【海外生活&子育て6年】多様性の本質とは何か。私がどうしても提供したい情報価値について
こんにちは、Aikoです。シンガポール現地採用で、3人の子供を育てています。今までオーストラリア、イギリス、シンガポールで子育てをしてきました。
この1年ほど、note や Instagram などの発信活動を通じて、海外で働きながら子育てをするリアルな日常や、自分のキャリアの変遷、そして子供たちのためにどういう選択をしてきているのかを綴ってきましたが、忙しくも発信したい・しなければ、という衝動に駆られるのはなぜなのか。
「私が、社会に、そして日本の親御さんたちに提供したい価値。その根底にあるものは何なんだろうか」
発信しながらも、そう自分自身に問い続けて、少しづつ言葉にできるようになってきました。
今回は、長編です。1万字を超えてます…。私がこれまでの日本での人生で感じてきたこと、海外で出会った日本との「親の違い」、圧倒的な多様性の中に少数派になった自分が変わったこと、そして、日本の未来を作る子供たちに「絶対にこれだけは残したい」と確信していること。私の頭の中にあるものを、すべて吐き出してみようという試みで、あえて一つの長文記事にしました。
まず、一番大切な結論から言わせてください。
これからの時代を生きる子供たちにとって、本当に必要なのは「英語ができること」ではありません。「日本語以外の言語を通して、異なる背景を持つ他者とのコミュニケーション体験が1つの契機となり、人種・宗教・性別などの『自分との違い』を多様性として受け入れ、他者と協働・共創できる心のあり方」なんです。
この「多様性を心と体で感じる体験」があるかないかで、これからの不確実な社会での生きやすさ、そして将来のビジネスにおける活躍の場は、文字通り、桁違いに変わってくるだろうなと、確信しているわけです。
1. 世界標準とは異なる、ガラパゴス的発展を遂げてきた島国
日本人の多くは、日本に生まれ育っている方が大半だと思いますが、
「日本語だけで不自由なく生きていける」
「日本の教育レベルが、義務教育から高等教育までとても高い」
「仕事において、日本語以外を求められることがあまりない」
日本は、こういった恵まれた環境であるということを、これまで意識されたことはありますか?日本という国は、たまたま海に囲まれた島国で、ヨーロッパのような平地でつながっている国同士に比べると、他国との行き来がとてもしづらい。また、ビジネスをするのに十分な規模の、1億人以上の人口があります。
国内だけで十分な需要があるから国内向けのサービス供給が成り立ち、また、かつて工業分野では世界が「欲しい」と思うモノを提供できていたので、国民全員を養えるだけの巨大な産業がありました。世界中のあらゆる文献や専門書が日本語に翻訳され、高等教育を受けるためにわざわざ英語を学ぶ必要すらありません。つまり、日本は「日本語だけで生きていけるインフラ」が完璧に整ってしまった、世界でも稀有な国なんです。
この国では、日本語だけで何でもできてしまいます。
でも、それがゆえに、日本人同士の同質化が極限まで進んでいるふうに思います。 日本人以外の価値観を受け入れる必要も、自分たちの常識を疑う機会もなかった。「自分と違うもの」と交流し、摩擦を乗り越えて一緒に何かを作り上げる経験を、国籍や宗教、人種という意味で経験することが圧倒的に少なかったのです。
日本は素晴らしい国です。でも、その「恵まれた環境」こそが、今、私たちの前にとてつもなく高い壁として立ちはだかっているとしたら、どう思いますか?
