。なのに、彼女を思い出すのは、いつも、この時期なのだ。クリスマスの灯りが、街のあちこちに点りはじめる頃。――はじめて唇を重ねた季節も、彼女が逝った季節も、この、冬だった。


 目の前で走り回る子どもたちは、ここにかつて遊園地があったことを知らない。

 もちろん、ここに僕と彼女がいたことも。


 遊園地は、もうない。

 それでも、二人は間違いなく、ここにいた。


 手の中に、一枚の写真がある。

 写ルンですで撮った、少し色の褪せた写真。肩を組んで、二人とも、顔がくしゃくしゃになるほど笑っている。

 写真の奥には、観覧車が写っている。今はもうないその観覧車が、僕らの背中で、まだ回っている。

 あの日、撮れているかどうかも分からないまま、二人でカメラに顔を寄せて、シャッターを切った。数日後、現像から戻ってきたこの一枚を見て、僕らは、しばらく笑った。


 冷たい指で、写真の縁を、そっとなぞる。

 写真は、止まっている。彼女は、もう、年を取らない。笑ったまま、ここにいる。

 なのに、不思議なことに、この一枚から、声が聞こえる気がするのだ。あの、お腹を抱えるような、大きな笑い声が。


 イヤホンからは、Mr.Childrenの「君がいた夏」が流れている。

 彼女が見つけてきて、二人で聴いた、あのバンド。それから三十年、僕はずっと、この音楽を聴きつづけている。彼女のいない季節にも。

 ――君が、いた。

 あの頃の僕は、この時間が終わることなんて、考えもしなかった。


 じつは、これを書くのは、はじめてじゃ、ない。

 これまでにも、何度か、書こうとして、そのたびに、途中で、やめてきた。

 書いてしまえば、彼女を、過去の人に、してしまう気がした。

 書かずにいれば、彼女が、僕の中だけの、幻に、なっていく気がした。

 三十年、僕は、その二つのあいだで、ためらいつづけてきた。

 でも、五十になって、ようやく、思うようになった。

 幻にしてしまう前に、書かなければ、と。


 だから、書こうと思う。

 うまく書けるかどうかは、分からない。でも、書いておきたかった。

 彼女が、たしかに、生きていたことを。

  *

あなたにも、思い出すだけで胸が少し苦しくなる場所はありますか。

♪ 今回のBGM:君がいた夏(Mr.Children)



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