ぐひんの山 第六章 かんすさび ②
研究室のパソコンを前にして、一文字も打ち込めず、陽菜は唸っていた。
卒論と院の論文のために民話や民間伝承について調べている。特に自分の村について調べることが多いが、なかなか聞き取りが出来ずにいた。桐野家が村八分にされていたのもあり、いまだに排他的な態度を取る村民達で、論文は難航している。
背後から白が声を掛けてきた。
「また行き詰まってるの?」
「行き詰まるというか、これ以上どうしようもないというか……」
「アプローチする角度を変えるしかないんじゃない?」
陽菜の横の机にドサリと書類の束を置き、椅子に白が座った。
「わかっていることから調べるしかない。それと、『かんすさび』についても同じだ。どちらも類を見ないものだから、慎重に調べていかないとね」
お茶を入れようと、白が立ち上がった。
「あ、でも似てるかなと思う風習が東北にあるんです。おしら様って言うんですけど、これが少しですけどかんすさびに似てるんです」
お茶を急須ごと持って来て、白が空になった湯飲みに注いでいく。
「おしら様かぁ」
陽菜は自分が調べたことを説明する。
「おしら様は桑の木を使って作られた人形を指すんです。そのおしら様を一度祀った家は代々おしら様を祀り続けなければ祟られてしまうんです」
「そうだね」
「で、正月の十六日におしら遊びといって、きれいな布を着せる『オセンダク』をおこなって、一年間の吉凶を占うとされてます。カミサマと呼ばれる霊媒師におしら様を背負わせておしら遊びさせるんです。かんすさびとは、かみすさび、かみあそびが訛って伝えられた言葉だと思うんです。……で、問題はここまでしかわからないんですよねぇ」
「もっと細かいところを調べてみたらどうかな? 例えば、饗庭村で『かんすさび』をさせてるのは桐野君の家だけなのか、村の各戸でおこなわれているのか、とか。桐野君の家系だけなら、親戚の家にヒントがあるかもしれないよ」
陽菜は自分の親戚の家だと言われている廃屋の家々を幼い頃に見ていた。半ば夜逃げのように出てしまったり、血筋自体が途絶えたり、饗庭村に残っているのは陽菜の家だけになった。明治時代までは裕福で村長を務めたりしたこともあったようだ。桐野家は傍系だったが、本家や他の血筋が途絶えたため、親戚の家一帯の土地と山を曾祖父が受け継いだ。受け継げば、かなりの財産を国に税として徴収されてしまうが、曾祖父は一族の土地と山を手放さなかった。父親はそんなふうに自分の一族と先祖のことを語ってくれた。
「一度、子供の頃、廃屋に肝試しに行ったんです。大きな屋敷に蔵が一棟あって、蔦やら木が家の中を浸食していて、危ないから入られなかったんですけどね」
それに、と陽菜は続ける。
「かんすさびに関しては父も知りませんでした。記憶を辿るんですがどうしても詳細を思い出せなくて。わたしの親戚もおこなってたんですかね……? でも、気づけたこともあるんですよ。蔵の中のひな壇に木箱が置いてあって、その背後に祠があった場所が見えるんです。以前、先輩が教えてくれた、奥宮と本殿の関係性に似てるなって。木箱は祠を結ぶ装置で、その点と点を結んだ線がバイパスの役目を担ってたんじゃないか、祠に祀っている神を木箱に降ろしてたんじゃないか……」
陽菜は興奮してまくし立てた。
白は思案げな顔つきでぼそりと呟いた。
「あくまで仮説だからなぁ……。祠に祀る神と木箱の中身、もしくは木箱そのものが気になるね」
「わたしが持ち帰った甕も、いまだに謎なんですよね……。以前、先輩が言ってたみたいに蛇神を祀っていたのか、それとも別の何かを祀っていたのか……」
「なら、余計に神を降ろす装置なのか、もしくは蠱毒に使われたものなのか、見極める必要はあるかも」
「蠱毒……。呪いですか?」
「うん。虫を使った呪術だね。ニホンオオカミの頭蓋骨が入っていたことを考えたら、単純に厭魅(えんみ)が使われたと思うかもしれない」
「呪いであれば蠱毒のほうがしっくりきます。甕を開けたとき、百足が大量に出てきましたし……。もしも、甕が動物を使った厭魅なら木箱はなんなんでしょう? 二つをワンセットとして考えたら、呪いよりも神降ろしの方がしっくりくるかもしれないです。土着の神や蛇神の中には、生け贄を求める存在もいたと先輩も言ってたでしょう?」
「平良須山にはぐひん様という存在がいるんだよね?」
「やっぱりぐひん様は神なんですかねぇ……。村のみんな、誰も敬ってないですよ。化け物だと思われている節があります。山に入ったらぐひん様に喰われるっておばあちゃんも言っていたし」
