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ギャツビーのダンス・ダンス・ダンス

主人公の孤独と語り手としての「僕」

村上春樹作品の「僕」が作者自身を想起させるのと同様に、フィッツジェラルドの小説の登場人物も作者自身を想起させる。

1920年代の狂騒から世界恐慌へと向かう時代に、まるで殉じるかのように没落していくフィッツジェラルドの登場人物たち。それに対し、1980年代以降の日本の繁栄と転落を横目に一歩身を引いているはずが、なぜかいつも事態に巻き込まれてしまう村上春樹の主人公たち。彼らには、オシロスコープの正弦波のような共振感がある。

バブル絶頂直前の1988年に発表された村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』に描かれる、五反田君の栄華と孤独と末路と、語り手である「僕」の関係には、フィッツジェラルドが『グレート・ギャツビー』で描いた1920年代ジャズ・エイジのジェイ・ギャツビーとニック・キャラウェイの関係との同軸性を感じる。


ジャズ・エイジとバブル・エイジ

とはいえ、五反田君の「栄華」はさほどパッとしたものではない。豪華絢爛というより、高価なクルマや豪勢な食事の費用を「経費で落とす」といった感じである。これはジェイ・ギャツビーの豪壮なパーティとは比較の対象にならない。スケールが小さすぎる。

この描写は、当時の日本のバブルが実需に支えられたものというより、ガバナンスの不全のもとで、「社会主義的な高度資本主義」が信用創造と経費の濫用によって作り出したものだったことを、的確に示している。

それは、第一次世界大戦後に疲弊した欧州の復興需要に、自動車や家電製品といった新テクノロジーの供給国として米国が享受した空前の好景気とはレベルが違うものであり、それがギャツビーと五反田君の差になっている。

語り手の境遇についても『グレート・ギャツビー』の語り手であるキャラウェイは、20代の若者でありながら、隣のギャツビーの豪邸に比べればささやかとはいえ、高級住宅地の一軒家に家政婦を雇って暮らし、それでもつつましい生活を送っていることになっている。

一方、『ダンス・ダンス・ダンス』の「僕」は、ぶつぶつ文句を言いながらもバブル経済のトリクルダウン的恩恵に与っているが、住んでいるのは高速道路の脇にある古いアパートだ。しかし、それこそが1980年代末の東京のリアルな空気を描き出している。


「背徳感」の質の違い

ジャズ・エイジ(1920-30)は同時に禁酒法の時代でもあった。つまり、『グレート・ギャツビー』に描かれている飲酒風景は「違法行為」であり、背徳感を醸し出す影が存在する。また、浮かれている登場人物には、つい最近の第一次世界大戦(1914-18)で散った同世代の記憶も生々しく、出征して生き残った者が華やかに酒を飲むことについて、得も言われぬ感情があった。

一方、第二次世界大戦後に生まれた日本の学生運動世代は、バブル期(1986-91)には、企業の現場指揮官となっていたが、その背徳感は「戦後復興を牽引した戦中世代の功績へのただ乗り感」と「大学できちんとした教育を受けずに卒業した後ろめたさ」そして逃げ切るための保身から成っていた。第二次世界大戦からは40年近くが経ち、出征世代は引退しつつあった。

僕は全共闘世代を高く評価しています。だって口先だけの革命理論なんて放り出して、会社に入って、一生懸命働いてバブルを作り出して、それを景気よくはじけ飛ばせて、日本型資本主義を根本から破壊してこの今ある壮大なカオス状況を作り出しちゃったわけですからね。評価しないわけにはいきません。

『少年カフカ』2002年9月22日 P141

1980年代の東京では、善悪も相対化されてシステムに回収されていた。ギャツビーの時代にあった生々しい戦争の記憶も遠いものとなり、背徳感も「経費で落ちる」システムの一部になり、不良債権の中に隠れてしまって、何がどうおかしいのかがわからなくなってしまっていた。

善悪という基準も細分化された。ソフィステイケートされたのだ。善の中にもファッショナブルな善と、非ファッショナブルな善があった。悪の中にもファッショナプルな悪と、非ファッショナプルな悪があった。

『ダンス・ダンス・ダンス』7(1988)

こうした「背徳感」の重さの違いもまた、同じように繁栄の時代を描きながら、『ダンス・ダンス・ダンス』の人物たちを、どこか表層的に見せる背景の一つなのではないかと思う。しかし、それこそが1980年代末の東京のリアルな空気であったことは間違いない。

そんな中で村上春樹が行ったのは、そうした時代背景を包み込む形で「異世界への扉」を開くことだった。それによって作品に他の時代にも通じる普遍性を付加したが、リアリズム小説としての側面を、同時に覆い隠してしまったともいえる。

しかしながら、異世界があり、羊男が存在するからこそ、村上春樹は村上春樹でいられることも確かである。ただし、その異世界との接続が救済をもたらすわけではなく、最終的に「僕」は女性によって救われる。では、なぜ「僕」はキャラウェイと異なり、救われたのだろうか?


