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ぐひんの山 第十一章 木箱 ②

 突然、ふすまが開き、陽菜は驚いて声を上げた。

「ごめん、忙しかったか?」

 ふすまが開いて、父親がそこに立っていた。

「全然、暇。何?」

「たばこを買ってくるけど、何か欲しいものはあるか?」

 饗庭村にはコンビニがない。町へ行かないとスーパーすらない。しかも一番近い町に出るのに片道一時間ちょっとかかる。

「じゃあ、お菓子とジュースお願いします。あ、それと夕飯も」

「夕飯は何がいい?」

「何でもいいよ。あ、肉とか食べたい」

「焼き肉でもするのか?」

「とにかく肉がいるの。それと、お父さん、あの座敷牢を見てみたいから鍵を貸して」

「座敷牢の鍵? そんなもの知らないぞ。俺は蔵の鍵しか預かってない」

「じゃあ、蔵の鍵、貸してくれる?」

「蔵の鍵を? なんに使うんだ」

「蔵の調度類をもう少し出しておきたいから」

「そうか……、まぁ、いいけど。ちゃんと返せよ」

 父親は不思議そうな表情を浮かべてふすまを閉めた。

 父親が車に乗って出掛けたあと、陽菜は母親の様子を見に台所へ行った。母親はまだぼんやりと椅子に座って考え耽っていた。母親をしばらく眺めていたが、陽菜は台所を出て靴を履き、蔵を見に行った。

 陽菜は腹を縫い付けたクマのぬいぐるみを持って、蔵の前に立った。なんとかして木箱の蓋を開け、甕と木箱の機能を復活させてバイパスを通し、饗庭村にぐひん様が降りてこないようにしなければならない。心の片隅に饗庭村のことなど構わずに、両親とともにここから出ていけばいい、とも思っている自分がいる。限界集落に残っているのは老い先短い老人たちばかりだ。なぜ危険を冒してまで饗庭村の為にぐひん様を封じようとしているのか。それも、全く助けもないままにつくもの助言を信じて。自分のしていることが正解かどうかもわからずに、ただ闇雲に知恵を振り絞って右往左往しているだけだ。

 意を決して、陽菜は蔵に入った。暗い蔵の中に一条の光が明かり取りから差し込んでいる。その真下のひな壇に組み木細工の木箱が置いてある。ぎしぎしと床を軋ませながら、陽菜は木箱の前に立った。ひな壇にクマのぬいぐるみを置き、木箱を手に取る。中に何が入っているか予想もつかないけれど、これを開けて新しい装置に作り替えなければいけない。山の民だった先祖がやったことを再現しなければ元の装置に戻らないだろう。

 腕の中の組み木細工の木箱の模様を見つめる。組み木の開け方がわからない。錠前を開けるほうが容易く感じた。どこを押して引き抜いて組み替えればいいのだろう。どのくらいの時間、木箱をいじっていたかわからないが、陽菜は頭を抱えて座り込んだ。一人で問題を解決させようとする困難さを痛いほど感じた。

 差し込んでくる光がやがてオレンジ色に染まり始めた。そろそろ父親が戻ってくる時間だ。早く開けないと父親に見咎められる。父親にとって、祠も木箱も意味のないガラクタでしかない。これにどんな意味があって、どんなふうに現実に影響を及ぼしているか、知りもしない。

 陽菜は痺れを切らしていっそのこと木箱を壊してしまおうかと考え始めた。木箱を持ち上げ、床に叩きつけようした時、床下から軋む音が聞こえてきた。

 心臓が飛び跳ねんばかりに驚いて、陽菜は息を潜め、ゆっくりと木箱を持ち上げていた腕を下ろした。

 きしっきしっ……。

 床下でだれかが歩いている。そのうち足音はトントンという階段を上る音に変わった。

「お姉ちゃん……」

 か細い子供の声が床下から聞こえてくる。その声はあまりにも聞き覚えがあって、心臓が止まりそうになった。床がぎぃぎぃと鳴り出した。床下から戸を開けようとしているのだ。けれど、地下から開けられないのか、いつまで経ってもぎぃぎぃときしむ音をさせている。

