ベトナムと韓国 苦しい自国語表記
第2章 苦しい自国語表記
第1章で見たのは、
韓国(高麗〜朝鮮)と
ベトナム(李朝〜阮朝)が、
科挙という「入口」を通して、
国家の正規ルートを一本化していった、
という話だった。
だけど、その入口から中に入るためには
漢文という鍵が必要になる。
科挙は試験制度である以前に、国家が
「正しい言葉」を選別する装置でもある。
漢文で書ける者が、
国家と接続可能な者になる。
ここに、静かな断層が生まれる。
行政も司法も教育も、
“国家の運転”は
漢文(文語中国語)で回る。
だけど、
市場で交わされる言葉も、
家で囁かれる言葉も、
祈りや怒りの言葉も、
漢文じゃない。
上には正統の言語があり、
下には生活言語がある。
この二層が長く並走するほど、
社会の国家接続コストは上がってしまう。
正確には、
国家に近づくための学習コストが
累積していく。
さらに、字を覚えるだけでは足りない。
別言語の文法と作法まで、
身体に入れなければならない。
結果として、
国家に触れられる層と、
国家から遠い層に分かれていく。
科挙が入口を狭くしたんじゃない。
言語が入口を狭くしたんだ。
では、どうすれば良いのだろう。
両国が選んだのは、
漢字を借りて、
自国語を書こうとする試みだった。
中国語のために作られた漢字を
自分達の音、自分達の語順、自分達の文法へ、
無理に合わせてしまう。
だけど、ここでは工夫が増えるほど、
表記は複雑になっていった。
2-1 韓国:吏読(イドゥ)
吏読は、漢字で韓国語を表記するための
諸方式の総称だ。
単に語彙を写すだけではない。
助詞や語尾など、
韓国語の文法要素まで、
漢字の音や意味を借りて記す。
漢文という「正統の形式」を
大きく崩さないまま、
その内部で韓国語を運用できるようにする。
言い換えれば、
漢文の内部を改造する試みだ。
ただし、その運用は知識層に限られる。
文書を扱う官僚実務の現場で使われるが、
広く普及するには至りにくい。
理由ははっきりしている。
覚えることが多すぎるんだ。
例外が多く、
直感に反する変換を、
延々と身体に刻む必要がある。
吏読は、自国語を書けるようにした。
しかし、同時に、
「誰でも書ける」という文字には至らない。
2-2 ベトナム:字喃(チュノム )
ベトナムの字喃は、さらに踏み込んだ。
漢字を流用するだけではなく、
ベトナム語のための新しい字(喃字)を
大量に作っていった。
音も意味も、
自分たちの言語に合わせて
“字そのもの”を増やしていった。
文字体系そのものを増築する試みであり、
その独自性は強い。
だけど、強さはそのまま重さになった。
字が増えるほど学習負荷が増えるから。
標準化もしにくく、地域差も残った。
そして何より、
国家の正統な文章言語は
依然として、漢文の側に置かれたままだ。
公的な文章の主戦場が、漢文に残り続けた。
字喃は、自国語が「書ける」ことを示した。
しかし同時に、
自国語を「国民規模で普及させにくい」ことも
結果として示してしまったんだ。
2-3 言語の二重構造
ここで見えてくるのは、両国に共通する
言語の二重構造だ。
上部では、漢文が正統として残る。
下部では、自国語表記が工夫される。
吏読も字喃も、その工夫の結晶であるが、
工夫は「普及」へ直結しない。
むしろ逆だ。
漢字を借りるという選択自体が、
すでに高コストだからだ。
語彙は借りられる。
しかし、語順と文法は借りにくい。
音も借りにくい。
結果として、
表記は技巧化し、運用は専門化する。
仕組みはできた。
だが、使いこなせる人数は増えない。
国家に触れられる層と、触れられない層の差。
正統の言語を扱える層と、扱えない層の差。
それが制度として固定されていく点は
変わらないままだった。
科挙が入口を一本化した。
漢文が操作盤の言語を固定した。
吏読・字喃は、
その条件下で生まれた苦しい折衷だった。
2-4 新しい文字
前近代なら、
この二重構造は「時間」に溶かすことで
持ちこたえられたかも知れない。
地域ごと、階層ごとに、
ゆっくり慣らしていけるからだ。
だが近代は違う。
学校が必要になる。
法律が必要になる。
徴税が必要になる。
徴兵が必要になる。
新聞と印刷、
そして標準化と統計が必要になる。
国家の運転が大衆規模になる。
その速度の前で、
「一部の知識層だけが読める表記」は、
行政技術として限界に突き当たる。
近代国家は、
読み書きの設計を
“急いで大衆化する技術”として
再構築することを迫られる。
ここで問題は、はっきりと政治化する。
誰が読めるのか。
誰が書けるのか。
誰が国家の言葉を所有するのか。
そして、吏読や字喃のような
“漢字を介した自国語表記”は、
「国家規模の文字」としては、
どうしても重すぎる。
そこで次に現れるのが、別種の解決だ。
韓国では、
世宗大王の主導のもと、
音韻原理に基づく文字として
「ハングル(訓民正音)」が
国家事業として設計され、公布された。
ただし、公布されたからといって
国家の正統文字として
直ちに置き換わったわけではない。
上部では漢文が残り、
ハングルは長く周縁で運用された。
そして近代になってようやく、
その文字が改めて“主役”として
回収されていく。
一方ベトナムでは、
決定的に異なる道が現れる。
ローマ字化だ。
次章では、このローマ字化を
「民族の発明」や「自然な進歩」
の物語としてではなく、
外来技術の採用として捉えていく。
そして、その採用が、のちにどのように
“自国の顔”を持つに至ったのか。
その逆説を見ていくことにする。
次稿:
第3章 ローマ字化
