第90話 【婚活珍事件】モテる歩き方をしたら転んでテーブル揺らした件
【もとしの爆笑日記 第90話】
導入|「歩き方ひとつで人生が変わる」と本気で信じた朝
「第一印象は、歩き方で9割決まるらしい」
その一文を読んだ瞬間、もとし(27歳・独身)の脳内で、
何かが“カチッ”と音を立ててハマった。
──顔でもない。
──年収でもない。
──会話力でもない。
歩き方。
たしかにそうだ。
駅で見かける“なぜかモテそうな男”は、
例外なく「堂々と歩いている」。
もとしは、その日も婚活パーティーに向かう予定だった。
開始時刻は13:00。
会場は、駅前の小綺麗なレストラン。
朝の散歩をしながら、
彼は何度も自分に言い聞かせていた。
「今日は…歩き方で勝つ」
このときのもとしは、
自分が数時間後、人生最大級の“音”を立てることになるとは、
まだ想像もしていなかった。
第1章|婚活前夜、YouTubeで“モテる男”を研究する27歳
前日の夜。
もとしはベッドに寝転びながら、
スマホで「モテる 歩き方 男」と検索していた。
再生回数37万回の動画。
サムネには、こんな文字が躍っている。
「女性は“この歩き方”に本能的に惹かれる」
動画内の講師は、
やたら顎がシャープで、
やたら声が低く、
やたら自信満々だった。
「ポイントは3つです」
「①背筋」
「②歩幅」
「③視線」
もとしは、
うんうんとうなずきながらメモを取る。
・背筋は“糸で吊られているイメージ”
・歩幅は“気持ち大きめ”
・視線は“少し遠くを見る”
「なるほど……」
知識だけなら、
もとしはすでに“上級者”だった。
問題は──
これを本番でやるとき、体が言うことを聞くかどうか。
第2章|当日朝、鏡の前で始まる謎のトレーニング
婚活当日の朝。
スーツに着替えたもとしは、
全身鏡の前に立っていた。
父がリビングから声をかける。
「お、今日は婚活か?」
「う、うん」
母は少し微笑みながら言った。
「無理しないでね。歩き方とか、変に意識しすぎないで」
──その忠告は、
完全に聞き流された。
もとしは鏡の前で、
ゆっくりと一歩踏み出す。
(背筋…糸…糸……)
一歩。
二歩。
三歩。
「……悪くない」
自分で言って、自分でうなずく。
その姿は、
かなり真剣なのに、少しだけ滑稽だった。
弟が通りがかりに一言。
「なんか…ロボットみたい」
「うるさい!」
もとしは、
この時点で“微妙な違和感”が生まれていることに、
まだ気づいていない。
第3章|会場到着前、完璧すぎる自信が芽生える
会場最寄り駅に到着。
改札を抜けた瞬間、
もとしの中でスイッチが入る。
(ここからが本番だ)
背筋を伸ばし、
歩幅をやや大きく、
視線は斜め前方へ。
──完璧。
ガラス張りのビルに映る自分を横目で確認し、
もとしは心の中でガッツポーズを決めていた。
(いける…今日は、いける)
実際、
すれ違う人たちの視線が
ほんの一瞬、こちらに向いた気がした。
(見てる…?)
この「見てる気がする」は、
婚活あるあるの中でも
最も危険な錯覚である。
だがこのときのもとしは、
完全に“波に乗っている側”のつもりだった。
第4章|レストラン入店、空気が一瞬だけ凍る
会場のレストランに到着。
入口には、すでに数人の参加者が集まっている。
女性参加者も数名。
清潔感のあるワンピース。
控えめな笑顔。
(よし…)
もとしは、
ここが“最重要ポイント”だと理解していた。
第一印象。
最初の一歩。
最初の数秒。
──歩き方、発動。
ドアを開け、
一歩、店内へ。
床は木目調。
照明はやや暗め。
テーブルは所狭しと並んでいる。
(落ち着け…落ち着け……)
その瞬間、
なぜか足元の感覚が、
ほんの0.3秒だけズレた。
(……ん?)
もとしは、
その違和感を「気のせい」と処理した。
だが──
人生は、
その0.3秒を見逃してはくれない。
第5章|「今、何かが起きそう」という予感だけが残る
スタッフの女性が、
にこやかに声をかけてくる。
「こちらの席にどうぞ」
もとしは、
自信を保ったまま、
ゆっくりと歩き出した。
背筋。
歩幅。
視線。
完璧なはずだった。
……はずだった。
そのとき、
隣のテーブルで誰かがグラスを置く音がした。
カチャ。
その音が、
なぜかやけに大きく聞こえた。
(あれ……?)
もとしの心臓が、
一拍だけ早く打つ。
この先、
何が起きるのか。
なぜ「テーブルが揺れる」というタイトルになるのか。
なぜ“婚活珍事件”と呼ぶしかなくなるのか。
──この時点では、
まだ誰も知らない。
ただ一つ確かなのは、
「モテる歩き方」に全集中した男の物語が、
ここから“予想外の方向”へ転がり始めているということだけだった。
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