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忌み地 第四章 結花子 ④

 年配の作業員も鼻を押さえて、眉を寄せた。床下に降りて湿った黒い土を掘り返していくと、むせ返るような臭いが周囲に広がった。

「ヘドロみたいな臭いだな」

 年配の作業員が独りごちた。さらに土を掘っていくと、そこに腐食した木板が出てきた。

「これ、基礎ですかね」

 若い作業員が年配の作業員に訊ねた。少しずつ掘り起こしてきてわかったのは、その木板が円形の平たいものだということだった。臭いはさらに強くなる。そこまで掘ってみて年配の作業員が嫌なものを見たとでも言いたそうに結花子を見上げた。

「奥さん、これ、井戸だと思うんですけど、どうも中にガスが溜まってるみたいなんですよ。これ、うちではすぐに作業できないんで、一度保健所に連絡してもいいですかね」

 井戸に何らかのガスが溜まるものなのかどうかわからなかったが、悪臭がするのは確かだ。

「保健所でいいんですか?」

「一応、ガスが発生したら区の保健所に連絡する決まりになってるんですよ。それに今ここを開けたら私ら中毒起こすかもしれませんよ」

 それは困ると、結花子は夫を振り返った。夫は薄笑いを浮かべて、床下を覗き込んでいる。

「井野さん、保健所に連絡していいですかね」

 年配の作業員が念を押した。夫は笑顔で承諾する。

 ずぶ濡れの女が、血を吐きながら、仏間の下を指さしていた。夢のことを思い出した結花子はうなじの毛が逆立つ思いがした。あの夢の女は井戸のことを自分に教えていたのだ。しかし、井戸の存在がいいものなのか、悪いものなのかまではわからない。

「でもなんでガスなんか」

「ここら辺がもともと湿原だったのが原因かもしれないですね。沼やら田んぼなんかでガスが発生することがあるそうですから」

「湿原だとガスが出るんですか」

「出ますよ。特にこういう井戸に蓋をして埋めてしまうと、バイオガスが発生しやすいんですよ」

 そうなのか、と結花子は元に戻されていく床板を眺める。畳を嵌めて元の仏間に戻ると、陰湿な空気感を改めて感じさせられた。

「早く処理できないんですか?」

「処理したいんですけど、法律で決められてますからねぇ。保健所次第ですね」

 保健所へは工務店から連絡しておくと言って、作業員たちは帰って行った。

 数日後、保健所から連絡あり、井戸の中を調査したいと申し出られた。調査が終わらなければ、井戸はそのまま残り、家の湿気とカビもなくならない。一も二もなく、「お願いします」と返事をした。

 翌日になって、見慣れない機械を持った職員が二名ほどやってきた。ガスマスクをして仏間の床下に入った職員に、危ないからしばらく離れていてください、と言われた。検査結果、ガスの正体はバイオガスではないかということだった。バイオガスの原因になっているものが井戸の底にあるかもしれないので、さらってから埋め立ててくれということになった。

 工務店では出来ない作業なので、どんどん大がかりなことになっていくのを結花子は手をこまねいて見守った。結局、専門業者に依頼して井戸さらいをおこなうことになった。

「井戸の底で何かが腐って、それが原因でガスが発生している可能性があります」

 作業員が、なぜガスが発生したのか説明してくれた。その何かはわからないが、大量の動物の死体が底にあるのかもしれない、と言うことだった。腐敗した死体が泥のようになり、嫌気性の菌によってバイオガスが発生するらしい。

 このまま家にいたら結花子たちが危険だからと言うことで、駅近くのウィークリーマンションで数日過ごすことになった。工事が始まるときに夫の代わりに谷地の家に行き、マスクを貸してもらって工事の様子を見守る。そのうち、機械で井戸底に溜まった泥をさらっていた作業員が、「ありゃ」と大きな声を上げた。どうした、と他の作業員が集まって、さらった泥を覗き込んだ。結花子には何が起こったのかわからず、オロオロと彼らの背中を見つめるしかなかった。

「奥さん、ちょっと面倒なことになりました」

「どういうことですか?」

 結花子は胸騒ぎがしながら、作業員のほうに歩み寄った。

「これ」

 作業員が泥を掴んで手のひらで何かを探り当てて見せてくれる。白い石のようなかけらだった。

「おい、また見つかった」

 泥をさらっている作業員が手に何か持っている。黒い泥まみれになった小さな頭蓋骨だった。それがさらうごとにぞくぞくと掘り当てられて山のように積み上げられた。

「子供の骨だな」

 結花子は骨を見て気が遠くなってよろめいた。あの夢は単なる悪夢ではなかった。なんらかの意味があって、夢となって現れたのだ。唇がわなわなと震えてしまう。どうしたらいいのかわからなくて結花子は突っ立っていた。