とてもちっぽけな例なのですが、私は日本の公立の教育システムの中で育ちました。小学校から大学まで、すべてです。そこで小学生のころから幼心にずっと感じていたものがあるのですが、それは、通知表で全部「よい」を取らなければならない、という見えないプレッシャーでした。
日本の社会、特に学校教育の場では、「満遍なくすべてできる人」が良しとされます。突出した才能があることよりも、すべての教科をそつなくこなし、友達も多くて、先生に反抗せず、何より「問題を起こさない」こと。そういう「こんな完璧な人、本当にいるの?」と疑いたくなるような人物像が、無言のうちに求められている空気がありますよね。
特に私は小学生の頃から、給食費や校納金がしばしば払えず先生から呼び出される経験をしていたので、既に迷惑をかけている分、優等生でいなければというプレッシャーは強かった気がします。また、貧乏が理由でいじめられたくないですし。
私はそのプレッシャーに過剰に適応しようとしました。勉強も運動も人間関係も、すべてにおいて「優等生」であろうと必死に努力し、いわゆるオールラウンダーになることで、最終的には東京大学に入学することができたんだろうと思っています。(一方で、中学生で友人との人間関係が上手くいかない、輪に入れないことを「自分は出来損ないなんだ」と自分を責め、自己肯定感を感じにくい、ちょっと歪んだ人格形成につながったんじゃないかと、今では客観的に思ったりもします。)
でも、大人になってから。もっと正確には、日本人以外の人を社会的につながる経験を経て気づいたんです。それって、ものすごく息苦しい世界だったんだということに。
設定された「正解」の枠から少しでも外れてしまうと、途端に生きづらさを感じる。一つの失敗や、他との「違い」が許容されにくい。これってつまり、社会全体が「多様性を認めていない」ということの裏返しだと思うんです。
では、なぜ日本はここまで多様性を認めるのが苦手なのでしょうか? それは、日本人が意地悪で心が狭いから、では決してありません。「本当に、知らないだけ」なんだと思います。日本人以外は宇宙人、と言っても過言ではないでしょう。だって、言葉が通じないのですから。
2. 海外の学校で見た、次元の違う「父親たちのコミット」
この「多様性を知らない」という(他国と比べての)経験格差は、多様性を認め合うのが苦手という特徴を通じて、実は日本においては、「ジェンダーギャップ」という形で私たちの社会に深く影を落としている可能性がある、と私は考えています。
ちょっと突然に聞こえるかもしれませんが、私は「男女の性差」もダイバーシティ(多様性)の一つで、かつ最たるものだと思っています。外国籍の人や、全く異なる文化的背景を持つ人といった「大きなダイバーシティ」を受け入れる経験をしてこなかったからこそ、身近な「性別」という多様性に対する寛容度も、日本で広がることに、特に時間がかかるのではないでしょうか。
話は少しそれますが、「外国と日本のジェンダーギャップの差」を私が強烈に実感したのは、夫の駐在に帯同して海外で暮らし始め、子供を現地のプライマリースクール(小学校)に通わせた時でした。私がオーストラリア、イギリスで子育てをしていた時のことです。
現地の学校の送迎時間は、だいたい朝の8時半と、午後の3時半です。そこで私が毎日のように目にしたのは、日本では絶対に見られない光景でした。
午後3時半の校門の前に、いつも来るお父さんたちがいるんです。お母さんや祖父母に紛れて、毎日来ているお父さんがいる。
彼らは特別な日だから来ているわけではありません。自分の役割として毎日来ているんです。また、両親が共働きで大体半々ぐらいの割合でお迎えに来るお父さんもいます。「今週は妻が1週間出張だから、今週は僕が全部子供たちを見てるんだ。だから毎日迎えに来てるよ」とサラッと言うお父さんも。中には、ご自身が起業して社長を務めており、奥様が専業主婦であるにもかかわらず、ほぼ毎日お迎えにくるお父さんまでいました。
彼らの振る舞いを見ていると、あることに気づきます。 「いやあ、ちょっと妻がいなくて仕方なく…」といった、ニヤニヤ照れ隠しをするような態度は一切ありません。妻も夫もどちらも親なのだから、自分が子育てをするのは当然だ、という暗黙の空気感がそこにはありました。
