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虚像の王国|5話:口止め料で、国は育った

「やっと繋がった。花城だな。全部調べたぞ」

「落ち着いてください。何の話ですか」

「口止め料を払ったのに約束が違う。家族が壊れた。訴える」

電話は一方的に切れた。
画面を見つめたまま、動けなかった。

畦地に電話したが、知らんの一点張りで切られた。

赤海に電話をするしかなかった。
先ほどの電話の内容を説明した。

二秒か、三秒か。短い沈黙があった。
それからすぐに、笑いながら言った。

「そうでしたか。理事長のところに、直接クレームの電話がいってしまいましたか。それは、大変申し訳ございません。こちらの手違いでご迷惑をかけてしまいました」

「どういうことですか。向こうはこちらを訴えるとまで言っていた。きちんと説明してもらえますか」

「ただのクレームです。こちらで対応しますので」

「電話の相手は、口止め料を払ったのに約束が違うと言っていました。一体、何のことなんですか」

「口止め料。ひどい言い方ですね」

今度は、間がなかった。

「とにかくご心配なく。今、別の会合に出ているので、時間がありません。これで失礼します」

電話が、切れた。

赤海は明らかに嘘をついている。
確かめる必要がある。


翌日の夜、木枯を食事に誘った。

「今日はよく来てくれました。どうしても、あなたに直接会ってお聞きしたいことがあったのです」

木枯は箸を持ったまま、動かなかった。

この前の電話の話をした。

「すみません。何のことか、私には分かりません」

「全てを私に話してもらえないでしょうか。このまま理事長でいることなんてできない」

俺は深々と頭を下げた。

木枯は、俺の姿を見て慌てたが、そのまま口を閉ざして頑なに拒んだ。部屋に沈黙の時間が過ぎた。

「冬の魚は富山のほうが断然、美味しいですね。時々懐かしくなるんです。木枯さん、以前、一緒に祠に行きましたね。あの時に見た紅葉に彩られた風景は今でも忘れることができません」

木枯の口元が、かすかに動いた。
何かを言おうとして、言えなかった。

「ここからは私の独り言として聞いてください。あの時、木枯さんは争うことが嫌いだ。ただ、武器を棄てる勇気はいいことだとおっしゃいました」

木枯は、箸をつけずに俺の話を黙って聞いている。

「突然、富山に飛ばされ、子供は血が繋がっていないと言われた。気づけば、得体の知れない組織の理事長だ。──すべて、遺伝子検査から始まった」

木枯が、一度だけ深く息を吸った。
俺はそれを、聞こえないふりをした。

「最近、思うんです。庄の民は、戦う勇気を棄ててしまった。私も同じです。何事にも本気で向き合おうとしなかった。仕事にも家族にも。本当に大切なものを守るためには、その心は棄てては駄目なんです。木枯さん、あなたは心の綺麗な素晴らしい人だ。その心に偽りはありませんか」

声を出さずに泣いた。顔を歪めて、唇を噛んで、それでも声を出さなかった。

箸を置いた。
俺は、黙って待った。

「私は、本当に弱い男です。ダメなことをダメだと昔から言えないのです。ある社長に泣きつかれて、粉飾決算に手を染めてしまいました。結局、その会社は借金を膨らませて、倒産してしまいました」

「それは辛い想いをされましたね」

「いや、本当の地獄はそれからでした。ある男が、私の周りにまとわりつきました。その男が、私を脅すのです。世間にばれたら、免許剥奪だぞと」

「あなたは、弱みを握られたわけですね」

「そうです。その男の指示でいくつもの会社の粉飾決算を作ってきました」

木枯はそこで口を止めてから、視線を少し落とした。

「その会社の中に、一社だけ、今でも頭から離れないところがあります」 

木枯の声が、少し変わった。
さっきまでの告白とは、質が違った。

「どんな会社だったのですか」

「名前は忘れました。社長に会ったこともありません。その社長が一人で長年かけて、水関連の技術を開発していた。本物の技術者で、特許もあったそうです。私が作った嘘の決算書のせいで、最終的に倒産した。奥さんにも逃げられたそうです。なぜか、ずっと忘れられないんです」

木枯は、そこで一度だけ窓の外を見た。
暗い夜の窓に、自分の顔が映っていた。

「私は全てを捨てた。逃げることにしました。仕事もなくなり、困り果てていたところ、従兄弟の楪葉からある組織をつくるので、経理を見て欲しいと頼まれました。紹介されたのが赤海さんです。あの人からは逃げられない」

一拍おいた。

「花城さんはまだ大丈夫です。私とは違う。はやく、この組織から逃げてください」

木枯は、はにかんだように唇をゆがめた。
俺は、その目を、正面から受けた。

「いや、同じですよ。私もあの男に弱みを握られました。あの人から、もうこの組織から出られないと言われた。私なりにあの人の怖さはわかっている。ただ、逃げるだけではダメだと気づいたのです」

自分に言い聞かせるように言った。

「もう、逃げない」

──そう言ったとき、自分の声が思っていたよりも低かった。

木枯が、こちらを見た。

「あの男を、止める」

木枯は深くうなづいた。

「わかりました。私にも覚悟ができました。この前、質問された玄水会の収入源をお話しします」

「……収入源?」

「遺伝子検査を行う目的は、人によって様々です。世の中には、表に出さないほうが幸せなことが沢山ある。それを誤魔化すために、人は意図的に解析結果を変えたくなる。依頼者の思う通りに解析結果を偽造する。そして──本当の結果を握る。バラされたくなければ、払え」

「それが、玄水会のやり方です」

木枯はおしぼりで口をふいた。

「赤海はこの恐喝ビジネスを大きくするために、会員数を増やすことに躍起になっていたのです。玄水会の拡大は、庄の民を集めるためではない」

「彼らは会員じゃない。──標的です」

──会員数六千人。
一万人の大台へ。

赤海が満面の笑みで言っていた数字の意味が、今初めて別の形を持った。

「遺伝子検査の結果を偽造して、その対価が口止め料ということか」

「その口止め料の金額は、相手次第ですが、金持ちは数千万という額を払います。それが玄水会の資金源になるというカラクリです」

「ひどすぎる」

「全ては、赤海が絵を描いて、彼の指示で行われていました。彼の懐にもかなり資金が流れているはずです。私が知っているのはここまでです。この仕組みを知りながら、黙っていた私も共犯として責められてもしょうがない」

木枯の目には、もう涙はなかった。
すでに戦うことを決めた目だった。

「玄水会の口座の動きを把握できます。ただ、玄水会の設立経緯や本当の真実を知っているのは、楪葉です。彼に聞けば、もっと詳細な中身と全貌を知ることができると思います」

「楪葉さんのところに行きましょう。こんな馬鹿なことは、はやく終わらせなければならない」

木枯が深くうなづいた。

店を出た。冬の空気が、頬を打った。
鼻から通る、澄み切った匂いは久しぶりだ。

水関連の技術。特許。倒産。
──あのとき、俺は確かに見ている。

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