見出し画像

日本は”独自国”、沖縄は”独立国”、朝鮮は”従属国”

これは別に書いていたものですが、抜粋し少しだけ加筆です。
中国の冊封秩序体制の中での話ですね。

さらに言うと、明代の外交文書・冊封使録に「琉球(沖縄)は日本の一部」である事が繰り返し書かれています。
・琉球は日本文化圏に属する
・琉球は日本と密接な関係を持つ
・琉球は日本の影響下にある
このように、琉球王国自体は日本に属する事を中国側は認めています。何というか……昔の香港の立ち位置のような場所ですね。

時々、お隣の韓国で「朝鮮は中国の属国じゃない! 当時の冊封はそんなのではない!」なんて、大変に勘違い発言を見掛けるので、判りやすくするために抜粋してきたものです。
また、それが明らかになると「両属していた(両方に属していた)」という論調も見られますが、これも間違いです。琉球王国は「中国から見れば日本に属する独立国扱い」「日本から見れば薩摩の属領」という構造です。どちらにしても「日本に属していた」と言う事は間違いがありません。


中国の冊封秩序体制

日本は周辺国の中で、例外的に冊封を受けていない独立国です。

中国の冊封秩序体制では、臣従国の義務は次の順序で重くなります。
・正朔を奉ずる(中国の元号・暦を使用)
・朝貢
・冊封使の受け入れ
・中国皇帝への称号使用
・外交の制限
このうち 最重要な項目として「正朔を奉ずる」があります。なぜなら、元号・暦を使う=中国皇帝の時間秩序に従う=政治的服属を意味するからですね。

これ、よく「日本は中国の冊封を受けていた」と勘違いする人も居るので、分かりやすい「冊封秩序体制に入っているかどうか」の判断指針として第一に取り上げています。

冊封秩序体制の中の朝鮮半島

例えば朝鮮半島は、新羅の時代に3代だけ独自元号を使いましたが、これは後に中国に大変に𠮟りつけられ、中国の元号・暦に戻しますし、外交は厳しく制限されます。統一新羅や高麗などは典型的ともいえる冊封国で、

◆新羅だと
・正朔を奉ずる(中国の元号・暦を使用)→ 新羅は唐の元号を使用
・朝貢の義務→ 定期的に唐へ進貢し、冊封使を受け入れる
・外交の制限→ 中国の許可なく他国と外交できない(日本との外交も唐の監視下)
というものです。実際、唐は新羅に対して、
・日本との直接交渉を制限
・渤海との関係も制限
・外交文書の形式も規制
となっている、典型的な冊封国です(それもかなり低い地位の)。

◆高麗も
・正朔を奉ずる→ 宋・元・明の元号を使用
・外交の制限→ 中国の許可なく他国と外交できない(日本との外交は常に中国の冊封秩序の枠内)
・冊封使の受け入れ→ 王位は中国皇帝の認証が必要、冊封使の来訪は義務
これらは李氏朝鮮時代でも同じで、典型的な冊封国です。

というか、「1000年以上も中国の完全属国だった」のは、歴代中国の長い冊封秩序体制の中でも朝鮮半島しかいないのですけどね。

冊封秩序体制の中にもランクはある

もう少し冊封秩序体制を話すと、その中でも「重い」「軽い」が存在します。

重い冊封(王位の認証=冊封使が来て“王位を授ける”)
・朝鮮(新羅・高麗・李氏朝鮮)
・安南(大越国)※時期により変動
・一部の雲南・南詔系政権(唐代)
これらは「王位は中国皇帝の正式な授与(冊封)」が必要 という最も強い従属形式です。「臣従国」と言うと範囲が広くなりますので、「属国」と明言した方がいいでしょうね。
実際、そう記録されていますので。

中程度の冊封(王位は“報告”のみ、形式的承認)
・大理国(宋代)
・チャンパ(占城)
・パガン朝ビルマ
・シャム(アユタヤ)※明代以降
・マラッカ王国(明代)
これらは「王位継承を中国に報告するが、冊封使は来ない」 という軽い形式。 中国側は「承認した」と記録するが、実質は“報告を受け取るだけ”で、王位の授与権は行使しません。

さらに軽い冊封(王位報告すら任意、朝貢のみ)
・ジャワ(満者)
・スリランカ
・インド諸国(明代の鄭和期)
・西南諸部族(雲南・貴州の土司の一部)
これらは朝貢はするが、王位継承は中国の関与外です。

判るように、「重い冊封」でも、半島ほど長きにわたり(1400年ほど)も連続して冊封の下にあり、厳しい管理の下にあった国は他にはないのですよね。

その中でも私が特徴的だな、と思うのが文化技術を教えるかどうかです。李氏朝鮮時代、頭を擦り付け土下座して媚を売っていたのはよく知られている話ですが、李氏朝鮮は中国の進んだ文化を手に入れようと懸命に使者を派遣していましたが、あまり相手にされずにかなり入手に苦労した事が記録されています。

沖縄(琉球王国)や長崎出島での交流で結構情報が入ってきていた日本と随分と違うのですね。

日本は冊封秩序体制に含まれない

ところが、これらの冊封秩序体制で求められる義務となる項目について、日本は全て拒否をしています。
独自の元号を利用してますし、外交は独自路線を貫きます。

「朝貢していたのでは?」と勘違いするかもしれませんし、朝貢図に描かれていますが、朝貢というものではなく朝貢は拒否している事が中国の史書に記録されています。三国志に始まり隋書・旧唐書・新唐書は、日本を“朝貢国”として扱っておらず、むしろ「対等外交」「朝貢拒否」「冊封拒否」を明記しています。

