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ぐひんの山 第九章 ぐひん様 ①

「田舎の家と蔵と山を売却するから、ダメだ」

 饗庭村の家に行きたいと食事時に陽菜が父親に頼んだら、意外な言葉が返ってきた。陽菜は思わず言い返そうとしたが、ハッとして押し黙った。

 父親の会社が経営不振で金に困っていると小耳に挟んでいた。先日の夜にも、陽菜が『就活したほうがいい?』と母親に言ってみたら、『陽菜が本当に民俗学に進みたいなら、大学院に行ったほうがいいよ』と応援してくれたが、父親からは『就職しろ』と反対された。おそらく院に行かせるだけの費用がなく、困っているのだろう。『学費は奨学金をもらうよ。奨学金をもらうためにも論文をちゃんと制作しないといけないんだ』そうすると、父親が苦虫を噛み潰したような顔をしたのを覚えている。

「売っちゃうの?」

 頑なに手放すのを拒否していた父親の言葉に、陽菜と母親が驚いた。

「そんなこと一度も聞いてない」

 母親が父親を睨みつける。

「あそこを売ったら、弥生が戻って来たときに困るかも知れないでしょ。そういうの考えたことある?」

「ああ、ああ。だから掃除しに田舎に帰ってるだろ。もう二年経ったんだから、いい加減忘れろよ」

 父親が母親に言い放った。その会話があまりにも殺伐としてきたので、陽菜は会話をそらすつもりもあって、話しかける。

「お父さん、いつも一人であの広い実家を片付けるのが大変だったんじゃない?」

 すると母親が急に立ち上がって、何も言わずに席を離れ、食器を洗いに流しに立った。

「おまえには関係ない」

 それでも新聞から目を離さない父親の言葉に怯まず、なおも食い下がった。父親が前から実家を管理するためにしょっちゅう実家に帰っていることを知っていたからなのだが、それに便乗しようと思っていた。

「卒論を書くのに、蔵にある木箱を調べたいの。掃除を手伝うから、一度でいいから付いていっていい? 取り壊す前に蔵にあるかも知れない文献とかを見てみたいし」

「蔵か。蔵の整理に付き合うならいいぞ。中身を俺も検分したい」

 蔵を一度も開けたことがなかったのか、父親が仕方なさそうに承諾してくれた。

 陽菜はすんなりと承諾をもらえて浮き足立つ。

「だけど、俺と一緒に行くなら許す」

「いつ頃行くの?」

「十二月末に会社が休みに入るからそのときかな」

 今はまだクリスマスを過ぎたばかりだ。あと数日足らずで父親の正月休みが始まる。急いで装置を生き返らせる準備をしないといけない。

「わかった」

 陽菜が返事するのを見た母親が、

「わたしも行く。いいわよね?」

 当然のように言い放った。


 日が昇る前に、父親が最初に出発した。陽菜は母親を自分の車に同乗させ、甕をトランクに詰め込むと饗庭村へ向かった。

 県道も途中から峠に入ると、狭く細くなり、離合するのも難しくなる。この辺りの山は雪で立ち往生することも少なからずあるので、スタッドレスタイヤは必需品だ。案の定、今夜も雪が降り積もったようで父親の車以外に轍の跡がない。暗い森の中、ラジオを聞きながらライトだけを頼りにゆっくりと車を進める。往く道に牝鹿が立ち塞がることもあった。隧道の入り口に大きな氷柱が垂れていた。ようやく峠を抜けて、二車線に戻り、木陰がまばらになると、朝の太陽の光が車窓に差し込んできた。

 それまで黙っていた母親が口を開いた。

「お父さんは、弥生がもう死んだと思ってる。でもお母さんはどこかで弥生が生きてると思うの。陽菜はどう思う?」

 陽菜も弥生はもう死んでいると思っていたが、母親を突き放すことが出来ない。

「だれかが保護してるかも知れないね……。だって、弥生の体が見つかってないから……」

「そうよね……」

 陽菜は弥生が生きているなどあり得ないと確信している。饗庭村は狭く、情報をどんな小さなことでも共有している。村のだれかが弥生を保護すれば、すぐに村中の知るところになる。

 陽菜は村に着いたら、村八分であることを承知の上で勇気を出して檀那寺に行き、へえらず山にまつわる昔話や伝承を記載してある郷土資料を見せてもらい、以前からずっと頼み込んでいる郷土史家にも連絡するつもりだったので、冬休みいっぱいは饗庭村にいようと思っていた。父親は帰れというかも知れないが、無視するつもりだ。

