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ぐひんの山 第一章 タイムカプセル ①

 細長い山間に民家が散らばるように点在している饗庭あいば村を、峠の木々の隙間から望む。

 陽菜は久しぶりに帰ってきた村を懐かしく思いながら、空色の軽自動車を運転している。植林された杉が残暑の日差しをほどよく遮っている。開け放たれた車窓から吹き抜けていく風が木陰に冷やされて涼しく感じられた。山独特の湿った土と立ち並ぶ木々の匂いが車内に舞い込んでくる。車窓から聞こえてくるツクツクボウシの鳴き声が鼓膜を震わせるほどうるさい。そのおかげか、陽菜は眠気に負けず起きていられる。

 昨晩遅く、幼馴染みの直也から連絡を受けて、今朝早く家を出た。都心にある実家から饗庭村の家まで数時間、運転し続けてようやく昼過ぎに饗庭村に到着したのだ。

 山道を下っていくと、最初の民家が見えてきた。打ち水された村唯一の狭い県道に陽炎が立っている。一番近い町への行き来にはこの県道を使うしかない。しかも、何年か前に起こった土砂災害で道が崩れてからまだ復旧していない。

 民家と民家の間には田畑が広がり、村民は田畑の収穫物で自給自足の生活をしている。観光客を呼ぶための名物になりそうな農産物や風光明媚な場所もない。

 世帯数は十五世帯ほどで、人口の半数が六十五歳以上。二十代三十代の若者は皆、村外へ出て、めったなことでは戻ってこないため、年々村の人口は減っていき、五十代の村民が若手と呼ばれるほどだ。饗庭村は、いわゆる限界集落なのだ。 

 陽菜は饗庭村にある実家の駐車場に車を停めて降り立った。実家の庭から平良須へらすを見上げると、大きな鉄塔が見える。村の景観を壊すほど大きな鉄塔だった。しかし、この鉄塔のおかげで村はずいぶん助かっているはずなのだ。

 陽菜は玄関に上がると、締め切られたふすまや掃き出し窓を開け放った。淀んだ空気が這うようにして家屋から流れ出る。縁側に立ち、広い庭を眺めたあと、生け垣越しに遠くを見る。高台にある実家は村全体を見渡すことができた。

 陽菜は自分の部屋に行き、喪服に着替える。玄関で黒いパンプスを履いて、一旦大きく息を吸って吐いた。気丈に振るわねば泣いてしまいそうだ。

 実家の裏の平良須山がちょうど昼過ぎの日差しを遮っているため、坂道を下った先の民家まで陰っている。日傘を差し、家の前を通る砂利を固めた坂道を下っていく。

 残暑のきつい昼間に農道を歩く村民はいない。皆、家に引っ込んでいるか、急死した聡の家へ葬儀の手伝いをしに出掛けているのだろう。

 しばらく歩くと、鯨幕で覆われた古民家を取り巻く人集りが見えてきた。

 テレビカメラなどを手にし、少しの話し声も逃すまいと、マイクを古民家に向けている記者らが、閉じられた門扉の前で家人が出てくるのを待っていた。

 蟻が砂糖の山に群がっているような人集りを、陽菜は遠巻きに眺めてため息をつく。

 覚悟はしていた。なにせ、聡は売れっ子タレントなのだ。マスメディアが放っておく訳がない。追悼よりもスキャンダラスな記事を書いて報道するために、哀しみに暮れる故人の家族が家から出てくるのを飢えたけだもののように待ち伏せている。

 その人集りを押し分け、向けられるマイクを無視して、陽菜は門扉の中に入った。背後からリポーターの無神経な声が聞こえてくる。それを無視して閉ざされた玄関の引き戸を開けると、陽菜は玄関先でせわしなく弔問客の相手をしている村民に挨拶した。

「お久しぶりです。桐野です」

 声をかけられたおばさんが動きを止めて陽菜を振り向いた。一瞬目が見開かれる。が、すぐにとってつけたような笑顔を浮かべる。

「あらあら、珍しいお客さんじゃない。こっちにはもう来ないと思ってたわよ。それなのにわざわざ葬式には来るのねぇ」

 陽菜は嫌味を聞いてなかったように訊ねる。

「高倉のおじさんは?」

「高倉さんはお座敷にいるわよ」

 礼を言って靴を脱いで仏間に向かおうとしたとき、後ろから声をかけられた。

「お父さんと一緒じゃないの?」

 陽菜は振り向いて、おばさんが暗に込めた言葉を胸に感じつつ、答える。

「父は仕事があるので……」

「そうなのぉ? たまにこっちに来ても挨拶もないから、忙しいのかしらねぇ。それで今日は陽菜ちゃんだけ来たの。じゃあ、高倉のおじいちゃんがお寺さんのとこに行ってて運が良かったわねぇ」

「それじゃあ、挨拶してきます」

 陽菜はおばさんの言葉から逃げるように頭を下げて座敷の間に向かった。

 村民の女性達がせわしなく行き来する中、昔遊びに来たときと変わりない、年季の入った黒ずむ板張りの廊下を通り、仏間のふすまを静かに開けた。

 仏壇の前に布団が敷かれて、聡が眠るように横たわっている。その枕元に聡の父親が正座して息子を見つめていた。他に人はおらず、締め切った隣の部屋で複数の話し声が聞こえてくる。隣の部屋で食べ物が振る舞われているのだろう。

