2026年新春記事(その1B。野球のWBC、「ユニバーサル・アクセス権」を「2026年の年内に、日本社会として絶対に早急に導入の実現を伝えたい」。「野球のWBCが、テレビでの地上波・BSが叶わないことは「特大のマイナスである」こと)。【新春記事】【社会貢献】【エッセイ】
「定数削減」「国家情報局の創設」、これが「2026年、日本社会の重要テーマ」になるのだろうと自分は読む。1人の人間としては、「国家情報局の創設」は「激しく強い違和感」であり、広域犯罪に対応すべくの「警察庁を『日本版FBI』に昇華させること」がより優先では?と映るが(…って、ここで突如として、衆議院解散とか、意味わかんないし!)。
2026年、新春の1回目のnote記事。
この(その1B)では、「2026年、自分(愛球人)のnote新春記事」の1回目で、「最も綴りたいこと・伝えたいこと」へと、話を進めます。
(その1A)で綴った、「2025年のマイブーム」、テレビアニメ『プリンセッション・オーケストラ』、及び、その担当声優の1人である、橘杏咲さんへの応援・期待の想い。
「2025年のマイブーム」であり、「2026年で注目している1つ」でもあります。
ですけど、今回のnote新春記事で、「最も綴りたいこと・伝えたいこと」は、実は別にあります。
「2026年、日本社会の重要テーマ」。
この2026年は、解散されて衆院選(衆議院議員選挙)が実施されるならば話は別になりますが、直近の衆院選は「2024年10月24日」。
2026年の夏~終盤で、という可能性ならばゼロではないかもですが、正直に、「可能性としては、あまりないのでは」と自分は読んでいます。
というのも、2026年の重要テーマの1つとして、「定数削減」が挙げられます。この「定数削減」は、(自由民主党[自民党]と)連立与党を形成する日本維新の会が、はっきりと正直に述べれば「すさまじい執念を燃やしている」んですよね。
そう、実は自分は、大学(大学は2回経験してるが、2回目は社会人を経て、しかも通信制であるので、ここでは「1回目の大学時代」のことになるが)では「政治学」を学んでいたんですよ。
それも自分は、「選挙・政党・圧力団体」を主として学んできました。ですので実は、選挙の話題になると、心のテンションが上がります。
で、「定数削減」。いま必要であるかといえば、現時点での自分の正直な考えは、下記の感じになります。
「多少の定数削減はやむなしかもだが、『定数削減ありきで考えるのは、正直に激しく強い違和感が拭えない』。
ただ、『いまの国政選挙、特に衆院選の在り方は、何かを変えなければいけない、それも早急に』であることも、正直に強く感じてる。
とはいえ、『何かを早急に変えなければいけない』のであれば、その『優先順位のno.1は何であるのか』と考えると、それは『定数削減』ではなくて、『時代・社会に応じた選挙制度の改良』、はっきりと述べれば『小選挙区の比重が大きすぎる現行の選挙制度の抜本的な見直し』ではないか?と。
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現実論、いまの日本社会は、『価値観の多様化』『社会の複雑化』が急激に進んできている一方で、『異なる考えを排除する傾向』が、年々で加速化の傾向にあり、『ニーズと実状との乖離』がどんどん顕著になっている。
そう考えると、『諸悪の根源=小選挙区の比重が大きすぎる現行の選挙制度』ではないか?が、自分の考えである。
日本の場合、『若い世代の、政治・社会への関心の希薄さ』が、諸外国に比して特に顕著である傾向がある。これは例えば『香港での民主化運動』『韓国での大統領選挙』と比較すると、特にそうであるといえる。
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そうなってる原因・理由は、勿論に1つではない。
(個人的には正直に、『議院内閣制がもう社会・時代に合っていない、一刻も早く早急に大統領制を導入が必要である』と強く感じてるが、『大統領制の導入』『皇室典範の改正』は、『ウルトラ級に【ガラスの天井】といえる、憲法改正の困難さ』とリンクであり、つまり『現況では、議院内閣制からの改良は、正直に現実的ではない』であるのだがと。
ちなみに自分は『憲法9条は存置して欲しいが、人権・統治機構の条項は大幅に改良が必要であると強く感じてる』[『環境権』『自己決定権』『プライバシー権』の明文化など]の価値観を、ずっと強く感じてる。これは正直に、特に『2011年~2015年の、東北に向き合った経験』が大きい。)
そう、『若い世代の、政治・社会への関心の希薄さ』の原因・理由は勿論に1つではないが、『小選挙区制の弊害による、負の影響』は、結構に大きな原因・理由になっているのでは?と。
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というのも、小選挙区制は『死票が多い』『自分の考えに近い候補者が、そもそもいない(選択肢自体がないので、白票リスクがある)』が、そもそも論であるからだ。そう、『どうせ、入れたい候補者がそもそも論でいないから』『どうせ、(自分の考えとは合わない)ある現職候補者が今回も当選するから』→『だから、投票しても無駄である』になりやすいのだ。
いまの日本の衆院選の選挙制度は、『汚職による金権政治の腐敗が限界に達して、1990年代前半に選挙制度改革論議に発展して、1993年に自民党が分裂・敗北→55年体制が崩壊、非自民連立政権が誕生』により誕生した経緯がある。
(余談だが、自分は「自民党に投票したことはゼロである」。シンプルに、自分の価値観が自民党と、根っこの面で相容れないからである。)
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確かに当時、中選挙区制は金権政治の温床になっていた実状ではあったし、金権政治が社会を歪めていたことも、全否定はできない。
しかし、『異なる考え自体を認めない』の温床になってる小選挙区制の弊害が顕著になっている現況に照らすと、(中選挙区制にそのまま戻すかどうかはともかくとして、)『例えば、小選挙区制と比例代表制を50:50にする』とかを含めての、『選挙制度の何らかの変更は、もはやマスト(絶対条件)である』といえるだろう。
とはいえ、1990年代の政治改革・選挙制度改革の議論は、最終的に2年以上の時間を要した。そう、個人的には『定数削減は、選挙制度の抜本的な改革とセットである!』と声を大にして伝えたいが、『選挙制度改革と定数削減を切り離す方が、時間的にはよほどで手っ取り早い』である現実が、『定数削減が、一人歩きをする実状』に直結しているのだ。」
そう、「選挙制度改革」をまともにしようと思ったら、「ここから、1年半~2年程度の議論は、まず不可避になる」んですよね。
最も楽観的なシナリオで、「2027年の通常国会での決着」、つまり「2027年の6月」。現場である行政(いわゆる公務員)の実状に照らせば、まともに衆院選を実施できそうな最短のタイミングで「2027年の12月頃」になる。
直近での衆院選が「2024年10月24日」。衆議院は任期が「最大で4年」ですので、任期満了の場合だと「2028年10月」の計算になる。
恐らく、最も現実的な感じでは、先述の「2027年の12月頃」または、(2028年の通常国会の終了を受けての)「2028年の7月頃」、この2つのいずれかになる可能性が高い。
つまり、「選挙制度改革とセットでの定数削減」の場合でだと、最短で「2027年の12月」、だから「最短で2年近く先になる」となってしまう。
これが、「選挙制度改革を伴わない定数削減」の場合でだと、維新が「2026年の年内での決着」を強く求めていることからも考えると、「2026年の12月での決着」が、大きな目安になるのでしょう(尤も個人的には、「選挙制度改革を伴わない定数削減」の場合ででも、「そう簡単に、1年で決着できることなのか、とても強い疑問符であるなあ…?」が、正直な本音ですが)。
そう、いえることは、2026年、日本社会の重要テーマとして、ニュースで結構な頻度で「定数削減」が挙げられることになるのだろう(特に政治の話題は、トップや2番目で取り上げられることが多い)、ということです。
「定数削減」が、どのタイミングで実現になるのか(どれほどの規模になるのかはともかく、最終的に幾分かの定数削減の実現になることにはなるのだろうと)も要注目ポイントですが、「2026年に衆院選が実施される(解散になる)可能性は、恐らくほとんどないだろう」でもあると、自分は読んでます。
で、直近の参院選が「2025年7月20日」です。いわゆる「衆参同日選挙」(衆参ダブル選挙)は、「1980年」「1986年」の2回しかないですが、この40年間、衆参同日選挙が実現しなかった理由の1つとして、「公明党が与党にいて、強硬に反対してきたから」があるといわれてます。その公明党が、連立の立場から降りたことや、「定数削減が、選挙制度改革に発展する可能性が結構に高いこと」から考えると、「2028年7月の衆参ダブル選挙に持ち込まれる可能性は、少なからずあるのでは?」と感じてるんですよね。
いずれにせよ、2026年の日本社会の重要テーマの1つ、「定数削減」。いまはただ、「どうなるか、見てみよう」が、正直な想いです。
(英語でいう「Let's see」。サッカーやバスケットボール、野球の移籍市場でよく使われる言葉である。尤も日本では、この「どうなるか、見てみよう」という表現は、あまり用いられない傾向である感じですが。)
(←恐らく、日本における「国家情報局」の創設[現在の「内閣情報調査室」を格上げする形でとのこと]のモデルになってる?と読むのが、韓国[大韓民国]における、「中央情報部[KCIA]→国家情報院[NIS]」です。「大統領制を支える、もう1つの国家」ともいわれており、社会における大きな影響力を持っているとも。
[ちなみにこれでも、NISになってからは影響力が抑えめになっていると伺う。それにしても、「韓国の大統領の悲しき末路」[←他の主要国に比して、残酷あるいは悲劇的な末路になる人間の比率が、はっきりと述べれば、突出になってる]という負の歴史、そろそろに終わって欲しいと、1人の人間として正直に感じていますが。)
(←「中央情報局」とは「CIA」、「ソ連国家保安委員会」とは「KGB」のこと。正式名称は存じなくても、「CIA」「KGB」という名前自体は、恐らく「聞いたことがある」という人間は、結構にいるのではないかなと想像です。
ちなみに、「KGB」自体は、ソビエト連邦[ソ連]の崩壊により消滅しましたが、KGBの事実上の後継組織[あるいは、名残り]としてあるのが、現在の「ロシア連邦保安庁[FSB]」です。)
で、「2026年、日本社会の重要テーマ」。
「定数削減」を先述で挙げましたが、これと共に、「国家情報局の創設」も、重要テーマであると考えてよいでしょう。
この2026年の、7月を目標に創設するとのこと。恐らく、2026年の年内での創設の実現は、まず確実と考えてよいでしょう。
「インテリジェンス・コミュニティー」といえば、一見すると聞こえはよいですが、この、各種の情報機関(「米国[アメリカ]のCIA」「韓国のKCIA→NIS」など)は、「国家の中の国家」「もう1つの国家」「影の政府」「ディープステート」と形容されてます。
個人的に、正直に感じてるのは、「いまの日本社会に必要な存在」という意味でだと、「日本版CIA」的な組織(今回の「国会情報局」)の創設以上に、
「警察庁を『日本版FBI(連邦捜査局)』へと昇華させる方が、よほどに断然に合理的かつ早急な必要性のはずでは?」
ということです。
そう、日本の社会って、「現場の警察官は、1人1人が、とても使命感を持って職務に取り組んでる、臨んでいる」が伝わるんですよね。特に「交番、駐在所のシステム」は、「日本が世界に誇れる、独特の素晴らしい長所の1つである」と、正直に感じてます。
いま、新潟の警察学校のこと(警察官は原則として、大学卒業ならば6か月間、それ以外ならば10か月間の警察学校生活を送る)を、リンク添付させて頂きましたし、ここに取り上げられている、「臼井詩保美さん」(臼井さんの場合は高校卒業の区分のため「10か月間」になる)、絶対に「困っている人間を支えられる、助けられる」「地域の人間に必要とされる」警察官になるんだよ!と、とても応援したくなります(というか実は「自分自身を奮い立たせたいとき」に、この臼井さんの動画、何回か観てます)。
自分は実は、大学受験のとき、手元に3つのカードがありました。「ジャーナリスト」「中学校社会科教員」「警察官」。
そう、自分自身、「自他共に認める」である感じで、「正義感が強い」「まっすぐである」人間なんですよね。そのような経緯もあり、警察官は、いまもずっと「尊敬である存在」であり続けているのです。
少し話を脱線させますが、近年、「いじめの陰湿化」(かくいう自分自身、「いじめに苦しんできた」歩みが、いまの自分自身の生き方・価値観の形成に大きく影響しています。「人間の心の痛み、悲しみが誰よりもわかる」ことを含めて)の深刻化などから、「スクールポリスの導入の必要性」が、社会的議論になり始めています。
