見出し画像

「傷ついた=相手が悪い」という考えの落とし穴──ハラスメントという言葉が見えなくしたもの【AI時代の知性論 #1】

「それ、ハラスメントじゃない?」

最近、この言葉を聞く機会が、本当に増えた。

仕事で上司に厳しいことを言われた。

恋人と喧嘩をした。

友人に耳の痛いことを指摘された。

親と価値観がぶつかった。

そんな出来事を信頼できる友人や家族に相談すると、高い確率で返ってくる言葉がある。

「そんな人とは距離を置いた方がいい。」

「そんな会社、辞めた方がいい。」

「そんな恋人、別れた方がいい。」

もちろん、本当にそうした方がいい場合もある。

暴力。

脅迫。

権力を利用した支配。

人格を否定し続ける言葉。

そうしたものから離れることは、自分を守るために必要だ。

だからこの記事は、ハラスメントを軽く考えようという話ではない。

むしろ、その逆である。

本当に危険なハラスメントを見抜くためにこそ、私たちは一度立ち止まって考える必要がある。


私たちは、「傷ついた」と「相手が悪い」を同じものだと思っていないだろうか。

少し考えてみてほしい。

誰かの一言で傷ついた。

このとき、確かな事実は一つしかない。

「私は傷ついた。」

これは事実である。

しかし、その次の瞬間、私たちは無意識にこう考えてしまう。

「だから相手が悪い。」

ここには、大きな飛躍がある。

「私は傷ついた。」

これは事実だ。

しかし、

「だから相手が悪い。」

これは結論であり、解釈である。

本来なら、その間には考える時間が必要なはずだ。

それなのに、現代ではその時間がどんどん短くなっているように感じる。


相談すると、思考が止まることがある。

私は、人に相談すること自体を否定したいわけではない。

一人で抱え込むより、信頼できる人に話した方がいい場面はたくさんある。

問題は、そのあとだ。

相談相手は、あなたの味方でいてくれる。

だから、あなたを守ろうとする。

その優しさは、とてもありがたい。

しかし、その優しさが、ときに思考を止めてしまうことがある。

「相手が悪い。」

「離れた方がいい。」

その結論が本当に正しいのかを考える前に、話が終わってしまう。

私は、そんな場面を何度も見てきた。


「ハラスメント」という言葉は、人を守る。

ここで誤解しないでほしい。

ハラスメントという概念は、多くの人を救ってきた。

昔なら、

「それくらい我慢しろ。」

で終わっていた理不尽が、ようやく社会の問題として認識されるようになった。

それは、とても大きな前進である。

だから私は、この言葉を否定したいわけではない。

ただ、便利な言葉には、いつも副作用がある。

便利だからこそ、人は考えることをやめてしまう。

「あの人は毒親だ。」

「あの会社はブラック企業だ。」

「あれはハラスメントだ。」

その言葉が正しいこともある。

しかし、ラベルを貼った瞬間に思考が止まるなら、その言葉は問題を理解する助けではなく、問題を見えなくする壁にもなってしまう。


「傷ついた」には、いくつかの種類がある。

ここで、一つだけ提案したい。

誰かの言葉に傷ついたとき。

その瞬間に結論を出すのではなく、まず、

「私は、なぜ傷ついたのだろう。」

と考えてみてほしい。

立場を利用して押さえつけられたからなのか。

人格を否定されたからなのか。

それとも、自分でも薄々気づいていた課題を指摘されたからなのか。

受け取る側からすれば、どれも「嫌な気持ち」になる。

しかし、その中身はまったく違う。

その違いを見分けられるかどうかで、その後の人生は大きく変わると私は思っている。


このシリーズで、本当に考えたいこと

このシリーズは、ハラスメントの善悪を語るためのものではない。

もっと根本的な問いを考えたい。

それは、

「人は傷ついたとき、どう考えるべきなのか。」

という問いである。

AIが急速に発展する今、知識そのものの価値は少しずつ変わっていくだろう。

しかし、自分の感情と向き合い、現実を見つめ、考え続ける力は、これからも人間だけの強みであり続ける。

だから私は、このテーマを「ハラスメント論」ではなく、「AI時代の知性論」として書いていきたい。


次回予告

次回は、多くの人が無意識に陥っている、もう一つの思考のクセについて考えたい。

なぜ、人に相談すると、

「別れろ。」

「辞めろ。」

という結論になりやすいのか。

そこには、優しさだけでは説明できない、人間の心理が隠れている。

こちらへどうぞ⬇️


いいなと思ったら応援しよう!