ぐひんの山 第八章 平良須山 ①
直也から電話があった。真弓の葬式からひと月ほどしか経ってない。一体何事かと思って、陽菜はレポートを書く手を止めた。すでに冬期休暇に入っていたが、自主的に研究室に通って、陽菜は自分が扱っている村の習俗と昔話をテーマにしたレポートを書いていたのだ。
「どうしたの?」
電話の向こうで直也が沈んだ声で応える。
『ちょっと外で話をしないか?』
「電話じゃ無理、って事?」
と言うことは重大なことを相談したいと言うことだ。陽菜は真弓のことを思い出して、力になれるならできる限りのことをしたいと思った。
「どこで待ち合わせる?」
すると、直也は繁華街のとある待ち合わせ場所を口にした。
「わかった。じゃあ、十三時に会おう」
電話口の直也はどことなく不安げだったので、陽菜はそれが気にかかった。
平日とは言え、繁華街だけあって人でごった返し、賑やかだった。街の象徴の周りには、陽菜と同じように人と待ち合わせしている老若男女がスマートフォンを手にそこここに佇んでいる。難しい顔をしているサラリーマンらしき男性や、これから遊びに行くのかはしゃぐ女性達、不安そうな少年、キョロキョロと周囲を見渡し落ち着きがない少女など、様々だ。自分は周囲から見たらどんな風に映っているだろうとふと思いながら、陽菜も直也が来るのを待った。
人混みに一際暗い雰囲気を背負った男性が近づいてくるのが見えた。不思議なほど周囲の人が彼をすっと避けて通り過ぎていく。それが際立って見えたため、陽菜はその男性を凝視した。
「直也くん……」
見間違えようがない、幼馴染みの直也だった。ちょっと見ないうちにやつれて顔色が悪い。彼が陽菜に気付いて、右手を挙げて挨拶をした。
「元気? 顔色悪いよ?」
「ああ、うん……」
気のない返事で、直也は何も言わずに再び歩き出した。
「どこ行くの」
陽菜は慌てて直也の後を追った。
しばらく歩いて、直也は小路にひっそりと店を開いている純喫茶の前に立った。なじみの店なのか、直也はためらいもなく扉を開けた。カランカランと鐘が鳴る。そのあとに陽菜も続く。
店内に入ると、茶色が主体の雰囲気のある昭和じみた内装が目に入った。カウンター席が五脚、ボックス席が三席の狭い喫茶店だ。
直也は店の奥のボックス席に座った。寄せる場所もないのに、体を縮こまらせてソファの隅に体を押し込んでいる。
陽菜は明らかにおかしい直也の様子を訝しく思いながら、向かいの席に腰を下ろした。
やや照明を落とした飴色の空間はどこか現実感がない。そんな薄暗い中、影のように直也は背を丸めて小さくなっている。そして、陽菜の肩越しから外の様子を窺っている。その様子は、自信に満ち溢れ、いつも背筋を伸ばして威風堂々としていた直也とは思えない。
「どうしたの?」
口を開こうとしない直也に代わって、陽菜は訊ねた。
「あいつがいる」
ぼそりと直也がそう言った。
「あいつ?」
「真弓がいっていたあれだ」
陽菜は真弓の連日の電話を思い出す。真弓は「いぬあたま」と言う存在を恐れていたが、まさか直也までそんな幻影を見るようになってきたのだろうか。
しかし、真弓の時の様な間違いを再び起こしたくない。
「いぬあたまだね」
陽菜の言葉に直也が深く頷いた。
「今もいるの?」
「今は……」
直也は視線を泳がせる。
「いない」
「一体何が起きてるの?」
「分からない。真弓が死んで一週間経った頃から、あいつが俺の周りを彷徨き始めたんだ」
「後をつけてたの?」
「尾行はもちろんだけど……とにかくいつも周りに立ってる。柱の陰やら、奥まった脇道やいろいろだ」
「でも、今は違う?」
「違う……今はかなり近い。例えば、おまえの真後ろに隠れていたりする」
陽菜はその言葉にぎょっとして思わず背後を振り向いた。
「大丈夫だよ、陽菜。今はいない」
「良かった……」
直也の代わりに陽菜がほっと安堵のため息をついた。