実は、今回の執筆にあたって初めて知ったのですが、岡山県警では、事実上のスクールポリスである「学校警察連絡室」のシステムが導入されてるとのこと。
いま先述で言及させて頂いてる、新潟県警の臼井詩保美さん。
自分は、「スクールポリスが導入されたら、絶対に天職だよ!向いてるよ!」と強く感じてます。
(ちなみに「臼井詩保美」で検索を掛けると、どうやら剣道の経験者とのこと。つまりは警察官になる素養の1つを身に付けてたといえる訳だが。)
そう、子どもの立場からすれば、「『一見すると、優しそうで穏やかな、お姉さん的なお巡りさん』だが、『怒らせるとマジで怖そう』」な雰囲気を持っている、まさしく「こんなお姉さん的なお巡りさんに申し訳ない」という「(いじめ等への)抑止力を持たせる」ことに結び付くと映るのです。
ですけど、日本の警察の短所、弱点って、「都道府県を横断する犯罪に、極端なほどに脆い」(実際、2時間ドラマでしばしばネタにされてきた)ことを、正直に強く感じてます。
自分は実は、「2時間ドラマ」、とりわけ、「西村京太郎の原作の鉄道ドラマ」(いわゆる「トラベルミステリー」)の大ファンです。自分が鉄道ファンになったこと、地理が大好きなことは、この「西村京太郎の一連の作品」の影響であると言い切ってよい。
視点を変えれば、西村京太郎の年齢的な衰えや、最大の生命線であった「寝台特急」「JR在来線の特急網」の大幅な縮小・衰退と共に、2時間ドラマも衰退に一気に向かっていった感じがありますが(勿論にそれだけではない、特にそれ以上に、西村京太郎作品は「現地ロケがとても重要」であることもあり、「製作費がとてもかかる作品の象徴」になった感じがある)。
ですけど、いま思えば、「西村京太郎の一連の作品」は、「日本社会が構造的に抱えている独特の脆さ」を示唆し続けていた、とも感じてるのです。
それがここ数年で、顕著になって表出しているのが、「オレオレ詐欺」「闇バイト」「トクリュウ」といわれる一連の事件。このような事件が増加・頻発の傾向にあるのは、
「この日本社会の、構造的な歪み。はっきりと述べれば『ギスギス感がどんどん強くなってきていることの帰結』。」
と正直に感じていますが、「日本の警察組織が、広域犯罪にあまりにも弱すぎるから」(管区警察局という存在があるが、申し訳ないけど、はっきりと述べれば「まともに機能できてないでしょ?」と)が強く影響してるのでは、と正直に感じてるんですよね。
で、いわゆる「未解決の凶悪事件」が、この日本社会ではいくつもある訳ですが、とりわけ、「マジで切実に解決してくれ」と正直に感じてるのが、この「2000年12月30日、世田谷一家4人惨殺事件」です。
それと、自分は関西圏の在住、それも生活・仕事の主たるエリアが「大阪の天王寺の周辺」であることもあり、「2003年5月20日、熊取町小4女児誘拐事件」も、とても心を痛めていることです。
ここに挙げた2つの事件は、「警視庁、大阪府警のそれぞれにとって、そして日本の警察界にとって、トラウマになっている事件」であると正直に感じてます(大阪に在住の人間ならば、熊取の事件の解決を求めるポスターやニュースを見たことがある人間は、恐らく多いと思います)。
いわゆる「国家情報局の創設」が、何らかの形で、「日本社会をより構造的に改良していける一助に」の感じで貢献・寄与できれば、勿論により望ましいではあるのです。
ですけど正直に、「少なくとも現時点では」ですが、この「国家情報局の創設」は、「激しく強い違和感」をとても強く感じてます。「何か、ピントが根本的に違うような…」が、自分の正直な感覚です。
いわゆる「広域犯罪への対応力の強化」や「未解決事件の解決の一助」につなげられるならば、これが正直な本音ですが、恐らくにそれとは異なる方向を意図しているのでは?と。
いわゆる「スパイ防止法」も、正直に聞こえてきてます。で、自分、『プリンセス・プリンシパル』というアニメ作品が大好きで、この映画(劇場版)が、いま、「2025年5月23日、第4章が公開」まできています。
全6章と発表されていて、次は第5章。いよいよ、クライマックスが近付いてる感じで、とても楽しみにしているのですが、この2026年のうちに、第5章の公開は実現されるのかと。
「なんとしても、全6章を完走を叶えるんだ、結末をこの目で焼き付けるんだ!」が、自分の生きる心の支えの1つになっているでもあるのです。
ですけど、この『プリンセス・プリンシパル』、はっきりと述べれば「スパイアクションのアニメ映画」です。観ている分には「とても楽しい」「展開が激しい」「スカッとする」であるのですが、なんというか、国家情報局って、恐らくは「国家によるスパイ活動」ってことだよね?と。
少なくとも現時点では、「ふわっとした恐怖感・不安感」、そのような感じを正直に抱きます。「この日本社会は、どこへ向かうのだろう…?」ということを含めての、「何か違うような…」という違和感を。
結局は、この「国家情報局の創設」、少なくとも現時点では「どうなるか、見てみよう」に尽きるかな、が正直な感じですが。
…と、ここまで綴っていてのタイミングで、こんな記事に出会いました。
「避けるべき単語だらけに “気候変動”がアメリカを分断するまで」。
2026年1月2日、『毎日新聞』のweb記事です。
個人的には、「他者がいての自分、人間である」という価値観であることを含めて、「ドナルド・トランプ」「高市早苗」は、「自分とは価値観が完全に真逆である」と判断していますので、「あーね、わかり切ってたこと」(「あーね」とは「ああ、なるほどね」の意味の言葉)が正直な感覚ですが、
「あのさあ、『【環境問題】【気候変動】、このままじゃとてもやばいことになるよ』を社会で共有を目指した『愛・地球博(愛知万博。2005年)』から、21年が経過してる訳で。
21年が経過して、むしろ逆行へと突き進もうとしてるとか、意味わかんない!自分には1ミリも共感できない!」
この、自分たちが生きている社会。科学の世界で、こう表現されます。
「人間」「社会」「自然」。そう、「自然があっての社会」であり「社会があっての人間」であると。
これを特に突き付けている分野が、「環境学」「環境問題」であると、自分は正直に感じてます。ですけど、この日本でも正直にそうですが、
「『気候変動』のことを『自分ごと』として考えよう・解釈しようという人間は、この日本社会では『少数派扱い』に正直に感じてる。
『少数派扱い』どころか、『意識高い系』の烙印でさえある(この『意識高い系』という言葉自体、主要国でだと日本だけと伺う)。
なんというか、『自分さえよければいい』という人間が、あまりにも多くなっていないか?と正直に感じてる。少なくとも、『周りの人間がいてこその自分』であるはずで、それって『当たり前ではない、とても貴重なこと』であるはずだが?と。」
そう、いまの社会・世界が置かれている状況は、確かに「解決のハードルが、とても高い」「まるで『そり立つ壁』『クリフディメンション』のようだ」といえるかもしれない、ではあるのです。
(「そり立つ壁」「クリフディメンション」は、「SASUKE」の有名な難所エリアのこと。)
そう、「脱炭素」「脱原発」、2兎を追うことが求められている。
最終的な目標は「『再生可能エネルギー』が普及・浸透してる社会」。
ですけど、この「再生可能エネルギー」。普及までの道のりは、正直に険しいと映る。現実論、認めたくはないですが、普及へと辿り着けるスピードに限界があることは否定できません。
ですので、「脱炭素」「脱原発」のいずれも、より現実的には段階的に進めていかざるを得ない(個人的には、防災の観点から、「脱原発」が「最優先オブザ最優先」であり、再生可能エネルギーの進捗に照らしながら脱炭素を進めることが、より現実的では、とも正直に感じてます)。
とはいえ、です。「『気候変動への対策』『SDGs』を全否定する」、自分には正直に、1ミリも共感できないが正直な感じですが、そういえば、この日本社会も、いわゆる純粋な環境政党は、事実上はない。立ち位置が近い政党はいくつかあるけど、でもはっきりとはしていない(立憲民主党、社会民主党、れいわ新選組)。
で、いまリンク添付をさせて頂いた「ジェネレーション・レフト」。
世界的には、若い世代が「より社会に参加しよう」の考えから、いわゆる「社会民主主義寄り」、つまり「左傾化」の傾向になってきてます(米国、韓国など)。
個人的には、「社会民主主義」というより、「進歩主義」「社会改良主義」という表現が、より「すとんと落ちる」感じですが、ニュアンス的にはそういうことです。
ですけど、この日本では、相対的な傾向として、若い世代が「むしろ右傾化」の傾向になっていると映る。つまり、世界の主流と逆行である訳です。
そう、日本社会自体は、コロナ危機(コロナ禍)を経て、むしろ多様化してきてはいる。かくいう自分も、「コロナ危機による、社会の多様化の恩恵を受けた側の立場」ですし。
ですけど、
「この日本社会は、多様化してきているはずなのだが、現実論として、『ギスギス感』がむしろより強くなってきている。」
これは、特に日本の政治の「右傾化の弊害」、勿論にこれはあくまでも「1人の人間としての解釈にすぎない」ではあるのですけど、少なくとも「激しく強い違和感が、ないといえば正直に嘘になる」ではあるのです。
いずれにせよ、なんというか、「この日本社会は、果たしてどこへ向かうのだろう?」という、漠然とではあるけど「不安感、恐怖感」を、正直に強烈に感じてる、ではあるんですよね。
その意味でも、この2026年は、「岐路の年になるのかもしれない」、正直にそう感じてます。
(1/2)自分用メモポスト。この2026年の元日には、1ミリも想像できてなかったことが目まぐるしく起きてて(正直、この2026年、衆議院を解散する合理的理由があるか?と感じてた)、正直に。
— 愛球人 (@aikyujin) January 16, 2026
「ナガレニゼンゼンツイテイケナイヨー」。
(元ネタ、虹ヶ咲、高咲侑。)https://t.co/Xo6GeV0Acp
(2/2)正直に感じるのが、衆議院の本番(解散)の日程。2月15日でないと、現場の公務員が持たないよ!(というか、官僚を含めた公務員の出身の議員、結構いるはずでは?)
— 愛球人 (@aikyujin) January 16, 2026
事務的な手続きは、正直に無視できない。故に、2月8日は、全く現実的ではないと感じるなあ(真顔)。https://t.co/Xo6GeV0Acp
…と綴っていたら、(自分自身が、この新春記事の完成が、自分にとって「永遠に特別な日」である「1月17日、阪神淡路大震災の日」の後になってしまうことも「正直に全くの予定外」ですが、)
・「衆議院を『通常国会の冒頭』のタイミングで解散する」
(→1月10日土曜日[厳密には、1月9日の深夜]、読売新聞がスクープ報道で。「いや、いま解散する合理的な理由があるか?」の感じであったのが、わずか1日で「これはマジだ」の雰囲気が完全に出来上がって、1月11日日曜日の、2026年の1回目の『日曜討論』[NHK総合。冒頭30分間は、アニメ『プリンセッション・オーケストラ』に自分は充ててたが]では、「衆議院の解散→衆院選」が現実になることを前提の感じで質問・抱負が展開されていた[新年の1回目は、「党首のこの年の抱負・展望」が恒例]。)
・「立憲民主党と公明党が、『合流して新党を結成へ』」
「えーっ!」と、まさしく卒倒でした。Xでのポストで綴らせて頂いたように、「ナガレニゼンゼンツイテイケナイヨー」です。
(はい、「流れに全然ついていけないよー」です。)
この、2026年の衆院選、どのような結末が待っているのか、正直に「予測不可能である」感じです。
ただ、「いまというタイミングでの衆院選(衆議院の解散)は、正直に『とても激しく強い違和感』である」のですが、でも、「必ずしも、マイナスなことばかりでもない面もあるかな」と。
そう、「2026年、日本社会の重要テーマ」の1つで挙げた「定数削減」。
「『選挙制度改革』とセットでの『定数削減』」にならざるを得ない、自分は正直にそう読んでいます。
そうであるならば、いま衆院選をした方が、
「衆院選が終わり次第、ここから1年半程度をかけて(2027年の通常公開の目一杯までのイメージ)、『選挙制度改革、定数削減をセットで、より最大級に納得できる合意形成を』!」
1人の人間として、いまは正直に、このように感じてます。
現実論は「どうなるか、見てみよう」になりますが。
自分は「スポーツファン」をずっと公言していて、「野球は特に大好きな1つ」である、だから「2026年、WBCは最大ターゲットの1つ」である。これにドバーっと水を差す、「ネットフリックスの独占配信」=「地上波、BSでWBCが観られない」。
2025年、なぜ、世界陸上が想像以上に盛り上がったのか。「自国開催」の恩恵は勿論にあるけど、「地上波で熱量を以て中継された」ことが恐らく大きいのではと。
この日本社会で、「野球」「相撲」が好きな人間が多いのは、「テレビで映るから」、いわば「共有できる」「話題についていける」「知るきっかけになる」。
そう、「テレビで映る」からこそ叶う景色がある、1人でも多くの人間(特に子ども)がスポーツを通して学び感じ感動できる景色。
だからこそ、声を大にして伝えたい。「2026年、日本社会(特に政治)の重要テーマ」=「ユニバーサル・アクセス権の早急な導入の実現を」!そう、「いま、すぐに、はやく」!
