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管理職には「嫌われる覚悟」が必要なのか

「管理職には、嫌われる覚悟が必要だ」

そんな言葉を聞くことがある。

確かに、管理職という立場になれば、誰かにとって望ましくない判断をしなければならないことがある。

本人が希望していた仕事を任せられないこともある。

「やりたい」と提案された企画を認めないこともある。

ときには、言いにくいことを伝えなければならない。

そんなとき、

「嫌われても仕方がない。管理職なのだから」

と考えることもできる。

でも、私は少し違うと思っている。

好き好んで嫌われる必要はない。

ただし、

嫌われることを恐れて、判断を誤ってはいけない。

では、管理職に本当に必要なのは「嫌われる覚悟」なのだろうか。


判断を嫌われることと、人を嫌われることは違う

管理職が何かを決めれば、その判断に納得できない人は当然出てくる。

「私は違うと思う」

「その方法には賛成できない」

そう思われること自体は、悪いことではない。

そもそも、全員が同じ考えになることなどあり得ない。

大切なのは、

「その判断には納得できない」ことと、「その人を信頼できない」ことは違う

ということだと思う。

私がつくりたいのは、

「自分は納得していない。でも、この人がそこまで言うのなら、一度やってみよう」

と思ってもらえる関係である。

全員から賛成してもらう必要はない。

意見が違っても、一緒に仕事はできる。

むしろ、そんな関係をつくることの方が大切なのではないだろうか。


「あの人が言うなら正しい」は危うい

「あの人が言うことなら正しい」

一見すると、とても信頼されているように見える。

しかし、私はこの状態を少し怖いと思う。

管理職だって間違える。

知らないこともある。

現場の教員の方が詳しいことだってたくさんある。

それなのに、

「あの人が言うのだから正しい」

と誰も疑わなくなったらどうなるだろう。

それは信頼というより、盲目的な信頼に近い。

極端に言えば、宗教のようなものになってしまう。

私が目指したいのは、

「この人は正しい」と思われる関係ではない。

「この人には言える」と思ってもらえる関係である。


信頼があるから、反対できる

「それは違うと思います」

「その方法ではうまくいかないと思います」

「私は反対です」

そんなことを部下から言われたとき、管理職はどう受け止めるだろう。

自分に反抗している。

自分を否定された。

そう感じてしまうこともあるかもしれない。

でも、私はむしろ逆だと思っている。

反対意見を言っても関係が壊れないと思っているから、反対できる。

意見を言ったことで評価を下げられない。

嫌われない。

仕事を外されない。

不機嫌にならない。

そう思えるから、

「私は違うと思います」

と言える。

そう考えると、会議で反対意見が出ないことを、単純に良いことだとは思えない。

全員が賛成しているのかもしれない。

でも、

誰も反対できないだけなのかもしれない。

管理職は、この違いを見誤ってはいけないと思う。


反対意見は「反抗」ではない

だから、自分と違う意見が出たときは、まず聞きたい。

「なるほど」

「そういう見方もあるのか」

「そこまでは考えていなかった」

自分には見えていないものを、相手が見ているかもしれない。

管理職だからといって、すべての情報を持っているわけではない。

むしろ、現場に近い人だからこそ見えているものもある。

そして、相手の意見を聞いて、

「確かに、こちらの方がいい」

と思ったのであれば、判断を変えればいい。

管理職が一度口にしたことを、何が何でも押し通す必要はない。

判断を変えることは、負けることではない。

より良い方法が見つかったのなら、変えればいい。


それでも、決めなければならない

一方で、すべての意見を受け入れることもできない。

相手の考えを聞く。

理解する。

確かに一理あると思う。

それでも、組織として目指す方向を考えれば、その意見を採用できないこともある。

そんなときは、

「あなたの考えは分かった。でも今回は、この理由でこちらへ進みたい」

と伝えるしかない。

相手は最後まで、

「私は違うと思います」

と考えているかもしれない。

それでもいいと思う。

全員の考えを同じにする必要はない。

自分の意見を聞いてもらった。

