仕事は外注できる。責任は外注できない。
人事制度を外部に丸投げした会社が、あとで困るという記事を読んだ。まぁ、そうやろなと思う。
ただ、外注が悪いわけではない。
わからないことは、わかる人に頼めばいい。
自分でやるより上手な人がいるなら、やってもらった方がいい。
餅は餅屋。
デザインはデザイナー。
法律は弁護士。
人事制度は人事の専門家。
そもそもわしは外注先なんで、外注なくなったら困るのです。
問題は、外注したことではない。
うまくいかなかったときに、
「いや、これは外注先が提案したので」
と言い始めること。
うまくいっているときは、
「弊社の新しい取り組みです」と言う。
失敗した瞬間、
「先方からの提案でして」になる。
成功は自社製。
失敗は他社製。
ずいぶん便利な生産体制だこと。
人事制度なんかでも
社員から、
「なぜ、私はこの評価なんですか」と聞かれたときに、
「制度上、そうなっています」と答える。
さらに聞かれる。
「なぜ、こういう制度なんですか」
「コンサルタントが設計しました」
は?
社員が聞いているのは、設計者の名前ではない。
なぜ、この会社がその制度を使っているのかや。
外部の専門家が、夜中に勝手に侵入して、人事制度を置いて帰ったわけではない。
会社が頼んだ。
説明を聞いた。
これでいこうと決めた。
社員に使った。
ならば、その制度は会社のものや。
良いところも。
悪いところも。
想定外のことも。
全部、会社のもの。
これは広告でも、システムでも同じやと思う。
「制作会社がつくりました」
「ベンダーがそう言いました」
別に、それでええねん。
誰がつくったかは、大した問題ではない。
その仕事を、自分たちが引き受けているかどうかや。
そして、これを書きながら気づいた。
あ。
これ、AIでも一緒やな。
AIに企画を考えてもらう。
文章を書いてもらう。
データを分析してもらう。
候補を比較してもらう。
全部やればいい。
わしもやる。
でも、何か問題が起きたときに、
「AIがそう言ったので」は通用しない。
AIは会議に出てこない。
謝罪もしない。(謝罪文はつくってくれる)
始末書も書かない。(始末書のテンプレはくれる)
たぶん反省もしない。(反省した感じは出してくれる)
次に同じことを聞いたら、元気よく別の答えを出してくる。
AIがつくった案を採用したのは、人間。
外注先の提案を採用したのも、人間。
だから、最後は、
「これは、私が決めました」
と言わなければならない。
そのまま採用してもいい。
一文字も直していなくてもいい。
ただ、
なぜ採用したのか。
何を考えたのか。
どこを信じたのか。
失敗したら、どうするのか。
そこを引き受けた瞬間、その仕事は自分たちのものになる。
逆に、責任を外へ押しつけた瞬間、その成果も自分たちのものではなくなる。
仕事は外注できる。知識も借りられる。技術も借りられる。AIにも助けてもらえる。
でも、責任は外注できない。
正確に言えば、責任を引き受けたときに初めて、外注した仕事が自分の仕事になるんやと思う。
