雑記:生成AI利活用、楽しい授業解析
はじめに
先の記事、レポート記事を書いた現職教員氏が、なんだかキレてます。
「認知オフローディング」って言葉は、生成AI界隈では常識的な言葉だと思うんですけどね。授業実践界隈ではまだ伝播してないのかしら?
一国民として言わせてもらえば、先の記事に引用した題名の
「「生成AIで子供は思考しなくなる」と思っている人は、鈴木秀樹先生の授業を見てから同じことを言ってみろ」
とか、この先の記事を見ての感想なのでしょうか?、
「お前現場に居たのかよ」
この言葉遣い、公務員として適性に資するのか、道義的にいかがなものか心配になります。
えぇ、こういうぞんざいな言葉遣いの人に教えられる子どもが。

そうね、授業を見てすらいないけど、ご丁寧なレポートと、資料のおかげで、およその授業の流れはわかりました。
昨今の、生成AIの「思考力を奪うのか」から派生する課題に関して、「大丈夫ですかね?」と認知心理学や「認知オフロード」の観点から批判しましたねぇ。釈然としなかったので。
小難しい?用語も知らないで、「道具があるから、さぁやろう!」では、特に、未発達の児童生徒にやられると困るんですよ。
批判的思考を欠いた取り巻きの皆さんも多そうですので、それが声と量になると嫌ですしね。裸の王様にされていませんか?実に心配です。
OECDもUNESCOも文科省のガイドラインだって、もっと小難しいことを言ってると思いますよ?
後進に繋げていこうとするのであれば、余計にね。小難しいことも受け入れて、学び直さないとなりません。
はっきり言うと、
「理論に裏打ちされない実践しかできない人は勘弁して」
なんですよ。これからの時代に欲しいのは
「理論も実践も往還しながら高みを目指す高度専門職たる教員」
が欲しいんですよ。
中教審、文科省関連の資料、読んでます?
会場に文科省原課の課長さんがいたんだから、聞けばよかったのに…。
あ、これも小難しいのかもしれない。
鈴木教諭の授業はね(見てないけど)、実は生成AIがなくても、十分に児童は思考力が発揮される授業設計なんじゃないですかね。
さて、以下、私の小難しいメモ。(私的にはLOTSですけど)
シンキングツール(R)で分解してみる
思考力というとまた小難しい深淵が待っているので、GIGA端末普及後に普及した、「シンキングツール(R)」で考えてみましょうか。より、小学生への授業としてはわかりやすいはずですから。それでも小難しいのかな?と不安を抱えつつ。
今回は、ロイロノートさんの図をお借りしますね。

鈴木実践では、生成AIパートを除いても、いろいろとシンキングツールは使えそうですが、授業内容からして、扱っていない思考スキルもありそうです。
各思考スキルの該当度(高→低)
① 順序付ける(×:ほぼ見られない)
理由
5月→12月の本文順序は与えられている。
創作した別月も、順序構成はAIが実施(スライドp.5–6)。
児童は順序そのものを自力で構成していない。
→ 順序思考はほとんど発動していない。
② 比較する(◎:最も頻出)
理由
この授業の核は「別月 vs 原作(5月・12月)」の比較(スライドp.7–9)。
特に9月(夕方)の創作例では、昼/夕方/夜の対比が強調されている(p.8)。
→ 比較こそ中心的思考スキル。
推定されるシンキングツール対応:
ベン図
データチャート
ダイヤモンドランキング(差異の優先度づけ)
③ 分類する(○)
理由
「自然の厳しさ/優しさ」など、概念カテゴリへの仕分け(スライドp.9)。
子どもは、AI生成物と原作をカテゴリ化しながら解釈している。
→ 比較の副次作用として分類が発生。
対応ツール:
Yチャート
分類チャート
④ 関連付ける(○)
理由
原作5月の「厳しさ」→12月の「優しさと希望」という関連性(p.9)。
レポートでも「自然→生命→希望」の連関が語られる(p.3–4)。
→ 明確に関連づけ思考が使われている。
対応ツール:
ウェビング
イメージマップ
⑤ 多面的に見る(△:部分的に)
理由
生成AIが別月を複数提示することで「多面的に見える」が、
児童自身が視点を自力生成したとは言い難い(生成AI依存)。
→ 多面的視点は“演出されている”が、自力では弱い。
対応ツール:
PMI
フィッシュボーン
Yチャート(部分的)
⑥ 理由付ける(△〜×:弱い)
理由
「なぜそう思うか?」という根拠提示は、
教師が問い返す場面でのみ発生。本来は根拠を本文から引用すべきだが、AIが作った別月が主素材になり、
根拠構築が浅層化している。
→ 理由付けスキルは限定的。
⑦ 見通す(×)
理由
結果を予想する活動は一切実施されていない(この授業では)。
AIが創作を行ってしまうため、「展開予測」が必要ない。
→ 見通す思考は授業には含まれていない。
⑧ 具体化する(×)
理由
描写や具体的情景化はAIが担当。
児童が自分で描写を深めるプロセスは奪われている。
→ 具体化スキルは生成AIに外部委託されている可能性が高い。
⑨ 抽象化する(◎:使用頻度が高いが、生成AI依存成分を含む)
理由
「厳しさ」「優しさ」「希望」など抽象語が多用。
