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音楽史・記事編155.ベートーヴェンの七重奏曲・・・ディヴェルティメントの傑作

 ベートーヴェンは音楽史において革新的な調律法である平均律によってこれまでにない斬新なピアノ音楽の創作を初め、更に弦楽四重奏曲などの室内楽の作品を創作し、ようやく交響曲の作曲に取りかかります。ベートーヴェンは管弦楽作品の創作にあたり、クラリネット、ファゴット、ホルンとバイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバスによる小交響曲のようなディヴェルティメント風の七重奏曲変ホ長調Op.20を作曲し、管楽器と弦楽器のアンサンブルによる作曲様式を試したようです。作品は交響曲第1番ハ長調Op.21とともにウィーン王宮に隣接する旧ブルク劇場で初演されます。(参考:ブルク劇場建設、音楽史・記事編149.マリア・テレジアの外交革命と古典派誕生の音楽史

〇ベートーヴェンのピアノと木管のための五重奏曲と木管と弦楽のための七重奏曲
 管弦楽においても平均律を基本音律とする方策を模索していたベートーヴェンはモーツァルトにならいピアノと木管楽器のための五重奏曲変ホ長調Op.16を作曲し、さらにディヴェルティメントの傑作である木管楽器と弦楽器による七重奏曲変ホ長調Op.20を作曲します。
 この時期、ハイドンやモーツァルトは長3度の純正和声が可能で限られた範囲での転調も可能な中全音律で調整されたクラヴィーアを使用していたものと見られ、管弦楽においてもルネサンス、バロック期を通して音楽の伝統的な様式である純正なドミソの主和音をベースにした曲作りが行われていました。しかし、セバスティアン・バッハの平均律クラヴィーア曲集によって平均律でもすべての調性の演奏が可能であることが実証されたことから、当時普及していたクラヴィーアは調性ごとの調律が不要な平均律によって演奏されていたものと見られます。モーツァルトは普及が始まっていた平均律によるクラヴィーアと管弦楽との協奏を前提に、クラヴィーアと木管のための五重奏曲を作曲し、平均律で調律されたクラヴィーアの作曲方法を模索したものと見られます(参考:音楽史・記事編143.調律史とモーツァルト)。一方、ベートーヴェンはボンでバッハの平均律クラヴィーア曲集を教材としてクラヴィーアを学んでおり、ウィーンに来てからも平均律は純正な和声を犠牲にするものの、平均律こそが自由な転調で情感豊かな音楽が可能な調律法であるという信念のもと新たな作曲の道を歩み始めたものと見られます(参考:音楽史・記事編152.ベートーヴェン、平均律の新しい道を決意する)。1796年、ベートーヴェンはモーツァルトに倣ってピアノと木管のための五重奏曲変ホ長調Op.16を作曲し、ピアノと木管楽器とのアンサンブル様式を検証したものと考えられます。これらにより、ベートーヴェンは平均律の欠点である長3度の和声の不純性を和声の多様化によって克服し、以降は中全音律と決別し、すべての音楽の創作を音楽史においては斬新な平均律によって創作を行うという革新をなしとげ、音楽史に残る偉大な傑作群を創作して行きます。ベートーヴェンは交響曲の作曲にあたり、モーツァルトのディヴェルティメント様式の七重奏曲Op.20を作曲していますが、この作品はおそらくベートーヴェンにとって純正音律でも演奏可能な最後の作品となりました。

