見出し画像

写真の中の笑い声(1)心臓が止まった|広島の予備校で、忘れられない人に再会した

広島を舞台にした、実話のような青春恋愛小説です。

高校一年の夏、駅前の予備校で、僕は忘れられない人と再会します。

小学生の頃に出会い、四年間離れていた彼女の背中を見た瞬間、止まっていた記憶がもう一度動き出しました。

第1章 心臓が止まった

高校一年の、夏だった。

 その夏、僕は、駅前の予備校の夏期講習に通っていた。
 広島に戻って、まだ間もない頃だ。小学校の途中で、父の仕事の都合によって、よその町へ移り、生まれた街へ戻ってきたばかりだった。四年も離れていると、生まれた街のはずなのに、もう、よその町と変わらない。駅前の風景も、電車の乗り換えも、どこか、よそよそしかった。
 知っているはずの街で、知らない顔をして、僕は、その夏を、やり過ごそうとしていた。

 校舎の中は、冷房が効きすぎていた。教室に入ると、汗がすっと引き、廊下に出ると、またじっとりと汗ばむ。その、寒いような暑いような感じが、いまでも、あの夏の匂いとして、僕の中に残っている。
 休み時間になっても、誰も騒がなかった。みんな参考書を開き、黙々と問題を解いている。僕もその中で、ノートに顔を伏せ、誰とも口をきかずに、一日をやり過ごしていた。

 駅前には、校舎が、いくつもあった。講座も時間帯も、タームごとに、ばらばらに割り振られる。だから――まさか、あの子に会うなんて、思ってもみなかった。
 正直に言えば、少し、油断していたのだと思う。

 その日も、僕は、いつものように、講義を受けていた。
 数学だったか、英語だったか。それは、もう、覚えていない。
 覚えているのは、ふと、顔を上げたときのことだ。
 斜め前の席に、一人の女の子が、座っていた。
 背中まで届く、長い黒髪。すっと伸びた、背筋。
 その後ろ姿を見た瞬間――頭で考えるより先に、僕の心臓が、止まった。

 四年、会っていなかった。
 なのに、分かってしまった。横顔も見えない、ただの後ろ姿なのに。
 ほのかだ。
 体の奥のほうが、勝手に、その名前を呼んでいた。

 まわりの音が、すうっと、遠のいた。
 黒板を写すシャープペンの音も、冷房のうなりも、何もかもが、急に、薄くなる。
 夏の教室の中で、その後ろ姿だけが、くっきりと、浮かび上がっていた。

 声をかける、なんてことは、できなかった。
 心臓は、まだ、どくどくと鳴っている。手のひらに、汗がにじむ。なのに僕は、椅子に縫いつけられたみたいに、動けなかった。
 講義が終わって、彼女が、何人かの子と話しながら、教室を出ていく。その背中を、僕は、ただ、見送ることしか、できなかった。

 次の日から、僕は、おかしなことを始めた。
 その講義に、わざと、ぎりぎりに行くようになったのだ。
 始まる寸前に教室へすべり込んで、いちばん後ろの席に座る。そこからなら、彼女の後ろ姿が、よく見えた。長い髪。ノートを取るたびに、少し傾く首。ときどき、隣の子と顔を見合わせて、肩を揺らして笑っている、その様子も。
 遠くから見ているだけでも、分かった。ほのかは、昔のまま、よく笑う子だった。
 会いたい。ひと目でも、見ていたい。
 なのに、近づくことだけが、どうしても、できなかった。
 見ていたいのに、見つかりたくない。会いたいのに、会えない。
 いま思えば、ばかみたいな話だ。
 でも、あの夏の僕は、毎日、いちばん後ろの席から、彼女の背中だけを、見つめていた。

   *

もし、忘れられない人と突然再会したら、あなたは最初に何を伝えますか。それとも、何も言えないと思いますか。

♪ 今回のBGM:Replay(Mr.Children)

====================  ====================


#創作大賞2026
#恋愛小説部門
#写真の中の笑い声
#小説
#初恋
#青春小説
#広島
#呉
#MrChildren
#Replay
#記憶
#物語
#小説好きな人と繋がりたい


いいなと思ったら応援しよう!