「奥さん、どうします? 警察呼ぶことになりますけど」

 何度か呼ばれてようやく我に返り、作業員の言葉が耳に入った。

「警察……。殺人事件だからですか?」

 すると、作業員が苦笑いを浮かべる。

「いやぁ、こういうふうに作業中に骨が出たら、一応警察を呼ぶことになってるんですよ。調査してもらって事件性がないとなったら、また工事を再開できます」

「警察に……」

 夫が了解するかわからなかったので、スマホで夫に電話をして、意見を聞くことにした。電話に出た夫は床下を調べたいと言ったときと同じように、特に反対もせず、警察に調べてもらったらいい、と賛成してくれた。夫が執着しているのは人形であって、井戸ではないのだろう。結花子は作業員に警察への手続きをお願いした。警察は連絡を受けると午後すぐにやってきて、出てきた骨を全部持っていってしまった。

「警察から事件性がないと言われるまでは作業は休止しないといけないんで、警察からの返答があり次第、また工事再開するか決めましょう」

「あの……、もし事件性があったらどうなるんですか?」

「多分ですけど、現場検証やら取り調べとかいろいろやると思いますよ」

 事件性、と結花子は独りごちる。もしもこれらの白骨が近年のものならば、あの悪夢は現実のものだったことになる。それならば、夢の女は結花子に助けを求めていたのではないのか。廊下を駆け回る子供の足音や宅配業者の見た子供も、井戸の存在をアピールしていたのか。早く骨を見つけてほしかったのだろうか。それらは夫の奇行と関係あるのか、と結花子は逡巡した。

 結花子が黙ってしまったのを見て勘違いした作業員が笑った。

「いや、奥さんが事件に関わっているとは思われないんじゃないですか?」

「そうですか……」

 もし、義父母がこれに関わっているとしたら、ここに住み続けることなど到底出来そうにない。谷地の家には代々井野の本家が住んでいた場所だ。どちらにしても、赤の他人が犯人とは考えづらいだけに、ぞっと怖気が走る。

 警察は帰る際、井戸にブルーシートをかぶせていった。殺伐とした現場を見て、結花子は空中に漂う仏間の悪臭が、実は赤ん坊の遺体が井戸の底で腐ったのが原因だとわかって、吐き気に襲われて嘔吐いた。こんなものが今まで生活していた家に存在していたのだ。仏間にいることすら我慢できなくなり、工務店の作業員が帰ると、急いでホテルに戻った。

 マンションに帰ってきた夫に今日のことを話して聞かせた。しつこく、このまま家に帰りたくないとも訴えてみる。

「何言ってるんだ。早く検証が終わったらいいな、人形たちも待ってるだろうし」

「人形が待ってるわけないじゃない。赤ちゃんがたくさん殺された場所なんだよ」

「でも俺たちが殺したわけじゃないんだ。ちゃんと供養してやればいいじゃないか」

「寿晶さんは帰って。わたしはここにいる」

「わがまま言うなよ。我が家じゃないか」

「売るつもりだったじゃない! 気味が悪いから住みたくなかったんじゃないの」

 思わず口をついて出て、結花子は慌てて黙った。夫は全く気にしてない様子で薄く笑う。

「そのうち、結花子もあの家が好きになるさ」

 夫が信じられない言葉を発して、結花子は絶望感に襲われる。夫にはわからないのか、骨がうずたかく積み重ねられた現場を見ていたら、好きになれるなんて言えないのではないか。悪夢を見ていないから、あの仏間の怪異に夫は気付かないのかもしれない。それにもう自分たち夫婦は信頼関係を保てない。亜美と浮気をしていたことを心の底では許せてなかったのに気付く。結局、結花子は夫にわかってもらおうとする努力をやめた。

 一週間経ち、警察から事件性なしという報告が電話にあった。骨は少なくとも百年以上は経っていると言う内容だった。

「明治時代くらいの骨が一番新しくて、他はもっと古いので。全部で四十体ほどでした。損傷の酷いものもあったので正確な数はわからなかったですが」

「四十体……、それで古いって、どのくらいなんですか?」

「放射性炭素年代測定をしたんですけどね、四百年前の骨もありましたよ。まぁ、これで井戸の工事を進めていいですから」

 結花子は、龍雲寺で見せてもらった過去帳と家系図を思い出す。初代当主は安土桃山時代後期か江戸時代初期の人物だと聞いた。もしも、最初から代々の当主の手によって赤ん坊を井戸に放り込んで殺していたとしたら、過去帳に記載されていた第一子が亡くなっていたという意味も納得できる。自分が見た女も過去帳に記載された死んだ正妻だとしたら、と結花子は考えた。当主のしてきた残虐な行為に背筋が寒くなる。

「井野さん?」

 警察官に呼ばれて、結花子は我に返った。

「ありがとうございます」

 結花子は電話を切り、すぐに工務店に電話した。工務店と井戸さらいをしてくれた業者とで、井戸を埋めてしまおうということになった。

 結花子は壱央にもこのことを知らせようと、久しぶりに電話してみたが、いくらかけてもコール音が鳴るばかりで、出てくれなかった。壱央が床下を調べろと言ってくれなかったら、井戸は見つからなかったし、怪異の根源を知ることが出来なかった。井戸から四十体ほどの赤ん坊の骨が見つかったと知ったら、壱央はなんと言うだろう。それが知りたくて電話をするのに、結局繋がらず、結花子は壱央に電話するのをやめた。


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