〇1800年4/2のベート―ヴェンの自主演奏会
 ボンからウィーンに音楽留学したベートーヴェンはシレジアのグレーツに領地をもつリヒノフスキー侯爵邸に寄宿し、毎週金曜日にリヒノフスキー邸で開催される音楽会でピアノ曲や室内楽作品などを演奏し、また多くの貴族やその令嬢などにピアノを教え、そこそこの安定した収入を得ていたようです。ベートーヴェンはウィーンの貴族や音楽関係者から高く評価されているものの、さらに作曲家としての飛躍を目指し、1800年4月にウィーンの王宮に隣接する旧ブルク劇場で自作品による自主演奏会を開催しています。演奏会ではモーツァルトの交響曲の演奏に続きハイドンのオラトリオのアリア、さらにベートーヴェン自身のピアノ独奏によるピアノ協奏曲第1番ハ長調Op.15の改訂版の演奏、ピアノと木管のための七重奏曲変ホ長調Op.20、ハイドンのオラトリオの二重唱に続き、交響曲第1番ハ長調Op.21が初演されています。また、プログラムにはないもののウィーンで絶大な人気を得ていたベートーヴェンのピアノ即興演奏が行われたとされています。ベートーヴェンはモーツァルト様式の七重奏曲と斬新な交響曲第1番を対比させるように初演しています。七重奏曲は聴衆の圧倒的な好評を得ますが、交響曲第1番は不評に終わったとされます。交響曲第1番は序奏の冒頭から聴衆の聴きなれない属7の和音で始まり、ベートーヴェンの新しい和声への取り組みを見せているわけですが、聴衆にとっては理解が難しく、また管楽器の多用など、これまでのハイドンなどの作曲家には見られない様式の革新性が原因であったように思われます。一方の七重奏曲については好評を得て、「ベートーヴェンはこのような作品を作曲していればいい」といった声もあったようですが、ベートーヴェンは七重奏曲という純正律音楽の傑作を最後にこの分野の作曲をしなくなっています。平均律という音律と和声の多様化による作曲によってベートーヴェンはロマン派の扉を開いたように見られ、ベートーヴェンの9つの交響曲は第1交響曲を含めて音楽史における最高傑作となりました。
(1800年4/2のベートーヴェン自主演奏会プログラム)
 平野昭著・ベートーヴェンより(1)
①モーツァルトの交響曲
②ハイドンのオラトリオ「天地創造」からソプラノのアリア
③ピアノ協奏曲第1番ハ長調Op.15(改訂版)、ベートーヴェン自身の独奏による
④Cl、Fg、Hr、Vn、Vla、Vc、Cbのための七重奏曲変ホ長調Op.20
⑤ハイドンのオラトリオ「天地創造」からソプラノとテノールのための二重唱
⑥交響曲第1番ハ長調Op.21

【音楽史年表より】
1796年4/6初演、ベートーヴェン(26)、ピアノと木管楽器のための五重奏曲変ホ長調Op.16
ウィーンの宮廷料理長イグナツ・ヤーン邸のホールにてシュパンツッヒ主催の演奏会で初演される。(2)
1800年4/2初演、ベートーヴェン(29)、交響曲第1番ハ長調Op.21
ブルク劇場で行われたベートーヴェンの初めての自主演奏会で初演される。演奏会では交響曲第1番の他にピアノ協奏曲第1番ハ長調Op.15(改訂稿)、七重奏曲変ホ長調Op.20、ベートーヴェンのピアノ即興演奏、モーツァルトの交響曲、ハイドンのオラトリオ「天地創造」から抜粋2曲が演奏された。(2)
4/2初演、ベートーヴェン(29)、七重奏曲変ホ長調Op.20
ブルク劇場で行われたベートーヴェンの自主演奏会で公開初演される。演奏はVn:シュパンツッヒ、Vla:シュライバー、Vc:シンドレッカー、Cb:ベーア、Cl:ニッケル、Fg:マタウシェク、Hr:ディーツェルによって行われる。作品は皇帝フランツ2世の后マリア・テレジアに献呈される。七重奏曲はベートーヴェンの生前では最も人気のあった作品の一つで管楽11重奏、ギター二重奏、ピアノ独奏まで少なくとも10種類の編成の編曲版楽譜が出回っていた。編曲にあまり関心がなかったベートーヴェンだが、ホフマイスターの弦楽五重奏曲版(1802年)に対しては新聞紙上で抗議したものの、他方ではたびたび出版社に編曲を提案し、自らピアノ三重奏曲のための編曲(Op.38)を行っている。(2)

【参考文献】
1.平野昭著、作曲家・人と作品シリーズ ベートーベン(音楽之友社)
2.ベートーヴェン事典(東京書籍)

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