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第6章:AI記事の薄さに気づいた

(前回)第5章:読まれない理由に気づき始めた

■ 読み返して感じた「既視感」の正体

「これ、どこかで読んだことがある……」 冷静な目で自分の過去記事を読み返していた私は、手が止まった。ダイエットの記事も、副業のコツも、節約術も、タイトルこそ違うけれど、中身の「肌触り」がすべて同じなのだ。

AIが吐き出す文章は、ネット上の情報の「平均値」だ。だからこそ、誰にとっても正解ではあるけれど、誰の心にも刺さらない。まるで、栄養素は完璧に計算されているけれど、味も匂いもしない「サプリメント」のような文章。一瞬で読み飛ばされ、記憶にも残らない既視感の正体は、この「無機質な正しさ」だった。

■ 「顔が見えない」文章の限界

AIに書かせた記事には、必ずといっていいほど「〜と言われています」「一般的には〜です」という言葉が並ぶ。 そこに、「私はこう思う」「私はこうして失敗した」という主観が一切ないのだ。読者は、情報の先にある「人間」に会いに来ているのに、私の記事には鏡のように冷たい画面が反射しているだけ。

「私の言葉じゃないから、私の顔が見えないんだ」 AIを使えばプロ級の文章が手に入ると思っていたけれど、実際には「誰のものでもない文章」を量産していただけだった。これでは、何百本投稿したところで、私という人間を好きになってもらうことなんて、一生できない。

■ 専門用語の裏側にある「空っぽ」な自分

AIは、小難しい専門用語や横文字をそれらしく並べるのが得意だ。 「エンゲージメントの最大化」「ベネフィットの提示」……。 最初の頃は、そんな言葉が並ぶ自分の記事を見て「賢くなった」と錯覚していた。でも、その言葉の意味を自分の経験として語れるかと聞かれたら、言葉に詰まってしまう。

知識を横流ししているだけで、自分の血肉になっていない。AIが作ってくれた「薄っぺらな正論の壁」の裏側で、私はただ操作ボタンを押しているだけの、空っぽな存在になっていた。その虚しさが、じわじわと波のように押し寄せてきた。

■ AIを「主役」にしてはいけなかった

私は、AIを魔法の杖だと思い込み、自分がその杖に振り回されていた。 AIが主役で、私はただの指示役。でも、noteという街で生き残るために必要なのは、AIの完璧さではなく、私の「不完全な経験」だったのではないか。

「このままじゃダメだ。AIに頼り切るのをやめよう」 そう決意したとき、初めてAIとの正しい距離感が見え始めた気がした。AIを「執筆の代行者」ではなく、私の声を増幅させるための「拡声器」として使うこと。その気づきが、次の扉を開く鍵になった。

■次回

第7章:自分の経験を入れたら記事が変わった


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