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理論編8:企業価値は、境界を越えて創られるのか

従来、競争力は主として企業の内部に蓄積されるものと考えられていた。研究開発は自社の研究所で行い、製品は自社で設計し、自社の工場で生産し、自社の販売網を通じて顧客へ届ける。競争力のある企業とは、事業に必要な技術、人材、設備、資本を企業内部に保有し、それらを効率的に管理できる企業だった。

しかし、技術変化が速くなり、必要となる知識が複雑化し、企業活動が世界各地へ広がるにつれて、この前提は次第に成り立たなくなった。一つの企業が、必要な技術、人材、情報、販売網、社会的な信頼のすべてを内部に保有することは難しい。企業価値を実現するためには、企業の外部に存在する知識や能力を取り込み、異なる組織や人々との関係を通じて、自らの能力を拡張しなければならなくなった。

オープンイノベーション、海外展開、M&AとPMI、DXは、一見すると異なる経営課題である。しかし、そこには共通する変化がある。企業価値は、企業の境界の内側だけでは実現できなくなったのである。

オープンイノベーション――関係を通じて能力を拡張する

オープンイノベーションは、価値創造に必要な知識や技術が、企業の外部にも存在することを明確にした。大学との共同研究、スタートアップとの協業、競合企業を含む他社との技術連携、顧客や利用者から得られる知見など、企業は、外部の知識や技術を取り込むと同時に、自社の技術や知的財産を外部へ開くことによって、自社だけでは生み出せなかった価値を実現するようになった。

ここで重要なのは、外部の知識を単に購入すればよいということではない。異なる目的、文化、時間軸を持つ組織同士が協働するためには、契約だけでは足りない。互いの強みや制約を理解し、信頼関係を築き、意思決定、知的財産、リスク、成果配分のあり方を調整する必要がある。

したがって、オープンイノベーションは、外部技術を活用するための研究開発手法であるだけではない。企業が外部との関係を通じて、自らの能力を拡張する経営なのである。企業内部の人的資本や組織資本は、大学、スタートアップ、取引先、顧客などとの関係を通じて、新しい知識や可能性と結び付く。その相互作用によって既存の能力が更新され、新しい技術や事業が生まれる。

オープンイノベーションは、企業価値の源泉が企業内部だけに存在するのではなく、企業と外部主体との関係の中にも存在することを示したのである。

海外展開の本格化――異なる社会の中で能力を再構築する

日本企業の海外展開も、企業価値が企業内部だけでは実現できないことを明らかにした。企業が国内市場を離れ、新しい国や地域で事業を展開すると、向き合うべき主体は急速に増える。国内で成功した商品や経営手法を、そのまま海外へ持ち込めば成功するとは限らない。企業が異なる社会の中へ入り、その社会を構成する人々や制度との関係を築くことが必須である。

企業の技術やブランドが優れていても、現地政府との関係が悪化すれば、許認可や事業運営に支障が生じる。現地従業員が意思決定から排除されれば、優秀な人材は定着せず、市場や顧客についての知識も組織に蓄積されない。地域社会から信頼されなければ、操業の継続そのものが難しくなる。

企業価値は、自社の能力を海外へ移転することによって自動的に生まれるのではない。自社が持つ人的資本や組織資本を、現地の人々、制度、文化、市場との関係の中で適応させ、再構築することによって実現されるのである。

海外展開によって、企業は自らの能力を一方的に移植する存在から、現地社会との相互作用を通じて自らも変化する存在へと変わる。海外展開もまた、人的資本、組織資本、関係資本が相互に作用する価値創造のプロセスなのである。

買収ではなく、統合によって価値が生まれる

M&Aの増加も、企業価値の実現に関する考え方を変えた。

かつて企業買収では、買収価格、財務条件、取得する資産、想定されるシナジーなどが議論の中心になりやすかった。しかし、実際には、優れた企業を買収しただけでは、期待した企業価値は生まれない。買収後に経営方針が共有されず、意思決定が遅くなれば、競争力は低下する。優秀な人材が離職すれば、買収した企業が持っていた技術、経験、顧客関係も失われる。企業文化の違いを無視して一方的な統合を進めれば、従業員の反発や組織間の対立が生じる。顧客が買収後の企業に不安を感じれば、それまで築かれてきた取引関係やブランドへの信頼が失われる可能性もある。

そこで、M&Aの成否を左右するものとして、PMI、すなわち買収後の統合が重視されるようになった。PMIは、二つの会社の制度や情報システムを統一するだけの作業ではない。異なる組織の人々が、新しい企業の目的を理解し、互いの強みを認め、共に仕事ができる状態をつくること、あるいは、人材、組織、技術、文化、顧客、取引先、ブランドなど、複数の資本を再結合するプロセスである。