もっとも明確なのは新唐書ですね。
「日本は自ら年号を立てる」
  → 正朔拒否を明記
「日本は自ら天子と称し、中国に臣とならず」
  → 冊封拒否を明記
「日本は使を遣わして来るが、朝貢の礼にあらず」
  → 遣唐使は“朝貢”ではなく“使節交換”と明記
と書かれていますね。
三国志でも、日本に送り金印は「金璽綟綬」ではなく「金璽青綬」なので、臣従國ではない事が明らかです(”金璽綟綬”は有力な臣従國に渡すもの)。

日本は古来から一度も中国の冊封を受けておらず、臣従國になった事がないのですね。
これは中国史書を読めば確認できます。

ちなみに、時代は少し違いますが楽浪郡主などは銀印で、辰韓を管理していた馬韓内の一国が銅印でしたので、新羅・高麗・李氏朝鮮などは「外藩」で銅印クラスの扱いということです。

冊封秩序体制の中の琉球王国

この中国の冊封体秩序制において、少し面白いのが「琉球王国」です。

琉球も「重い冊封(王位の認証=冊封使が来て“王位を授ける”)」に属し、冊封秩序体制の中にありますが、臣従国ではなく「日本に属する独立国」という扱いです。
これが韓国が良く言い訳にする「冊封国だからと言って属国ではない」そのものなのですが、それは「琉球王国」には当てはまりますが、「朝鮮半島」は明確な属国です。

・中国に対する地位
新羅・高麗・李氏朝鮮:臣従国(従属国)
琉球:独立国として扱われる冊封国(非臣従)

・冊封の性質
新羅・高麗・李氏朝鮮:王位は中国皇帝の冊封で成立(強制)
琉球:王位は冊封で形式的に承認(儀礼中心)

・冊封使の派遣
新羅・高麗・李氏朝鮮:必須・政治的意味が極めて強い
琉球:必須だが儀礼的・文化交流的

・正朔(元号)
新羅・高麗・李氏朝鮮:中国の元号を強制使用
琉球:中国の元号を使用(形式的で、日本の元号も使用)

・外交権
新羅・高麗・李氏朝鮮:中国の許可制(日本・渤海との外交も制限)
琉球:対中国では独立国として振る舞う/対日本は薩摩が管理

・礼儀作法(外交儀礼)
新羅・高麗・李氏朝鮮:中国式を厳格に遵守(朝鮮は最も厳格)
琉球:中国式を採用するが、文化的・柔軟

・朝貢の性質
新羅・高麗・李氏朝鮮:義務的・政治的従属の表現
琉球:儀礼的・交易目的が強い

・王統の自立性
新羅・高麗・李氏朝鮮:自前だが正統性は中国依存
琉球:自前で完全自立(冊封は形式)

・行政制度
新羅・高麗・李氏朝鮮:中国制度の徹底的模倣(律令・科挙)
琉球:琉球独自制度+中国式の一部採用

・法体系
新羅・高麗・李氏朝鮮:中国律令の翻案(従属的)
琉球:琉球独自法体系(中国法の影響は限定的)

・国内の主権
新羅・高麗・李氏朝鮮:中国秩序に強く依存
琉球:国内主権は完全に自立

・日本との関係
新羅・高麗・李氏朝鮮:基本的に無関係
琉球:薩摩の属領(1609年以降)

・総合評価
新羅・高麗・李氏朝鮮:中国の“臣従国”として最も従属度が高い冊封国
琉球:「中国から見れば日本に属する独立国扱い」「日本から見れば薩摩の属領」という構造

明・清の官修史書(『明実録』『清実録』『会典』など)では、琉球は常に「琉球國」「琉球王」「琉球國王某」と記されます。
ここで重要なのは、中国が臣従国に対して使う語は「属国」「藩属」「臣属」「外藩」などですが、琉球には一度も使われません(朝鮮は「外藩」で「臣従国として中国の外側に置かれた藩」と、臣従国の中でも最も地位が低い立場ですね)。
つまり中国は琉球を“独立した王国”として扱ったということです。

沖縄は日本の窓口

これは、琉球王国が中国にとっての日本の窓口であり、明代の外交文書・冊封使録には、次のような認識が繰り返し現れます。
・琉球は日本文化圏に属する
・琉球は日本と密接な関係を持つ
・琉球は日本の影響下にある
このように、琉球王国自体は日本に属する事を中国側は認めています。
また、琉球王国は日本の文化や物を大量に中国に輸出していた事も書かれています。これも勘違いされていますが「中国→日本」という輸入もありますが、それよりも「日本→中国」という方が多かったのですね。


日本の物資を大量に積んで中国に運んでいたことが、冊封使録・明実録・琉球王府史料に明記されています。琉球が中国に持ち込んだ日本物資の例としては、
・日本刀(倭刀)
・日本漆器
・日本の木材
・日本の硫黄
・日本の銅・鉄
・日本の工芸品
・日本の染織品
・日本の陶磁器(瀬戸・美濃など)
冊封使録には、「琉球は日本の物を多く持ち来る」と繰り返し記録されています。面白いのは、中国は鉄鉱石が採れ、独自の鋳造鉄文化を持っていたにもかかわらず、日本からの金属類を製鉄品をかなり求めています。

一方、「中国→日本」の流れは限定的で、中国から日本へ渡ったものは主に、
・書籍
・絵画
・陶磁器
・茶・薬品
・絹織物
・文人文化(儒学・禅など)
などです。しかし量的には 日本→中国の方が圧倒的に多いのですね。
どちらかと言うと、上層の「趣味」の物、つまり『威信財』が入ってきています。青銅は材料と言う事で求めましたが、中国製鉄製品は歴史的にも日本には大して入ってきていません。
鉄や漆器って、古代から江戸時代までを見ても中国からはほとんど入ってきていないのですよね(少しは入ってきていますが)。

いいなと思ったら応援しよう!