虚像の王国|6話:夢は、死体になった
「畦地先生、こんばんは。今ちょっとよろしいでしょうか。少々、困ったことが起こりました」
「あぁ、赤海さんか。どうした」
畦地は、煩わしそうに電話に出た。
「どうやら、花城が玄水会のことを調べ始めているようです。我々と揉めている男が、直接、花城に電話したことがきっかけのようです」
「花城から電話があった。知らんとはいったが。それでどうするんだ」
「電話の男は、我々を訴えるとか言っているみたいですが、握り潰してやりますよ。いつものやり方で。徹底的に、抹殺してやる」
「そのことについては、私は関与しない。最初に玄水会を作ったときの約束だよな。それよりも、花城が知ってしまったことが問題だ」
「ご心配なく。汚い仕事は、すべて私の仕事ですから。それに、花城はもう共犯関係です。今さら逃げ出せる立場ではない。畦地先生には、花城が暴走しないように押さえつけてほしいんです」
「赤海さん、一つ忠告しておく。花城をあんまり舐めない方がよい。いつか、足元をすくわれるぞ」
「あはは。あんなやつ、なにもできませんって。いざとなれば、代わりは何人もいるのですから。畦地先生は、意外と心配症ですね」
「あいつは、変わったよ。最初に会ったときに比べると別人だ。あなたには分からないかも知らないが、人はなにかをきっかけに変われるんだよ。花城にこだわるのをやめたらどうだ」
「買い被りすぎですよ。花城は個人的に許せないことがあるんです。あの男は、私の大事なものを自分のものと勘違いしてる。私がすべてを賭けて作ったものを。あの男を必ずどん底に落としてみせる」
「ちょっと待て。なんのことだ、それは」
「先生には関係のないことです。では」
電話が、切れた。
赤海が何を言っているのか分からなかった。
嫌な感触だけが残った。
村岡先生のことを、思った。
生きていれば、今頃どうしていたのか。今の自分を見たら何と言うだろうか。
赤海を切れない。金を握られている。
──ここまで来てしまった。
花城の顔が浮かんだ。
あいつだけは、逃がしてやりたいと思った。
花城に電話しようとスマホを手に取った。
花城の名前が画面にあった。
指が、止まった。
画面を、消して、テーブルに置いた。
部屋の灯りが、静かに燃えていた。
翌朝、早く目が覚めた。
昨夜から残っていた感触が、起き上がった瞬間にまだ体の中にあった。
木枯は、会社と社長の名前すら知らないと言っていたが、気になってしょうがなかった。
会社に着いてすぐ、俺が書いた水処理プラントの企画書を引っ張り出した。特許番号があった。
特許庁のデータベースに入力し、譲渡履歴を辿った。元の権利者が出てきた。
膝の裏が、わずかに冷えた。
湧水技研。
その社名を、今度は単独で検索した。
最初に出てきたのは、受賞記事だった。
二〇〇七年。ベンチャー企業部門最優秀賞。
写真が載っていた。五十代と思われる男が壇上に立っている。マイクを持って、笑っていた。成功者の、満面の笑みだった。
見覚えのある顔だった。
今よりずっと若い。しかし間違いなかった。
赤海だった。
画面から目を離せなかった。
この男がこんな顔で笑う日があったのかと思った。
七年間、水処理システムの開発にすべてを賭けた。
──砂漠に水を届けるために。
首を吊ろうとした夜があった、と書かれていた。
次の記事を探した。
倒産記事が出てきた。受賞から数年後だった。粉飾決算が発覚し、銀行の融資が全て止まった。特許を含む全資産が売却され、自己破産。
粉飾決算。
その言葉が来た瞬間に、木枯の顔が来た。木枯が作った嘘の決算書が、この男の夢を奪った。
受賞式の笑みと、倒産の記事。
その間に、木枯がいた。
──あの嘘が、この男を沈めた。
続けて調べた。破産手続きの中で、保有していた特許は全て売却された。買い取ったのは、拓新コーポレーション。代表取締役の名前があった。
金川。
霰が降る駐車場の夜が来た。
赤海がロングコートの肩に霰を受けながら、こう言った。「あなたが開発した水処理プラント事業——あの企画を拝見しました。素晴らしかった。あなたの着眼点、環境問題への姿勢。誰でもできることではない」
しばらく、画面を見ていた。
自分が開発したものだから知っていた。
その特許を元に俺が製品化した。
──俺の商品は、あの男の夢の“死体”だった。
立ち上がり、金川社長室に向かった。
ドアをノックした。入れ、という短い声がした。
金川社長は、書類に目を落としたまま顔を上げなかった。なんだ、と言った。
「少し、お時間をいただけますか。先日、競合他社が水処理プラントの新製品を発表しました。対抗策を検討するにあたり、我々の製品の特許の出所を改めて確認しておく必要があると思いました。調べていたところ、湧水技研という会社の名前が出てきたのです」
金川社長の手が、止まった。
書類の上で、ペンが止まった。
それから、ゆっくりと顔を上げた。
目が俺を見た。
「……それが、何か問題はあるのか」
声は低かった。
問いというより、確かめる口調だった。
「いえ。足元を固めておきたかっただけです」
社長は少しの間、俺を見た。
核心をそらしていることは、見抜かれているかもしれなかった。しかし追ってこなかった。
「買った。それだけだ。倒産した会社の特許が市場に出た。技術を見て、使い道があると思って買った。二束三文だったよ。それだけの話だ」
「湧水技研の社長、赤海という人物をご存知でしたか」
金川社長の目が、一瞬だけ動いた。
「特許を買う時も、破産管財人を通して手続きしただけだ。社長と直接会ったことは一度もない」
それだけ言って、金川社長は再び書類に目を落とした。話は終わった、という動作だった。
俺は一礼して、社長室を出た。
廊下に出た瞬間に、背中の方で何かが動いた気がした。振り返らなかった。金川社長は、赤海の名前を聞いた瞬間に、目が動いた。
自分のデスクに戻った。
窓の外では、春の光が建物の合間から差し込んだ。
春の優しい匂いがした。
写真の中の穏やかな赤海の顔がでてきた。
──あの男は、最初から壊れていたんじゃない。
壊された。
世界を救おうとした男が、
世界を壊す側に回った。
