虚像の王国|7話:父親であることを、許された
玄水会の定期総会は、三週間後に迫っている。
木枯に連れられて、楪葉が勤めている東京から遠く離れた私立大学に向かった。校舎に入ると、人の気配が薄かった。
「よく、こんな遠くまでお越しいただきました。むさ苦しいところで、申し訳ありません。さぁ、お座りください」
六畳ほどの部屋は、どこか薄暗かった。乱雑に置かれた書類が、微妙なバランスで積み上がっている。窓際の棚に、小さな布袋が置いてあった。
「今日はお話を聞かせていただく機会をいただき、ありがとうございます」
「いやいや、本来ならば、私が出向くべきでした」
差し出された名刺には、大学講師とある。
楪葉自らが、コーヒーを出してくれた。
楪葉は名刺を差し出しながら、一瞬だけ目を伏せた。
「木枯から概ねの話は聞きました。私は、あなたに嘘をついていたこと、こんなことに巻き込んでしまったこと、謝らなければなりません。決して、許されるとは思っておりませんが、すべてを話そうと思います」
楪葉の力強い言葉に、隣に座っている木枯も、深く頷いた。
「私はただ真実を知りたいのです。何が出てきたとしても、全てを受け入れようと思います。覚悟を決めてここに来ました」
「分かりました。最初からお話しましょう」
楪葉が語り始めた。楪葉家に代々伝わる古文書との出会い、考古学への情熱、誰にも相手にされなかった長い年月。
「ある日、古文書の読み方教室で、私の研究内容を話す機会がありました。案の定、まわりの反応は冷たかった。ところが、終わった後に、一人の男が話しかけてきました。その男だけは私の話を興味深く聞いてくれて、こう言ったのです」
「楪葉くんの研究は、素晴らしいものを秘めています。ですが、残念なことに信憑性もなければ、リアリティもない。あなたの夢を叶えるために、手伝ってあげようと」
「……誰ですか」
「その男とは、赤海だったのです。そのときの私は、三十五歳を超えて焦っていました。そんな私に、赤海の言葉は──救いでした」
「救いでした、か」
「彼は、遺伝子の話をしました。──それで、十分だった。私のY染色体は珍しいタイプのものだとわかりました。私にとってそれが全てでした。庄の民はいた。その確信だけがあった」
楪葉が一拍置いた。
「ですが、私の論文が評価されたわけではありません。この大学の職も、赤海の人脈で籍を作ってもらっただけです。認められて得た椅子ではない。焦りが、ずっとあった。私には発掘調査が必要だった。だからこそ、逃げ出せなかった」
幹部会が終わった後の、あの言葉が来た。
「気づいた時には、もう辞められなかった」
「なぜ、木枯さんを巻き込んだのですか」
「赤海は技術者としては優秀な男ですが、数字と計数のことになると、からっきし頼りにならないのです。玄水会を立ち上げるにあたって、金の管理を任せられる人間が必要だと言ってきました」
楪葉がそこで、隣の木枯をちらりと見た。
「前の仕事をやめて困っていると聞いていました。あの時の私には、仕事を紹介してやれると、それだけしか考えていなかった。木枯を赤海のそばに引き込んでしまったことは、本当に申し訳なかった」
木枯は、膝の上で手を重ねたまま、首を横に振った。
「楪葉のせいではありません。私が、受けてしまったのです」
「木枯さん」
俺は言った。
「料亭で話してくれた忘れられない会社の話のことを、覚えていますか」
木枯の手が、膝の上で止まって、うなづいた。
「──その会社の社長は、赤海です」
言葉にした瞬間、喉が焼けた。
言ってはいけない気がした。
だが、もう戻れなかった。
「赤海が作った会社です。あなたが作った決算書で倒産した。少なくとも赤海はそれを知っている」
木枯は、しばらく動かなかった。
目を閉じた。
「まったく、気づきもしませんでした」
「不思議な縁というものがあるんですね……」
楪葉がぽつりと言った。誰に向けた言葉でもなかった。部屋の空気に向かって、言った。
「最初から知っていたのかもしれません。全部」
誰も何も言わなかった。
この部屋の薄暗さが、少し重くなった。
俺は二人を見た。二人とも黙っていた。
「……それでも」
一度、言葉を切った。
「戦えますか」
木枯が、静かに顔を上げた。
「……はい」
楪葉も、まっすぐ俺を見た。
「もう逃げたくありません」
楪葉も木枯も、頭を擦りつけた。
顔を上げると、二人とも泣いていた。
「私も同罪です。……利益になるなら、見て見ぬふりをしました。お二人だけを責める気には、とてもなりません」
俺も頭を下げた。
三人が、しばらく黙っていた。
部屋の外で、風が鳴った。
窓際にあった緑の石が、気持ちよさそうに反射している。
「Uタイプの民族は、実際には何人くらいいるのでしょうか」
「正確な数字は私にも分かりません。新会員のほとんどは、Uタイプではないのでしょう。アンケート情報をもとに、赤海の目にかなったものが、Uタイプの庄の民になるようになっていますから」
「今度の総会で決着をつけましょう。お二人にも泥を被ってもらう必要があるかもしれない。その覚悟はありますか」
「できています」
「私もです」
木枯が立ち上がった。楪葉も続いた。
二人は、同じような身長で、立ち方も瓜二つだった。
「あなたたちは、さすが従兄弟ですね。よく似ている。残念ながら私は庄の民ではないのでしょう。あなたたちとは、遠い昔に同じ一族だったら良かった」
「いいえ、あなたはUタイプで間違いありません。赤海が結果を書き換えさせる可能性があった。だから、理事長選出の時だけは、私が直接確認したのです」
「それなら良かった。少なくとも私たち三人は同じ祖先だということですね」
「いいえ、違います。もう一人、確実にUタイプの遺伝子を持った人がいるんです。その人も、私が直接確認したので間違いはありません」
楪葉は、首をゆっくりと横に振り、目の前に一枚の紙を置いた。
光輝の顔が、来た。
泥だらけの靴。
「とうと」
あの声と匂いが戻ってきた。
「あなたの息子さんです」
声が、出なかった。
心臓だけが、壊れたように鳴っていた。
