見出し画像

【#創作大賞2024】蒼に溶ける 第2章 ③ 母と娘

←  前の話・2ー② 違和感


結依の言葉が引き金になったかのように、沙和子の口から心の欠片がぽつぽつとこぼれ始める。

「恵まれてるっていうのはよく判ってるの。お父さんに言われるまでもなくね。だから逆に誰にも言えなかった。だって何をどう言ったって、自慢か嫌味にしか聞こえないもの」

結依は、さもおかしそうに笑った。

「お金に不自由してないから働かせてもらえません、夫は優しいです、何でも買ってくれます、どこにでも行かせてくれます、でもそれは私の望むものじゃなくて夫の望むものなんですが、ってことだよね。ははは、そりゃ他人が聞いたら嫌味だね」

「笑いごとじゃないのよ。つい最近もね。ほら、あなたも知ってるでしょう? 水火葬って。あれも私が『火葬より水火葬の方がいい』って言っても、まったく理解しようともしてくれないの。ただ『今や火葬は特権なんだよ』って言うばかりで」

結依がまたも声を上げて笑う。だがその笑いがおかしさから来たものでないことは明白だった。

「はっ、特権ね。そう、お父さんはすぐそれを言うよね。自分たちが特権階級、上級国民って言いたいんだろうね。もちろん『そうなれたのは自分のおかげだ』っていうのがいちばんアピールしたいんだろうけど。でもそれってお祖父ちゃんも一緒だよね。何かと言えば、『この家は俺が建てた』って言ってたじゃない」

沙和子は苦笑いをして頷いた。確かに今時珍しい、まるで高級旅館を思わせるような純和風家屋の “鈴村邸” は、豪奢な家の多いこの界隈でも、昔からちょっとした評判だった。

「だからお祖父ちゃんは余計にこの家から離れたくなかったんだと思うの。それは理解できるし、私もできる限りのお世話はしてあげようとは思ってたんだけど……」

義父の和正も晃雄同様、決して声を荒げたり、嫁である沙和子を粗暴に扱うことはなかった。だが義父から感じるそこはかとない圧力は、沙和子が幼い頃に受けた “新しい母親がほしいだろう” という、まわりの大人の有無を言わせぬ空気と同じ匂いがした。
とびきり優秀な晃雄と結婚できて、この鈴村家の嫁としてなに不自由なく暮らせて幸せだろう、という無言の圧。そしてそれを丸ごと受け売りのように繰り返す、姑の芳江も同様だ。
いわゆる嫁いびりとは無縁の結婚生活ではあった。だが重苦しい何か、息の詰まるような何かが、常に沙和子の後ろから纏わりついてくるような気がしていたのも確かだった。

「私はさ、そういうのが小さい頃から嫌だったの。たとえばテレビで一生懸命働いてる人のドキュメンタリーとかを観た時の『ああ、気の毒にねえ、こんなことまでして働かないといけないなんて』的な空気。それで決まって結論は同じなの。お父さんが立派だから、っていうアレ。私はそれが心底嫌で仕方なかった。事実はその通りかもしれないけど、そうやって事あるごとにその物差しを押しつけてこないでって、いつも思ってた」

沙和子は思わず椅子の上で小さくなった。

「どうしてなのかしら。私だってそういうのがおかしいと思ってたはずなのに、私自身があなたたちに何度もそう言ってきたわね。お父さんのおかげって」

「さっきも言ったけど、お母さんは根本的に人が好いし、お父さんのおかげっていうのもそれ自体は間違いじゃないしね。でもやっぱり長い間に、その考え方に染まっちゃった部分はあるんじゃない? 悪い言い方をすれば洗脳っていうか」

娘の口から出た衝撃的な言葉に、沙和子は体を強張らせた。

「洗脳って……あなた、嫌なこと言わないで。変な宗教やなんかじゃないんだから」

だが結依は、冷静な表情で正面から沙和子を見つめた。

「強い言葉っていう自覚はあるよ。でもあながち間違いでもないと思う。お父さんのそれは、れっきとしたモラハラだよ」
「結依っ!」

沙和子は思わず厳しい声を上げた。だが結依は動じる様子も見せない。

「いかにも判りやすい、攻撃的なものだけがモラハラなわけじゃないんだよ。ゆるゆると相手をいたわる素振りをしながら結局は自分の意見だけを押し通す、いわば真綿で首を絞めるようなものだって、立派なモラハラなんだからね。思い当たることあるでしょう?」

思い当たるどころではない。沙和子は返す言葉もなく俯いてしまった。

「――ごめん、お母さんを責めてるわけじゃないんだ。でもさ、私はそれが嫌だったから、お父さんに何を言われても、自分の望む道を選んで家を出た。今でも認められてないけど、そんなことどうだっていい。私は私の人生を生きようって思って。何不自由なく育ててもらったことには感謝してるけど、その歩く道や歩き方までも決められたくはない。言ってること、判る?」

沙和子は静かに頷いた。結依が、自分の娘が羨ましかった。こうまではっきりと自らの意見を口にし、そのとおりに行動できる聡明さと逞しさが。

「……よく判るわ。お母さん、結依がちゃんとしっかり考えてくれてて嬉しい。あなたの言うとおりよ。あなたはあなたの望む道を歩いて」

「それはお母さんも同じ」

有無を言わせぬ娘の指摘に、沙和子は思わず目を瞬かせた。


←  前の話・2ー② 違和感    次の話・2-④ 本音 →

最初から読む



いいなと思ったら応援しよう!

秋田柴子 お読み下さってありがとうございます。 よろしければサポート頂けると、とても励みになります! 頂いたサポートは、書籍購入費として大切に使わせて頂きます。