 ふすまが開いた気配を感じ取った高倉がふと顔を上げて、陽菜に目を向けた。

「陽菜ちゃんか。こっちにぃ。じいちゃんはお寺さんを迎えに行っちょるけ、遠慮せんでもええよ」

 促されるまま、高倉の側に座る。

「あの……、このたびはご愁傷様です……」

 あまり実感のない声音で陽菜は頭を下げた。

「……うん」

 陽菜の言葉に高倉は頷いた。

 顔を上げて、改めて聡を見つめる。肌が土気色で、まるで粘土で作った仮面のようだった。弛緩した表情にはテレビで活躍する売れっ子タレントの面影はない。変わり果てた聡を見つめている内に、昔遊んだ記憶や二年前、十年ぶりに再会したときの懐かしさが脳裏で渦を巻いた。

 山に埋めたタイムカプセルを掘り出すために、二年前集ったのが実際に会った最後だった。結局、タイムカプセルは見つからず、気味の悪い古い甕を掘り当てただけだった。

 目の当たりにしても聡が死んだなんて信じられない。まだ、二十三歳ではないか、死んでしまうような年じゃない、と陽菜は強く思った。死を否定すればするほど、目の前の聡が本物ではないと思ってしまう。何かの間違いじゃないのか、一週間前にSNSのグループチャットで話したではないか。

 無言で聡を凝視している陽菜に、

「聡の手ば握っちゃらんか」

 高倉はおもむろに掛布団の端をめくった。

 白の経帷子を着た聡の周りにいくつもドライアイスの入った袋が置かれていて、陽菜は一瞬体を硬くする。

 高倉が陽菜の手を取って、胸の上で指を組んだ聡の手に重ねる。その手の硬さに陽菜は息を飲んだ。氷のように冷たい手を握りしめ、彼の名前を呼んだ。

「聡くん……」

 視線を手から顔に向ける。掛布団がめくられて聡の顔がよく見えた。首元に赤い筋が走っている。他に傷はなさそうなのに、何故首にだけ赤々とした線があるのだろう。

「おじさん……」

 これはなんだと聞こうとしたとき、聡の掛布団が元に戻された。

「聡はな、テレビの収録中に倒れたんやと。医者は心不全やっち言っちょった」

 高倉が声を震わせ、吐き出すように説明して俯いた。

 では、この首の赤い線は首をくくったときにできる痕ではないのか。

 頭の中で見てもいない聡の死の情景が浮かぶ。番組の賑やかしいセットに囲まれた聡が、場を盛り上げる言葉を発する。セットに座るタレント達が声を上げて大笑いしている。そんなときに突然聡がもがいて床に倒れる。首に手を当てて床でのたうちまわっている聡を、その場にいる全員が呆然と見ているしかない。それをテレビ越しに見ている陽菜も驚いている。画面が暗転すると、しばらくして高倉聡は死にましたというテロップが流れる。

 ようやく陽菜の目に涙が浮かんだ。

 昔から聡はひょうきんで、四人のムードメーカーだった。もはや聡のふざける姿や笑わせようと冗談を言う姿も見られないのだ。一気に死の実感が身近に迫ってきた。喪失感が心臓から全身に広がっていく。まるで水に溺れるように息苦しい。気付けば嗚咽をあげて陽菜は静かに泣いていた。どんなに強く聡の手を握りしめていても、応えてくるのはマネキンのように固くて冷たい感触だけだった。

 聡くん、こんな冗談、誰も笑えないよ……、と陽菜は泣きながら聡の顔を眺めた。

 どのくらい、そうしていただろう。廊下から、聞き覚えのある声がした。ふすまが開き、喪服を着た男女が入ってきた。

「陽菜」

 若い女が陽菜に声を掛けた。先ほどまで泣いていたのか、目元の化粧が取れて、マスカラがにじんでいる。男女は揃って聡の足下に正座した。

「真弓ちゃん、直也くん」

 幼馴染みの真弓と直也が陽菜に目をやり、無言で頷いた。

「おじさん、このたびはご愁傷様です」と、真弓と直也が順に高倉に頭を下げた。

「二人とも遠いとこからすまんな」

 その言葉に感極まったのか真弓の唇が歪む。ヒッと息を飲み、その目からボロボロと涙がこぼれ落ちた。

「聡が死んじゃうなんて、信じられない」

 聡の前でひとしきり真弓と二人で泣いていると、ふすまが開いて手伝いに来ている村民が「高倉さん、お寺さんが参られたよ」と告げた。

 それを聞いて三人はようやく顔を上げ、隣の和室に移った。

 仏間と隣の和室のふすまが外されて、一続きの広間になる。お茶や食べ物が下げられて、皆が神妙な顔つきで正座して数珠を手に絡めたり、手を合わせて念仏を唱えたりしはじめた。

 陽菜達は並んで座り、住職が仏壇の前に来るのを待った。

 陽菜は数珠を握りしめて、俯いた。数珠玉を指で数える。読経が始まり、住職に合わせて弔問客からも読経の声が聞こえてくる。陽菜はじっとして、読経に耳を澄ませる。そうしながら、十二年前にみんなでタイムカプセルを埋めたときのことを思い出していた。


 十二年前のあの日——。

 陽菜が九歳になった春に、父親の仕事の都合で都心部に引っ越すことになったと告げられた。

「嫌だ。お引っ越ししたら、みんなに会えなくなるから、嫌だ!」

 陽菜は父親の話を聞くまいと首を振った。陽菜にとって、幼馴染み達の存在はとても大切なものなのだ。楽しいことや悲しいこと、悩みや素敵なもの面白いもの全てを分かち合う友達。そんな存在を、いきなり手放せと言われて、簡単にうんとは言えない。

「お父さんの意地悪!」

 大きな声をあげて、陽菜は自分の部屋に駆け込んだ。

 この二年で立て続けに大好きだった祖父と祖母を亡くして、今度は幼馴染みまで失うのかと思うと、陽菜には耐えられなかった。

#ホラー小説部門 #創作大賞2025

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