自分用メモポスト。1人の人間、1人の野球ファンとして、心が正直にとても「もやもや感」。
— 愛球人 (@aikyujin) December 17, 2025
野球のWBC、1人でも多くと、熱量を分かち合いたいのに。「ユニバーサルアクセス権」が叶う日本社会であって欲しいです!#wbc #npb #ユニバーサルアクセス権https://t.co/lMH0IWMjci
(1/2)自分用メモポスト。正直に、現行のNPBの「長すぎるFA」は、「公正取引委員会よ、早急に仕事をして!」が本音だが(真顔)。
— 愛球人 (@aikyujin) January 6, 2026
いえることは「NPB以上、MLB未満」「Bリーグ以上、NBA未満」の選手の価値が爆上がりになりそう(既にそうかもだが)なこと。#npb #Bリーグhttps://t.co/v2edguiX92
(2/2)今季、丸佳浩(巨人)が「2000本安打」金字塔を掛けた年だが、丸は視点を変えれば「NPB以上、MLB未満」の象徴的な選手だとも。
— 愛球人 (@aikyujin) January 6, 2026
バスケでも、いまのBリーグの中心の「齋藤、比江島、岡田、富永」は、まさに「Bリーグ以上、NBA未満」、どれほど有難いか。#npb #Bリーグhttps://t.co/v2edgujuYA

テーマは「テレビ中継ないの?」。
そう、今回のnote新春記事の最大のテーマ、
「2026年WBC、テレビの地上波・BSでの中継自体がゼロ」のこと。
1人の人間、1人のスポーツファンとして、
「最大の人気スポーツである野球の、最大目標の国際大会のWBCで、
テレビの地上波・BSでの中継自体が叶わない事態になる」とは、
「いずれそう遠くないうちに来るかも」と感じてはいたものの、
まさか、「2030年を待たずにこのときが現実になるとは」、
いま自分は「1984年生まれ、41歳」ですが、
「生きてきた中で、最大レベルの落胆の1つ」です、正直に。
「2026年、日本社会の重要テーマ」。
先述で言及させて頂いた「定数削減」「国家情報局の創設」。
あるいは、「ミラノ・コルティナ冬季五輪」(2月6日~2月23日)、「名古屋でのアジア大会」(9月19日~10月4日)も、重要テーマの1つです。
ですけど、1人の人間として、「2026年、日本社会の重要テーマ」を1つ挙げなさい、という設問があれば、即答でこれを挙げます。
「2026年、野球のWBC」(3月5日~3月18日)
そう、「野球のWBC」。理由はシンプルに、
「『野球』は、日本で最大の人気スポーツであり、野球における現況の最大の国際大会が『WBC』であるから。」
です。
実際、前回の2023年のWBC、「世界一奪還へ」。
この「世界一奪還へ」で、野球ファンのみならず、日本国民が「心がひとつになってた」。
そして、この「世界一奪還へ」を「現実の景色として叶えた」。
自分自身、「vs韓国(1次リーグの第2戦)」「vsイタリア(準々決勝)」の2試合を、「T・ジョイ梅田」という映画館で、つまり「パブリックビューイング」として鑑賞させて頂きましたが、そりゃあもう、最高に楽しかったですよ!
ですけど、です。今回の2026年のWBC。
2025年8月26日、動画配信サービスの「ネットフリックス(NETFLIX)」が独占配信権を獲得という結果になった。それも、WBCの大会運営本部側が、競争入札を経ずしての、ネットフリックスへの直接の放映権交渉をしての結果であったとのことです。
そう、
「2026年、野球のWBC」。
→「テレビの地上波、BSでの中継」(ゼロが確定。恐らくディレイでの録画放送さえ叶わない可能性がとても高い)
→「映画館、スポーツバーでのパブリックビューイング」(不透明。前回の2023年大会は、Amazon Prime Videoでの映像を用いて開催されたが)
そう、「テレビでの放送が、地上波どころか、BSでさえ叶わないがすでに事実上に確定」であり、しかも「映画館、スポーツバーでのパブリックビューイングの開催も、叶うかどうか不透明である」とのこと。
この報道を耳にして、自分自身、「大学受験で、とても悔しい結果に終わった」ことと同等程度に、「人生で最大の落胆」の想いでした。
これから後述で言及させて頂く次第ですが、「この日本社会で、最も恐れていた事態が、想像よりも早くに現実の景色になった」こと。
そう、この背景の大きな1つは、
「各種スポーツ大会の放映権料の高騰化が加速度的に進んでいて、いずれテレビ局はもう放映権料を支払えなくなるときが、そう遠くないうちにくることが、『五輪(オリンピック)』『野球のWBC』『サッカーのワールドカップ』のたびに、指摘されるようになってきていた。」
ではある訳です。
五輪(オリンピック)でいうと、「1996年、アトランタ夏季五輪」以降は、「ジャパンコンソーシアム」という、NHKと民放各局による共同放送体制が採用されています。理由は、かなりざっくりと述べれば、「共同放送体制にしないと、放映権料を捻出できないから」(資金のことのみならず、人的資源の問題も正直にあるといわれている)。
で、「2008年、北京五輪」(夏季五輪。これとは別に、2022年に冬季五輪として北京で開催されている)の時点で、「このまま放映権料が高騰の傾向になっていくと、やばいんじゃないの?」と既に囁かれ始めていました。
で、「2025年、社会的に、最も心に響く話題・ニュース」。
自分は、1人の人間としては、正直に即答です。
「アルマンド・デュプランティス(陸上・男子棒高跳び・スウェーデン)、『6m30cmでの、世界新記録を達成』」。
自分自身、陸上はとりわけ大好きなスポーツの1つです(実際、頻度は多くないが、noteで陸上をテーマとした記事を何回か綴っている)。
ですので、自分もこの日(9月15日月曜日)は、どうしてもこの目で観たい(全体の顔触れ的に、この東京での世界陸上[陸上の世界選手権]での最大の注目選手であることは、想像できていたので)と、この日は夜は自宅でと心に決めて、テレビの前で全力で正座待機でした。
自分は「1984年生まれ、41歳」。子ども時代、主として東京(初代の国立競技場)で開催されていた「スーパー陸上」(当時は、「TOTOスーパー陸上」として、毎年9月に開催されていて、テレビ朝日系列で放送されてた)を、楽しみに観ていた記憶があります。
そこでの、「カール・ルイス」(男子100m、男子走り幅跳び)、「セルゲイ・ブブカ」(男子棒高跳び)の輝き。ぼんやりとではありますが、記憶しているんですよね。
で、陸上競技の最高峰は、実は「ダイヤモンドリーグ」。ですが実は、日本ではこの「ダイヤモンドリーグ」の開催はないのです(上海[中国]、ドーハ[カタール]では毎年の開催都市の1つになっているが)。
日本で、毎年の5月に開催されている「セイコーゴールデングランプリ」(近年は、基本的に東京の国立競技場で開催されている)は、(「ダイヤモンドリーグ」よりランクが1つ下である)「ワールドアスレティックス・コンチネンタルツアー」での開催の位置付けなんですよね。参加選手自体は、「ダイヤモンドリーグ」で活躍してる選手が毎年何人かいるではありますが、1人の陸上ファン・スポーツファンとしては、
「日本で、『ダイヤモンドリーグ』の開催が叶う景色を、どうしても観たい!」
(自分が生観戦できるかどうかは別として。)
正直に、そう強く感じているのです。
陸上が大好きになっていった理由は、その後の、特に
・毎年1月の「大阪国際女子マラソン」
・京都で毎年に開催の「都道府県対抗女子駅伝」「全国高校駅伝」
・「福士加代子」「小林祐梨子」「鈴木亜由子」「松田瑞生」と、都大路や長居で輝いたスター選手が次々と登場して、それに感動したこと
より大きいのは、そういった面が正直に強くあります。ですけど、これと共に、子ども時代の「スーパー陸上での記憶、感動」も、いま振り返ると、恐らく影響しているんだろうな、と感じてます。
実際、大人になってから、
「2017年、陸上の日本選手権」
「2018年、ゴールデングランプリ大阪」
「2023年、陸上の日本選手権」
(いずれも「ヤンマースタジアム長居」での開催。)
を、生観戦させて頂きました。いつか、陸上の日本選手権が、長居での開催が叶うときが来たら、せめてもう1回は生観戦を叶えたい、正直にそう強く感じてます。
棒高跳びの試技は、最大で3回まで。デュプランティス、「6m30cm」への挑戦、1回目と2回目は失敗。
もう、トラック種目は終わっていて、会場である国立競技場、およそ6万人強の注目は、「棒高跳び、アルマンド・デュプランティスの、(世界新記録になる)6m30cmへの挑戦、3回目」、この1つに完全に絞られてた。
(ちなみに、スウェーデンとアメリカの二重国籍。これは父が米国人、母がスウェーデン人であることによるもの。)
YouTube動画、特に2つ目を参照して頂けると、とても強く伝わるかなですが、「会場の熱量と感動が、いままで見た中で、とても最高!」って感じで。
「2021年の東京五輪が無観客開催にならざるを得なかった悔しさが、晴れたような感覚」を正直に感じたんですよね。
「6m30cmへの挑戦、3回目」。成功が叶った瞬間、会場が総立ち。
生観戦できた人間、自分がもしこれを叶えた立場なら
「これが叶っただけで、生きてきた意義があった、人生で最高の瞬間だよ!」
が正直な感覚です。
ちなみに、自分自身が、人生で「最高の瞬間と思える経験」を挙げるなら
「1998年、高校野球の『横浜vs明徳義塾』の夏の準決勝。いわゆる『0-6からの、ラスト2イニングでの奇跡の大逆転サヨナラ勝利』で知られる。」
(これがきっかけで、「野球ファン」に。当時の自分は、阪神甲子園球場がある西宮に住んでいた。)
「2004年、野球の八木裕(阪神)の引退試合。人生で初めての『阪神vs巨人』の生観戦でもあった。」
(選手としては阪神一筋で18年間プレー。若手時代は中軸を務めていた年もあったが、不調や大怪我による挫折を経て、選手人生の後半では「代打の神様」として大きな輝きを放った。)
「2018年、Aqoursの4thライブの1日目、人生で唯一のコンサートの生鑑賞。」
(東京ドームという最高のステージ。「この機会を逃すと、恐らくコンサートに縁のない人生で終わるかも」でもあった。
大人になってからであることをも含めて、「人生で最高の感動体験の1つ」であったと正直に強く感じてる。実際、いま振り返ると、もしこの機会を逃していたら、永遠にチャンスがなかったの感じであった訳だし、年齢的にも、当時は34歳、「ぎりぎりのタイミングであった」と実感してる。)
この3つですね。この3つを、1つに絞ることはできません。
いずれ綴れればと思ってますが、この2026年、
「バスケットボール、神戸ストークスの、B2プレーオフの決勝を、ジーライオンアリーナ神戸で生観戦を叶えて、それが『優勝の景色』になる。」
が叶うとき、どんな景色を感じるのだろう、そしてそれが、「4つ目の最高の景色」として刻まれるととても素敵だなあ、の感じですが。
そう、「最高の景色」「感動の体験」ができることは、「当たり前ではない、とても貴重で素敵なこと」。
この、特に「感動の体験」って、「ご縁」及び「タイミング」であると、いままでの経験から正直に感じてるんですよね。
で、日本人って、開幕前は「駄々をこねる」「御託を並べる」ところが少なからず感じたりですが、でも本質的には
「『五輪(オリンピック)』『世界選手権』等、『大きなスポーツの祭典・イベント』が、『(主要な先進国では恐らく)最も大好き』である。」
このことを、正直に特に強く感じてます。
特に顕著であるのが五輪で、五輪の開催期間中は、テレビのニュースも、社会の話題(これはリアルでもSNS上でも)も、「五輪の一色にほぼ近い」感じになる。
特に「NHKの、五輪へのオールイン」は、回数を重ねるごとに、どんどん顕著になっていってる感じで。
(「オールイン」とは、「全身全霊」「全振り」「全ベット」「全力・全てを注ぐ」の意味です。特に夏季五輪のときは、人的資源を次々と投入していることが伝わるを含めて、それこそ「血眼」と表現してよいよねと。)
そう、いま、「NHKが、五輪の開催期間中は、それこそオールインの放送体制である」と述べました。で、「この日本社会は、『五輪』『世界選手権』等のスポーツイベントが、(他国・他地域と比しての相対的な意味で)『人一倍に大好きである』」ことも。
で、話を戻して、自分が「2026年、日本社会の最重要テーマ」として挙げた、「野球のWBC」のことです。
より深く綴らせて頂くと、この「野球のWBC」が、動画配信サービスの「ネットフリックス(NETFLIX)」が独占配信権を獲得という結果になったこと、及びこれが、WBCの大会運営本部側が、競争入札を経ずしての、ネットフリックスへの直接の放映権交渉をしての結果であったことです。
先述で自分は、
「各種スポーツ大会の放映権料の高騰化が加速度的に進んでいて、いずれテレビ局はもう放映権料を支払えなくなるときが、そう遠くないうちにくることが、『五輪(オリンピック)』『野球のWBC』『サッカーのワールドカップ』のたびに、指摘されるようになってきていた。
そう、『この日本社会で、最も恐れていた事態が、想像よりも早くに現実の景色になった』。」
と、綴らせて頂きました。
自分の家。自分はいま、両親と3人暮らしであるのですが、食事の団欒(だんらん)の席上で話題になる頻度が特に多いのが、「野球」と「相撲」であるのです。
かくいう自分。「スポーツを観ることが大好き」を、ずっと公言し続けています。そう、自分の「好きなこと」「趣味」の設問があれば、「スポーツ観戦」とずっと一貫していますし。
(尤も、これも以前から公言させて頂いてるかなですが、「スポーツをすること」自体は、「実は苦手である」のです。「部活動の経験自体は、[強制参加であった小学校時代のクラブ活動を除けば]ゼロである」ですし。まあ実は、中学校・高校は、「当時は、野球・ソフトテニスの強豪校であった」環境でもあった感じですが。)