これまで日本のビジネスの最前線で、いわゆる「エリート」と呼ばれる日本の男性たちを見てきた私にとって、これは本当に、絶対にありえない光景でした。海外では、エリートと呼ばれる層の人たちが、これを「日常」としてやっているんです。
当然、父親がこのような役割をこなしているご家庭の”数”は少ないです。私が経験した感覚的には、10~20%、10家庭に1、2人は、送り迎えでお父さんをよく見るという割合です。(その他すべてがお母さんなわけではなく、祖父母やベビーシッターさんのような方も混ざっているし、両親が交代交代の人もいて、お母さんがいつも迎えに来る家庭は半分ぐらい、というところでしょうか。)
彼らは、「子育てへのコミット、家庭へのコミット」を、自分の役割として当然のように捉えています。また、その裏側には、パートナー女性へのリスペクトも感じます。妻の状況に合わせて、自分と妻とで調整していく、というリスペクトです。
例えば、学校終わりに子どもが学校から出て来るのを待っているとき、娘の友達のお父さんと雑談していると、「この学校の今の学年は、娘の宿題を見ていると算数のレベルがちょっと低そうなんだよね。先生の教え方、どう思う?」と真剣に相談してきたりします。ただ送迎という「タスク」をこなしている以上に、子供の学校での様子や学習状況をしっかり把握し、考えて行動するところまでコミットしている。
翻って、日本はどうでしょうか。 両親が揃っている家庭で、お父さんとお母さんが同じ熱量で子供の教育に興味を持ち、コミットし、子の宿題を見て必要な助けをする、その他あらゆるタスクを担っていく姿勢はありますか?私が育ってきた、また感じてきた環境では、ほとんど見られなかったように思います。「仕事は男性、子育ては女性」という偏った役割分担に疑いなく育ってきた人たちが、そのまま次の世代を育ててしまう。そして、その様子を見て育った子供たちが、また同じような価値観を持って社会に出ていく。
そう、私が何より恐ろしいと思うのは、その歪んだ価値観のまま、ビジネスの場に立つということです。
新卒で会社に入り、男女が共に働いていたとしても、女性が出産するとなると、途端に「前後の業務、大丈夫ですか?」と女性側ばかりが気遣われます。(気遣われるようになっただけ前進した、という見方はさておき、)男性が子供を持つ時に「業務量を調整しましょうか?」という空気には、なかなかなりませんよね。男性側も、胸を張って「育児があるので調整します」と言い出しづらい空気は、特に伝統的な企業ほどまだ残っていると思います。
私は今、性差への寛容度が、オーストラリア・イギリスにおいて(そしていまシンガポールでも)、日本と比べて異なることを実感した例を挙げました。
この根深い問題の本当に本当の根底には、実は「多様性への慣れ」にあるのだろうと私は感じています。 ヨーロッパの国々のように、一つの国で2、3カ国語が飛び交い、国境を越えて隣の国の人と日常的に交流する世界観の中では、「ジェンダーの差」も、相手が自分と違う部分の中の、ごく一つに過ぎないんです。
日本人がジェンダーギャップの解消を苦手とするのは、そもそも「自分と違うもの」と協働する経験値が圧倒的に足りていないから。すごく納得感のある仮説だと思いませんか?
3. 同質的な人が集まるビジネスの限界
さて、少し視点を変えて、この「多様性の欠如」がもたらすビジネス上の限界について考えてみましょう。
これからの時代、自分と同じような同質的な人間としか関われないこと、またはそのような組織は、ビジネスにおいて致命的なリスクになるだろうと感じています。
例えば、日本でプロダクトを展開する家電メーカーがあったとします。その商品開発チームに、30代・40代の日本人男性が5人集まって、「日本市場に特化した最新の冷蔵庫を作りましょう」と議論しているとします。 あるいは、20代の日本人女性が5人集まって、「日本の20代女性向けのシャンプーを開発しましょう」と企画している消費財メーカーでもいいです。
これ、どう思いますか? もちろん素晴らしい商品は生まれるかもしれませんが、ビジネスとしての広がりは、極めて限定的ですよね。男性だけで、一人暮らしの女子大生や、上京してきたばかりの若者の気持ちはどのように冷蔵庫に反映されるのでしょうか?また、日本に住む20代の女性向けのシャンプーを開発して、その会社の人員を賄えるほどの利益を生み出すスケールを描けるでしょうか?