買収される側の従業員が持つ知識や経験は、人的資本である。業務プロセス、技術、データ、企業文化は、組織資本である。顧客や取引先との信頼は、関係資本である。買収によって法的な所有権を得ることはできても、それらの資本が自動的に一つの企業として機能するわけではない。

企業価値は、買収契約が成立した時点で生まれるのではない。買収後に人と組織と関係が結び付き、新たな価値創造の循環が動き始めたときに、初めて実現されるのである。

M&Aは、企業価値の源泉を取得する行為である。PMIは、その価値の源泉を結び付け、実際の企業価値へ転換する行為なのである。

DX――企業とステークホルダーとの関係を再設計する

DXもまた、企業の境界を越えた価値創造を促す大きな変化である。DXは、既存業務をデジタル化することだけを意味するものではない。デジタル技術とデータを活用し、顧客への価値提供、業務プロセス、組織、企業文化、さらにはビジネスモデルそのものを変革することである。この変革の本質は、企業内部の効率化だけにあるのではない。

DXは、企業が顧客、取引先、サプライヤー、パートナーなどと、どのような関係を築き、どのように価値を生み出すかを変える。かつて企業は、自社の内部で製品を企画し、生産し、市場へ供給していた。顧客や取引先との接点は、販売、契約、受発注など、限られた場面に集中していた。しかし、デジタル技術によって、企業は外部の主体と継続的につながるようになった。その結果、企業価値は、企業内部で完成させた製品を一方向に提供することによってではなく、外部との継続的な相互作用を通じて実現されるようになった。DXによって問われているのは、技術の導入だけではない。企業とステークホルダーとの関係を、どのように再設計するかなのである。

DXによる関係変化の代表的な例が、顧客との関係である。

かつてメーカーは、製品を製造し、卸売業者や小売業者を通じて市場へ供給していた。企業にとって顧客とは、製品を購入する最終的な相手であった。この構造では、企業と顧客との接点は限定的だった。メーカーは市場調査を通じて顧客のニーズを推測し、製品を開発し、広告を通じてその価値を説明した。顧客は、企業が完成させた製品を比較し、選択し、購入した。

しかし、インターネット、電子商取引、SNS、スマートフォン、デジタルサービスの普及によって、メーカーは顧客と直接、継続的につながるようになった。顧客から得られる反応は、販売後の評価にとどまらない。どのように製品が使われているのか。どの機能が評価され、どこに不満があるのか。顧客がどのような場面で新たな課題に直面しているのか。こうした情報が継続的に企業へ戻り、製品開発、サービス改善、顧客体験の設計に活用されるようになった。

さらに、顧客は企業が提供した価値を消費するだけの存在ではなくなった。自ら製品の使用体験を発信し、他の顧客と交流し、改善案を提案し、ときにはブランドの意味そのものを企業と共に形成する。ファンコミュニティを構築し、企業が商品を一方的に販売するのではなく、イベントや継続的な交流を通じて、顧客とブランドの世界観を共有する例も多い。

この変化は、企業内部にも影響を与える。顧客から得られた知識は、営業部門やマーケティング部門だけにとどまらず、研究開発、製造、物流、経営企画などへ共有されなければならない。顧客との関係から得られた知識が、従業員の学習を促し、人的資本を育てる。その知識が製品開発の仕組みやデータとして蓄積されれば、組織資本となる。そして、改善された製品やサービスが顧客との新たな信頼を生み、関係資本をさらに強くする。DXによる顧客関係の変革は、人的資本、組織資本、関係資本が循環する具体的な例なのである。

サプライチェーンは取引関係から協働関係へ変わった

かつてサプライチェーンは、企業が必要な原材料や部品を、取引先から適切な価格と納期で調達する仕組みとして捉えられていた。発注する企業と、供給する企業。両者の関係は、価格、品質、数量、納期を中心とした取引関係であった。しかし、製品が複雑化し、サプライチェーンが世界各地へ広がり、需要の変動が激しくなると、個々の企業が自社の範囲だけを最適化しても、全体として安定した価値を提供することは難しくなった。一つの取引先で起きた問題が、サプライチェーン全体を通じて、企業の生産、販売、評判、企業価値にまで影響を及ぼすようになった。

