Netflix感想文:Note経営陣の迷走とリック・アンド・モーティが暴く『虚構の新人発掘』
noteでは、これまで生命保険会社やソフト企業などが宣伝目的でハッシュタグ投稿コンテストを繰り返してきた。Amazonやホーユーも自社ブランドの理念やテーマを掲げ、生活者の体験談を募り、それを広告ではなく『ブランド・ストーリー』として機能させてきた。これらは企業にとってブランディング戦略、クリエイターにとってPVやフォロワー獲得の機会、noteにとっては法人アカウント開設や新規ユーザー流入につながる、三者が得をするシナジー型の仕組みだった。
ところが今回のNetflixコンテストはどうだろう。noteにとってメリットは皆無、寧ろマイナスしかない。理由は単純だ。ネットサービスの競争原理は『ユーザーの可処分時間をいかに自分のプラットフォームに縛りつけるか』に尽きる。noteで記事を5分読めば、その5分はYouTubeやNetflixから奪った時間であり、逆にNetflixに流れればnoteは一銭の得にもならない。滞在時間とはゼロサムの戦場である。それなのにnoteは、自らの塹壕を崩してまで敵に道を開け渡しているのだ。
しかも相手はNetflixである。短編番組一本で30分、映画なら90分、連続ドラマに至っては『次の話は…』の自動再生で一晩どころか人生そのものを吸い尽くしていく。noteの記事が数分で読めるのに対し、Netflixは桁違いの時間泥棒だ。そんな相手に『noteからどうぞ』とユーザーを差し出すなど、自分の庭に呼んだ客をライバルの店に送迎してやるようなものではないか。
では賞品はどうか。高々一万円の商品券である。この餌にユーザーが群がると本気で考えたのなら、経営企画の発想力は学芸会レベルと言わざるを得ない。noteはこれまで『生活者の声を企業の物語に変える』という強みを育ててきたはずなのに、Netflixを相手にした途端、滞在時間という基本ルールすら忘れてしまった。経営陣は一体どこを目指しているのか。これはもはや迷走ではなく、自滅への行軍である。
しかもNetflixのスタンダードプランは1080pという低画質プランでさえ月額1,590円。noteのクリエイターが一記事100円で売れるかどうかを必死にあがいている現実を思えば、この価格差は残酷そのものだ。5分で終わる100円記事を毎日読めば月額3,000円。対してNetflixなら1,590円で映画もドラマも見放題。どちらに時間とお金を投じるか、答えは火を見るより明らかだ。
つまりnoteは、ユーザーの時間と財布を同時にNetflixに差し出し、自らの収益モデルを破壊しているのである。
リック・アンド・モーティの感想文
ここで話を切ってしまってはNetflixの感想文にはならないので、Netflix配信中の人気アニメ『リック・アンド・モーティ:Rick and Morty』を取り上げておきたい。
『リック・アンド・モーティ』は天才だが破滅的な祖父リックと、その巻き添えになる孫モーティの冒険を描く作品で、SFパロディ、メタジョーク、哲学的テーマがごった煮になったカオスさでカルト的人気を誇る。
特に印象的なのがシーズン4第3話『オーシャンズ・モーティ:One Crew Over the Crewcoo’s Morty』である。物語全体が『オーシャンズ11』などに代表されるハイスト映画(強盗計画モノ)のパロディとして展開する中、リックは計画自動生成AI『Heistotron』を暴走させ、さらに対抗策として『Randotron』を投入する。前者はアルゴリズムで完璧なハイストを導き出そうとし、後者はランダム指令でそれを撹乱する。つまり、予測可能性 vs 予測不能性という構図そのものを茶化したメタギャグである。
このAI対決は『盗み』をテーマにしながら、実は『盗作』や『創作の自動化』への皮肉としても機能している。Heistotronが放つ逆説的な台詞『唯一完璧なハイストは、決して書かれることのないハイストだ(“The only perfect heist is one that will never be written.”)』は、まるでAIによる物語生成が最終的に自己否定へと収束していく未来を暗示しているかのようだ。
さらに、このエピソードにはイーロン・マスクをもじった『Elon Tusk』も登場する。牙の生えたマスク風キャラクターが、物語の混沌に巻き込まれていく姿は、テック業界のカリスマがしばしばジョークや偶像として消費される現代を風刺している。つまり、この一話自体が『盗み』『盗作』『自動化』『偶像化』という要素を多層的に織り込み、AIやテクノロジーにまつわる社会的な妄信と不安を同時に笑い飛ばしているのだ。
エピソードの終盤、モーティは自作ハイスト映画の脚本をNetflixに売り込もうとする。しかし最終的に彼は気が変わり、プレゼンをやめる。その裏には、リックが『モーティがNetflixに取られる未来』を避けるため、一連の騒動を仕組んでいたというオチがある。ここで描かれるのは、『Netflixに原稿を持ち込めば夢が叶う』という甘美な幻想を徹底的に茶化した構造である。
Rick and Mortyの真骨頂は、こうした『現実にはあり得ない構造』をギャグとして提示しながら、同時に視聴者が抱く幻想や業界の閉鎖性を暴き出す点にある。そして何より皮肉なのは、そのエピソード自体をNetflixで配信しているという二重構造だ。『プラットフォーム批判をそのプラットフォーム自身が流通させる』という捻じれを体験させること自体が、最高のメタジョークになっている。
noteとNetflixの『新人発掘ごっこ』
だが笑って済ませられるのはフィクションの中だけだ。現実のNetflixとnoteは、Rick and Mortyが笑い飛ばした『あり得ない構造』をそっくり再生産している。
Netflixは『誰でも才能があれば拾い上げる』と幻想を振りまくが、実際に通るのは代理人や大手制作会社を通した案件ばかり。noteも『誰でも書けば読まれる』と喧伝するが、アルゴリズムに選ばれた記事以外は存在していないも同然である。両者とも『開かれているようで閉じている』構造を温存したまま、ユーザーに夢だけを見せ続けている。
その典型がnoteの『創作大賞』だ。名前こそ立派だが、実態はアルゴリズムと広告主の機嫌を取る作文コンクールでしかない。数万件の応募があっても、残るのは『無難で炎上しない』『広告案件に載せても安心』という無害サンプルばかり。角を削ぎ落とした作品を『創作』と称する茶番であり、少数の読者に強烈に刺さるような尖った記事は最初から排除される仕組みになっている。
結果として創作大賞は、才能を発掘するどころか均質化し、クリエイターを『量産型PV要員』へとすり替える装置に成り下がっている。いわば『創作の墓場』だ。
Rick and Mortyが『Netflixに直接原稿を持ち込めば夢が叶う』というギャグを笑い飛ばしたのはまだ救いがある。だが、noteとNetflixが現実にやっているのは、笑いにもならない『虚構の新人発掘ごっこ』である。そのセンスの無さは、もはやフィクションを超えて悪質と言わざるを得ない。
武智倫太郎

