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ぐひんの山 第九章 ぐひん様 ②

 電話番号を書いたメモ紙を手渡されて、陽菜はもう一度礼を言って、寺を出た。

 一番近いコンビニの駐車場に車を停めると、メモに書かれた携帯番号に電話してみる。数回コール音が鳴ったあと、しわがれた声で応答があった。

「あの、わたし、桐野と言います! 竹内さんのお電話で間違いないですか?」

 ワンテンポ遅れて返事が返ってくる。

「……あー、なんの用かな」

「住職さんから教えていただいたんです。郷土史家の先生でいらっしゃるんですよね?」

「……それで、わたしになんの用なの」

 陽菜は慌てて郷土資料で饗庭村に関係するものがないか訊ねてみた。

「……饗庭村かね……。そうだなぁ、ちょっと探さないとわからんなぁ」

「あのぉ、もし差し支えないようでしたらお邪魔してもいいでしょうか」

 しばらく無音が続いて、

「……まぁ、いいか。じゃあ、こっちに来てくれるかな。住所わかる?」

 住所を教えてもらい、陽菜は早速その住所をナビで検索した。

「わかりました! 今からお邪魔いたします。だいたい二十分くらいで着きます」

 電話を切ると、トントン拍子で上手くいったことに喜びながら、町に向けて車を走らせた。

 住所近くのパーキングに車を停め、スマホで地図アプリを開き、確認しながら竹内の家を見つけた。

 インターフォンを鳴らすと、しばらくして玄関ドアが開いた。

 癖の付いた白髪の、梅干しみたいにしわしわとした老人が顔を見せた。ビンの底のような眼鏡をして、じっと陽菜を見つめている。

「こんにちは。桐野です」

 考え込んでいるような雰囲気で竹内は一言も喋らない。不安になった陽菜はもう一度自己紹介をした。

「……ああ、電話の子ね。上がっていいよ」

 一歩踏み込んだ家の中は、本の山で辺り一面、覆い尽くされていた。

「わ……」

 その山の間をすいすいと避けながら、竹内が奥へ奥へと行ってしまう。慌てて陽菜も本の谷間を縫って進んだ。

 ドアは開け放しで、居間も台所もみんな本に埋め尽くされている。本で床が抜けないか心配になってくるほどだ。廊下の奥で竹内がドアを開いて手招きする。部屋を覗くと、床はもちろん、机の上まで本が積み上げられていた。

「たしかなぁ、この辺にあったと思うんだが……」

 そう言ってガラス戸の本棚を指さした。

「この中ですか?」

 陽菜が近寄ってガラス戸を開こうとすると、

「いやいや、この辺り全部」

 竹内が指さした場所は、床の本の山も含まれているようだ。ざっと見ても五十冊かそれ以上ありそうだ。

「ここ触っても大丈夫ですか?」

「……うむ、元に戻しといてくれ。ちゃんと分類してあるから」

 それを聞いて、陽菜は耳を疑った。こんなにぐちゃぐちゃしているのに、どこに何の本があるか把握しているのか。嘘だ、と思いながら、上から順に本を見ていく。本の山を元に戻しながら、古い冊子を取り上げては読んでいく。どうやら昭和時代の郷土史の同人誌らしい。表紙には論考のタイトルや見出しがないので、ボロボロの紙の冊子をいちいち開いては目次に目を通した。

 山の半分ほど見て、竹内が言ったとおり、一応分類されていることに気付いて感心した。饗庭村の伝承を見つけて、思わず声が漏れる。

「やった!」

 椅子に座って何か書きものをしている竹内が、ふと顔を上げて陽菜を見やる。それに気付いた陽菜は頬を赤らめて口をつぐんだ。

 気を取り直して、目次に記載しているページをめくる。この頃はまだワードプロセッサもなかった時代だったようで、手書きで論考が書いてあった。

 饗庭村にあるへえらず山には、盲目の山神がおり、その神は野槌によく似ており、里に下りては人や牛馬を喰う。村人達は山神をとても畏れた。山神の名はぐひんといい、人の目に見えず、山から下りては人や牛馬を食らっていた。喰われた牛馬や人には首の周りに赤い筋が出来るため、村人はぐひんが喰ったとわかるのだ。