こうして、「『書く』『伝える』で生きていく」と、30歳代後半になってようやくで「生きる道」を定めることができたのは、(「社会をよりよくできる一助として、自分にできることは何か」を追い求め続けてきて辿り着いた道として、これも勿論に強くあるのですが、)
「自分が特に大好きなことって何だろう?」→「スポーツ」である。この「『好き』を伝えたい、発信したい」から。これが正直にとても強くあったからなんですよね。
そう、自分がテレビで見るジャンルって、「アニメ」「ドラマ」も勿論にあります(とはいえ、「アニメ」「ドラマ」での見るタイプ作品は、実はとても偏りがありますが)。
ですけど、テレビという意味で、見るジャンルで特に多いのは
「ニュース」「ドキュメンタリー」「スポーツ」。
基本、自分はこの3つであるんですよね。
実際、自分のライフサイクルという意味で、朝に起床したら、まず、NHK総合『おはよう日本』5時台のトップニュースは、完全に日課です。で、5時台は、基本的に2本(前半・後半に1本ずつ)、地域局から上がってきた特集が組まれていて、これがとても学びになるんですよ。
で、5時台前半の特集が終わる直後に、全国版の天気予報がある。「3時間ごとの天気予報」「週間予報」を含めて、これは特に重宝になってます。
で、自分はいま、「コワーキングスペース」「カフェ」が基本でありますし、バスケットボールの生観戦を終えたら、振り返りとして「コワーキングスペース」「カフェ」のいずれかに基本はいるになりますので、夜は自宅にいないはざらである感じです。
(身体に鞭を打っている?そんなん、わかってるよ!でも「まとまった時間を確保できないと、仕事・作業効率が一気にガタ落ちする傾向である」ことは、自分自身が最もよくわかっている訳で、「現実論として、こうするしかない」であると。それ故に、「あと何年、いまのスタイルを続けられるだろうか?」と、「終わり・区切りが恐らくそう遠くないうちに来るのではという恐怖感」との闘いも正直な感じでありますが。)
ですけど、週に1日~2日程度は、勿論に19時のときも自宅にいます。そのときは、ほぼ勿論にですし、「コワーキングスペース」(あるいはカフェ)にいる際でも時折にですが、そう、NHK総合『NHKニュース7』は、特にトップニュースは、それこそ最重要視していることです。
しかもこの、『NHKニュース7』のすごいところは、「たとえ何が起ころうとも、原則的に『年中無休』であること」です。実際、NHKアナウンサーの最高到達点は「ニュース7を務めること」が、はっきりと明確になってますし。
https://www.nhk.or.jp/a-room/profile/006/53/
余談になりますが、いま、1月下旬。いよいよ、NHKでは「アナウンサーの新年度人事」の作業が大詰めになっていく時期です。例年、2月の上旬~中旬に、「主要番組の、新年度のアナウンサー人事」が公式発表されます。
ですけど、いまのNHKで、特に女性アナウンサーで、「最も代替が利かな、唯一無二の資質能力の持ち主」と自分が感じているのが、「森下絵理香アナ」です。
「科学報道」(もとは貴重な理系アナ。実際、「ウチのどうぶつえん」という生物番組を、「ライフワーク」としているとか。また実は「気象予報士」持ちでもあり、そもそも2020年の東京栄転の当初は、「数年したら、気象予報士に完全転向になるのでは」と噂されていた。)
「潜水報道」(NHKには、数人の「潜水アナウンサー」が存在するが、この1人。実際、フリーダイビングの資格持ちであるとのこと。)
「災害報道」(こうして森下アナが「エース級」へと上り詰めた1つが、これである。2023年から1年間、「ニュース7、土休日版のフィールドキャスター」、2024年から現在が「ニュース7、土休日版のメインキャスター」であるが、メインキャスターになっても「フィールド取材を積極的にする姿勢」こそ、森下アナの最大の魅力の1つである。)
「国際報道」(恐らく現役の中で、「英語力が最もピカイチである」といってよい。実際、いわゆる「帰国子女」である。また、2021年秋から「国際放送局を兼務」であり、平日版ではなくて土休日版で処遇されているのは、恐らく「国際放送局との兼務の関係」が大きいのではと。)
そう、「科学報道」「災害報道」「国際報道」のいずれをもを高いレベルで対応できるアナウンサーが、「現況として、現実論として、代替がいますか?」である訳です。
恐らく、いずれそう遠くないうちに、後継にバトンを渡して、そしてそのときは「ニューヨークに栄転?」(2027年のタイミングだと、アメリカ大統領選挙の取材を含めて、2~4年間務めるベストタイミングではある)になると想像である感じです。
ですけど、「森下アナに、せめて、あと1年は、現行のポスト(ニュース7の土休日版のメインキャスター)を務めて欲しいです!」と。
いなくなると、「少なからず色合いを変えざるを得なくなるから」。それに、「変化の激しい社会の現況」であるからこそ、「多彩な能力を併せ持ち、それでいて、自分たち視聴者と同じ目線を絶やさない」森下アナが、なおさらに必要である、そう強く感じてるんですよね。
「この12月で35歳」、そう考えると、「あと1年、いまのポストを務め続けた上で、後継にバトンを渡す」でも、決して遅くはない、そう強く伝えたいのです。
https://www.nhk.or.jp/a-room/profile/006/91/
恐らく、いずれそう遠くないうちに(今春、遅くとも来春にも?)、NHKの現有戦力に照らすと、そう、「新エースに、野口葵衣を座らせる」、そう考えてよいのだろうと、自分は読んでいます。
しかも実は、「この4月で31歳」。そう、「実は意外と若くはない」といえるのです。ここから4年間~5年間と仮定して、「35歳~36歳まで」、そう、「エースを務めるには、いまがベストタイミング」といえる。
実は、この野口葵衣アナ。自分は直接の面識はないのですが、自分にとっては「知人の友人」であるのです(よく「友達の友達」という表現がありますが、マジでこういう存在って、いるんだなと)。
自分にとっての「心の原点の1つ」である「東日本大震災での復興支援活動」で出会った知人、その彼にとって、大学の友人の1人であると、話を伺ってたことがあって。その知人曰く、「大学(慶應義塾大学)で、独特のオーラの持ち主であった」とか。
(そもそも慶應義塾大学自体、自分にとっては「永遠の憧れの場所」である訳ですが。いわば「言ってみたいわ」と。ましてや、「スター集団」である慶應義塾大学の中でも「独特のオーラの持ち主であった」、この時点で「ものが違う」ことが想像できます。)
ですので、そういった人間関係なこともあり、野口アナは、「応援したい想い、思い入れが特に強い1人である」が、正直にあるんですよね。
で、余談になりますが、森下アナも、野口アナも、もともとは「長い髪がトレードマークの1つであった」んですよ。そう、いまは「短髪(ボブも短髪にカウントできるので)」でありますので、「いま、『もともとは長い髪だったんだよ』といっても、恐らくほとんどの人間が信じないだろう」である感じですけど。
本人自身がどう感じてるかは、あくまでも想像の域を出ません。ですけど、歩んできた道を上向かせてきている意味では、「あのとき、髪を切る決断をしたことは、正解であった」、そういえるのではと正直に映ります。
ちなみに、森下アナが、最初に東京に登場したときは、(あくまでも代打ではあるが)「スポーツアナウンサーとして」でした。
また、野口アナは、「自他共に認めるほどの、大の相撲好き」とのことです。
こうしていま、森下絵理香アナ、野口葵衣アナに言及させて頂いたのは、「スポーツと縁があるアナウンサーであるから」、「いずれエースのバトンを渡すアナウンサーになると想像されるから」、勿論にこれもありますが、「自分たち視聴者と同じ目線で伝える姿勢を絶やさないアナウンサーである、と感じるから」、これも正直に強くあります。
自分は、「アナウンサー、特に報道を務めるアナウンサーは、『ジャーナリスト魂』を持ち続けていて欲しい」と感じてるんですよね。ましてや、(かくいう自分もそうですが)「ジャーナリスト、メディアの世界を目指して、叶えられなかった人間が、この日本社会には現実論として少なからずいるのだから!」こそ、なおさらにと。
で、自分が重宝をさせて頂いているのが(とはいえ、ライフサイクル的なことから、実際は週に1~2日程度であるのだが)、BS-TBS『報道1930』、及び、BSフジ『プライムニュース』の2番組です。
観ていて、「とても刺激になる」。それと特に、『報道1930』は、『NHKニュース7』が終わるタイミングで放送開始になり、しかも「21時前には、放送終了になる」(程なくして『ニュースウォッチ9』の開始になる)のタイミングでもありますので、「時間的にも、とても有難い、ベストの放送時間である」ことも正直に大きいんですよね。
そして、いまは土曜日は、「バスケットボールの生観戦や、オフのときは仕事に充てている」でもある関係から、自宅にいる機会が年に数えるほどしかないもどかしさではあるのですが、自宅にいるときは、ほぼ高確率で観させて頂いているのが、『報道特集』です。
(尤も、相撲があるときは、「自分は『報道特集』こそ観たいんだけどなあ…」と、もどかしい想いになることも正直にあるの感じですが。)
「東京は平壌である」。これは、いまは亡き勝谷誠彦さんの言葉であり、自分はこの言葉は「名言の1つである」「ほんとこれな」と正直に感じているのですが、時折、「海外のニュース」に触れると、
「ほんと、日本の報道って、『ただの現行棒読み番組』であることが、少なからずあるよね」
「日本の報道は、『政権のポチ』『政財界のポチ』かよ」
正直に、そう感じることが少なからずあります。
近年は正直に、観る機会が激減になってますが、大阪発の番組である『そこまで言って委員会』。
「はっきりと、ものをいう番組」として、とても貴重な存在である、と強く感じていました。
それと、かつて、2004年~2009年、4年半にわたり存在していた、ABC(大阪、朝日放送)の『ムーブ!』。
4年半、当時の自分、特に「2007年~2011年」は、自分自身が「人生の暗黒時代」のときでした(番組の前期は、自分が政治学を学んでいた時期であった)。暗黒時代の自分の、沈んでいた心を、「『真実を見る眼』『正義を追い求める眼』を深め続けていいんだ」、そう持たせてくれた存在でした。
「メディアに携わる人間は、『ジャーナリスト魂』であれ。」
先述でもこれは少し言及させて頂きましたが、自分自身の信念です。
尤も、自分がジャーナリストになる道は、大学受験で事実上に断たれたであったのですが。そう、(その1A)で言及させて頂いた、
「『学歴フィルター』という、『日本社会での、最大の負の要素』。」
によって。
この「ジャーナリスト魂」を感じさせてくれる、とても貴重な存在。
それが、自分にとっては『ムーブ!』であったのです。観ていて、そう、「スカッとする」想いを、どれほど感じさせてくれたことかと。
『ムーブ!』が終わるのと入れ替わるように、自分が、よく楽しみに観る番組と位置付けるようになったのが、そう、TBSの『報道特集』です。
「東京は平壌である」、そう、これは「東京メディアは、『本音』を報道しない、『政財界などの権力者の顔色を、無意識的に伺い続けている』」の意味であると自分は正直に解釈していますが、「地上波テレビという意味で、実質的に、ほぼ唯一といえる例外的な存在」が、『報道特集』です。
はっきりと正直に述べましょう。
「TBSがある限り、1年でも長く、そして願わくは『絶対になくしてはいけない番組』、それが『報道特集』である。」
そう強く感じているのです。いま、特に自民党政権が恐れている番組ともいわれていますが、自分がもし、『報道特集』に携わる人間ならば、恐らくこう感じるでしょう。
「あなたが最も恐れている存在?最高に本望ですよ」
と。そう、
「『信念を貫き続けている、貴重な番組である』から。」
そう。実は、この『報道特集』を観るようになったのは、「放送時間が、土曜日の17時30分の開始になってから」の、「2008年から」です。そう、自分が大学で政治学を学んでいたときは、「時間的なこともあり、ほとんど観ていなかった」と記憶である感じで。
ですけど、そう、正直にとても強く感じること。
「たとえ、いわば『世界中が敵になる』に陥るかもしれないであろうとも、『信念を貫き続けようとする姿勢』、それこそが『ジャーナリスト魂』であると、強く感じている。」
と。
で、自分は、いまの道を歩んだ、特に大きな要素として、「そもそも論が、組織に合わない人間であった」ことが、正直にあります。
そう、自分自身で「『くせ』が、とても強い人間である」と自覚するレベルですのでね。子ども時代から「独特な雰囲気」「マイペース」「こだわりが強い」と、よくいわれてきましたし、自分でもそう感じてるしと。
そう、「コロナ危機」(コロナ禍)を経て、この日本社会が「組織に縛られない生き方への許容が、一気に強くなってきた」、これは自分にとって、正直にとても大きなプラスになりました。「社会が、自分のような人間を、やっと認めてくれるようになってきた」と。
「コロナ危機の恩恵」、正直にこれは大きいと自分は感じていますが、「2019年、宇賀なつみアナの独立」、これも、「『組織に縛られない生き方、働き方』を、社会が気付く大きなきっかけの1つになった」と、自分は正直に感じてます。
宇賀なつみさんの、何がとても素敵かというと、それまでの多くのアナウンサーは、「退社後、フリーのアナウンサーという形態はとるけど、実際は、どこかの事務所に所属した上でのフリーのアナウンサーになる」であったのです(いわば「事実上の代理人がいる状態」と同義である)、ですけど、宇賀さんの「人間として、とても尊敬できて、衝撃であった」のが、