 母親は年明けまでは一緒にいるようだ。何日か滞在して、町で弥生の捜索援助を求めるビラを配るつもりなのはわかっている。この二年、母親はずっと取り憑かれたように弥生を探し続けている。

 目を離した父親が悪いと母親は思い込んで、ずっと父親を責めている。それを陽菜は止めることが出来なかった。厳密に言ったら、陽菜も弥生がいなくなったことに関わっているのだ。それがたとえ自分で勝手にそう思っていることだとしても、後ろめたい気にさせるには充分だった。

 饗庭村に着いたのは昼を少し過ぎた頃だった。

 実家の駐車場に父親の車が停めてある。除雪ショベルで陽菜たちのために道と駐車場所を作ってくれていた。陽菜の車がやってくるのを、気難しい顔つきで見守っている。

 陽菜は窓を開けて、父親に声を掛ける。

「ゴメン、雪道に慣れてなくて遅くなっちゃった」

「いいさ」

 陽菜は車を降りると、トランクを開け、蓋を嵌めた甕を抱えて取り出した。

「なんだ、それ」

 父親の問いに、陽菜は歩きながら答える。

「論文の研究素材。これと饗庭村のことを調べてるの。これ仏間に置いてていい?」

「いいよ」

 父親はふすまを外すために左の廊下へ曲がっていった。陽菜はそのまま奥にある右手の仏間へ向かう。仏間のど真ん中に、ドスンと甕を置いた。縁側は仏間の左手、客間を挟んだ場所にある。陽菜は左手のふすまを開けると、大きな声で父親に声を掛けた。

「ねぇ、お父さん! それと、先に用事あるからそっちを済ませてもいい?」

 ふすまを外しながら、父親が答える。

「早く戻ってくれよ。町に行くのか?」

「多分、町に行くと思う」

「じゃあ、飲み物と食べ物なんでもいいから買っといてくれ」

「わかった」

 陽菜は村の菩提寺へ車で向かった。

 

 寺は村にはなく、町寄りの場所にぽつんとあった。大きな納骨堂がとても目立つ。寺の裏はうっそうと木々が茂り、何十基と墓石が並んでいる。この付近の村や町の菩提寺でもあるので、本堂も立派な作りだ。饗庭村も葬式となればここの住職を呼ぶ。饗庭村の墓はここにはなく、各戸の庭に安置されている。あまり期待はしてないが、住職に偏見がなければ、教えてくれると思っていた。

 陽菜は寺の母屋の呼び鈴を鳴らした。快活な女性の声がして、玄関ががらりと開いた。

「どちら様?」

「あの……、わたし、桐野と言います。住職さんにお会いしたくて」

 そんなことを急に言われて女性は首をかしげている。しかし、すぐにハッとした顔つきになり、

「玄関先でごめんなさいね。上がって下さい」

「ありがとうございます、失礼します」

「そこの椅子に掛けて待っててくださいね」

 そう言うと女性はパタパタとスリッパを鳴らして奥に引っ込んだ。

「女の子が来たんですけど」

 と聞こえてくる。そのあと、奥から住職が顔を出してこちらに来た。

「はいはい。なんの用かな」

 慌てて立ち上がって礼をする。ニコニコと微笑む初老の住職のことを陽菜は用心しつつ、慎重に言葉を選びながら聞いてみた。

「饗庭村の由来など書かれた書物を探しているんです。大学の研究でどうしても必要で……」

「ほう、あなた、大学生なんだ。どんな研究なんだい?」

 住職に値踏みされている気がしてくる。でも正直に答えたほうが不信感を抱かせないだろう。

「限界集落の昔話や言い伝えとか、民間信仰を調べて、論文を書くんです。饗庭村の言い伝えや伝承だけがどうして聞けなくて」

 住職が納得したように頷いた。

「確かに饗庭村は厳しいだろうねぇ。でも、うちには学術的な資料になるものや、郷土史本も置いてないんだよ。ちょうど、そういうことに詳しい郷土史家の竹内さんを知っているから、電話番号を教えようか」

「え、いいんですか! お願いします。教えていただけると助かります」

 陽菜は深々と頭を下げた。


#ホラー小説部門 #創作大賞2025

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