精神の真理とは? / 不思議なこと、面白いこと、考えたこと

ソクラテスやプラトンが追求した(と思われる)普遍的な真理というものがどういうものなのか?それは近代科学的な意味での、例えば数学とか物理学が記述するであろうような意味での、絶対的知識ではない。そうではなくて、つまり物理的な真理ではなくて、精神的な真理である、ということは間違いないのだろう。

それについて真剣に考えることは、少なくとも現代日本にあって非常に難しいことと思う。僕自身はと言うと、まだよくわからない。プラトンを読んでいて、それに僕自身の(非常に限られた)読書や生活の経験を通じて、どうもいろいろな方向から見て、それはあるはずのものらしい、と考えざるを得ない、ということしか言えない。

『メノン』という対話篇の中に面白い一節がある。あるものが「何であるか」を知らないのに、それが「どんな性質をもつか」を言えるはずがない、とソクラテスは言う。ここまではプラトン対話篇でよく語られることなんだけど、それに続いて、「メノンという人物をぜんぜん知らない人が、メノンは美しいとか、高貴であるとか、そんなことを言えるはずがないだろう」ということが言われる。これはまことにもっともな言い分のように思われる。

面白いのは、ここでソクラテスは、知識一般の話をしている、ということ。人づきあいにおいて、その人のことを知りもしないで、その人がどんな人かを言えるはずがない、真理だってそれと同じだ。真理というものと親しく付き合いもしないで、それがどんな性質のものか言えるはずがない、とソクラテスは言っている。そう取って差し支えない一節だと思う。

例えば、人と付き合うみたいに自然と付き合うということは、どういう意味だろう?ことがらと付き合うということ、人生と付き合うということは、どういう意味なのだろう?

とても面白いと思っています。

ここから先は

0字

¥ 100

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?