菊地姫奈さんのグラビア表現論 #1──グラビアの “語り方” について
菊地姫奈さんは、令和のグラビアシーンを象徴するアイドルの一人であることに異論は少ないと思います。私が菊地姫奈さんのグラビアを初めて目にしたとき、絵画や彫刻など芸術作品の美しさを連想しました。その特別さを何とか「語りたい」「言語化したい」と強く思いましたが、それはなかなか容易なことではありません。読んだ小説や、観た映画の感想を語るように、彼女のグラビアについても語れたら、と思い続けています。
ちなみに、現在の菊地さんは女優やモデルなど多方面に活躍していますので、「グラビアアイドル」という呼び方は今の彼女の活躍を矮小化しかねませんが、この記事では主に彼女のグラビアでの活動にフォーカスしていますので、便宜上「グラビアアイドル」という呼び方を使いたいと思います。
菊地さんが、自身のグラビアについてどう考えているかを良く知るために、様々なインタビュー記事や動画を見ていたところ、3rd写真集『memory』の発売記念イベント(2025年3月20日)の動画を見つけました。この中で「自身のグラビアの強みは?」という質問に対して菊地さんは次のように答えています:「私は元々、絵を描くのが好きで、絵と一緒のように考えていて、一枚の絵にした時、どうしたら収まりが良くなるのか?と考えながら撮影してるので、そういう面では、表現力やポージングが自分の強みだなって思っています」
彼女自身も、自身のグラビアを「絵」の例えで表現しているのに驚きました。彼女のグラビアは、絵画的なものを意識して表現されていたのです。私は、優れた芸術作品と正に同じ意味において、彼女のグラビアは語るに値する対象なのだと思いました。彼女がグラビアで表現しようとしているものを、いちファンとして受け取り、自分の言葉で語ろうとすることには意味があると思えるようにもなりました。
もう一つ、前述の写真集『memory』の巻末にあるインタビューにある彼女の言葉にも注目したいと思います:「女性ファッション誌と男性向けグラビア誌だと、到達したいビジュアルが正反対なので、正直めちゃくちゃ悩みました。両立するためにどうすればよいのか、とっても難しいんです。」
ここで彼女が両立しようとしているのは、二つのまったく別のビジュアルの方向性です:
- 女性ファッション誌的な美しさ
- 男性向けグラビア誌的な美しさ
私なりのイメージで話すと、前者は、「洗練」「スタイルの均整」「アート性」「都会的雰囲気」などが重視される気がしますし、後者は「身体の曲線」「健康的」「親しみやすさ」「距離感の近さ」などが重視される気がします。彼女は、確かに「正反対」であるはずのこれら二つの方向性をなんとか両立させようとしています。私は、彼女のそのような挑戦はとても価値のあるものだと思いますし、心から応援したい気持ちにもなりました。
菊地姫奈さんは、2022年頃に男性向けグラビア誌的な活動において人気が爆発し、「令和の完売クイーン」の称号も得ています。そして、徐々にファンション誌的な表現にも活動の場を広げていき、2024年のファッション誌『non-no』専属モデルへの採用はその象徴的な出来事です。デビュー当時から菊地さんを応援しているという茶々さんは、Noteの記事の中で最大級の賛辞で『memory』を絶賛しつつ、最後に印象深い言葉を書いています:「まぁ、とにかく、全人類必読間違いなし。グラビアなんて男のためのものだって?あんた、古いぜ。とびきりのアートだよ!」奇遇にも、茶々さんも「アート(芸術)」という言葉を出して彼女のグラビアを評価しています。確かに『memory』のクオリティはそのような印象を抱かせるに十分ですし、茶々さんの認識は私の考えとも完全に響き合うものです。当然ながら、アート(芸術)は男女どちらかだけのものではなく、より普遍的な価値や美しさを目指す表現活動です。
本稿の最初に引用した動画の別の個所のコメントにも注目したいと思います。「自身の好きなパーツは」との質問に「くびれが自分の中で気に入っていて、私は二次元っぽいスタイルが好きなので、自分の“くの字”になってるお腹が結構気に入ってたりします」と答えています。彼女は自身の良さが出るグラビア表現をかなり研究しているようで(プロとしては当然のことかもしれませんが)、主体的に自身の身体表現を行っています。彼女のインタビュー動画を見ると、そのことがよく分かりますし、自分の言葉でそれを分かりやすく伝えようと努力している姿勢には敬意を表したいです。
さて、ここまで書いた中に、菊地姫奈さんという希代のグラビアアイドルの特別さを語る上でのヒントがいくつかありました。しかし、やはりグラビアアイドルについて語るのは難しい、と思わざるを得ない社会状況もあります。かつて、グラビアは男性のホモソーシャルな話題の定番でした。「〇〇(アイドル)の水着、すごかったな」などの会話が男性同士の仲間意識を高めるための「共通言語」となっていました。ちなみに、ここで言う「ホモソーシャル」とは、特定の個人を批判するものではなく、時代的背景としての社会構造を指して使っています。今では掲示板やSNSにその交流の場が移っているようですが、フェミニズム的観点からすると、正にこれは「性の商品化」の典型例として批判されてきたものです。最近になって、徐々に女性ファンもグラビア語りに参加してくるのに伴って、グラビアの「ファッション誌的な読み替え」が進み、かつてのホモソーシャルな話題の対象から脱却しつつある面もあるようです。菊地さんは、ちょうどそのような過渡期に登場し、「男女両方に届くグラビア表現」の担い手として象徴的な存在となりえる方だと思います。
『memory』の巻末インタビュ―の最後に「グラビアはまだ続けますか!?」という質問に対して、菊地さんは「もちろん!グラビアのお仕事が大好きだし、まだまだやりたいこともあるし、ゴールは無いと思っています。」と発言されています。本当に頼もしい発言です。「男女両方に届くグラビア表現」を目指しての菊地さんの挑戦は、まだ始まったばかりとも言えます。これらからも彼女の活躍から目が離せませんし、心から応援していこうと思える存在です。
グラビアをめぐる社会状況の変化に応じて、グラビアを語る「語り方」も変化するのが自然でしょう。その変化は、男性のホモソーシャルな語り方から、男女両方にしっかり届くような普遍性を持った語り方への転換になると思います。そして、そのような普遍的な語り方が確立されれば、男女問わず多くの方が自分のお気に入りのグラビアアイドルについて遠慮なく語れるようになり、結果的にグラビア界を盛り上げることに繋がるでしょう。そのことは、グラビアアイドルの皆さんの、プロとしての努力と磨き上げられた表現を正当に評価することにも繋がるはずです。
男女両方に届くようなグラビアの語り方とは具体的にどんなものでしょうか。難しい問題ではありますが、私は、少なくとも冷静かつ客観的な語り方であることが必要だと考えています。この記事は、菊地姫奈さんのグラビアでの活動を冷静かつ客観的に分析し語ることで、グラビアについて普遍的な語り方を獲得しようする一つの小さな試みでもあります。
この記事は「菊地姫奈さんのグラビア表現論」というシリーズとして書かれるものの1回目のつもりで書いています。2回目では、デビューから現在までの菊地さんのインタビュー記事を辿ることで、彼女のグラビアに対する意識の変化を見ようと考えています。3回目では、菊地さんが自身の強みと語っている「表現力やポージング」とは具体的にどのようなものかを客観的に考察しようと考えています。場合によっては4回目以降もあるかもしれません。シリーズを通してお読みいただければ嬉しいです。
