ぐひんの山 第十二章 弥生 ②
タイムカプセルと一緒に願いを込めて土に埋めた手紙。
陽菜は妹が欲しかった。それを素直に手紙書いたのだ。自分の望みを幼馴染み達の手紙と一緒に祠があった鉄塔の脚下に十四年前に埋めた。願いは叶ったが、二年前に奪われた。それが自分への代償だったなら、確かに陽菜も他のみんなと同じで、望みが叶い、弥生を失うはめになったのだろう。きっとそうなのだ。しかし、今、弥生は目の前にいる。きっと何かが奪われているのだろうが、姿形が変わらないという以外に何を奪われてしまったのか全くわからなかった。
弥生がいなくなったのは二年前。幼馴染み達の望みが叶ったのも二年前。何故、陽菜の望みは誰よりも早く叶った。みんなと陽菜の違いはなんだ。一番嫌な考えが想起される。弥生がいなくなったのは、祠のあった場所にタイムカプセルを埋めてから十年目だった。さらにその二年前の七歳の時に陽菜は『かんすさび』をしていた。
弥生は陽菜が『かんすさび』をして十二年目にいなくなった。ふっと十二棟あった蔵のことを思い出す。十二年周期。弥生は七歳だった。これは偶然なのだろうか。
都合良く弥生が十二年後にたまたま『かんすさび』をしたとは思えない。思えないから最悪のことを連想する。でもしっくりくるのだ。
なぜだか弥生は蔵に入り、『かんすさび』をしたが、『出来ない子』だったのではないか。出来なかったから連れていかれたのか。
でも、こうして帰ってきている。『出来ない子』であっても帰ってこられた。だったらいいではないか、弥生は帰ってきたのだから。陽菜はそう自分に言い聞かせた。地下の座敷牢は『出来ない子』が閉じ込められる場所だったのだろう。私宅監置なんてものじゃなかったのだ。
陽菜は俯いている弥生の頭を撫でつける。黒髪を二つに分けて結び、髪の間からいたいけな首筋が見える。そこにうっすらと筋があるのを見た気がした。思わず二度見するがそんな筋はどこにもなかった。
翌日、朝から母親はできる限りの食材、もちろん陽菜が父親に夕飯にと買ってきてもらった肉も、妹が好きだった料理の材料にされた。台所の椅子に座らせて、妹に振る舞うけれど、妹は黙りこくったまま、料理ではなくて側にいる陽菜を見つめている。
「弥生、お姉ちゃんを見てるより、おなかが空いたでしょ? お母さんが一生懸命作ったんだから、一口だけでも食べて上げようよ」
それでも弥生は俯き、返事もしない。
料理を作ったあと、昼にもっと妹が喜ぶ料理を作るのだと、張り切って買い出しに出掛けた。情緒不安定だったこの二年のことが嘘のように、母親は生気を取り戻し始めている。
「おはよう。今日の朝ご飯はすごいな」
父親がパジャマ姿で椅子に着いた。
「お母さんが弥生のために作ったんだけど、この量はさすがに好物でも食べきれないよ」
と、陽菜は苦笑いを浮かべた。
弥生は起きたあとも、両腕で木箱を持ち、さらに片手にぬいぐるみを持っている。それを置かないと満足に朝食をとることも出来ない。陽菜は熱心にそれを言い聞かせたが、弥生は首を振るだけだった。
今朝も隣に寝かせたはずの弥生が、布団にも入らず、ずっと布団の上で座り込んで木箱を弄っているのを見た。一睡もしていないのだろうか。
食事のあと、庭が見通せる縁側に連れていったが、箱を手にしたまま庭に下りて、土いじりを始めた。それを見た陽菜はほっと安堵した。
このまま、一睡もせず食事もとらずにいると、いずれ餓死してしまう。なんでもいいから食べてくれたら、と陽菜は弥生の小さな背中を眺めながら考えていた。
昼近くになり、母親が買い物袋いっぱいに料理の素材を買ってきた。
手伝いをしようと、陽菜は庭先にいる弥生を連れて台所へ行った。
「おかえり」
母親の買ってきた食材の量に驚きつつ、食卓に並べていく母親を見る。
「こんなに買って、弥生は食べられるのかな」
「食べても食べなくてもこのうちのどれかを食べてくれたらいいのよ」
とても穏やかな目で母親は妹を見つめた。二年ぶりに浮かべる笑顔だ。これで、壊れそうになっていた家族が元通りに修復されるかもしれないと陽菜は嬉しく思う。この食材を全部使って料理をすれば、少なくとも三時間はかかる。
「出来たら食べていっていいわよ。昼ご飯作っちゃうから。夕ご飯も楽しみにしててね」
母親が鼻歌を歌いながら、野菜を切り始め、鍋をコンロにかけた。
それなのに、弥生は嬉しそうではない。機嫌が悪いのか黙ったままだ。庭先に連れていくと、ジッとして片隅で土いじりをしている。たまに口を開いたかと思うと、陽菜に向かって「あそぼ」と言葉を発するだけだ。仕方なく、陽菜も一緒に土いじりをして穴を掘ったり、泥を作って団子にしたりしてみた。遊ぶにしても、ままごとをするとか山を作ってみるとかでなく、無造作に指で土をこねくり回したりしている。それだけなら良かったけれど、土を掘り返して出てきた幼虫やミミズを、口に運んで噛み潰し呑み込んでいく。それを目の当たりにして、陽菜は言葉が出なかった。けれど、すぐに我に返り、弥生の手から虫を払いのけた。
