ベトナムと韓国 科挙
第1章 科挙
韓国(高麗~朝鮮)と
ベトナム(李朝~阮朝)は、
よく似た場所に
国家の「背骨」を通した。
その背骨こそ、科挙だ。
ここで言う科挙とは、
単なる試験制度のことじゃない。
国家が、どんな人間を
“正規の人材”と認定するか、
その認定装置のことだ。
朝鮮半島では、
高麗から李氏朝鮮にかけて、
儒教経典の理解と
漢文作文の技術を中核にした
科挙制度が運用されている。
官僚になるためには、
武力や血筋だけでなく、
“書けること”
“引用できること”
“儒教の言語で世界を裁けること”
それらを国家の前で
証明することが必要になる。
ベトナムも、
ほぼ同じ線を引いた。
1075年を起点に
儒教的科挙が整備され、
王朝の交代を挟みながらも
国家試験として長期運用されていき、
最終的に1919年に廃止されるまで続く。
ポイントは、
「儒教を学んだ」ことじゃない。
国家の正統性を、
儒教の教養と
漢文能力で
“可視化する仕組み”を、
国家の中枢に置いたことだ。
つまり、
支配言語が固定される。
官僚制の入口が固定される。
政治の“正しい語り方”が固定される。
漢文で書ける者が、
国の言語を話せる者になる。
この一致が、
国家の骨格を
中国文明の型に
寄せていく。
でも、現実はもうちょっとだけ泥くさい。
試験があるなら、
準備できる家が強くなる。
だから、
地方で富を持つ家が、
学問の時間を買い、
人脈を育て、
合格者を出し、
家格を上げる。
科挙は、
「能力主義」の衣を着た
“国家と名家”の接続規格でもある。
この規格が、
韓国にもベトナムにも
長く、深く入っている。
そして、ここでは日本との差が際立つ。
日本にも儒教受容はあるし、
漢文教養も、支配層の基礎になっている。
だけど、
官僚登用を「科挙」という単一の国家試験で
国家の正規ルートを一本化する制度は、
日本には形成されなかった。
科挙は単なる採用試験じゃない。
国家が「正規」を定義し、
入口を一本化する装置となっている。
そして、その入口には、
もう一つの鍵が刺さっている。
そう、漢文だ。
国家の正統な文章言語が漢文であるかぎり、
官僚制は生活言語とは異なる
“別言語”で運転される。
ここに、
「生活言語が国家の言葉ではない」
という矛盾が生まれる。
次章では、
この言語の断層が生む読み書きコストと、
その矛盾を抱えたまま進んだ
苦しい表記の工夫を見ていくことにする。
次稿:
第2章 苦しい自国語表記
