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忌み地 第四章 結花子 ①

 結花子は仏間にたたずみ、ずぶ濡れの裸の女を見つめていた。女は腕に赤ん坊を抱いていて、下腹部は真っ二つに裂けている。赤黒い血にまみれた赤ん坊のへその緒が、女のはらわたの奥に繋がっているのがわかる。女は片手を地面に向けて指さす。仏壇の前の畳の下を指さしたまま、ドロドロと血のあぶくを口から吐き出していた。黒く変色した血液が女の足下に溜まり、徐々に畳を浸食していく。もう少しで血が結花子の足に届きそうになったところで、ハッと息を漏らして目を覚ました。

 息を荒げながら上半身を起こす。やけに口が渇く。額にはじっとりと冷や汗をかいていた。隣にはいつの間にか夫が眠っている。スマホの時計を見ると夜中の三時を指していた。いつも夢に現れる女は仏間の畳を指さしているが、どういう意味だろう。

 結花子はそっと起き上がり、寝室を出て仏間のふすまを開けた。人形が何体か床の間から落ちて畳に転がっている。仏間の電灯を付けるとその様子がはっきりとわかった。そのうちの一体は一番奥にあったはずの古い木彫りの人形だ。人形の着物に、赤黒い液体がついていた。抱かれていたように血の手形が布地にくっきりと浮かんでいる。夢の中の女が抱いていたのはこの人形だったのか。体は眠っていたが結花子の魂は仏間の女と対峙していたのか。判別は出来ないが、ようやく女と人形には繋がりがあるのだと確信した。


 あと数日で四十九日と言うこともあり、事前に連絡をしておいて、結花子は午前中に菩提寺の龍雲寺へ赴いた。四十九日の段取りを聞くことと井野家の過去帳と家系図を見せてもらうためだ。

 町中にある龍雲寺の敷地内に駐車場があり、結花子はそこに車を停めた。砂利道が途切れて敷き石の境界から先は玉砂利に変わった。大きな四角い敷き石に沿って歩いて行くと、本殿があり、その背後に四階建てくらいはありそうな納骨堂がある。住職の住居はそれよりも奥にあった。本殿が立派なのに対して住居にあたる家屋は広くて古いが、手入れが行き届いていて、谷地の家のような辛気くささは微塵もない。

 龍雲寺は日蓮宗で、開け放たれた本堂には本尊である釈迦牟尼仏しゃかむにぶつが鎮座している。優しげな慈愛に満ちた面差しが印象的で、流水のような衣の襞は風が吹けば軽やかになびきそうだ。

 結花子は住居までまっすぐ歩いて行き、玄関にあるインターホンを鳴らす。すぐに初老の女性が出迎えてくれた。

「いらっしゃい、道に迷わなかったです? さぁ、上がって上がって」

「カーナビがあったから大丈夫でした。じゃあ、お邪魔します」

 住職の坊守に促されて靴を脱ぎ、上がりかまちに並べられたスリッパに履き替える。玄関の三和土たたきは檀家がいつでも大人数で来ても困らないくらい広い。玄関を上がってすぐに廊下が延びていて、右手と左手に分かれている。その右手の廊下から、住職が顔を出した。

 龍雲寺の五木住職は初老の、品のいい顔立ちをした物腰が柔らかな人だ。通夜と葬式では過分なほどに世話になったので、結花子の中で住職の印象はすこぶるいい。住宅にもなっている家屋の座敷に通してもらって、お茶をいただいた。

「どうです? ここの暮らしには慣れましたか?」

 住職が穏やかに訊ねてきた。暮らしにはなんとか慣れてきたが、家は相変わらず怖い。住職ならば、普段から仏様と接してきてる方だから、井野家で起こる怪異を相談したらアドバイスが返ってくるかもしれない。

「なんとか」

 そう思いつつ、結花子は気持ちの乱れをごまかすように笑った。

 話がすみ、やれやれと住職が席を立つ間際、結花子は彼を呼び止めて過去帳の事を聞いた。

「井野家の過去帳ですか。それならちゃんと保管してますよ。井野家が蔵を手放したときに預かったらしいですね。家系図もあります。どちらも相当古いので気をつけてご覧になってください」

 どのくらい古いのだろうと思っていたら、住職が出してきた過去帳と家系図が書かれた巻物は年月を感じさせるほど黄ばんでいるが、虫食いもなく保管状態がいいことがわかる。両方共に、ミミズがのたくったような字が墨で書かれた古い和紙をおもてに貼り付けてあった。住職は座卓に二つを並べて開いた。過去帳は年号が書かれている辺りから多少読みやすくなったが、それでも結花子にはなんと書いてあるかはわからなかった。

「これ、名前なんですか?」

「井野家は古い家系で、この過去帳だけでも価値があると思われますね。なんせ、慶長という元号が見られるので江戸時代前の過去帳ですね」

「安土桃山時代から?」

「そうですねぇ。ざっと数えても当主になった方はお義父さまで四十四代目になりますから、相当な年数になりますね」

 四十四代という数字に結花子はピンときた。人形は四十体ある。あの血の手形がついた木彫りの人形が一番古いなら、初代当主が人形をこしらえたのかもしれない。

「井野家の初代当主ってだれですか?」

「家系図の一番上にある名前、嘉平ですね。でも妻を娶らず、伊助を養子にもらっています。嘉平は結局結婚しなかったんですねぇ」

「じゃあ、伊助が井野家の直系なんですか」

「嘉平が初代。伊助が二代目。血筋は伊助からと言うことですかね」

 住職が過去帳をめくりながら言った。

「嘉平から数えて、明治時代までだと何代目になるんですか?」

 ちょっと待ってと、住職が家系図を指で押さえて数えていく。

「そうですねぇ、四十代目ですか」

 やはり人形の数と一致する。明治時代のものが一番新しい日本人形だと夫も言っていた。もしも、当主が自分の代で一体ずつ作っていたのだとしたら、義父の代で四十四体になっているはずだ。なぜ明治時代から突然人形を作らなくなったのだろう。