「弥生、どうしちゃったの!」
妹の様子を縁側から見ていた父親も、慌てた様子で立ち上がり、靴も履かずに妹に駆け寄った。
「うわっ、弥生! そんなもの食べるんじゃない!」
母親は縁側に立ち、家族の慌てふためく姿を茫然自失して眺めているだけだった。
とうとう業を煮やした父親が妹を精神科に連れていくと言い出した。それを聞いた母親が声を荒げる。
「そうやって、家族を見捨てるんでしょ! 自分さえ良ければいいとか思ってるんでしょ! 弥生のことを本気で愛してくれてるなら、まず理解して上げることが先じゃないの? 頭がおかしいって決めつけるんじゃなくて、自分の娘なんだから!」
「頭がおかしいとか言ってないだろ。それにこれ以上のことが俺たちに出来るか? 飯作っても喰わない、土を弄ってばかりで、寝もしないで虫を食う。言葉だって怪しいじゃないか。それに、二年だぞ? いなくなっていきなり座敷牢から出てきて、はい健康です、何もありませんとか言って放っておくのか。おまえの言うことはそういうことだろ」
「違う、違う! 何もありませんなんて思ってない! わたしは弥生に安心して欲しいのよ。もう恐ろしいことは起きないって感じてほしいの! あなたがしようとしていることは弥生をますます不安にさせることじゃないの!」
両親が言い合いを始めたのをそばで見ていて、陽菜は弥生がどう思うか心配になって妹に目をやる。
弥生は聞こえてないかのように手元の木箱の木目を指でなぞって黙っている。
陽菜は弥生の手を取り、仏間に連れていった。それでもふすま越しに両親の声は聞こえてくる。こんな言い争いを一番聞きたくないのは陽菜自身だった。
スウェットの上下は泥で汚れたために、洗濯したワンピースを弥生に着せ替えた。
いとけない弥生のふっくらとした頬に手を当てる。ひんやりとして冷たい。子供とは体の芯にまるで燃えさかる熱源を持っているように暖かいものだと思っていたが、弥生は冷え切っている。かといって寒がっているふうでもない。
暗い仏間に二人で息を殺してじっとしていると、何かに怯えて隠れているように錯覚する。そうすると、陽菜は隣にうずくまる弥生という形をした何かを意識してしまう。もしも、『かんすさびが上手に出来ない子』だったかも知れない弥生が、本当の『弥生』ではなかったなら。昨晩、散々考えたことが繰り返し脳裏をよぎる。
だとしたら、弥生の形をしたこの子は一体何なんだろう。陽菜は母親のように無条件で弥生を受け入れられるだろうか。帰ってきてから見せつけられる、弥生の異常な行動を何事もないと、見て見ぬ振りをして自分をごまかせるだろうか。
「お姉ちゃん……」
かわいらしい声で呼ばれて、陽菜は優しく返事をする。
「なぁに?」
「遊ぼ」
「何して遊ぶの?」
弥生が声を殺して囁くので、陽菜も自然に声を潜めた。
「遊ぶの……、遊ぶの……」
弥生が壊れたレコードのように繰り返す。
仕方ないので、夕飯が出来るまで遊んで上げようと、もう一度話しかける。
「何して遊ぶ?」
「男の子と遊ぶ……」
「男の子?」
陽菜は仏間を見回すが、あるのは甕だけだ。
「弥生とわたししかいないよ」
すると、弥生が立ち上がり、甕の側に座った。おもむろに蓋を取り甕の縁を持って、中身をじっと覗き込む。
「男の子……」
陽菜は座ったまま甕に這い寄る。
「その中に男の子がいるの?」
幻影が見えているのだろうか。尋ねたが弥生は答えない。弥生は陽菜を無視したまま、甕の底へ声を掛ける。
「おーい」
何度も何度も、飽きもせず、呼びかけている。
もちろん返事などない。
陽菜は弥生がいつまでも甕に呼びかけるのを見ているしかなかった。いつまで続くか不安になり、弥生の脇から甕の中を覗くが、当然何もない。弥生が何を見ているのか見当も付かなかった。
仏間にいるので時計もなく、どれほど時間が経ったかわからなかった。
やがて、台所のほうから母親の声が聞こえてきた。
「ご飯よー」
陽菜は立ち上がって、しゃがみ込む弥生の腕を取った。
弥生が陽菜の手を振り切って、いきなり立ち上がり、廊下へ続くふすまを開けて、縁側のある部屋に入った。
「弥生?」
慌てて弥生を追った。
外は暗くなって平良須山が紫に染まっている。太陽が沈んで、部屋の闇が一層深くなった。
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