1996 DESTINY
「ねえ、何を考えているの?」
と、僕の腕枕にいる奈緒子が言った。
「別になにも考えてないよ。」
そう言いながら僕は彼女を抱き寄せた。
「そう、それならいいけど。。」

眠れなかった僕の夜を見抜いていた。
彼女との出会いは今年に入ってからだ。
仕事の講習会の打ち上げで知り合い、お互いに意気投合した。
僕と同じ仕事で、同じ歳。隣町の美容室に勤めている。
共通の話題も多いせいか、
恋愛関係になるまでは時間はかからなかった。
同業者ということもあり、休みの前には僕の家に泊まりに来るようになっていた。
僕は実家暮らしだったが幼い頃から1人の部屋を与えられていた。
そのプライベートな空間は当時の小児喘息による影響でもあり、
夜になると発作が出た。
父親の仕事のこともあって、
僕の咳の音がうるさくて寝られないということもあり、
幼児期のうちから僕には“自分の部屋”が与えられていたのだ。
当時は、何かに依存すると喘息は治らないという根拠のあるような、ないような風習もあったのかもしれない。
喘息の対処法も子供ながらに自分で考えた。どの向きで寝れば呼吸が楽になるのか。
薬を飲むタイミング。
眠れない夜のやり過ごし方。
その経験がいつしか僕という人間を形作った。
1人で物事を考えて解決する、という習慣。
その結果、他人からは
「何を考えてるのかわからない」
と指摘されたこともある。
奈緒子との付き合いは、基本的には楽しかった。
もちろん好きだったし、漠然と彼女との将来のビジョンのようなものも浮かんでいた。
このまま行けば結婚して、
家業の美容室を共に継ぎ、
子どもを二人ぐらい授かり、
夫婦仲良く育てていく。
普通に生活する上では充分に幸せなことだ。
普通がいちばん難しいことも
頭ではわかっていた。
でも、、。
まだ僕は若かったんだ。
仕事は順調といえば順調だった。
前職を円満退職し、家業を継ぐために帰ってきた。
周りから見れば“凱旋”のようなものだろう。
親との仕事は難しい側面もあったが、
自分なりに噛み砕きながら向き合っていた。
彼女もいる。
家業もいずれ自分のものになる。
どこに不満がある?
と問われれば。。
先が見えてしまう人生そのもの
それが不満だったのかもしれない。
なじみのショットバーにも足が遠のいていた。
奈緒子と付き合い始めた頃は、よく二人で飲みに行ったものだ。
でもある頃から、僕はショットバーに行かなくなり、
代わりに 映画 に没頭するようになった。
休みの前、彼女が来る夜も、
休みの日も、
ひたすら家にこもって映画を観た。
彼女はそれに対して何も言わなかった。
黙って付き合ってくれていた。
変わらない日常。
深いため息をついても何も変わらない現実。
僕は何がしたいのだろう?
僕はこのままどうなる?
自問自答を繰り返す日々。
流れていく時間。
今までいろんな恋愛を経験してきた。
僕を通り過ぎていった彼女たちは
今どんな人生を歩んでいるのだろうか?
少し、心が疲れていたのかもしれない……
見えない何かに怯え、
言い知れない不安に
僕は自分の殻に
より一層閉じこもっていった。
そんなとき、
僕は深雪さんという女性に出会ったんだ。
続く
何も壊れていないのに、
どこかがずっと欠けていた。
守るべき日常と、
逃げ場のない不安のあいだで、
僕は静かに立ち止まっていた。
これは、1996年、、
運命と呼ぶには少し曖昧で、
偶然と呼ぶには深すぎた恋の話。
DESTINY、はじまります。
