この記事のつぶやきは無かったことにして欲しい
最近、記事を書いていて思うことがある。
私のnoteには、共感を得る、言い換えると、沢山の人に届けるために必要な要素が足りていないのではないか。
例えば以下のようなこと。
・読みやすさ(短さ)
・伝わりやすさ(簡潔さ)
・テーマの選び方(話題性、共感)
先日の「ルックバック」感想で考えてみる。
「必死に描く姿に感動した。主人公に自分を重ねて涙が出た」
例えば、こんな感想なら、受け入れやすく想像しやすい。的確に良さを表現できるし、共感も得やすいのではないか。
実際、私もこの感想は持っていた。
けれど、それよりも強く印象に残ったことを中心に書いてしまった。
「冒頭からすごい技術で魅せられた。この映画制作に関わった沢山の人は、主人公のように膨大な時間をこの世界にかけてきたんだろう。そんな人々がこの事件をどんな気持ちで描いたのかと涙が出た。」
要約しようとしても、どうしても長くなる。
順を追わなくてはいけないし、簡略化して書くことが難しかった。
多くの人に伝わりそうな魅力を書くこともできたのに、自我を出して、妙に伝わりにくい、個人的な話をしてしまったのではないか。
このようなことが、記事を書く度、気にかかるようになってきた。
この自我をあえてポジティブに表現するなら「自分らしさ」だと思う。
「これがあなたの味ですよ」
「自分にしか書けない記事を書くのです」
そう言うこともできるし
「まずは、多くの人に読んでもらう努力でしょう」
「基礎的な読みやすさを習得してから考えなさい」
という声もあるだろう。
そして、
「そもそも、あなたは共感を得るために書いているの?」
というところまで来ると、
……。
「好きな作品の魅力が伝わるような記事を書きたい」とはじめての記事で書いたけれど、それは伝わりやすいことを選んで書くということだったのだろうか。
もしかしたら、
続けて書いているうちに答えがみつかるかもしれない。
なんとなく気持ちを落ち着けて、今日もまたnoteをはじめた日の記事を読み返している。
追記。
現在、過去の記事を読み、お風呂にゆっくり浸かったりして思い返しているところ。
書きはじめた時は、これまで周囲の目を気にして言えなかったけれど、ここなら言える!好きなものを好きに語れる!と喜びに溢れていたのに、2週間経って、再び私は「多くの人に端的に伝わるようなテーマを選ばなくては」なんて考えている。
そういう性分なのかもしれないし、もっと多くの人に届いてくれないだろうか、という欲が出てきたのかもしれない。
どちらにしても、なにか違う気がする。
自分が書きたいことを、できるだけ伝わりやすいように書く。印象的だったポイントが作品のど真ん中からズレていても、自分の感想を無下にしない。
そこを目指していこうと思う。そもそも、書く力をつけたくて毎日投稿しているのだ。目標が明確になったと思おう。
今となっては恥ずかしい記事だけれど、これも軌跡ということで、残しておく。願わくば、あまり読まれずにひっそりと置いておかれる記事であって欲しい。