「お姉ちゃん……。開けて……」

 紛れもなく妹の弥生の声だ。弥生が生きているのか、または弥生の魂がそこにいるのか、陽菜自身が病んでしまったのか。いつまで経っても床の戸がぎぃぎぃと軋む音を立てるので、恐怖よりも弥生に会いたい気持ちが勝った。

「弥生?」

 陽菜は床にうずくまり、戸に耳を当てた。ぎいぎいと言う音から、弥生が小さな二つの手のひらで、押し開けようと頑張っている情景が頭に浮かぶ。弱々しい声と力なく押し開けようとして軋む音を聞いていると、いてもたってもいられず、木箱を置いて、床下に続く階段の戸を引っ張り開けた。

 目の前に、いなくなったときのままの弥生がいた。

「お姉ちゃん、遊ぼ」

 弥生が囁いた。澄んだ声が妹の口元からひっそりと漏れる。

「弥生?」

 妹が床下から現れたことよりも、再会できた喜びに打ち震えた。

 陽菜は妹の手を握って、階段から引っ張り上げた。

 幻ではない、小さな子供の重さを両手が感じている。多少手が冷たいのは、ずいぶん長く地下にいたせいだろう。どのくらい地下にいたのか、それを問うよりも会えた喜びが大きくて、不自然な再会から目をそらした。

 きっと、二年前、弥生は山ではなくこの蔵にいたのだ。そして、どうしてか座敷牢に閉じ込められて自力では出られなくなったのだ。午前中に座敷牢に入ったときに誰もいないと思ったけれど、実は座敷牢の中で妹は息を潜ませて隠れていたのだろう。

「お姉ちゃん、遊ぼう」

 弥生が、抱きしめる陽菜の胸の中で無邪気に呟いた。

「たくさん遊ぼうね。おなか空いてない?」

「遊びたい。お姉ちゃん、遊ぼ」

 受け答えがおかしいが、きっとそれは座敷牢に閉じ込められていたショックなのだと勝手に解釈した。

「お姉ちゃん、すごく探したんだよ。今までどこに行ってたの?」

 陽菜の言葉に弥生はうつろな声で答える。

「男の子と遊んでた」

「どこのおうちの子?」

「お姉ちゃん、遊ぼうよ」

 都合が悪くなると、同じ言葉を繰り返しているように見える。いや、都合が悪いのではなく、PTSD・心的外傷を負っているのかも知れない。弥生はそれほどまでに辛い思いをしたのだ。

 陽菜は弥生の小さな体を力一杯抱きしめた。

「クマさん」

 弥生がひな壇に置いたクマのぬいぐるみに気付いた。陽菜はためらいなくぬいぐるみを取って、妹に手渡した。陽菜の腕からするりと抜け出して、弥生が木箱を手に取り、木箱をぎゅっと抱きしめる。

「それはここに置いておこうね」

 と声を掛けるが、弥生が木箱とぬいぐるみも手放そうとしない。

「弥生」

 優しく声を掛けてそっと木箱から妹の手をはずそうとしたら、「うーっ」と唸って噛みつかれそうになった。

 そんな妹の様子を見て、陽菜はたじろいだ。

「そっか……。木箱が気に入ったんだね」

 これ以上、弥生を刺激したくなくて、陽菜は弥生を立たせると蔵から出た。

 もっと現実的になろうと、陽菜は家の敷地内に不審者や見覚えのない車が止まっていないか、周りを見渡した。それらしき人影も車もない。村民のだれかが隠れている気配もしなかった。

「ねぇ、弥生。今まで何してたの? どこにいたの?」

「遊んでたよ」

「どこで?」

「お姉ちゃん、遊びたい」

 弥生は、「遊びたい」と繰り返すだけで、陽菜の質問に答えようともしない。

「ねぇ、大人のひとといたの?」

「男の子といたよ」

 弥生が口にするのは男の子と遊んでいたという言葉だけ。それ以外の単語は一言も喋ろうとしない。もしくは心に傷を負うほど、辛い目に遭ったのかも知れない。これ以上追求するのは酷だと陽菜は判断して弥生の手を引こうとしたが、強く嫌々と拒絶された。明日になったら弥生を病院に連れていってくまなく検査をしてもらおうと、陽菜は妹を見つめた。

#創作大賞2025 #ホラー小説部門

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