まず1点目に、日本というマーケットの規模は、ご存知の通り縮小の一途を辿っています。今までマス向けに(万人受けする)プロダクトやサービスを提供してきて売上規模が出せていた産業も、おそらくそれでは売上が足りなくなる。よって、自分が「わからない」ことも、自分と異なる何かを持つ人に助けてもらいながら、「わかる」ようになっていく必要性が生まれてくるでしょう。また、グローバル市場に進出するという選択肢も必要性が高まってくるかもしれません。この場合でも、同質的な人間のチームでは、力不足になりそうです。
2点目に、労働力も圧倒的に足りなくなってきています。日本の会社が、プラスアルファの労働力として最も巻き込みやすいのは、疑いなく「日本人女性」です。次に、年齢の幅も広がっていくかもしれません。また、その先には外国人労働者も含めて、とにかく無理やりにでもチームに巻き込んでいくことが予想されます。
つまり、「自分と同じような人」だけで集まって仕事をする時代は、もう終わったんです。私たちがこれまで「この範囲でいいよね」と閉ざしていた多様性の幅を、意識的に、時には痛みを伴ってでも拡大していかないと、ビジネスそのものが生き残ること、またビジネスパーソンとして活躍できる道は限られてくるのではないでしょうか。
私がシンガポールの現地企業でいま感じているのは、組織のリーダー層、要所要所に女性がいるのが当たり前で、会社を見渡しても「男性が多い」と感じることは一切なく、文字通り半分半分。国籍やバックグラウンドもごちゃまぜで、メンバーの年齢も話題にしないチーム。「女性だから」「外国人だから」という違いなんてあったっけ?という世界です。家族があるかどうかもあまり気にしないですが、例えば、みなさん好き勝手有給を取るのが普通です。
私はこの会社で働いていて、正直とても働きやすい。日本で、東京で、3人育児をしながら働くのとどっちがいい?と聞かれたら、残念ながら日本を選ぶことはできません。
私は、こういう会社にしないとビジネスが伸びない、ということを言いたいわけではない(実際それについて意見も確信もない)ですが、少なくとも、日本の企業もこうしないと女性や少数派の人は働いてくれないだろう、逆に言うと、労働力を確保できる職場環境にするための大きなヒントですよ。ということをお伝えできるかと思います。
4. 私たちが乗り越えるべき「2つの壁」
ここまでお話ししてきて、どうやら日本人にも何か変化があったほうがよさそうだ、と感じて頂けたならとても嬉しいです。しかしながら、私たち日本人の目の前には、「多様性に慣れる」ために、大きく分けて2つの壁があると私は考えています。正確には、2つが互いに絡み合っているのですが。
1つ目の壁は「言語」です。 日本語しか喋らない、日本語以外を学ぶ必要がない、もっと言うと、日本語以外を会話で使うことを求められない環境にいること。これが第1のハードルです。言語が通じないからこそ、他の国の人と深く関わる機会が失われてしまう。
2つ目の壁は「多様性を感じる機会の欠如」です。 1つ目の言語の壁があったがために、自分の国以外の人と関わる機会を持てず、多様性を経験できなかった。経験がないから、いざ多様性(ジェンダーの違いなど)に直面したときに、どう受け入れていいかわからず、強い心理的ハードルを感じてしまう。
多様性って、頭で「受け入れなきゃいけないものだ」と理解するものではないと思うのです。これは自分の実体験から、心底思いました。色んな国に色んな文化があることを座学で聞かされるのと、実際に社会上で関係を持つこと(隣人や友人になること)は、泳ぎ方を言葉で習うのと、実際にプールに飛び込んでみることぐらい違いますよ。
具体的な経験はどんな内容でも構わないのですが、抽象化すると、「同質的でない自分と他人が、同じ社会に存在する」という実体験がないまま、いきなり「男女差別はダメだ」という話になると、多様性の差を埋めていくというプロセスに注目できずに、防御反応として(例えば男性目線からみると、)「女性ばかりが優遇されている」といった感覚が先行しがちになるんだと思うのです。