「どこかの事務所に所属する選択をせずに、『完全フリーランス』(形式上は、個人事務所の設立)の生き方を選んだこと。そして現在も、この生き方をずっと貫いていて、しかも成功を収めていること。
『自分のスタイルを貫く』『ワークライフバランスに留意する』という、いわば『譲れないライン』を大切にできてる意味でも、尊敬できるし、興味深いことを含めて。」
この、宇賀なつみさん。かつて『モーニングショー』を務めていたときも、「できる精一杯の範囲で、真実を伝えようとする姿勢」がとても伝わり、当時から既に「応援したいと思える人間の1人」でした。
で、「完全フリーランスという生き方」を、宇賀さんが歩んだことで、その後、宇賀さんのように「完全フリーランス」あるいは「個人事務所の設立」という方法をとるアナウンサーが、徐々に、でも確実に増加傾向になっている感じがあります。恐らく、「こういう生き方をしてもいいんだ」という気付きの「きっかけ」を、宇賀さんが与えたであるからではと。
そう、「宇賀なつみという生き方」、自分自身、「1人の人間として、正直にとても尊敬できる」である感じです。
「組織に縛られない生き方」。自分の場合は、「こうでしか生きられなかった」の面も正直に少なからずある、の感じがあります。
ですけど、「もし、生まれ変わること(輪廻転生)が叶うならば」と考えたときに、自分は「研究者」「スポーツチームのGM・マネージャー・職員」のいずれかになりたい、と公言させて頂いてますけど、そう、「フリーランスのジャーナリスト」、これも正直に、「『生まれ変わることが叶うならば』の際の『1つの道として』」であり得るかな、と感じてます。
いまは、「大学や大学院を卒業・終了して、即でフリーランスの道に」という生き方も、徐々にでき始めています(自分が大学生のときは、こういう道は正直に事実上になかった)。
自分が、大学受験のときに「『学歴フィルター』により、ジャーナリストの道は事実上に断たれた」であったのは、「新聞社に就職を叶えるには、『学歴フィルター』が厳然に存在していたから」です。
そう、「宇賀なつみという生き方」は、「正直に、とても強い尊敬を感じている」です。
ですけど、いやだからこそ、そう、ABC『ムーブ!』を4年半務めてきた、堀江政生さん(2024年で定年により嘱託になったので「さん」と、ここでは呼んでいますが、いまも嘱託とはいえアナウンサー)。及び、いま、TBS『報道特集』を務めてきて、間もなく2年になる、山本恵里伽アナ。
堀江さんも、山本さんも、「組織に所属したままの立場でありながら、番組での報道を通して、信念を貫き続ける姿勢」が伝わること。堀江さんに至っては、『ムーブ!』が終了してからも、(朝日新聞での出向の期間を含めても、)ずっと組織人であり続けてきた。言い換えれば、「組織にいながらも、真実や正義を追い求める姿勢を、ずっと持ち続けてきた」ですし、最終的には、解説委員をも務めていました(局内では「コメンテーター」と称していたが、事実上は解説委員に相当であるので)。
「組織にいながらも、真実や正義を追い求める姿勢を、ずっと持ち続ける姿勢であり続ける」、これがどれほど大変で、すごいことであるのか。自分ならば、「できない、だから自分は『組織に縛られない生き方』の1択になる」です。
そう、特に、『報道特集』。「東京は平壌である」「政財界のポチ」と形容されるほどの、「不自由の塊(かたまり)といえる」東京の地上波メディアで、「おかしいものはおかしい」とはっきりと発信し続ける番組が、それも、(番組の開始当初からをカウントすると)45年以上(つまり「半世紀近く」!)もずっと続いていること、これって正直に「とてもすごいこと」であることは勿論ですし、「1つのメディア、テレビ局として、その姿勢は尊敬ものである」、そう強く感じます。
(まあ尤も、『報道特集』『news23』という、一貫したとても素敵な姿勢を持つ報道番組を持つ一方で、名指しは避けますが、「くだらなさ全開の番組」も平気で複数ある、この「よくも悪くも、振れ幅がとても大きい」の意味で、これが同じテレビ局の番組なのか?とも正直に感じていますが、ここではひとまずは横に置いておきます、「あくまでも、1人の人間としての感覚に過ぎない」でもありますので。)
…と、そう、「自分が、テレビという意味で、見るジャンルで特に多いのは『ニュース』『ドキュメンタリー』『スポーツ』である」を綴って、「ニュース・報道」のことで、気が付けば想像以上に文章量を費やしてしまった感じです(汗)。
ですけど、そう、「自分が特に大好きなことって何だろう?」と考えたときに、それは「スポーツ」であること。
確かに、「する」能力は、自分には正直に全くないです。なのに、「見る」ことは、とにかく大好きである。「バスケットボール」「野球」「陸上」の3つが特にメインですが、若いとき(というか、DAZN主体になるまで)は「サッカー」も結構に楽しんでました。
「競泳」も、実は大好きな1つです。例年に4月前後に日本選手権が開催されますが、日本選手権のときは、いつも一喜一憂である自分がいます。
それと、「スポーツクライミング」も、実は好んで観ている1つです。「より早く、より高く、より強く」という「オリンピック精神」を、最も体現しているスポーツである。正直に、そう強く感じてるからもあります。
2021年の東京五輪。開幕前は、批判的な声が正直に多くあった。ですけど、「東京五輪、結果として、たとえ無観客でも開催する意義はあったよね」とできたのは、「スポーツクライミング」「スケートボード」が、「蓋を開ければ、既存スポーツ以上に、御互いに真っ向勝負で、終わると御互いを称え合う姿勢(「蹴落とし合う」ではなくて「高め合う」姿勢)に、多くの人間が惹かれたから、これが正直に大きいように映るのです。
他にも、「バレーボール」「ゴルフ」とかも好きです。というか、(どうしてもルールを覚えられなくて悶える感じである)「ラグビー」「アメリカンフットボール」の2つを除けば、ほとんどのスポーツは、程度の差こそあれ、楽しんで観ています、これは「ウィンタースポーツ」を含めてです。
いまは大阪に住んでいて、天王寺の「あべのハルカス」が「日常の景色」である生活になっています(以前にも言及しているが、多くの人間にとって「非日常」である「あべのハルカス」が「日常」である人生になるとは、「自分でも、我ながらに、正直にとても不思議な感覚である」「人生とは、わからないものである」が、正直な感じです)。
ですけど、子ども時代(中学3年生まで)は、西宮に住んでいました。
そう、「阪神甲子園球場」がある都市に住んでいた。尤も甲子園球場は阪神沿線で、自分は阪急甲陽線沿線で、同じ西宮でも、実は結構に離れているではあったのですが。
あの、1998年、高校野球の夏の選手権大会の準決勝、「横浜vs明徳義塾」、「0-6からの、ラスト2イニングでの、世紀の大逆転劇」。
中学2年生のときの、あの「恐らく、再現がほぼ不可能に近い、これ以上ないドラマ」を目の当たりにしたことが、
それと、阪神甲子園球場は、西宮の子どもは、小学6年生のときに「小学校連合体育大会」(小連体)で、甲子園に立つことが叶うのです(自分も実際、小6のときに経験できました)。ですので、「我が子を甲子園に立たせたい」を叶えたいが故に、西宮に住む(移住する)ことを希望する親御さんが、いまもいるとか。
子どものときの、甲子園の景色。コロナ危機以降は、近年のすさまじい酷暑もあって(これに加えて、販売方法で「当日の朝に並べば、座席に拘らなければ確保できる」システムでなくなったことも正直に大きい)、2018年の大阪桐蔭の春夏連覇を最後に、高校野球の夏の生観戦は途絶えていますが、自分がこうして「スポーツが大好き」であることは、「甲子園がある環境で育ったこと」が、正直に大きいと感じてます。
実際、そう、「スポーツをする」こと自体は苦手ですけど、でも「身体を動かす」こと自体は、実はむしろ好きなんですよね。かつて自分は、教員を目指しつつ、警察官も視野に入れていたでもあったのですが、教員も警察官も、現実論は「頭も身体も動かす」が求められる仕事である感じで。
子ども時代が西宮で、高校入学時から現在(いま、41歳)までが、大阪です。そう、自分にとっては、「心の故郷」は「西宮、神戸」であるとずっと感じ続けているでありますけど、現実論として、いまや西宮よりも大阪の方が、より長い時間になっている。
で、大阪でも、「大阪ドーム」(京セラドーム大阪)や、「長居陸上競技場」(ヤンマースタジアム長居)と、思い出が詰まったスポーツ施設がある訳です(欲をいえば、「1回は、大阪ドームでライブ鑑賞という経験ができる人生だったならば」と感じることもありますが、こればかりは「ご縁」と「タイミング」ですので、と言い聞かせてます)。
バスケットボールは、大人になってからですけど、陸上は、いま振り返ると、もともと大好きである感じで。これは、長居という場所で、「2018年、ゴールデングランプリ」「2023年、陸上日本選手権」と、陸上の生観戦をする経験を持てたことも、正直に大きいと感じてます。
それと、毎年に京都で開催されてる、「都道府県対抗女子駅伝」「全国高校駅伝」。この2つ(高校駅伝は男子・女子とあるので、そう考えると「3つ」とも正直に感じていますが)の駅伝大会の存在は、正直にとても大きいです。
そう、子ども時代での「甲子園」、大人になってからでの「大阪ドーム」「長居」「西京極」と、自分の人生において、大きなスポーツ施設の存在が、重要な存在になっていたこと。
いま、2021年以降、バスケットボールで最も生観戦をしている場所が、「京都市体育館」です。そう、「都道府県対抗女子駅伝」「全国高校駅伝」がある舞台と同じ、西京極を本拠地としている(2028年秋に、東向日への移転が決定している。老朽化や、Bリーグの施設規定の関係からです)、これも「ご縁」であると正直に感じてます。
ちょうど、自分がバスケットボールの生観戦を本格化させ始めた時期である、2021年12月。西京極の陸上競技場での記録会(10000m)で、直前の仙台での全日本大学女子駅伝でセンセーショナルな登場であった、不破聖衣来(当時、拓殖大学1年生)が自己ベストを出した裏で(すごい記録が出たことが、アナウンス越しにとても聴こえてきていたことを、いまでも強く記憶しています)、バスケットボールの京都が、名古屋Dを相手に「惨劇的な大敗を喫した」試合を生観戦したこと(翌日も同様に「惨劇的な大敗」)。
この、名古屋Dとの2試合の両方での惨劇が、「球団ごと、事実上に生まれ変わらせる」、それこそ「全面的な再建、ほぼ総入れ替え」のきっかけになった、その意味でも思い出深いです。実際、いまの京都の現有戦力は、最も在籍歴がある選手で「2023年からの入団」、つまり「あの惨劇を経験している選手は、全員が既に京都を去っている」ですので(なお、京都にとって「名古屋Dは『見るのも嫌なほどの、天敵』」であり続けている現況でもありますが)。
そして、昨年の2025年4月に開業(完成)した、「ジーライオンアリーナ神戸」。三宮駅から徒歩圏内にあります。昨年の年明け(正式には7月)から、自分は「天王寺と三宮での、半2拠点生活」をスタートさせてますが、この「半2拠点生活」の開始の決断の理由の1つに、「ジーライオンアリーナ神戸」の存在は、正直にあります。
(最大の理由は、「最後は、『心の故郷』である『西宮、神戸に帰りたい』」であった。まさかこういう形で、「心の故郷」に身を置く道を持てるとは、自分でも驚きの感じですけど、これが叶ったのは「フリーランス、ノマドワーカーという道だからこそ、できること」と正直に感じてます。)
この、「ジーライオンアリーナ神戸」。タイミングを、どれほど意図してであったのかは、結局は「想像の域を出ない」ではありますが、現実としては、「『阪神・淡路大震災』から30年」というタイミングでの完成でした。
そう、1人の人間として、正直に感じているのが、この「ジーライオンアリーナ神戸」は、「神戸という都市圏にとって、『ポスト阪神・淡路大震災』を象徴する存在である」ことです、そのような位置付けと解釈できるのではと。
自分の人生において、小学4年生のときに西宮で被災した「阪神・淡路大震災の被災経験」は、「自分自身の『最大の心の原点』」です。
「『生きていること、いのちあること』は、『当たり前ではない、とても貴重で素敵なこと』である」こと。自分自身、いじめや受験をはじめとして、逆境の連続の人生ですけど、だからこそ、「『阪神・淡路大震災の被災経験』『東日本大震災の復興支援活動の参加経験』が、いまの自分の『心の支え』になってる」でもあるのです。
どれほどつらいこと、苦しいこと、悲しいことがあろうとも、「絶対に諦めずに、折れずに、地道にコツコツと頑張ろう」と思えるのは、「2つの震災」の存在が、正直にとても大きいんですよね。
そう。より客観的に解釈すると、「ジーライオンアリーナ神戸」(Gアリ)は、「神戸という都市圏にとって、『ポスト阪神・淡路大震災』を象徴する存在である」が正直な感じですが、この、「ジーライオンアリーナ神戸」、自分自身にとっては、歩んできた道や、時間的な位置付けを総合して考えると、恐らくは「自分自身にとっての、心の『終着点』『最終到達点』」になるのではないか、正直にそう感じています。
実際、「2025年4月5日」、Gアリでの初めてのバスケットボールの生観戦のとき(神戸vs山形)、自分は正直に「ああ、いま自分、『NBAのアリーナにいる感覚』になれてる。自分が『叶えたい景色』の1つ、恐らくこれだったんだ」と、正直に感じたんですよね。
ずっと自分は、「いつか、NBAを生観戦すること」を叶えたいと感じ続けてきた。でも現実論は「そんな資金など、到底にあろうはずがない」。
