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hiromidori
観測10日目|用途が剥がれた場所の居心地の良さ
用途が明確な場所は、行動が決めやすい。
飲食店では食べることが前提になり、公園では休むことが期待される。そうした場所では、何をすればよいかがあらかじめ決まっている。
しかし、用途が曖昧になった場所にいると、少し違った感覚が生まれる。
ある建物の裏手に、かつて店舗として使われていたと思われる空間があった。看板は外され、入口は半開きのままになっている。中には物が残っているが、営業している気配はない。
その前にしばらく立っていても、誰にも咎められない。立ち止まる理由も、離れる理由も明確ではない。
このとき、その場所は「店」でも「空き家」でもなく、どちらとも言い切れない状態になっている。
用途が剥がれることで、行動の指示も弱まる。
結果として、その場所は一時的に自由度を持つ。
観測は、こうした状態で起こりやすい。
用途が固定されている場所では、視線や行動もその用途に従うが、曖昧な場所では、何に注意を向けるかが開かれている。
つまり、用途の不在は欠陥ではなく、観測を可能にする条件の一つになっている。
居心地の良さとは、機能の充実ではなく、行動の拘束が弱いことに由来しているのかもしれない。