「なぁ、陽菜。あれは一体何だと思う? おまえにも見えたりするのか? 俺が思うに、あいつは饗庭村から付いてきたんじゃないかと思うんだ」
「饗庭村から?」
「そうだ。饗庭村から帰ってきてからみんなおかしい。ずっと言ってなかったけど、聡もいぬあたまを見ていたらしい。俺に一回そういうメールが来た。聡らしくなくて、よく覚えてる」
「なんて書いてあったの」
「いぬあたまが来る」
顔文字でデコレートされて送られてくる、聡の浮かれたメッセージとは思えない簡潔な文章だったらしい。
「私はいぬあたまを見てない。でもなんで聡はみんなに相談しなかったのかな……」
「そりゃ、おまえが心配性だからだよ。真弓はさておき、みんなおまえを妹みたいに思ってるからな……みんなってもうおまえと俺しかいないけど」
自嘲気味な笑みを直也が浮かべる。
「おまえと話している間だけ、いぬあたまは出ないみたいだ。おまえに心配させないようにしてたのに、皮肉なもんだな」
そう言ってオーダーしたコーヒーを飲み干し、直也が席を立った。
「え? もう行くの?」
「おまえに会ったら、気持ちが楽になったよ。ありがとう」
「待って」
陽菜は思わず立ち上がって、直也を追った。直也は会計を済ませ、
「またなんかあったら連絡するよ」
と言って、街の中へ去って行った。寂しそうな丸めた背中を、陽菜はいつまでも見つめていた。
あともう少しでクリスマスが訪れる、冬の日。
直也からの最後のメッセージに、陽菜は慌ててビデオ通話を掛けた。コール音が鳴り続けるが直也は出なかった。
『仲間だと思ってたやつに会社の金を持ち逃げされた。事業も大損害が出た。真弓の言っていたいぬあたまが家の外に立ってる。どうしたらいいんだ。怖い、どうすればいい? 陽菜はまだなんともないのか?』
切羽詰まったメッセージに気付いたときにはすでに遅く、一分後のメッセージには、『もう死ぬしかない』と書かれていた。陽菜は繋がらない電話を掛け続けたが、直也は決して出なかった。
メッセージが送られてきたのは早朝で、通知音をオフにしていたために気付くのが遅れた。
大学に行く途中、電車の中でそのメッセージを読んだ。早朝に人身事故が発生し電車が区間運休しているので、陽菜は電車を降り、駅のホームから直也の実家に電話をした。直也が生きているか確認する方法がこれしかなかったからだ。
鈍色の空に重たい冬の雲が太陽の弱々しい光を遮っているので、ホームは薄暗くて寒い。都心部では雪はまだだが、饗庭村には雪が積もっているんだろうなと思いをはせつつ、陽菜はかじかむ手に冷たいスマートフォンを持って、直也の家族のだれかが出るのを待った。
長いコール音のあと、直也の妹が電話に出た。
「もしもし。桐野ですけど、直也くん、いますか?」
『あれ? 陽菜ちゃん、どうしたの』
直也の妹には陽菜に対する偏見がないせいか、すんなり話をすることが出来た。
「直也くんと連絡が取れないんだけど、そっちに連絡か何かあった?」
直也の妹が実感の湧かない声音でぼそりと呟いた。
『……お兄ちゃん死んじゃったみたい。朝、警察から電話があって、お母さん達、お兄ちゃんを確認するためにそっちに行った』
陽菜と直也は同じ都市で生活している。お互い仕事や学業があるため会うことは少ないが、ほぼ毎日SNSでメッセージをやりとりしている。
陽菜の頭の中で、先ほどの人身事故と直也の死が重なった。
「え? 直也くんが?」
『そうだよ』
「そう……。あの、お葬式に行ってもいい?」
すると、直也の妹が強い口調で言う。
『やめたほうがいいと思う。真弓ちゃんのこと聞いたけど、うちも同じだから』
陽菜はそれを聞いて愕然とした。親友なのに、葬式に出ることすら拒否されるなんて、憤慨するよりも深く心を抉られた。
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