こうした環境では、サプライヤーを単なる調達先として扱うだけでは不十分である。需要予測、生産計画、在庫、品質、物流などのデータを共有し、変化を早期に把握し、問題を共同で解決する必要がある。また、製品の環境負荷を減らし、人権を尊重し、安定した供給体制を築くためには、企業が一方的に基準を示して遵守を求めるだけでは足りない。取引先が直面している制約を理解し、必要な技術や知識を共有し、改善に向けて協働することが求められる。サプライチェーンは、取引を管理する仕組みから、複数の企業が価値を共同で実現するネットワークへ変わりつつあるのである。

ここでも、三つの資本の循環が見られる。サプライヤーが持つ技術や現場の知識は、関係を通じて企業へもたらされる。企業の従業員は、その知識をもとに新しい製品や生産方法を考え、人的資本を高める。共同で開発された技術や業務プロセスは、組織資本として蓄積される。協働によって品質、供給の安定性、環境性能が高まれば、取引先との信頼が深まり、関係資本がさらに強化される。

一方で、企業が短期的な価格引下げだけを求め、取引先の能力や持続可能性を損なえば、関係資本は弱まり、長期的には自社の競争力も失われる。サプライチェーンにおける価値は、個々の企業が独立して生み出すものではない。複数の企業が持つ人的資本、組織資本、関係資本を結び付け、全体として顧客や社会へ価値を届けることで実現される。

DXは、この協働を支える重要な基盤である。しかし、データを接続するだけでは、協働は生まれない。デジタル化によって接続が可能になったからこそ、関係の質がより重要になるのである。

DXは組織内部の変革でもある

顧客やサプライチェーンとの関係を変えるためには、企業内部も変わらなければならない。デジタルネイティブ企業は、製品を販売した時点で顧客との関係を終わらせない。顧客がどのようにサービスを利用しているかを把握し、そのデータをもとに機能を改善し、新たな提案を行う。サービスの改善は一度で完了せず、顧客との継続的な相互作用の中で進められる。

既存企業が同じことを行うためには、単に新しいシステムを導入するだけでは不十分である。製品を売る企業から、継続的にサービスを提供する企業へ、部門ごとに情報を保有する企業から、顧客やサプライチェーンを中心にデータを共有する企業へ、長期計画を固定して実行する企業から、外部の反応を見ながら継続的に学習し、改善する企業へ。企業自身が、業務プロセス、組織構造、意思決定、評価制度、企業文化を変えなければならない。

ここでは、関係資本だけを変えればよいわけではない。顧客やサプライヤーとの新しい関係から得た知識を活用できる人材が必要である。それを部門横断で共有し、意思決定へ反映する組織の仕組みが必要である。そして、外部との関係を短期的な取引ではなく、価値創造の基盤として捉える経営の意思が必要である。

DXとは、デジタル技術によって企業と社会との接点を増やすことではない。増えた接点から得られる知識を人的資本と組織資本へ取り込み、再び顧客やサプライチェーンへ価値として返していく循環をつくることである。

その意味でDXは、技術変革であると同時に、人的資本、組織資本、関係資本の循環を再設計する経営変革なのである。

境界を越える経営に共通するもの

オープンイノベーション、海外展開、M&A・PMI、DXは、それぞれ異なる目的を持つ経営活動である。しかし、いずれにも共通しているのは、企業内部の資源だけでは価値を実現できないということである。

企業は、外部の知識、人材、組織、顧客、取引先、地域社会、制度と結び付き、その関係の中で自らの能力を変化させなければならない。ここでは、関係資本が人的資本や組織資本へ作用し、人的資本や組織資本の変化が新たな関係資本を生み出す。企業価値は、三つの資本が企業の境界を越えて循環する中で実現されるのである。

循環は自動的には起こらない

ただし、人的資本、組織資本、関係資本が存在すれば、自然に価値創造の循環が生まれるわけではない。企業の中では、それぞれの活動が部門ごとに分断されていることが多い。それぞれが異なる目的や評価指標のもとで行われ、そこで得られた知識、期待、懸念が経営全体で共有されなければ、資本の循環は生まれない。

顧客から得られた重要な知見が、研究開発や経営戦略へ届かない。従業員が感じている課題が、組織改革や事業改革へつながらない。取引先が抱える制約が、製品設計や事業計画に反映されない。地域社会から示された懸念が、投資判断やリスク管理に組み込まれない。投資家との対話が、資本政策や財務情報の説明だけに閉じてしまう。企業は多くのステークホルダーと接していても、それぞれの関係から得られた知識が互いに結び付かず、個別最適にとどまっている場合が多いのである。

三つの資本を循環させるためには、異なる部門やステークホルダーから得られた知識、期待、懸念を経営へ集め、相互に関連付け、戦略、投資、組織、人材、製品、サービスの意思決定へ反映するマルチステークホルダーエンゲージメントのプロセスが必要になる。


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