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空き家、空き施設を第二の拠点に!

春の光の下、古民家の縁側で知らない同士が味噌汁を分け合う姿
台風の夜、合鍵で入れる「第二のわが家」に灯りがともる安心
通学路の花壇を毎朝たのしみに歩く子どもの顔

自分だったらどんな姿が浮かび上がるだろうか

空き家シェアハウスは、部屋数よりも「持ち寄るもの」で広がる。
料理が得意なら、週に一度の共同台所をひらく。
力仕事が得意なら、庭の竹を伐ってベンチをこしらえる。
話を聴くのが得意なら、ただ隣に座る。
自分なら何を持ち寄れるかな?
肩書きは要らない。必要なのは、誰かの暮らしが少し軽くなる小さな手。

「非常時、どこへ向かう?誰に連絡する?」
空き家、空き施設を利用したシェアハウスは「交流施設」であり「防災施設」となる。そして、新たな拠点だ。

自宅と、空き家、空き施設を利用したシェアハウスを利用した「二拠点の暮らし」は、移住でも観光でもない。選択肢だ。
平日は駅近の部屋で病院と役所に歩いて行く。週末は里山の家で土に触れる。子どもは夏、川で遊び、冬は図書館で宿題をする。外国の友だちは収穫体験をし、夜はカレー鍋を囲む。そんな循環が始まれば、空き家は「空き」ではなくなる。

「住み続けられる」とは、ガマンし続けることではない。
「選び続けられる」ことだ。
働き方を選べる。学び直しを選べる。頼り方を選べる。
最期の場所すら選べる。

自分は何を選ぶ?そして、選べない誰かのために、どの選択肢を増やす。
この問いを抱え続ける自分はまるで、まちの設計者だ。

現実は甘くない。人手は足りない。お金も潤沢ではない。
けれど、ないものを数えるより、あるものを結ぶ。
空き家、畑、商店、学校、寺社、川べり、自分の時間、技、言葉。結び目の一つひとつが、暮らしを支える「見えない橋」になる。

最近、誰かにしてもらって嬉しかった小さなことは何だろう。
ドアを支えてもらった、手伝ってもらった、重い荷物を持ってもらった。
理由は忘れたが、笑顔で話をした時のこと。

僕たちは、成長の過程で望ましい居場所があって良いと思う。
誰も来ないようなポツンと一軒家にいたい時
見ず知らずの人だけど、適度な距離で話しあえる居場所
公共施設や医療施設が近くにある場所

子育ての時期は田舎で遊ばせたい時だってある。
免許返納してしまった時、自宅から離れたくはないが、病院に通わなくてはいけない時は病院の近くに泊まれたら楽

自分の都合に合わせて居場所を変える。

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