虚像の王国|4話:石は、端で止まった。落ちるはずだった
ある朝、金川社長に呼ばれた。
「最近の売上増加の要因はなんだ」
俺は少し間を置いた。
「第一営業部の頑張りによるものです。地道に動いた結果だと思っています」
社長は書類から目を上げた。
眼鏡越しに、俺を見た。
「そうか」
信じた顔ではなかった。
しかし追わなかった。
「最近の売上は異常だ。お前が動いているのも分かっている。泥にまみれろと言ったが、その意味を履き違えるなよ。雨池のようになるな」
俺は、何も言えなかった。
──履き違えていないと、まだ言えるだろうか。
社長が書類に目を戻した。俺は頭を下げて、部屋を出た。廊下を歩きながら、社長の言葉が体の中で何度か往復した。
冬の冷たい空っ風を避けながら、今年最後の幹部会に向かった。ビルのエレベーターで、畦地と乗り合わせた。
「花城、先日の参院選では、本当に助かった。ありがとう」
畦地は疲れが滲み出ていた。
「いえいえ、私の署名の力などありませんよ。先生の実力と頑張りによるものでしょう」
「そんなわけないだろう」
畦地が、少し声を落とした。
なにかを抱えてるような複雑な顔をした。
扉が開いた。畦地はいつもの顔に戻った。
「幹部会を始める前に、嬉しいご報告があります。先月末で会員数はついに六千人を超えました。来年度には、一万人の大台も見えてきました」
司会の赤海が、満面の笑みで言った。
「一万人?なぜ、こんなにはやく」
「すべて花城理事長の影響力でしょうね。あなたの呼びかけに、会員の皆さんが勧誘している模様です。玄水会の会員は、北から南まで全国各地に広がりつつあります。庄の民は全国各地に分散したということですね。楪葉教授」
「そうですね……」
楪葉は、うわの空で答えた。全員に聞こえるかどうかというくらいの小さな声だった。
赤海が、議事の方向性を戻した。
「これはこれで喜ばしいことなのですが、この会員数になると収拾がつきません。そこで、玄水会の組織を強化することにしました。ご覧ください」
「まるで、一つの国のようですね……」
花城大王。
その下に、畦地──まつりごと長。赤海──かげの司。楪葉──ふみの司。木枯──くらの司。
「さすがに、時代錯誤でしょう。荷が重すぎる。もっと現代風に軽いものにしませんか」
「いえいえ。ただのエンターテイメントですよ。遊びの一種と考えてもらえれば」
「役職の任期は二年ですか」
「大王職については、世襲制です。最古の遺伝子はその子に継承されますから。ただ、世継ぎがいない場合は、もう一度探し出さないといけないですね。とりあえず、この組織体系をスタートさせて、追い追い考えていきましょう」
俺には世継ぎがいない。この言葉が重いものだった。
楪葉が、恐る恐る手を挙げた。
「理事長、私からもお願いがあります。前回の幹部会でもお話しましたが、祠の発掘調査を総会の議案としてあげてもらえないでしょうか。なんとかお願いします」
楪葉の対象は、赤海でなく、俺だった。
「だから、昨年も言っただろ。なにも出なかったら、誰がどう責任を取るんだ。ここまで作り上げてきた庄の国は間違いでしたと言うのか。そんなリスクは負えない。悪いけど、当分の間、諦めてくれ」
畦地が苛立ちながら言った。
「昨年から、寝る間も惜しんで研究を進めました。この資料をご覧ください。間違いなく、庄の国の聖地です。歴史を覆すものが、そこに埋もれています」
楪葉は、髪を取り乱しながら、分厚い研究資料を震える手で配り始めた。
その資料が、俺の手元に来た。
日付は、三年前のものだった。
「教授、もういいよ。あなたの熱意は十分伝わったよ。でも、いまは無理だ。もうこれ以上は、やめておきなさい」
畦地は、配られた資料に目を通しながら、なお優しく言った。