切れ切れな響きとして続く時代

村上春樹は『ダンス・ダンス・ダンス』執筆時、イタリアに滞在していた。当時、遊びに来た村上龍が土産に持ってきたミュージックテープの中にあった小泉今日子の歌を繰り返し聴き「懐かしい暗号の切れ切れな響きとして、異国の地で僕を保護してくれた(『村上ラヂオ2』)」と表現している。

小泉今日子 Ballad Classics (1987年12月1日発売)

そのカセットが『Ballad Classics』であり、一曲目に収録されているのが『Flapper』である。「フラッパー」は言うまでもなく、1920年代ジャズ・エイジの新しい女性たちを指す言葉だ。それを1980年代のアイドルポップスとして解釈したこの名曲は、今でもライブで歌い継がれている。

バブル絶頂期の東京を離れた村上春樹は、1987年冬から88年にかけてローマで『ダンス・ダンス・ダンス』を書いた。その時のことを「初期三部作(『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』)の世界に戻ってみたくなった(『村上春樹全作品1979-89⑦自作を語る』)」と表現している。

もし『ダンス・ダンス・ダンス』の執筆中にも「フラッパー」を聴いていたのだとすれば、暗号の切れ切れな響きという表現が心に残り「僕」がユミヨシさんに救われたのにも納得がいく。フラッパーは繁栄の地に現れる。20世紀末のフラッパーは東京に存在していたのだ。

「送り狼が着るタキシード
マティーニさめるまで、夜風にシトロエン」
小泉今日子『Flapper』作詞:康珍化(1985)  

ロング・グッドバイ

フィッツジェラルドと並んで、村上春樹が敬愛する作家として知られているのが、レイモンド・チャンドラーである。村上春樹は高校生の頃から『ロング・グッドバイ(長いお別れ)』を繰り返し読み、2007年には翻訳版を出し、その訳者あとがきで『グレート・ギャツビー』との相似について言及している。

僕はある時期から、この『ロング・グッドバイ』という作品は、ひょっとしてスコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』を下敷きにしているのではあるまいかという考えを抱き始めた。

村上春樹  ロング・グッドバイ 訳者あとがき(2007)

テリー・レノックスとジェイ・ギャツビーは、純粋な夢と人格的な弱さを合わせ持ち、享楽的な生活から破滅に向かって突き進む。そしてそれを見守るのがフィリップ・マーロウとニック・キャラウェイである。

作家としてのフィッツジェラルドは魂の根幹を中西部に置き、チャンドラーは英国に置く。その上でフィッツジェラルドは東海岸のニューヨーク、チャンドラーは西海岸のロス・アンジェルスに深い愛憎を注ぐ。

『ロング・グッドバイ』は1953年、第二次世界大戦に勝利し、世界の覇者となった米国で発表された。レノックスの栄華も米国の繁栄を背景としており、戦後のどさくさに紛れているという意味でギャツビーと共通する。

村上春樹は『グレート・ギャツビー』と『ロング・グッドバイ』をそれぞれギャツビーとキャラウェイ、レノックスとマーロウの魂の交流、そして幻想がもたらす深い幻滅に至る物語としてとらえている。

どうにもならない結末に至る点を含め、二つの小説は大戦の後に、北米大陸の両岸で生じた出来事を記している。そしてレノックスが飲むギムレットには英国、デイジーのミントジュレップには南部の影がある。


そしてダンス・ダンス・ダンス

『ロング・グッドバイ』訳者あとがきには『ダンス・ダンス・ダンス』の言及はない。しかしながら、訳者あとがきを読むたびに、五反田君と「僕」の関係を、ギャツビーとキャラウェイ、レノックスとマーロウと比較してしまう。そして魂の根幹を阪神間に残し、どこか醒めた観察者として東京を描く村上春樹のことを思う。

村上春樹は後年『ダンス・ダンス・ダンス』についてこう述べている。

『ダンス・ダンス・ダンス」だけにはいささかの心残りがあります。いろんな個人的な事情があって思うように時間をかけられず、あと、段階詰めが甘くなったところがあるからです。半年くらい寝かせて、もう一度じっくり書き直したら、もっと大柄で深みのある、そしてより温かみを持った作品になっていただろうな、という感触があるのです。

『ひとつ、村上さんでやってみるか』P279(2006)

訳者あとがきに『ダンス・ダンス・ダンス』への言及がないことを、村上春樹の慎み深さの表れと受け取りたい。そして『ダンス・ダンス・ダンス』に『グレート・ギャツビー』や『ロング・グッドバイ』ほどの深みが感じられないのだとしたら、それは作者の力量ではなく、1980年代という時代の持つコントラストの見えにくさによるものだと思う。

五反田君の死がもたらした「出口のない鉛の箱のような絶望」は表面的な華やかさの陰で、逃げ場を失ったことによるものだった。そして「僕」は羊男に、「これが君の世界の繋げ方なのか」と問いかける。

キャラウェイに比べても、「僕」の傷つき方はよりエモーショナルに見える。マーロウとの違いは言うまでもない。しかしながら、「僕」はその苦しみから一歩抜け出して、夏の朝の光を見る。

「ユミヨシさん、朝だ」と僕は囁いた。

『ダンス・ダンス・ダンス』44(1988)


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