それ故に、そう、「B.革新」(2026年秋からの、リーグ再編のスローガンといえる)が実現になろうとも、「NBAの雰囲気?自分には、叶わない景色だから」と正直に諦めていました。
ですけど、あの「ジーライオンアリーナ神戸」の、独特の雰囲気。「そうだ、これだ、こういう景色を、自分はずっと追い求めていたんだ!」と、正直に感じたんですよね。
それと、そもそも論として、自分は、「『スポーツ観戦』と『ライブ鑑賞』を一挙両得にできる感覚」が、こうしてバスケットボールを生観戦するようになった理由の1つなんですよね(もともと、NBAを楽しんでいたことも、勿論に大きいのですが。ですけど、不安視していた「かつての実業団の内輪ノリ的な雰囲気」とは全然に違い、正直にほっとしたであるのです)。
ですのでその意味でも、自分にとって、今回の新春記事でトップ画像にさせて頂いてる「ジーライオンアリーナ神戸」は、正直に、自分自身の人生の(恐らくとはいえ)「終着点」「最終到達点」であると、正直に感じてるのです。
そう、
「阪神甲子園球場」(高校野球、プロ野球の阪神。そして、小学6年生のときの、小連体。)
「大阪ドーム」(プロ野球の阪神、オリックス。途中での退場時に、手の甲にスタンプを押してもらうスタイルも、思い出深い。)
「長居陸上競技場」(陸上のゴールデングランプリ、日本選手権、大阪国際女子マラソン。長居は、サブトラック[いわゆる「長居第2」]がとても充実している意味でも、陸上の日本選手権をコンスタントに開催して欲しいでもあるが。)
「西京極」[陸上競技場、体育館](都道府県対抗女子駅伝、全国高校駅伝。及び、バスケットボールの京都。こうして「陸上」「バスケットボール」がずっと大好きであるのは、この京都、西京極で学び感じたことは、正直にとても大きくあります。)
「ジーライオンアリーナ神戸」(バスケットボールの神戸。「NBA的な感じのアリーナ」を体感するという「叶えたい景色」を叶えた場所。神戸は、自分自身にとっての「心の故郷」であること、そしてこのアリーナが「神戸という都市が、『阪神・淡路大震災』から、新たなるステージへと歩み出す象徴的な存在」である意味でも、自分にとって恐らくとても重要な意味を持つ。)
こうして、自分自身の人生の歩みに、いくつものスポーツ施設があること。これって正直に「当たり前なことではない」と感じているのです。
そう、「人生とは、わからないものである」。これを正直に実感である感じですし、自分自身、いくつもの「転機」があったからこそ、いまの自分がいます。
ですけど正直に、こうしていくつものスポーツ施設が、自分自身にとってのキーフレーズになっているのは、自分が「関西圏という、都市部に身を置けてきたから」、つまり正直に「都市部の恩恵」が大きいと映ってるんですよね、よくも悪くも。
ですけど、現実論として、この日本社会は、都市部もあれば、地方部も存在している訳です。自分が、いまの「生き方」「価値観」の基礎となってきた、いわば「『ほんとうの自分』に出会わせてくれた、大切で特別な場所」である東北(宮城・岩手・福島。特に宮城)は、どちらかといえば正直に「地方部」であるんですよね(仙台は都市圏を形成してるではあるし、地下鉄もあるが、スポーツの選択肢は関西圏に比してだと正直に多くはない)。
そう、自分がもし、関西圏とは異なる場所で生まれてたり育ってたりであれば、「物理的にスポーツに親しむことが、思うようには叶わなかった可能性は多分にあるだろう」と正直に感じます。
あるいは、いまはどうかは存じませんが、自分が大学生のとき(2003年~2007年)のときは、地方部では、「中学校の部活動が、事実上の強制参加」である場所が少なからず存在していました。自分自身は、部活動に参加経験がなくて、それが「教員になる道を叶えることに、最終的に障壁の1つになってしまった」ではあるのですが、でも、もし自分が「中学校の部活動が、事実上の強制参加」の環境で育っていたと仮定ならば、「むしろ、スポーツが、身体を動かすことが嫌いになっていた可能性も、少なからずあり得た」であったかもしれないなと。
そう、「甲子園」「大阪ドーム」「長居」「西京極」「Gアリ」など、自分は、「スポーツに親しむ」環境や機会に恵まれていたから、こうして、「スポーツが大好き。生きる喜びである」と実感できていること。
それと共に、正直に「テレビの存在」の大きさ、これも強く感じてます。
【地上波テレビで放送される、各種の主要なスポーツ大会の一覧。】
((☆)は「NHKで、原則的に完全生中継」の対象大会。
オリンピックは「NHKで、大会期間中は多くの枠を充てる」ので、☆の対象としてカウント。)
(☆)「オリンピック」(夏季五輪・冬季五輪)
「世界選手権」(陸上、競泳、卓球、バスケットボール、バレーボール)
(バスケットボールは「ワールドカップ」という名称)
「アジア大会」
「WBC」「プレミア12」(野球の国際大会)
「ワールドカップ」「アジアカップ」(サッカーの国際大会)
「プロ野球(NPB)」
(☆)「高校野球」(夏の選手権大会、春の選抜大会)
(☆)「全国高校駅伝」(男子・女子)
「大学男子駅伝」(出雲、全日本、箱根)
「大学女子駅伝」(全日本女子、富士山)
「実業団駅伝」(ニューイヤー、クイーンズ)
(☆)「都道府県対抗男子駅伝」
(☆)「都道府県対抗女子駅伝」
「男子のマラソン大会」(東京、福岡、大阪)
「女子のマラソン大会」(大阪女子、名古屋ウィメンズ、東京)
「ウインターカップ」(バスケットボール)
「春高バレー」(バレーボール)
「全国高校サッカー選手権大会」(サッカー)
(☆)「大相撲中継」
(☆)「全日本相撲選手権大会」(優勝者は「アマチュア横綱」と呼ばれる)
いま、いわゆる「地上波テレビで放送される、各種の主要なスポーツ大会の一覧」を、挙げさせて頂きました。そう、正直に強く感じるのが、
「日本人って、『主要なスポーツ大会』、ほんと大好きだよね。」
です。昨年、つまり「2025年」でだと、「世界陸上」(陸上の世界選手権)が、自国開催であったことで、時間的にもゴールデンタイムでできたの影響はあったかなではありますが、「とてもすごい盛り上がり」になってました。
あるいは、近年のバスケットボールの人気・盛り上がりは、「2023年、ワールドカップでの、激闘の末に五輪本大会を叶えたこと」、これが「大きな理由・要素の1つになった」と正直に感じます(これも、日本のリーグは、自国開催であったので、ゴールデンタイムでできてた)。
日本人は、特に「五輪」が大好きである。この傾向は、はっきりと明確に、強烈に出ている感じがありますが、その象徴的な1つが、2024年、パリ五輪での、「女子バドミントン、志田千陽」(「千陽」と書いて「ちはる」と読みます)でしょう。
パリ五輪の以前では、「その道では知られている」ではあった。視点を変えれば、「バドミントンが好きで観ている人間以外は、ほとんど知られていなかった」。自分も当時は正直に、「名前は聞いているけど、それ以上ではない」でした。
バドミントンと同じラケットスポーツで、卓球があります。
そう、日本の女子卓球を代表する人間、「早田ひな」。自分もかつて、2023年2月のnote記事で、この「早田ひな」に光を当てて綴らせて頂いたことがあります。
いま言及させて頂いてる、早田ひなは、2020年の「卓球の全日本選手権での初優勝」の時点で、既にちょくちょくで報道で取り上げられてました。
社会的にブレイクを遂げたのが「2022年」ですが、それ以前から、「名前自体だけならば、恐らくそれなりには知られていたのでは?」と。その後、「2023年~2025年、卓球の全日本選手権を3連覇」で、「2024年、パリ五輪では『女子では(競技の枠を超えての意味での)最大の注目選手』と位置付けられていた」(結果は個人で銅メダル、団体で銀メダル)にまで上り詰めて、「人気と実力を併せ持つ」を証明したになったと。
その一方で、「パリ五輪を通して、最もブレイクを遂げた」1人が、「女子バドミントン、志田千陽」です。最終的に銅メダルで、メダル到達を叶えましたが、「準々決勝に進出、のときのあたりから」、いわば「あれよあれよ」の感じで人気になっていったと記憶してます(尤も、よくも悪くも、ブレイクの理由の幾分かは「容姿補正」である感じも正直にありますが)。
(個人的には、「最大のブレイクであった」と解釈している。もう1人、スポーツクライミングの森秋彩[「秋彩」と書いて「あい」と読みます]も、ブレイクを遂げた1人だが、森はいわば「実直で、求道者な人間性」って感じで、いわば「玄人受け」のタイプであるといえるので。)
ですけど、卓球の「早田ひな」と、バドミントンの「志田千陽」。同じラケットスポーツであり、いまは知名度という意味では、志田は早田にほぼ迫っている感じにはなっている(インターネットにあまり触れないタイプの人間だと、知名度の面で早田に見劣りになってしまうかもだが)と映る、ですけど、パリ五輪の開幕前は、(実績の面の考慮もあるとはいえ、)早田は「最注目選手」(しかも早田は、東京五輪は当時の出場既定の影響もあって出場が叶わなかったため、パリ五輪は「五輪自体が初出場」であった)であった一方で、志田は「その道では知られてるが、一般的には『誰この人』が否めない」であった。
この、知名度の差はなぜ起きるのか。勿論、正直に述べると、バドミントンが「ほぼ五輪のたびにだけ、つまり『4年に1回』だけ注目されるであり、普段の露出度がほとんどない現況であること」(中学校・高校の部活動では、特に女子には人気のあるスポーツの1つであるのに、である)は、正直にあります。
それに、バドミントンは「少なからず、特に運営面で不祥事的、ゴシップ的なことをやらかしている」こと、及び、「東京五輪のとき、『怪我さえ起こさなければ、(あらゆる競技の全体を通しても、)金メダルの最有力』である」といわれていながら、実際は怪我(負傷)に泣いてしまったこともあり、不本意な結果に終わった」(つまり、「期待が失望に変わってしまった」の象徴になった。「スポーツクライミング、スケートボード、野球、そして競泳[の大橋悠依]」の輝きで、ある程度覆い隠す感じになったが)ことも、「負のイメージ」を加速させてしまった感じが正直に否めません。
そう、バドミントンの運営側(この場合、「日本バドミントン協会」)の、いつまで経っても改善できてない拙さぶりの露呈、これは、正直にとても申し訳ないけど、「特に女子で部活動がこれほどに人気であり続けてるのに、それを活かす気がどれほどあるんですか?」であること(しかも、ただ単に拙いだけでなくて、「運営側における不祥事」を少なからずやらかしているので、なおさらに印象が悪くなってしまう)。「運営が足を引っ張ってる」、正直にそう解釈されても仕方ないと。
とはいえ、です。「卓球とバドミントンの、運営能力の差」、確かにこれも正直に「少なくとも、影響が全くないとはいえない」ではあるでしょう。ですけど、むしろこれ以上に、「早田ひな、志田千陽、この2人の知名度の差で、大きなファクター(要素)になってること」があると。
卓球は、「テレビ東京」という明確なパイプが存在している、確立されていること。2年に1回開催されている、卓球の世界選手権は、2005年から(つまり、20年以上ずっと!)、テレビ東京による中継が確立されてます。
普段は「お堅い経済番組」と「アニメ番組」が主体になってるテレビ東京が、この「卓球の世界選手権の期間中」は、「卓球を中心に番組編成をしてる」に一気に変貌になるほどの、熱量のすさまじさです。
その一方で、バドミントンは現況では、世界選手権がどのテレビ局で中継されてる、は「ない」こと。「世界選手権で、どのテレビ局であれ、その中継がないこと」、これでは「そのスポーツの成長・発展の意味で、少なくとも『プラスにはできない』」といわざるを得ません。
世界選手権どころか、卓球とバドミントンの相違は、「日本選手権」にも現れています。
卓球の全日本選手権は、「準決勝、決勝は、NHKで生中継される」です(年度によって、地上波かBSかで相違はある、これは恐らくは「都道府県対抗の女子あるいは男子の駅伝」の時間との関係があるため。ただ、生中継自体は毎年になされている)。
それに対して、バドミントンの全日本選手権は、確かフジテレビで生中継されてる年もあったかなと記憶ですが、ほとんどの年で「決勝でさえ、テレビの生中継がない」です(NHKでさえも!)。
主要な競技の、日本選手権。その代表例が「陸上」と「競泳」です。
陸上と競泳の日本選手権は、それこそ長年で、「決勝種目は、NHK総合(一部は、NHKのBS1)での生中継」になっています。具体的な種目の開催日程は年によって異なっていますが、よくも悪くも、「最も盛り上がる種目を、クライマックス的な感じで生中継がされるように編成の工夫がなされてる」です。
陸上は、世界選手権は長年でTBSが、競泳は、世界選手権は長年でテレビ朝日が、それぞれに生中継をしてきています。特にTBSの陸上への力の入れようは、それこそとてもすさまじく、YouTubeの「TBS陸上ちゃんねる」、もうそれこそに「熱量」「愛情」が「生半可ではない、『ほんもの』といえる」ことが恐らく伝わりますから!と。
ですけど、日本選手権は、ずっと長年で「NHKによる生中継」がなされている。とりわけ競泳は、多くの種目で「ゴールデンタイムでの生中継」がなされており、そのときは(さすがに「ニュース7」は普通に放送されてるが)、「クローズアップ現代」「うたコン」などの看板番組も、「競泳の日本選手権の生中継に完全オールイン」の番組編成になるために休止になるほどです。
で、この、野球のWBCのことの部分での前半部分で、
自分の家。自分はいま、両親と3人暮らしであるのですが、食事の団欒(だんらん)の席上で話題になる頻度が特に多いのが、「野球」と「相撲」であるのです。