ただし、抽象化は「AI生成物が差異を強調するから可能になった」側面がある。
→ 抽象化はよく見られるが、純粋な自力発動とは言い難い。
ただし、小6段階での「やまなし」の抽象化は難易が高い。
⑩ 構造化する(◎)
理由
「創作(AI)→比較→分析」という授業設計そのものが構造化を促す。
児童自身も、
月ごとの情景
季節感
時間帯の変化
を構造的に語っている。
→ 教師の強力な誘導のもと、構造化は確かに行われている。
対応ツール:
ピラミッドチャート
情報分析チャート
⑪ 要約する(×)
理由
授業の締めに「まとめ」を書く活動は存在しない。
→ 要約・統合的まとめは行われていない。
⑫ 変化をとらえる(◎)
理由
「5月(昼)→12月(夜)」の季節変化、
「夕方(9月)」の挿入による時刻的変化(p.8)、
生命の推移・自然の変容(p.9)
などが頻出。
→ 変化認知はこの授業の中心的思考スキル。
児童が実際に使った思考スキルの構成比
強く使っている(★★★)
②比較する
⑨抽象化する
⑩構造化する
⑫変化をとらえる
ある程度使っている(★★)
③分類する
④関連付ける
⑤多面的に見る(AI依存)
ほぼ使っていない/授業内容に含まれない(★)
①順序付ける
⑥理由付ける
⑦見通す
⑧具体化する
⑪要約する
この授業での児童の思考は、
「比較・抽象化・構造化」という上位スキルに偏って強く出ているが、
その一方で「本来思考力の基礎となるプロセス(問い生成・理由付け・具体化)が生成AIに外部化されている」可能性が高い。
という二重構造を持つ。
そのため、見かけ上は思考力が強く発揮されているように見えるが、実際には「思考プロセスの浅層化」が併存している。
1 授業の核は「比較→抽象化→構造化」の一連の思考デザインであり、AIはその「補助線」にすぎない
スライドを見ると、
授業の骨格は次の通り。
5月と12月の違いを比較する
その違いを「厳しさ/優しさ/希望」などの概念へ抽象化する
季節・生命・自然を「構造として理解する」方向へ導く
つまり、
授業目的として最初から「比較→抽象化→構造化」が設定されていた。
生成AIの「有無」を論じる前に、鈴木教諭の授業設計そのものがこの思考ルートを作り出している。
2 AIは「比較の素材」を早く作っただけで、思考スキルそのものの発火源ではない
生成AIが担ったのは以下の機能。
別月(6月・8月・9月など)の「比較対象」を瞬時に生成
子どもが比較に入りやすいよう「差異の材料」を整える
つまり、生成AIの役割は比較の入口を加速しただけ。
比較という思考操作の本質は、
あくまで「5月/12月という原作構造の読み解き」によって成立する。
別月を自力で創作させる授業でも、
十分「比較→抽象化→構造化」は起こり得る。
3 抽象化(厳しさ/優しさ/希望)は、AI由来ではなく「課題設定」由来
「厳しさと優しさ」「希望」という抽象概念は、
原作の対比構造そのものから導かれている。
児童が語った抽象語は、AIが作った物語の質に依存したものではなく、
原作の構造に基づく解釈である。
したがって、
AIがなくても
別月の創作を自力でさせても
あるいは創作をさせずとも精読だけでも
抽象化は実現したのかもしれない。
4 構造化(季節・自然・生命の関係整理)も、AIではなく原作構造が源泉
「宮沢賢治への思索」では、
自然→生命→希望という連関が示されている。
これは
生成AI生成物が提供した構造ではない。
むしろ、
賢治作品の本質的構造
教師の読解と授業デザイン
が児童に「構造的理解」を促している。
生成AIは「素材の量」を増やしただけで、構造理解の中核部分にはほぼ寄与していない。
5 逆に言えば、AIが「強化した」のは「思考スキルそのもの」ではなく「思考の見かけ」
これは本記事全体の議論とも一致するが、
生成AIが実際に強化したのは、
発言の「豊富さ」
比較対象の「多様さ」
抽象語が出やすい「きっかけ」
などであって、
認知プロセスとしての思考はAIなしでも成立し得た。
つまり、AIは
思考スキルの「質」ではなく、「量とスピード」を押し上げただけ
と見るのが正確かもしれない。
6 結論
問:
「比較・抽象化・構造化」は、AIがなくても授業目的として発揮されたか?
答:
はい。授業の核となる「思考ルート」はAIと無関係に成立するよう設計されていたため、AIなしでも十分発揮される。
AIが付加したのは、
比較材料の供給スピード
子どもが発話しやすい状況
活動の“楽しさ”と“量感”
であり、
思考スキルの本質的な発露には寄与していない可能性が高いのではないか。
したがって、
この鈴木教諭の授業は「生成AIだから思考が深まった」のではなく、
もともと授業デザインが「比較・抽象化・構造化」へ強く寄せていたために深い学びが生起した。
と捉えるのが妥当かもしれない。
授業分析は、かくも楽しい。
見てもいない実践だが(苦笑)
「授業の芯が確立され、児童にもレディネスがないと、生成AIを使おうが、
思考や深い学びは起きない」
ということは、n=1の見てもいない実践事例ではあるが、確かなようです。
ではでは。