相手が何を考えているのかも分かった。

組織としてなぜその方向へ進むのかも理解した。

自分は賛成ではない。

でも、決まったことには協力する。

そこまでいけば、組織は動くことができる。

全員から賛成を得ることと、全員で動くことは同じではない。


必要なのは「人間味」なのかもしれない

では、

「自分は納得していない。でも、この人がそこまで言うなら一度やってみよう」

と思ってもらうためには、何が必要なのだろう。

私は、

人間味

なのではないかと思っている。

何でも知っている必要はない。

何でもできる必要もない。

管理職だって、

苦手なことがある。

分からないことがある。

弱いところもある。

そして、間違えることもある。

完璧な人間である必要はない。

むしろ、完璧な管理職を演じようとする方が危ういのかもしれない。


管理職だって、間違える

管理職になると、

「正しい答えを持っていなければならない」

と思ってしまうことがある。

判断する立場なのだから、間違ってはいけない。

部下よりも知っていなければならない。

弱みを見せてはいけない。

でも、そんな人間はいない。

管理職だって間違える。

問題なのは、

間違えることではなく、間違えた後にどうするか

なのだと思う。

間違えたのに認めない。

「最初からこう考えていた」

と話をすり替える。

「これは想定内だった」

と取り繕う。

都合が悪くなったら、誰かの責任にする。

そんなことを続けていれば、肩書きによって人を動かすことはできても、信頼を得ることはできない。

だから、

「ごめん。これは私の判断が間違っていた」

と言える管理職でありたい。


弱みは見せても、責任からは逃げない

ただ、

「私も人間だから間違えます」

と言って終わるのではいけない。

それでは単なる言い訳になる。

間違えたら認める。

必要なら修正する。

自分が任せた仕事なら、何かあったときには前に出る。

部下に任せた仕事で問題が起きたとしても、

「担当者がやったことなので」

と逃げない。

任せたのは自分なのだから、最後は自分が責任を持つ。

弱みは見せても、責任からは逃げない。

それが、人間味のある管理職と、無責任な管理職の違いなのだと思う。


完璧だから信頼されるわけではない

信頼できる管理職とは、どんな人なのだろう。

何でも知っている人だろうか。

絶対に判断を間違えない人だろうか。

誰からも嫌われない人だろうか。

私は、どれも違うと思う。

大切なのは、

間違えたときに、その人がどうするか。

間違いを認める。

必要なら判断を変える。

なぜ変えたのかを説明する。

自分が決めたことには責任を持つ。

都合が悪くなっても、ごまかさない。

そして、

逃げない。

そんな日々の積み重ねが、

「あの人なら絶対に正しい」

ではなく、

「あの人なら信頼できる」

につながっていくのだと思う。


「嫌われる覚悟」より「逃げない覚悟」

改めて考えてみる。

管理職には「嫌われる覚悟」が必要なのだろうか。

私は、少し違うと思う。

好き好んで嫌われる必要はない。

相手の気持ちを無視してまで、自分の正しさを押し通す必要もない。

できることなら、良好な人間関係の中で仕事をしたい。

でも、

嫌われることを恐れて、必要な判断から逃げてはいけない。

反対されても説明する。

意見を聞く。

必要なら判断を変える。

間違えたら認める。

うまくいかなかったら修正する。

そして、自分が決めたことの責任を引き受ける。

そう考えると、管理職に必要なのは、

「嫌われる覚悟」より、「逃げない覚悟」

なのかもしれない。


「正しい管理職」より「信頼できる管理職」に

私は、

「あの人が言うなら正しい」

と思われる管理職になりたいわけではない。

むしろ、

「それは違うと思います」

と言ってもらえる管理職でありたい。

そして、意見が違ったとしても、

「自分は納得していない。でも、この人が責任を持って判断したのなら、一度やってみよう」

そう思ってもらえる関係をつくりたい。

管理職だからといって、いつも正しくある必要はない。

そもそも、それは不可能だ。

弱みもある。

間違えることもある。

でも、

責任はとる。

逃げない。

ごまかさない。

私は、

「正しい管理職」より、「信頼できる管理職」でありたい。

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