 はいらずの山に入山すると、ぐひんにさらわれて神隠しに遭う。

 陽菜は聡の首回りに出来た赤い筋を思い出した。あれはぐひんが聡を食べた証拠だったのだ。真弓や直也の首にもあの赤い筋は出来たのだろうか。今になってみると、やはり葬式に参列できなかったのは残念だった。陽菜は自分の首に手をやる。知らないうちに自分にも赤い筋が出来ているかも知れない。

 それにしても、『野槌のづち』の名をここで見ることになるとは思わなかった。しかも、『野槌』=『ぐひん様』と読める内容だ。

 他にも、民間の郷土史研究家の推察が掲載されていた。

 ぐひん様は古来より一抱えもある大蛇だという説あり。他にも、山の神の零落したもの、野槌だというものもあり。入らず山には民間伝承が残されており、そこには妖怪となり果てた神がいるとされている。信仰されず、やがて神聖性をなくし妖怪に成り下がった山の神は、蛇のような姿の野槌となって、山越えする旅人や里の人間を捕らえて喰うようになった。目に見えないため、山に現れる巨大な長物を野槌といったのではないか。※要出典。

 研究家の中には、民間伝承……出典元のわからない説を推していたが、その出所は陽菜が研究室の資料で見つけた伝承と思って間違いないのかも知れない。平良須山とは全く関係ない山の話だが、同じ県のどこかの山での話が、山を点々とする山の民によって語り継がれてきたのではないか。

 気になるのは、再々『野槌』という名称が出てくることだ。白の話した内容を思い出そうとして、頭を悩ませていると、不意に思い出した。

「カヤノヒメ……」

 つくもが言っていた草の神である鹿屋野比売神かやのひめの別名が、野椎神のづちのかみであると。ぐひん様とこの山の神が同一のものであれば、野槌はぐひん様であると言って間違いない。

 巨大な蛇が平良須山を縦横無尽に這いずり回っている光景が目の裏に浮かび上がった。

 また、論考は次のような説を展開していた。

 ぐひんを畏れた村人は、今まで交流を避けていた漂泊の民、サンカにへえらず山のぐひん退治を頼んだところ、サンカはへえらず山の麓に住むことを条件にぐひんを捕らえて首を切った。それ以来、ぐひんが里に下りることはなくなったが、サンカはやがて饗庭村の長者となった。この伝承は江戸時代末期に饗庭村にて口伝えで受け継がれた。

 その後、サンカ一族は村人がへえらず山に入ることを禁じた。

 へえらず山とはのちの平良須山のことである。

 

 陽菜は思いがけず自分の先祖のルーツを知り、胸が熱くなった。

 封印を解かれたぐひん様はまず側にいた幼馴染み達を食らったのだろうか。それならば二年間無事だったのは何故だろう。ただ、これは伝承であって歴史に綴られたものではない。他の二人の首に赤い筋があるか確認しようもないから、ぐひん様に喰われたとも言いがたい。

 この饗庭村の郷土史に書かれているぐひんに攫われる、喰われるという現象は、村内で起こった偶然が重なり、ぐひんという山神が平良須山にいると、村人が想像で作り上げたものではないだろうか。

 本当にぐひんが存在するのであれば、犠牲になる村民がいてもおかしくない。

 サンカと呼ばれる山の民だった桐野一族が、どうやってぐひんを捕らえて封じたのか、一行も書いておらず、せっかく見つかった資料なのに残念だ、と陽菜はがっかりした。

 残されたのは、資料を見せるのを拒否している郷土史家だけになった。最初はぐひんを調べるためではなく、純粋に饗庭村の伝承と民間信仰を知りたくて取材させて欲しいと頼んだのだ。むげなく断られたが、諦めずにいまだに連絡を取り続けている。本当ならば、実際に会いに行って話をしたほうが聞き取りがしやすいのだが、いつも断られてしまっていまだに会えていない。

 時間を見るとあっという間に一時間半過ぎていた。目的の物を見つけたので、竹内に声を掛ける。

「竹内さん」

 見ると竹内は気持ちのいい昼下がりの太陽光の下で、うとうとしているようで返事がなかった。

#ホラー小説部門 #創作大賞2025

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