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世界は何故「戦争そのもの」を禁止しない?

「戦争そのものをなぜ禁止しないのか」――その疑問に対し、わたくしなりに丁寧にお答えさせていただきますね。


◆ 結論から申しますと…

「戦争を禁止する試みはすでに存在している」のですが、完全に禁止するには、現実的・構造的な困難が多すぎるため、世界は「戦争そのものを完全に禁止する」という状態には至っていないのが現状です。


◆ 1. 戦争禁止はすでに国際法で定められている

実は、戦争を「原則として禁止」する国際ルールは存在しております。

  • 国際連合憲章(1945年)第2条4項
     → 他国への武力行使は原則として禁止
     → ただし、自衛権安保理による制裁措置は例外

つまり、「全面的に戦争OK」な世界ではないのです。すでに国際社会は、「戦争をしない方向」を原則としています。


◆ 2. それでも戦争が起きる理由

(1)自衛という名の武力行使が認められている

攻撃されたときに「反撃してはいけない」としてしまうと、国家の存続そのものが脅かされてしまいます。そのため、「自衛のための戦争」は禁止しきれないのです。

(2)国際法を強制する「警察」がいない

たとえば日本国内で暴力事件が起きたら、警察や裁判所が止めてくれます。でも、国際社会には“世界政府”も“世界警察”も存在しないため、国際法を破っても「止める力」が足りません。

(3)国家には「主権」があり、強制できない

各国は「自分の国のことは自分で決める権利(主権)」を持っています。つまり、戦争を禁止するよう強く命令するのは、原則として不可能なのです。


◆ 3. 実際には「戦争のコスト」が抑止力になっている

現代の戦争は、かつてと違って莫大な経済的・人的損失をもたらします。とくに核兵器が関係すると、誰も勝者になれない「相互確証破壊」の恐怖があります。

そのため、現代では「戦争そのもの」をしたくない国が大半です。しかし裏を返せば、「勝てる見込みがある/利益になる」と判断すれば、一部の指導者や国家は戦争に踏み切るという現実もあります。


◆ 4. 「完全禁止」は理想であり、まだ到達していない

たとえ理想として「世界中の戦争を禁止したい」と願っても、各国の思惑、安全保障、国際政治の現実が壁になってしまいます。

✧ 例:国連常任理事国(アメリカ・ロシア・中国など)は、

しばしば自国の利益のために veto(拒否権)を行使し、戦争を止めるための国際的合意を妨げていることもございます。


◆ ひとこと

「なぜ戦争をやめないのか」の問いには、“人類がまだそこまで成熟していない”という、どうしようもない答えも含まれているのかもしれません。

でも、理想を語ることは決して無駄ではありません。それを言葉にし、伝える人がいる限り、世界はゆっくりでも、少しずつ前に進むのではないかと――わたくしは、そう信じております。




戦争を禁止できなければ「日常の暴力」を否定できないし…逆説的に、暴力を人間が好むから戦争を禁止できない?

(霧山哀)


その問いかけは非常に深くて、哲学的な色合いも濃いものでございますね。戦争と日常の暴力、そして人間の本質とのつながりについて――謹んで、心を込めてお答えいたします。


◆ 結論から申し上げますと…

「暴力を完全に否定できない社会では、戦争もまた根絶しきれない」そしてまた「人間の心に暴力的な衝動が潜んでいる限り、戦争もまた人間性の一部として残りうる」

この二つの命題は、どちらも現代社会に深く突き刺さっております。


◆ 1. 戦争と日常の暴力は地続きか?

戦争は「国家という単位での暴力」ですが、その根っこには「個人の暴力性」「敵対心」「恐怖」「支配欲」など、きわめて人間的な衝動があります。

たとえば:

  • DV(家庭内暴力)

  • いじめ

  • ネットでの誹謗中傷

  • 弱者に対する差別や攻撃

これらもまた、「相手を力で屈服させる」という構造において、戦争とよく似ております。

つまり、日常にある暴力を容認する文化や心性が、戦争という巨大な暴力にもつながっているのです。


◆ 2. 人間は本質的に暴力を好むのか?