だからこそ、私は子供たちに、それらを頭ではなく「体験」や「心」で多様性を感じる経験を本当にしてほしいんです。
じゃあ、どうやってその壁を越えるのか。
私は、英語という言語を身につけて、自分と違う人たちと触れ合う機会を圧倒的に増やすことだと思っています。極論、英語以外の言語でもいいんです。ただ、最も多くの「人間」にリーチできるのが英語だというだけ。
1つの言語だけで一生を生きていくことを当たり前とするのではなく、英語でコミュニケーションできる「自分と違う人」に触れ合う。この機会を、できるだけ早く、できるだけ多く得てほしいんです。
5. 英語の先で腑に落ちた、「あ、同じ人間だな」という圧倒的な安心感
私が海外に出て、子どもの体験云々を無視して、自分自身として本当に良かったなと思うことがあります。それは、様々な人たちと英語でコミュニケーションを取る中で、「あ、この人も、私と全く同じ人間なんだな」と、心の底から腑に落ちたことです。
自分と人種が違う、言語が違う、宗教が違う。そんな人たちと出会っても、結局は同じ人間なんですよ。 親御さん同士のコミュニティの中で話していると、「子供の誕生日会のアレンジ、本当にしんどいよね」とか、「毎日の習い事の送迎大変すぎない?」といった、本当にちっぽけな子育ての悩みで深く共感し合えるんです。あるいは、「あのコミュニティのお母さん、ちょっと不躾でイヤよね」と感じる感覚も、まあまあ同じだったりする。
違いはあって同然なんですが、極論、「同じ人間だしな」と思えるようになった、ということです。海外に出る前は、同じマンションに住んでいる黒人で背の高い人とエレベーターで一緒になるだけで、とても怖かったんです。当時の私にとっては「宇宙人」だったので。
「同じ人間」という感覚がある種、安心感の土台となって、「この人と会話してみよう」「(困っているときに)声をかけて助けてあげたい」「一緒に何かをしたい」という、根源的な共同心や協力関係が、私の中で芽生え始めたと感じています。
そして、これは少し不思議な話なんですが、その変化は日本人同士のコミュニケーションにまで波及していったんです。社会人になってから少しずつ改善されてきていたコミュ障が、別人レベルで格段によくなりました。「外国人」という多様性への怖さがほぐれたことで、「同じ日本人」に対しても、どこか壁が薄くなっていったのだろうと思います。
これこそが、私が経験を通じて得た最大の財産であり、多様性を心で感じるということの本質です。逆説的ですが、多様性を知ると、相手を仲間だと思える範囲が広がっていくのです。
経験すればそういうことが分かるし、経験しなければ、自分と同じ人とだけ生活し、お金を稼いで生きていくほうに流れやすいでしょう。それでいい人はそれでもいいのかもしれません。でも、これからの世界、特に今の日本においては、今まで通りの「日本人として日本で生きていく」の成功確率が低くなっていくだろうというのが個人的な考えです。正確に言うと、変化が早すぎて、誰もわからない、といったところでしょうか。
6. 未来の子供たちへ、私たちがプレゼントできる「最高の機会」
私は、自分の3人の子供たちに、気持ちよく暮らせる社会を生きてほしいと心から願っています。
「気持ちよく」というのは、多様性があるがゆえにいがみ合ったり、恨み合ったり、無駄な負の感情を抱えたりすることなく、違いを面白がり、リスペクトし合える世界のことです。
もし、私の娘が将来日本で働くことを選んだとしても、女性が自然にチームに入り、性差による特徴はあっても能力をいかんなく発揮でき、活躍できる社会であってほしい。
そのために、親である私が子供たちにプレゼントできる最高の機会。 それは、莫大な資産でも、偏差値の高い学歴でもなくて、「日本語以外の言語(英語)を操り、多様性に触れ、自分と違う人間とコミュニケーションを取る機会」です。
英語が使えると日本の中でエリート扱いされるだろう、という薄っぺらい話をしているのではありません。英語が使えても、中身が伴わなければ別の問題が出てきますよ。
