あなたを守る言葉が、あなたの成長を止めることもある?──なぜ相談すると「別れろ」「辞めろ」になるのか【AI時代の知性論 #2】
前回の記事では、
「傷ついた」という事実と、「だから相手が悪い」という結論は違うのではないか。
という話を書いた。
今回は、その続きを考えてみたい。
私は昔から、一つ不思議に思っていることがある。
なぜ人は、誰かに相談すると、驚くほど同じ結論にたどり着くのだろうか。
「それ、別れた方がいいよ。」
恋人との喧嘩を相談すると、
「そんな人とは別れた方がいい。」
会社で嫌なことがあったと相談すると、
「そんな会社、辞めた方がいい。」
友人とのトラブルを話すと、
「そんな友達とは縁を切った方がいい。」
もちろん、本当にそうした方がいい場合はある。
理不尽な支配。
人格攻撃。
暴力。
そうした関係から離れることは、とても大切だ。
しかし私は、少し違う疑問を持っている。
なぜ私たちは、そこまで早く結論を出したがるのか、ということだ。
相談相手は、悪気があるわけではない。
ここで誤解してほしくない。
私は、友人や家族への相談を否定したいわけではない。
むしろ、人は一人では冷静になれない。
だから、信頼できる人に相談することは、とても大切だ。
問題は、相談相手の「優しさ」が、ときに思考を止めてしまうことがあるという点だ。
あなたが傷ついた。
その事実を聞いた相手は、あなたを守りたい。
だから自然と、
「相手が悪い。」
という方向へ考え始める。
これは責められることではない。
人間として、ごく自然な反応だ。
でも、本当にそれだけでいいのだろうか。
もし相談相手が、その場にいたなら話は別だ。
前後の流れを知っている。
相手の表情も見ている。
あなたの言葉も聞いている。
しかし現実には、多くの場合、相談相手は出来事の一部しか知らない。
それでも、
「それはハラスメントだ。」
「そんな人とは離れた方がいい。」
という結論になりやすい。
私は、この現象を見ていて思う。
私たちは、問題を解決したいのではなく、不快感を早く消したいだけになっていないだろうか。
不快感は、すぐに消したくなる。
人間は、不快な感情が苦手だ。
だから、その原因を一つに決めたくなる。
「あの人が悪い。」
そう決めれば、心は少し楽になる。
しかし、楽になることと、正しく理解することは同じではない。
本当は、
「なぜ私はこんなに傷ついたのだろう。」
という問いの方が重要かもしれない。
それでも私たちは、その問いを飛ばしてしまう。
なぜなら、その問いは、自分自身とも向き合わなければならないからだ。
自分と向き合わされている、これが「不快感」の正体である。
つまり、不快さを感じているときの多くは、なにか嫌なことを言ってきたその相手にではなく、実はその時、「自分に対して不快感を抱いている」。無自覚かもしれないが。
「味方」は、いつも正しいとは限らない。
相談相手は、あなたの味方だ。
だから、あなたを否定しない。
励ましてくれる。
慰めてくれる。
それは、とてもありがたいことだ。
しかし、人生にはもう一つ必要な存在がいる。
「味方」でありながら、耳の痛いことも言ってくれる人だ。
「それは相手にも事情があったんじゃない?」
「君にも改善できる点はあると思う。」
「もう少し違う見方もできるんじゃない?」
こうした言葉は、その場では決して気持ちのいいものではない。
むしろ腹が立つこともある。
それでも、長い人生を振り返ると、自分を成長させてくれたのは、こういう言葉だったという人は少なくないのではないだろうか。
優しさにも、二種類ある。
私は、優しさには二つあると思っている。
一つは、
今の苦しみを和らげてくれる優しさ。
もう一つは、
未来の自分のために、耳の痛いことも伝えてくれる優しさ。
どちらも大切だ。
しかし現代では、前者だけが「優しさ」として評価されやすくなっているだろう。
だからこそ、私たちは「傷つかないこと」を重視するあまり、「成長する機会」まで失ってしまうことがある。
とはいっても、僕らは常に巨大な問題との間で板挟みなのです。
だからこそ、内面的には多層的な考え方を持っている方が心身ともに安全であり、良いとこ取りもできるからおすすめしたい。
次回、「安心」と「成長」の良いとこ取りのために。
では、傷ついたとき、私たちは何を基準に考えればいいのだろうか。
私は、まず最初に三つの問いを自分へ投げかけることを提案したい。
これは支配なのか。
人格攻撃なのか。
それとも、自分の未熟さを映し出された結果なのか。
この三つを区別するだけで、同じ出来事でも見え方は大きく変わる。
次回は、このシリーズで一番伝えたい、その「三つの問いかけ」について書いてみたい。