「神を人間の都合で見れば、福を授けるだけの存在になるよね。でも、神には二面性があると思う。善と悪の二面性を人間側が儀式を通じて自分の都合のいいようにねじ曲げることもある。作り替えられた神はもう神じゃない。装置だ。でも装置にすら出来ない神もいる。土着の古い神は悪の性質が強いために人間はその悪性を抑える方法として、人身御供や人柱を立てる。そうやって悪性の神をなだめて、なんとか悪性が転じた善性の神になってもらう。こういった神は祀ることをやめたり忘れたりすれば、封じていた悪性が解かれて、人々に災いをなす。本来神とはそう言うものだとする考え方もある。人間がコントロールできるものではない、ってね」
ぐひんに関して、自分の勉強不足を恥じ、陽菜は肩を落とした。
「また近くの町立図書館に行ってきます。あと、郷土史家にも連絡を取ります。お寺にも何か手がかりがないか聞いてみます……」
「うん、そうしたら新しい切り口が見つかるかもしれないね」
白が湯飲みを口に運び、やや冷めたお茶を飲み、大袈裟に息を吐いた。
「和菓子があるといいなぁ」
「休憩しますか?」
「そうだねぇ……」
陽菜は自分で調べてわかったことを白に聞いてもらった。
「それと、甕の中にあった血と骨。持って帰ろうとしたときは骨がなくなっていたので調べようがないんですけど、犬みたいな頭蓋骨があったんです。教授が民俗学博物館に調べてもらった成分分析の結果ではニホンオオカミとヒトの血だったじゃないですか。それでずっと頭蓋骨が該当するものを調べてたんですけど、ニホンオオカミの頭蓋骨って、秩父辺りでは魔除けとして屋根裏に祀ってあったそうです。ほら、御坂オオカミが見つかったりしたじゃないですか」
「あの甕にはオオカミの骨と猿の胴体の骨が入ってたんだろ?」
陽菜が興奮して言う。
「猿の頭蓋骨にも信仰や信じられていることがあって、厩猿信仰ってご存じですよね? 厩に猿の頭蓋骨を祀って馬の守り神にしたって言う信仰。でも甕に入ってたのはニホンオオカミの頭蓋骨であって猿の頭蓋骨も一緒に入っていたわけじゃないってことなんです。犬の頭を切る呪いも、蠱毒の呪いしか思いつかなくて……。それに、甕を見つけた日にみんなが夢で見たいぬあたまの化け物のこととか」
ふーん、と白が腕を組んだ。
「共通の体験を通して彼らと共有した幻想なんじゃないかなぁ。たまたまという事柄を必然に結びつけて答えを出すのは危険じゃない?」
「確かにそうなんですけど……」
「ただね、ぐひんと犬の頭と山って聞いて、思い当たることがあるんだ」
陽菜がきょとんとした顔つきで白を見た。
「ちょっと待っててね」
そう言って白が資料室に入っていき、まもなくして分厚い本を持って出てきた。
「ここ見て」
パラパラと分厚い本のページをめくり、白が指さした。
そこには、水干と烏帽子を身につけた犬が描かれていた。
「これは……?」
「ぐひん、だよ。桐野君が言うぐひん様って、これだと思う」
「ぐひんとは狗賓って書いて、天狗の一種なんだ。平良須山でぐひん様に喰われるという伝承は、おそらく、天狗の伝承に見られる天狗の神隠しと同じものじゃないかな」
「狗賓って言う天狗がいるんですか。じゃあ、山岳信仰も絡んでくるんじゃないですか?」
今まで開いていたページを、白が閉じる。
「狗賓の頭はニホンオオカミだとする説もある。天狗の中では最下層の天狗という位置づけなんだけど、地方によっては天狗の中でも位の高い存在として祀られている。山岳信仰だけでなく、山で暮らす人々にとって、狗賓の存在は信仰の対象だったと言える。例えば、天狗のいる山では、枯れ木以外何一つ持ち帰ってはならないというジンクスもあるくらいなんだ」
そこまで聞いて陽菜はハッとする。
「平良須山みたいですね。ぐひんといい、入ってはいけないって言い伝えとか、元々禁足地としての側面があって信仰の対象だったんですね。そうなるとなおさら、親族の廃屋に入って、調べないと……」
「フィールドワークなしでは民俗学は語れないからね。ひたすら村で信頼を得たうえでの聞き込みだよ」
饗庭村の村民が陽菜に心を開いてくれないのはわかっているので、それは黙っておいた。ただ、一つ希望があるとすれば、饗庭村のことが記載してある郷土資料を持っている研究家に、なんとかして見せてもらうことだった。貴重なものだから貸し出しは出来ないと言われ、見せるのも忌避しているので、取材が難航していた。白から時間が経てば解決するので気長に待てと言われただけに、出来れば早く知りたいという気持ちが焦りとなって、陽菜を掻き立てる。
スマートフォンを何げに取り出して画面を見てみると、何度も真弓からメッセージが来ていた。
どうしたのかと思って内容を確認すると、『いぬあたまがいる』とだけ綴った短いメッセージが数え切れないほど届いている。メッセージの通知音があまりにもうるさくて、陽菜は通知音を切っていたのだ。慌ててメッセージを返したが、メッセージに既読も付かず、連絡も取れないまま、一週間が経ってしまった。
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