と、綴らせて頂きました。そう、「野球」、これは「プロ野球中継」が、とりわけ関西圏では、「阪神戦のホーム中継はほとんどの頻度で、地上波でのテレビ中継がなされている」です。
で、特に「高校野球」(夏の選手権大会、春の選抜大会)、及び「相撲」。この2つは「NHKでの、事実上の完全生中継」です。
そう、この「NHKでの完全生中継」、これがどれほどのインパクト、ステータスであることか、と。
民放各局の場合は、どうしても、歴史的経緯をも含んで、「地域によっては、物理的に放送されないケースが生じてしまう」があります。
ですけど、NHKの場合は、
「どれほどの地方部であろうとも、どれほどの離島・へき地であろうとも、ひとしく放送機会が提供されていること。」
であることです。
自分の場合、母も父もいま「74歳」です。年齢から想像できるかなですが、勿論に「インターネットの、いの字もできない、わからない」である人間です。
ですけど、そのような両親でも、「野球」「相撲」はついていける、好んで観ている。
それはなぜか。「テレビ(地上波・BS)で生中継の機会が確保されているから」であると。
「NHKによる、事実上の完全生中継」の恩恵の象徴的な大会が、毎年12月の「全国高校駅伝」及び、毎年1月の「都道府県対抗女子駅伝」(全国女子駅伝)です。
とりわけに後者である、「都道府県対抗女子駅伝」。近年は、「地域対抗」から、「学校対抗(OGを含めての)」の意味合いが徐々に強くなってきていますが、中学生・高校生という若い世代と、大学生・一般(社会人。陸上の場合は実業団と称されることが多い)のスター選手が、同じステージに集うことから、「陸上の裾野を拡げ深める大会」であり、また「オールスター」「ドリームレース」と称されるでもある大会です。
で、いま、リンク添付させて頂いた4人の女子陸上選手。このうち、小林祐梨子、福士加代子はOG選手(引退選手)ですが、この4人は、「都道府県対抗女子駅伝が開催されるたびに、ほぼ必ず話題になる」の選手でもあります。
そう、「小林祐梨子」「福士加代子」「鈴木亜由子」「田中希実」、4人のいずれもが純粋に、「一時代を築いた、築いてる名選手」であるのですが、恐らく、「その業績以上に、知名度を持つ選手」でもあります。
小林祐梨子(2区の紫明通りのカーブは「S字カーブ」と呼ばれているが、この「S字カーブ」の攻略をとりわけ得意としており、いつしか小林の代名詞に。選手生命自体は、実は長くはなかったが、小林の選手人生を振り返るにあたり、「都道府県対抗女子駅伝」「全国高校駅伝」の2区での輝きは、よくも悪くも「最大のハイライト」と語り継がれている。なお選手としては「最後まで、兵庫での出場にこだわり続けた」。)
福士加代子(長く、9区の名物選手であり続けてきた。故郷は青森であるが、所属実業団は京都のワコール。そのため、「京都、青森のいずれから出場するのか」自体が大会の注目になっていたほど。福士の現役時代、特に「10000mを主戦場としていた時代」は、「9区の区間賞は、福士が獲るのか、他の誰かが奪取できるのか」自体が大きな注目になっていた。)
鈴木亜由子(中学2年生のとき、「都道府県対抗女子駅伝、3区の区間賞」でセンセーショナルなデビュー。怪我に苦しんできた選手人生でもあるが、「中学校、高校、大学、社会人」の全年代で出場歴を持つ。
「故郷である、愛知での出場にこだわり続けている」でもあるが[所属実業団は、東京の日本郵政]、愛知の2回の優勝は、いずれも鈴木が最大の原動力になってた[2016年、2019年]。
特に2016年の「9区(10km)での、1分37秒差での大逆転劇」は、「駅伝の歴史で、事実上の史上最大の逆転劇」として、いまもずっと語り継がれている。このとき、逆転した相手が京都であったが、鈴木は当時「都道府県対抗女子駅伝での出場が、7年連続9回目」で、既に大会の代名詞になってたこともあり、「沿道の声援が、京都と同等以上であった」の逸話が。)
田中希実(中学2年生のとき、「都道府県対抗女子駅伝、8区の区間賞」で全国デビュー。以降、「中学校、高校、大学、社会人」の全年代で出場歴。「故郷である、兵庫での出場にこだわり続けている」も特徴。
ただ実は、「駅伝は大好きと公言し続けてる」一方で、「実はトラックに比して、ロードは得意とはいえない?」の面も。勿論にそれでも、「ほとんどで区間賞で、格の違いを見せつけてる」ではあるし、視点を変えれば「実際の記録・数字以上に、強烈な印象を残す走り」でもある訳だが。)
いま挙げた4人は、実は「記者たらし」であることも特徴であり、それは「小林、福士(底抜けに明るい)」「鈴木、田中(実直・誠実で理知的)」と、持っている資質能力・性格の相違こそありますが、「会う記者がことごとく、特にインタビューを終えると、ファンになってる」の逸話を持つほどです。また「取材拒否をすることが、ほとんどない」でも知られてます。
いまリンク添付させて頂いた、この「日本の野球殿堂の投票のこと」の記事。
「引退後は饒舌でひょうきんな側面を見せているけど、現役時代はろくに取材対応せず、記者ウケは最低。我々も人間だから、そういう輩には入れたくない。」、誰のことかは、当該リンク添付記事を参照された詩である感じですが、確かに仰る通りで、「メディアの人間(記者さん)も、1人の人間である」訳です。
そう、それ故に、「誠実な対応をずっと貫ける人間」が相手である方が、そりゃあ、より好印象になるではあるんですよね。
尤も、そう、先述で挙げさせて頂いた、4人の女子陸上選手。いま言及させて頂いたように、この「記者たらし」「人たらし」なところ(実際、いわゆる「ベビーフェイス」であることでも知られている。少なくとも「ヒール」ではないと)は正直に大きくあると映る。
ですけど、4人の女子陸上選手のいずれもが純粋に、「その業績以上に、知名度を持つ選手」(そして人気も)であること、これは恐らくは正直に、
「『都道府県対抗女子駅伝』『全国高校駅伝』という、『NHKでの完全生中継』のステージで、結果を出してきたから。
加えて、『日本選手権』という、これもまた『NHKでの事実上の完全生中継』のステージでも、結果を出してきたことも大きい。」
(例えば、鈴木亜由子は、「2016年の都道府県対抗女子駅伝、1分37秒差の大逆転劇」の5か月後の日本選手権、10000mで優勝して、リオデジャネイロ五輪の出場を叶えた。余談だが、このときの日本選手権の開催場所は、鈴木の故郷[豊橋]に近い名古屋であった。)
であることが大きいと、正直に映るんですよね。
さらに述べると、陸上の主要な「駅伝」(「マラソン」もであるが)の大会は、NHKのみならず、民放をも含めて、多くの大会で、それこそすさまじい熱量での放送体制が組まれてます。
「不破聖衣来」
(→「全日本大学女子駅伝」「富士山女子駅伝」がある限り、永遠にずっと語り継がれ続ける、輝き続ける。)
「柏原竜二」「神野大地」
(→「箱根駅伝」がある限り、永遠にずっと語り継がれ続ける、輝き続ける。)
「村岡美玖」
(→「全国高校駅伝」がある限り、永遠にずっと語り継がれ続ける、輝き続ける。)
そう、先述の4人の女子陸上選手のみならず、いまここで言及させて頂いた4人の陸上選手も、当該の大会がある限り、「永遠の記憶」として刻まれ続けると映るんですよね。
それこそ、「高校野球」がある限り、「江川卓」「荒木大輔」「松坂大輔」がずっと語り継がれ続ける、輝き続けるように。
尤も、「不破聖衣来」「村岡美玖」の2人は、「『ほんとうの輝き』は、ここからさらなる輝きの歩みにして欲しいんだ!」が正直な想いです。特に村岡は、「こんなものじゃないはずでしょう?」である感じですし、大学女子駅伝のいままでの6大会のうち、出場を叶えられたのは、わずか1大会。
で、この2026年、ついに「大学4年生、つまり最高学年」に突入になります。勿論、「実業団でも、1年でも長く現役で」であることも、併せて強く伝えたいことですけど、この2026年シーズンを、
「いままでの3年間は、悔しいことが多かったかもだけど、『悔しい3年間を助走の時間にできて、今年、ついに飛躍を遂げられたんだよ。少なくとも、自分を【一発屋】とは絶対に言わせないことは証明できた』といえる1年に、絶対にして欲しい!
そう、特に、富士山の7区の山上りを走破して(できれば区間賞で)、『歓喜と栄光のゴールテープを切る』姿を、自分は観たいんだ!」
正直に、そう強く伝えたい想いです。「あなた(村岡)は、笑顔こそ似合う人間である、自分はそう強く信じているから!」と。
それで、話を大きく戻して、(その1A)の序盤で綴った、自分自身のエピソードのことです。
「お前(◎◎くん[自分の本名])が、教員に絶対になりたいという熱意は誰よりも人一倍に伝わる。でも一方で、お前を見ていると、『現実的に目指せる仕事・職業の中で具体的にイメージ(想像)できる仕事として、【教員】しかイメージできていないから』も、正直に結構強くあるのでは?」
大学2回生のとき(2004年)、大学の、教職課程の担当の先生(教授)に、1対1の場で直接に言われた、この言葉。いまでも強烈に記憶している、恐らく絶対に忘れることはないだろうと。
当時、中学校社会科教員になりたい想いは、「とても本気であった」と断言できる、ですけど一方で、あのときの先生のこの言葉は、いわば「図星(ずぼし)」であったことも、正直な感じです。
そう、教員を志したのは、「子どもが大好きであるから」「子どもの心に親身に寄り添える人間になりたいから」、これが正直な感じであった。「悩み苦しんできた歩みを持つ自分だからこそ、できることがあるんだ!そんな自分こそ、教育者にふさわしいでしょう!」と、あのときの自分の心は、正直にとても燃えていた。
ですけど一方で、そう、当時の自分が、教員を志していたのは、「なり方がわかるのが、教員であったから」、正直にそうでもありました。
「ああ、図星だ」、あのときの先生の言葉、「心にとても『グサッときた』」、あの感覚をいまでもはっきりと記憶している。教員ならば、なり方がわかるし、資質能力をどう身に付ける必要があるのかのイメージも描きやすいから、これは正直にあったんですよね。
それと、当時の自分は、大学受験の結果で、本命の1つであった「ジャーナリスト」の道が、(当時は、新聞社を念頭に置いていた感じであったので、)「学歴フィルター」によって、「事実上に断たれていた」から。いわば、「悔しさの心の埋め合わせ的な面が、正直に、少なくともゼロではなかった」、これは否めなかったと。
それに、「ジャーナリスト」も「警察官」も(そして「教員」も)、「やりがい」「存在意義」「社会的地位」を併せ持っている、勿論にこれはありますし、この3つの仕事は、いまでも「いつの時代でも、そしてこれからの時代でだとなおさらに、絶対に必要であり続ける仕事である」と強く感じていますし信じていますけど、「なり方をイメージしやすい仕事・職業であるから」、正直にこれも大きかったよねと感じてます。
で、これに相通ずると正直に感じるのが、社会的な話題という意味で、
「スポーツでの『野球』『相撲』」
「芸能界での『ジャニーズ』『AKB、乃木坂』」
そう、「ジャニーズ」「AKB、乃木坂」。特に2010年代、「ジャニーズ」「AKB」は、音楽界における絶対的な2大勢力として君臨していました。
君臨し続けた理由は、恐らくこれが大きかったのでは?と自分は感じてます。
「『ジャニーズ』『AKB』→『テレビでいつも映っている』。
この2つさえ押さえてれば、『話題についていける道を確保できる』。」
(『仲間外れになるリスク』を、できるだけ抑止できる心理。)
そう、「いじめ」にずっと苦しみ続けてきた自分の経験からすると、現実論として、「仲間外れにされないこと」って、「この日本社会では、とても大きな意味を持ってくる」んですよね。
「仲間外れにされること」って、あるとき突然に訪れる。そして、「仲間外れに一度されると、これを脱出するのに、果てしない時間とエネルギーを必要とする」(というか、ほぼ困難であるといってもよい)。
だから、「話題に合わせる道を、持っておこうという心理」が働きやすい。自分自身が好きになるかどうかは別問題であるとして、「とりあえず少なくとも、話題についていけるようにはしなければ」と。
これは、スポーツにおける「野球」「相撲」も、相通ずると正直に感じてます。
そう、「野球」「相撲」は、「テレビで確実に映る」。
野球はともかく、相撲は「ルール的には、結構に単純である」ことも、正直に大きいと感じます。特に相撲は、「時間が読める」でもありますし。
(野球は、ルールは実は、さほど単純ではない。特に「ストライク、ボール」や「セーフ、アウト」は、実は少なからず揉める要素になりやすい。)
しかも特に、
「『高校野球』『相撲』は、『NHKで、事実上の完全生中継』である。
『ニュース7』『おはよう日本』でも、他のスポーツに比して多くの枠を充てて取り上げてる。」
そう、「NHKでの完全生中継」。これがどれほどの大きな意義を持つことか、ってことです。
「地方部どころか、離島・へき地でも、テレビ越しに観戦できることが確約されている」、これってとても大きいことである、と映るんですよね。
https://repository.tku.ac.jp/dspace/bitstream/11150/12038/1/komyu59-10.pdf
(←時間と文章量の関係から、「英国で地上波放送が義務付けられているスポーツイベントの一覧」[171頁~200頁」とあるうちの、「186頁」の個所です]を、抜粋することができずに心苦しいですが、このリンク添付の、「英国で地上波放送が義務付けられているスポーツイベントの一覧」、是非ともに参照されたしですし、「日本における『ユニバーサル・アクセス権』の導入における、とても重要なたたき台・サンプル」になり得ると、正直に強く感じます。)
だからこそ、です。「2026年、日本社会の重要テーマ」。