「やめろだって。あなたらは、私を最初から騙すつもりで、嘘をついたのですか。都合のいいことばかり言って。……では、私は何を信じて、ここまで来たのですか」
楪葉は目を充血させながら、引き下がろうとしなかった。
突然、拳で机を叩く音が部屋中に響き渡った。
畦地が爆発したかと思ったが、動いていなかった。爆発したのは、赤海の方だった。赤海の震えは、感情を制御しようとしている震えだった。
「いい加減にしろ。だから、何度もダメだと言ってるだろう。いま、玄水会は一番大事な時なんだ。伝説だから価値があり、人を魅了するのだ。全てを明らかにしたら、人は興味をすぐに失ってしまう。あなたの夢物語に付き合っている暇はないのだよ」
あまりの怒鳴り声に、体が固まった。赤海は、ゆっくりと息を吸った。それから、その手をテーブルの上で静かに組んだ。
楪葉が、ゆっくりと胸のポケットに手を入れた。震える手が、小さな布袋を取り出した。テーブルの上に、静かに置いた。
小さな石が、転がり出た。
緑色だった。濁りのない、深い緑だった。
石は、テーブルの端で止まった。
「これは、私の家に代々伝わるものです。これが庄の民の証です。この石と同じものが、あの祠の下に眠っている。私はこの目で確かめたい。それだけなのです」
誰も何も言わなかった。
赤海は、テーブルの上の石に、一瞥もくれていなかった。まるで、最初から存在しないもののように。
「発掘調査にはいくらぐらいかかるのですか」
「規模によりますが、三億くらいは必要かと……」
「木枯さん、いま玄水会の預金残高は、いくらぐらいありますか」
「約五億くらいです……」
木枯の声は震えていた。
「今の段階では皆さんが言う通りに諦めた方がいいかもしれないですね。残念ですが、また、今度に話し合いをしましょう」
幹部会は終わった。
赤海が歩きながら楪葉の横を通り過ぎた。立ち止まらなかった。
「教授、お忘れではないですよね。あなたの今の生活は、誰のおかげで成り立っているか」
楪葉の背中が、わずかに縮んだ。赤海は振り返らず、そのまま廊下へ出た。
帰り際、楪葉が石を布袋に戻すのが見えた。震える手で、丁寧に戻した。胸のポケットにしまった。この石からは、本物の匂いはなかった。
その背中を見ながら、俺は廊下に出た。
エレベーターの前で、赤海が一人で立っていた。
「赤海さん、玄水会の預金が5億もあるなんて。一体どうやって」
二人きりになった。
「花城理事長」
赤海が、正面を向いたまま言った。
「玄水会のためならばと、相当な額を出してくださる方がいます。自分の全財産を、という方もいる。遺伝子で繋がった一族のためならばと、そういう方々から集まった金です」
全財産を。遺伝子で繋がった一族のために。
「嘘だ。表に出せない金も混じっているのではないでしょうか」
赤海の表情が、一瞬だけ止まった。
「……気づきましたか。花城理事長は、鋭い」
褒めているのか、警戒しているのか、分からない言い方だった。
「その通りです。表に出せない金です。そして、あなたはこの組織のトップになる」
赤海は出る前に、一度だけ俺を見た。
頭も体も動かない。
「それから」
赤海が、出口に向かいながら、最後に言った。
振り返らなかった。
「あなたは、もうここから出られません。──もう、戻る理由もないでしょう?玄水会の金の流れを知った。署名もした。自分のために商売に使った。あなたが勝手にやったことです」
出られない、という言葉が、体の中で何度も反響した。
──履き違えていた、のかもしれない。
心臓の音が、やけに大きかった。
──それでも、俺はエレベーターのボタンを押していた。押した指が、どこか他人のものだった。
開いた扉の中に、
俺は、自分から入った。