英語を使うことは、多様性の経験を(日本人の中では)人より多く得られる。そして、多様性を受け入れる心を持つこと、これができる状態で大人になれば、社会がその時にどんな風に変化しようとも、子供たちが目の前の人と積極的に関わり協力し、前に進んでいく力強さを武器にできると信じてなりません。
社会全体を多様性に寛容な方向に変えていきたいという「マクロな想い」と、自分の子供の可能性を最大限に広げてあげたいという「ミクロな親心」。この2つの軸は、遠いようで実は深いところで繋がっているんだなと、最近気づき始めました。
7. 親世代の方へ
でも、この感覚を子供に伝えるためには、まず私たち親世代が、その重要性を理解し、腹落ちしなければ先には進めませんよね。そもそも「多様性の受容が重要である」というのも、一つの仮説です。
「そうは言っても、うちは海外赴任の予定もないし、インターナショナルスクールなんて高くて通わせられないよ」 そう思われる方が日本の大半であり、数%を除く大勢の感覚です。海外生活の経験がない方が、この多様性の感覚を肌で理解し、考えることははっきり言って難しいです。(先に触れたように、これが日本という国の弱い部分)
だからこそ、私は発信したいんです。無理なくできる「小さな一歩」として、まずは日本以外の生活や、学校のこと、社会の仕組みを見聞きしてみてほしい。そのきっかけになりたく、情報発信しています。
「へえ、海外の学校ではお父さんが3時半に迎えにくる人もいるんだ」
「シンガポールでは、ヘルパーさんを雇って夫婦が両方フルタイムで働くのが広く普及しているんだな」
そんな、自分たちの常識とは違う「別の当たり前」があるという事実に触れること。 文化や仕組みの違いを知り、違いの中にそれでも存在する共通点に気づくこと。何なら、「日本の学校のここが素晴らしいな」と気づくこともたくさんあるはずです。それは本当に胸を張っていいことです。
日本にいると、日々の忙しさに流されて、自分から能動的に情報を取りに行かない限り、世界がどう動いているのかを知ることすらできません。特に、海外の子どもを取り巻く環境、学校生活、子を育てる親の言動は、わざわざ記事にはされません。
これらは、インターナショナルスクールを検討しているご家庭だけの話では決してなく、日本で子供を育てるすべての親御さんに、触れてほしい情報です。
私が「Aiko」として、忙しい日々の合間を縫ってまで、なぜこんなに熱量を込めて文章を書き、発信活動を続けているのか。
それは、私が”たまたま”見てきた世界、経験してきた失敗や気づきを「一次情報」として共有することで、皆さんの家庭の食卓で「こんな世界もあるんだって」という会話が生まれる、その小さなきっかけになりたいからです。
その「違いに触れる」経験が1%、2%と積み重なっていけば、日本の親御さんたちの子供への接し方や、提示する選択肢が少しずつ変わり、やがては日本という社会全体が、もっと多様性に寛容で、気持ちよく生きられる場所になっていくと本気で信じています。
地方に生まれ育ち、たまたま東大に受かったから上京し、ほぼバイトに時間を費やしながらも大学を卒業。そのまま東京で就職後、結婚して子どもに恵まれたものの、夫の海外赴任で日本で働くキャリアは断絶。生まれて初めての海外で、30歳で英語の壁にぶち当たりながらも子育てをし、残ったのは一貫性のないバラバラなキャリアだけど、それでも「私は何とかできる」と歯を食いしばって生きてきた私だからこそ、伝えられる”リアルな声”があります。
さて、とんでもなく長い文章になってしまいましたが、ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。
もし、この文章のどこかに共感していただける部分があったなら。あるいは、「こういう生き方、考え方もあるんだな」と少しでも興味を持って頂けたなら。 これからも、私の発信を読みにきていただけると嬉しいです。
皆さんのご家庭でも、パートナーと、子供たちと一緒に「世界」について話してみませんか?
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