「あの……、住職さんは谷地の家のこと、何か知ってますか?」

 あえて井野家のことをそう言ってみた。死体を捨てていた土地にわざわざ住みついた嘉平と何か関わりがある気がした。

「ああ、これにね、井野家のことを書いた文言があるんですよ。嘉平は谷地を埋め立てて、自分の土地にしたようです。湿原だったから持ち主などいなかったんでしょう。その土地を荘園にして谷地一帯の地主になった後に、その荘園を伊助が受け継いでさらに栄えたそうです」

 だんだんと過去帳と家系図の見方になれてきた結花子は、代々第一子が幼くして鬼籍に入っているのを見つけた。それだけではなく、何名かの当主は第一子と共に正妻を亡くし、その後に妾を後妻として迎えていた。

「これじゃ、井野家は本当の意味では直系の血筋じゃないですよね」

「そうですね。井野家は第一子を必ず亡くしていて第二子が家を受け継いでますから。寿晶さんも生まれたばかりのお兄さまを亡くしていますよ」

 結花子は初めて聞く情報に驚いた。

「主人に兄がいたんですか」

「寿晶さんのお父さまも姉を亡くしてますね」

「本当に必ず亡くなってるんですか? 記録の間違いとかじゃないんですか?」

「過去帳は当主と菩提寺の代々の住職が記録してますから、間違いだとしたらなんのためにそんなことをするんでしょう」

 住職が素朴な疑問を呈した。

 明治時代に人形を作らなくなったのに、第一子が死んでしまう現象は続いている。結花子は、これも谷地の家に絡まっている因縁に感じた。無意識に自分のおなかに手を当てる。本当に当主の第一子が死んでしまうとしたら……。

 住職が結花子の様子を察して心配そうに言う。

「そんなに不安にならなくても大丈夫ですよ。たまたまということもありますから」

 たまたま最初の赤ん坊が必ず死ぬなんて事はありうるのだろうか。

「それでも、あれほど栄えていた谷地の家も、明治時代に入ってから突然没落したんですよ。土地を切り売りして、今の土地だけになってしまいましたけど」

 人形を作らなくなってから没落したのだ、これも何か関係しているように思える。

「そうなんですね……」

 住職が過去帳を閉じる。

「不安なことは解消されましたか?」

 谷地の家に巣くっているのは、死にまつわる怨念なのか。それともそんなもの全く関係ないのか。

「あの……。住職さんは怪現象って信じますか?」

 住職が不思議そうな顔をした。

「どういう意味でしょうか」

「家でおかしなことがしょっちゅう起こるんです。触ってもない人形が廊下に転がってたり、足音がしたりなんて日常茶飯事です」

「井野さんの家に人形ありましたかね。でも大切にすればいいのではないでしょうか」

 住職は頭をひねりながら答えた。

 義父母の通夜に谷地の家に来たはずなのに見落としていたのだろうか。あんな目立つ不気味な人形たちが目に入らないなんて考えられない。

「大切にしたら、おかしなことは起こらなくなりますか」

「それはなんとも言えないですね」

 住職が困ったように苦笑いを浮かべた。

 住職は霊など視えないのだろうか。家の邪気祓いをしてもらいたいと告げると、お経を上げることしか出来ないと断られてしまった。頼りになりそうにない、と結花子は残念に思った。

「じゃあ、義母の四十九日、よろしくお願いします」

「そうですね、お義父さまの十七回忌もありますから、一緒におこないましょう。ご自宅に伺いましょうか?」

「いいんですか? お願いします」

 過去帳を見てわかったことは、当主の第一子が必ず死んでいることと、おそらく産後の肥立ちが悪く亡くなった正妻が何人もいるということだけだった。


 買い物を済ませて家に帰ってくると、じっとりとしてくる湿気に辟易しながら、台所へ行った。仏間を指さす女の霊を見てから、仏間には何かあるのだろうと見当がついた。それならば、その何かを画像に収めてやろうか、と結花子はスマホを持って仏間のふすまを開けた。暗がりの中に廊下の明かりが差し込んでぼんやりと仏壇が浮かび上がる。女が立っていたのは仏壇の前だ。スマホを構えて何度かシャッターを切った。

 何枚も同じ画像を撮った中に奇妙なものを一枚見つけた。

 まるで畳から黒く丸いものが湧き出しているような影が映っていたのだ。前後の画像にはストロボを焚いたせいで灰色ににじんだ仏壇が写っている。粒子が粗いので気のせいかと思えたが、これを壱央に見せたらもっと詳しいことがわかる気がして、結花子はふすまを閉めて居間に戻り、画像を壱央のメールアドレスに送信した。

#創作大賞2025 #ホラー小説部門

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