「野球のWBCが、地上波・BSのテレビ中継が一切なし(ゼロ)になり、ネットフリックスの独占配信になったこと。」
時代の流れである。確かにそうかもしれない、そう、「頭では、理解できない訳ではない」のです。というのも、
そう、長年でテレビ朝日系列によって中継されてきた、「競泳の世界選手権」(世界水泳)。実は、「2025年大会を持って、テレビ朝日による放映権が終了になった」になってます。
世界陸上は、いまもTBSが中継し続けている。というか、WA(ワールドアスレティックス。いわゆる「世界陸連」。かつては「IAAF」と称していたが、2019年に「WA」に改組・改称されている)の方針として、「テレビ地上波放送を、原則として確約すること」があるとのことです(恐らく、競技の普及、裾野の拡大の確保のためが理由であると想像)。それに、TBSの陸上への熱量のすさまじさをも併せて考慮すると、「世界陸上の、TBSでの地上波中継は、これからも楽観し続けてよいだろう」の感じですがと。
そう、先述で自分は、
「各種スポーツ大会の放映権料の高騰化が加速度的に進んでいて、いずれテレビ局はもう放映権料を支払えなくなるときが、そう遠くないうちにくることが、『五輪(オリンピック)』『野球のWBC』『サッカーのワールドカップ』のたびに、指摘されるようになってきていた。
そう、『この日本社会で、最も恐れていた事態が、想像よりも早くに現実の景色になった』。」
と、綴らせて頂きましたけど、結局のところ、
「『放映権料の高騰』『すさまじい物価高の傾向』、この2つに、日本のメディアが、もうついていけなくなっているってことでは?」
と。
そう、「日本人が、『五輪(オリンピック)』『世界選手権』が、とにかく大好きである」こと、「昨年(2025年)の世界陸上が、想像以上の大きな盛り上がりになった」こと。
世界陸上については、「自国開催」「ゴールデンタイム」であった恩恵も、正直に大きかったではあると映るのです。ですけど、これを考慮しても、(世界陸上は、そもそも開幕前は、「スター選手の減少傾向」が懸念されていたでもあったのですが、蓋を開ければ「それがどうした?陸上って、とても楽しいじゃん!」である感じになったことをも含めて、)
「テレビ、とりわけ地上波で、長い時間に中継されたことの恩恵。
五輪は、特にNHKが長い時間を中継していることが大きく、時差の大きな大会であっても『デイリーハイライト』でがっつりと取り上げる配慮がされていることも正直に大きい。」
であると、正直に映るんですよね。
そう、「2025年、世界陸上」が「テレビの地上波放送が長時間なされたことが、想像以上のすさまじい盛り上がりに結びついたこと」。これは「2023年、バスケットボールのワールドカップ」でも、似た現象が起きてます。
だからこそ自分は、「1人の人間」「1人のスポーツファン」として、下記のことを「声を大にして伝えたい」であるのです。
「『ユニバーサル・アクセス権』、つまり『誰もが自由にスポーツイベントを観戦できる権利』『国民的関心の高いスポーツイベントが有料で独占放映されるとを防ぐ制度』の導入が、できるだけ早急に必要であること。ましてやこの日本は、『五輪(オリンピック)の盛り上がりが、主要な先進国でno.1である傾向』が、顕著に示されている意味でもなおさらにである。
それも、この『ユニバーサル・アクセス権』の導入を、『2026年、遅くとも年末までに、政府・国会として早急に導入を決断する』(それこそ『超党派での議員連盟の結成』が必要な重要事案であるを含めて)を、強く希求するイメージであること。そう、『いま、すぐに、はやく!』である。」
(ラストの「いま、すぐに、はやく!」は、『劇場版 緊急取調室 THE FINAL』のクライマックスの場面で、メインゲストの、首相[内閣総理大臣]役である長内洋次郎〈演者は石丸幹二〉の「いま、すぐに、ここで!」が元ネタになってます。)
そう、先述の「リンク添付させて頂いてるPDF、186頁にある、英国版のリスト」を基にすると、下記に示させて頂くのは、あくまでも「たたき台」でありますけど、下記に示す大会・スポーツイベントは、「特にニーズが大きい」であると強く映るんですよね。
【自分(愛球人)が強く考える、「ユニバーサル・アクセス権」の対象として強く検討して欲しい、スポーツイベント。】
(なおここでは、「国際大会をメイン」に綴ってます。また、「学生スポーツ」は、ここでは一切にノーカウントです。)
「オリンピック」(夏季五輪・冬季五輪)
「パラリンピック」(夏季・冬季)
「世界選手権」(陸上、競泳、卓球、バドミントン)
「アジア大会」
「(野球の)WBC、プレミア12」(「日本戦の全試合」及び「決勝トーナメント」[WBCだと「準々決勝以上」、プレミア12だと「決勝、3位決定戦」])
「(サッカーの)ワールドカップ」(男子は「日本戦の全試合」及び「決勝トーナメント、準々決勝以上」。女子は「日本戦の全試合」及び「決勝、3位決定戦」)
「(サッカーの)アジアカップ」(「日本戦の全試合」及び「決勝」)
「(バスケットボールの)ワールドカップ」(男子は「日本戦の全試合」及び「決勝トーナメント、準々決勝以上」。女子は「日本戦の全試合」及び「決勝、3位決定戦」)
「(バスケットボールの)アジアカップ」(「日本戦の全試合」及び「決勝」)
「(バレーボールの)世界選手権」(男女共に「日本戦の全試合」及び「決勝、3位決定戦」)
「パンパシフィック水泳選手権」
「(テニスの)ウィンブルドン選手権、全米オープン」(日本人選手の試合、決勝トーナメントの準々決勝以上)
「(ゴルフの)マスターズトーナメント、全米オープン、全米女子オープン」
「日本選手権」(陸上、競泳、卓球、バドミントン)
「(野球、NPBの)クライマックスシリーズ、日本シリーズ」
「(バスケットボール、Bリーグの)ポストシーズンの準決勝、決勝」
「(バスケットボール、Wリーグの)ポストシーズンの決勝」
「(バレーボール、SVリーグ、男女共にの)ポストシーズンの決勝」
「(ゴルフの)日本オープン、日本女子オープン」
「(陸上の)都道府県対抗男子駅伝、都道府県対抗女子駅伝」
「大相撲の本場所」「全日本相撲選手権大会」
ここに示させて頂いてるのは、「あくまでも、1つの案に過ぎない」ではあります。ですけど、「五輪(オリンピック)」「パラリンピック」「世界選手権」「大陸別選手権」、及び、主要なスポーツの「日本選手権」は、楽しめる感じであって欲しい、そう強く感じるのです。
で、いまの日本は、「国技」は「相撲」と位置付けられています(ただし、法律で明文化されている訳ではない)。ですけど、「実態という意味で」で考えると、日本の「国技」は「野球」「相撲」の2つと位置付けるのが、より妥当であるのでは?と、正直に解釈してます。
そう、よくも悪くも、「この日本社会って、野球の社会だよね」と、正直に感じているのです。
「X(元のツイッター)のトレンド」が象徴的ですけど、野球があるときは、野球関係の言葉が、結構な比率で並んでます。高校野球があるときは、高校野球が「NHKで完全生中継である」ことをも含めて、高校野球の話題でほぼ埋め尽くされるほどです。
だからこそ、そう、いま、「野球のWBCが、テレビでの地上波・BSでの生中継自体がゼロに陥ったこと」が「想像以上のすさまじいハレーションである」のは、「この日本社会が、野球の社会であるからが故である」、これが正直に大きいと映るんですよね。
そう、先述で、「早田ひな」(卓球)と「志田千陽」(バドミントン)の、知名度・注目度の相違を綴らせて頂きましたけど、この事例は特に、
「現実論として、結局は『テレビでどれほど取り上げられるかこそ、正義である』ってことだよ。」
を、顕著に示しているのだと。これは、陸上の「不破聖衣来」「柏原竜二」「神野大地」「村岡美玖」にもいえることです、この4人はいわば、実際の業績以上に、「テレビが生み出したスター選手」と解釈できると。
そう、「テレビが生み出したスター選手」ですけど、でも「虚像」という意味ではなくて、「記憶に残り続ける存在になれてるという、プラスの意味として」です。その走り、その輝きが、恐らく「誰か1人でも、観ている人間の心に響いた、『生きる希望』『生きる勇気』『生きる意欲』を生み出すことに結びついてるかもしれない」という意味でと。
そう、いわゆる「ニューメディア」(インターネット、SNS、YouTube)の存在意義も、勿論に大きいではあるのですけど、「より広く」の意味でだと、(たとえ「オールドメディア」といわれようとも、)「テレビの存在意義、重要性」は、恐らくこれからも大きな意義を持ち続けるだろうと。
そう、確かに、いわゆる「草の根的な社会現象」的な事例も、いくつかあるではあるのです。「μ's(初代のラブライブ、2015年)」「国宝(2025年)」は、これに該当であるといえるでしょう。
ですけど、この日本社会の場合、「草の根的な社会現象」は、現実論として「少数の事例にとどまる」でもあると映るんですよね。日本社会で、特に映画で「作品名より、役者名(俳優名)がより強調される傾向」であるのは、「誰が主演、メインキャストであるのかが、鑑賞する作品の選択に大きく影響している現実があるから」であると。
実際、ここでは名指しは避けますが、何人かの女優さんは、とても悲しいことに、「興行収入クラッシャー」の烙印を押されてる(しかもこの日本社会のよくないところとして、一度でもこの「興行収入クラッシャー」の烙印を押されると、そこからなかなか抜け出せない現実が正直に存在してる)、自分が1人の人間として、「この日本社会の、大嫌いなところの1つ」であると正直に感じてます。
逆もまた然り。近年の傾向として、「特定の女優が、映画界で重宝されている」が顕著に感じていますが、いまここに挙げさせて頂いた
「浜辺美波」「福原遥」「橋本環奈」
この3人。いま、いわれてみればで「3人共に『は行で始まるんだ』」であるのですが、この3人が重宝されているのは、いわば実にシンプルで、「勝算が見込めるから」「いわゆる『売れ線』であるから」と。言い換えれば「潜在興行収入を持っているから」ともいえるでしょう。
特に福原遥は、直近2年で「年末公開の映画のメインヒロイン」に起用されています。年末や夏に公開の映画は、「興行収入に上乗せがより期待できる」の傾向である意味で、「『売れ線』とみなされてる」を示唆してるといえるのではと。
しかもこの3人、それぞれに、この2026年の年齢で「26歳」「28歳」「27歳」である、つまり「これから数年が全盛期」の位置付けであるんですよね。その上、3人共に「実身長、実年齢以上に、『童顔』『小顔』に見えること」も、「The・ベビーフェイス」に、なおさらに拍車をかけているといえるかなです。
話を戻すと、そう、今回の「野球のWBC」の、「ネットフリックスの独占配信」劇。これは皮肉にも、
「野球は、日本で最も人気が高いスポーツである」
「現況で、『世界最高のスポーツ選手=大谷翔平』である」
(長い日本のスポーツ史の中で、『世界最高のスポーツ選手が日本人である』ことは、恐らく初めてかもしれないこと。
かつて、リオネル・メッシ[サッカー]は「アルゼンチン人」、ロジャー・フェデラー[テニス]は「スイス人」、レブロン・ジェームズ[バスケットボール]は「アメリカ人[米国人]」、ウサイン・ボルト[陸上、短距離]は「ジャマイカ人」でそれぞれあったので。)
そう、
「日本における、野球の突出した人気と注目度」
「『大谷翔平』という、『不世出のスーパースター』」
(サッカーの久保建英、バスケットボールの河村勇輝は、[正直に認めたくはないが]「[世界基準という尺度でだと、]あくまでも、『いい選手』止まり」である。この差は正直に大きい。)
それ故に、ネットフリックスの目線からすると「特大のビジネスチャンス」になると。だから「皮肉」と表現であるんですよね。
で、だからこそ、「野球のWBC」という「いまの日本人にとり、『五輪以外でだと、最大の国際スポーツ大会』」が、「テレビの地上波・BSでの生中継自体がゼロである」ことが、「想像以上のハレーション」になってると。
いえることは、
「『ユニバーサル・アクセス権』、つまり『誰もが自由にスポーツイベントを観戦できる権利』『国民的関心の高いスポーツイベントが有料で独占放映されるとを防ぐ制度』の導入が、できるだけ早急に必要であること。ましてやこの日本は、『五輪(オリンピック)の盛り上がりが、主要な先進国でno.1である傾向』が、顕著に示されている意味でもなおさらにである。
それも、この『ユニバーサル・アクセス権』の導入を、『2026年、遅くとも年末までに、政府・国会として早急に導入を決断する』(それこそ『超党派での議員連盟の結成』が必要な重要事案であるを含めて)を、強く希求するイメージであること。そう、『いま、すぐに、はやく!』である。」
そう、「2026年、日本社会の最重要テーマ」。
「主要なスポーツイベントを、テレビの地上波、せめてBSで確実に視聴できるようにする、『ユニバーサル・アクセス権』の早急な導入。
そう、『国民あっての政治』であるからこそ、この『ユニバーサル・アクセス権の導入』を、とても強く希求である想いです。」
勿論に、「『ユニバーサル・アクセス権』の対象になるスポーツイベント」は、「適宜に柔軟にアップデートしていく」であってしかるべきであると強く感じます。
ですけど、「テレビの、特に地上波の影響力」だからこそ、「生きる希望」「生きる意欲・勇気」「生きる憧れ」に結びつき得る、そう強く感じるのです。
いずれにせよ、この「ユニバーサル・アクセス権の導入」が「2026年の年内(それも、できるだけ早い時期での)での実現をして欲しいこと!」、この想い、届きますようにです。
【新春記事#3B】【社会貢献#18B】【エッセイ#71B】
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