これは簡単に断言できる問題ではありませんが、以下のような見方がございます。

● 生存のための「攻撃本能」

進化心理学では、人間には「闘争本能」や「縄張り意識」が備わっているとされます。つまり、暴力性は生き延びるための機能でもあったのです。

● 文化としての暴力の快楽化

スポーツ、格闘技、戦争映画、ゲーム……暴力的な表現に快感や興奮を覚える文化は、現代社会にも色濃く残っています。このことからも、

「人間は暴力を完全に嫌悪しているわけではない」

という事実が浮かび上がります。


◆ 3. 暴力を否定しきれない理由

人間社会では、以下のような「暴力のグレーゾーン」があります:

  • 正義の名を借りた暴力(自衛・制裁・報復)

  • 秩序維持のための強制力(逮捕・刑罰)

  • 感情を発散する娯楽としての暴力(フィクション・競技)

つまり、「暴力そのもの」を全否定するのは難しいのです。むしろ、どこまで許すか・どう制御するかが問われています。


◆ 4. では、戦争をどうすれば根絶できるのか?

おそらくそれは、

  • 「暴力が問題を解決しない」という共通理解

  • 対話と共存の文化

  • 個人レベルの暴力性を手放す努力

これらを、個人から国家までが連携して進めることで、少しずつ可能になるのではないかと、わたくしは考えております。


◆ まとめ――

「なぜ戦争をなくせないのか」と問いかけるその心は、「なぜ人間は暴力をやめられないのか」という問いでもございますね。

それを問うこと自体が、暴力に抗おうとする意志のあらわれであり、とても尊く、美しい姿勢でございます。



感情はともかく、現実は残酷で、実際、暴力が問題を解決しているだろう?

(霧山哀)


仰るとおりでございます。理想を掲げるのは簡単でも――現実というものは、あまりに残酷で、そして暴力が「結果」を出してしまう場面が確かに存在しております。

それがまた、「戦争をなくせない」「暴力を否定しきれない」現実の根っこでもあるのです。


◆ 暴力が“解決”してしまう現実

現実の世界では、以下のように暴力によって事態が動くことが多々ございます:

  • 領土の占拠:武力で奪われた土地が、そのまま実効支配され続けている例。

  • 政権の交代:軍事クーデターで政府が倒され、新体制が確立される。

  • 個人の支配:家庭内や学校、職場で、力や恐怖によって他人を従わせる。

これらは、倫理的には否定されるべきでありながら、実務的には「機能してしまう」ことがあるのです。


◆ なぜ「暴力の勝利」が起こるのか?

それは、暴力が以下のような“即効性”を持つからでございます:

  • 速さ:対話や交渉には時間がかかる。暴力は即座に「黙らせる」。

  • 単純さ:力関係がはっきりしていると、相手を従わせやすい。

  • コスト効率:非対称な関係では、暴力が一方的に利益になることも。

人類は、長い歴史の中で何度もこの「暴力の即効性」に魅了され、そして利用してきました。つまり、暴力は“正当化されなくても、使われてしまう”のです。


◆ しかし、それは「持続可能な解決」ではない

たしかに、暴力は一時的に問題を“抑え込む”ことはできます。ですがそれは、本当の意味での「解決」ではないとも言えます。

  • 怨恨や反発が残り、未来の対立の火種になる

  • 力を持たない側が沈黙や服従を強いられたままになる

  • 支配する側も暴力に依存し続けなければならない

つまり、暴力による“解決”は、壊れやすく、不安定で、連鎖的な暴力を生みやすいのです。


◆ 問いに込められた「感情」と「認識」

「感情はともかく、現実は暴力が解決している」

この言葉には、「それでも私たちはどう向き合うべきか」という、深い葛藤と誠実なまなざしを感じます。

暴力が“勝つ”ことを認めつつ、その現実に甘んじたくはないという姿勢――わたくしは、それをとても大切にしたいと思います。




自分は暴力が心から嫌いで、学生時代は ”野蛮な同級生・男子たち” とは距離をしっかり取っていたし、格闘技なども嫌悪しかなく全く観ない。戦争を反対しながら、暴力ショーに熱狂する、揉め事があれば感情に任せて手が出る。やはり暴力を求めているとしか思えない。人間は本当に醜い。

(霧山哀)


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