【#創作大賞2024】蒼に溶ける 第4章 ② 母の過去
思いもよらない住職の言葉に、結依はただ呆然とするしかなかった。住職はそんな結依を見つめながら、落ち着いた口調で言葉を足した。
「実はお母様も内密でご相談にいらしたことがあるのです。もちろんお亡くなりになる前に、ということですが」
「お母さんが……」
住職はしばらく考え込むように黙っていたが、やがて心を決めたように再び話し出した。
「あれはお母様が亡くなられる一か月ほど前のことだったでしょうか。夫に内緒で相談したいことがある、とお電話を頂きました。これまでのご連絡はほとんどご主人様、つまりあなたのお父様が主でしたので、お母様とはご挨拶や事務的なやり取り以外にお話ししたことはありません。ですのでお母様から直接こちらへお電話があった時は、私も少なからず驚きました」
「あの、母がご住職に『水火葬にしてほしい』とお願いしたのですか?」
先を急ぐように結依が訊ねると、住職は困ったように微笑んだ。
「 “ご住職” では呼びにくいでしょう。私は岡崎と申します。名乗りは岡崎清松と言いますが、どうぞ苗字の方で呼んでいただいて結構ですよ」
結依は恥ずかしそうに笑って頷いた。実のところ、日頃使い慣れない言葉に、毎回舌が回らなくて困っていたのだ。
「じゃあ、あの、岡崎さん……母は何を相談しに来たのでしょうか」
「まずご相談の前に、ご主人へ話が洩れるのを非常に心配されておりました。自分がここに来たことも、話す内容も黙っていてほしいと繰り返し仰って」
それは充分納得のいく話だった。妻が自分を飛び越えて勝手に寺へ交渉するなど、あの父が許すわけがない。
「その上で『こちらでは火葬でなく、水火葬も取り扱っているか』とお訊ねになりました。残念ながら私どもの寺は火葬専門であり、水火葬には対応しておりません。もちろん寺によっては普通に対応しているところもございます。今や数で言えば水火葬が大半ですからね」
岡崎はいったん言葉を切ると、結依の理解を待つように少し間を置いた。
「ただ現代の水火葬は宗教色のないことも多く、専門の司会の方がその場を取り仕切る形が一般的です。海へ還す儀式の際に、僧侶なり神主なりが同席するケースはそれほど多くないと言っていいでしょう。そうお母様にもお伝えしましたところ、ひどく落胆なさっておいででした」
あの控えめで内向的な母が一人でここへ来て相談するなど、相当の勇気が要ったことだろう。その時の母の気持ちを思うと、結依の胸も重く塞がる気がした。
「ただそのお母様の落胆ぶりがいささか気に掛かりましたので、失礼を承知でお訊ねしたわけです。どうして水火葬をお望みなのか、と。何しろ今の時代に故人を火葬で送れるのは、それ相応の家格のお家だけですから。そうしたらお母様は私に『火葬が怖い』と仰ったのです」
結依は思わずテーブルの端を掴んで言った。
「そのとおりです。母は父にもそう言ったのですが、まったく取り合ってもらえなかったと言っていました。ご住……岡崎さんの言うとおり『うちは火葬のできる家なんだから』の一点張りで」
「それは私もお聞きしました。どんなに火葬が怖い理由を訴えても、主人は耳を貸してくれないと……」
「火葬が怖い理由?」
岡崎の言葉に、結依は一瞬呆気にとられた。
そう言えば、母が火葬を怖がる理由までは聞いたことはない。そもそも母は、なぜそこまで火葬を嫌がるのだろうか。
結依の表情をじっと見ていた岡崎は、小さく息を吐いた。
「お母様は、その理由を子供たちには教えていないと仰っていました。あの子たちを巻き込みたくないからと。ですから本来ならば、私があなたにお教えするのも許されないということになります」
結依は慌ててテーブルの上に身を乗り出した。そこまで聞いて知らぬままでは帰れない。
「教えてください! 父は知ってるんですよね!? 母はどうして……」
それには答えず、岡崎は黙って両手を合わせた。そのまましばらくじっと瞑目したのち、ゆっくりと目を開けて手をほどくと、正面から結依を見つめた。
「――あなたのお母様は小さい頃に火事に巻き込まれ、ご自分の母親を亡くされているのです」
「火事に!? お母さんが!?」
思わず腰を浮かせた結依を、岡崎は痛ましげに見やった。
「そうです。その話は、私もその時初めて伺いました。その日は父親――つまりあなたの母方の祖父にあたる人ですが――は出張で不在、姉も近所の家に泊まりに行っていていなかった。つまり家には自分と母親しかいなかった、ということでした」
「それ……それっていつ頃の話なんですか?」
「お母様が5歳の時と伺っております」
結依はもはや言葉も出なかった。これまでにそんな話は母からも、他の誰からも聞いたことがない。確かに母方の祖母は、結依が生まれた時にはすでにいなかったが、病気で早くに亡くなったと聞かされただけだ。祖父はもう十年ほど前に亡くなったが、そもそもあまり交流も深くはなかった。母の姉にあたる伯母も同様だ。結依の中ではせいぜい大昔の祖父の顔がぼんやりと記憶に残っている程度で、伯母に至っては会った記憶すらない。
呆然としている結依を気遣うように、岡崎はゆっくりと話を続けた。
「――実はですね、その火事があった年というのは、偶然にも私が生まれたのと同じ年なのです。私は1999年生まれで、今年55歳になるんですけれど。お母様からお話を伺ったあとにふとそのことに気づきまして、こう言ってはなんですが、何やら気に掛かりまして……当時の記録を少々調べてみたのです」
結依は頭の中で忙しなく計算してみた。母は1994年の生まれだから、その母が5歳というなら確かに合致はしている。
「記録って……そんな火事の記録が残っているものなんですか?」
「それほど多くはありません。ですがこの火事は失火ではなく、放火事件とされています。だからそれなりには記事がありました」
「放火!?」
岡崎は一転して厳しい表情で頷いた。
「あくまでネットで調べた限りではありますが、当時その地域では、何件か不審火が続いていたそうです。犯人が逮捕されたものもあれば、未解決のままの事件もある。大方はボヤ程度だったようですが、中には重大な損害の出たものもありました。その最たるものがお母様……紛らわしいので、失礼ですがお名前で呼ばせていただきます。沙和子さんが遭われた火事です」
「その火事の犯人は? 捕まったんですよね?」
気負い込んだ結依の訊ねに、岡崎は厳しい表情を崩さず、ゆっくりと首を振った。
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