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【お仕事×心理学小説】紫陽花の咲くころに(後)

~9~

「本当にあなたって、人の気持ちがわからない人ね」

私が2年前に、会社を辞める直前に冬美から聞いた最後言葉、だと思う。

私は自分が、他と違っている自覚は、幼少のころからあった。
社会不適合者ではないか、とすら思った。
それでも長年、それなりにサラリーマン生活をやって来れた。
出会った人々に恵まれていた。

とても感謝している。
こんな私でも、普通の生活ができるなんて。
今はサラリーマンではなくなったが、むしろ好きなことに
より熱中できていて、幸せだ。
でも、これから先も、続けられるかはわからない。
特に4年前は、もう自分のしたいことをしている場合ではない、とにかく、会社で目立たすに生きていこうと決めたときだった。

冬美に出会ったのは。

当時その会社には、私の理想を実現できるだけの器はありそうだが、
一人で実現するのは到底不可能だった。少なくとも全体の2割はその理想を理解できなければ、それは実現しないだろう。
理想とは、仕組みが実現するのではなく、人が実現するものだから。

その時のことを、今ここに書き留めておく。


~10~

話は、4年前からはじめても良いのだが、ことが単純でない。
そこで、一番よくわかっている自分のことをまず、
ここに記そう。
いずれ私がこの記録を見たときにも、何かの役に立つだろう。

私は、時々、自分というものの存在を疑う。
子供のころから、自分とこの世界のつながりについて、疑問を持っていた。見渡せば周りには、無数の動物と、植物があり、そして、自然がある。

自然? 自然って、なんだ?
対義語を調べると・・・これか。

人工物。
人間が作ったものは、自然、ではないのか。
意図があると、自然じゃないのか。

じゃあ動物が作ったものは?
鳥の巣は?
植物が織りなすあの美しさは?
あの造形美は、計算されたものじゃないのか?

一体、自然って何なのだ?

私って何なのだろう。
どうして私は動いているのだろう。
この存在は、いつか消滅するものなのか。
不自然だから?
人工物だから?
それとも、自然にも、消滅という考え方が、あるのだろうか。

私は、10歳のころには、自分がこの「社会」というものに
馴染めない自覚があった。
この社会は、不自然だ。

この社会は誰かの手によって作られている。
私は、この世界の仕組みをどうしても知りたくなった。
そのためにはどうすればいいのか。
どうやら、人間が他の動物と違う理由は、この高度な、
いや、高度かどうかはわからないが、
思考というものがあるから、らしい。

そして・・・
思考というものは、言語、というものからなるらしい。
では、言語と言うものやらを、まずは調べてみるか。
そう思ったのは、確か15歳は過ぎていたと思う。
私は、まず、どうして人間は共通の言語を持たないのか、
という疑問を持った。

すると、それは聖書の記述にある「あれ」が原因である、と思っている人が
思いのほか多かった。

 「人々は自分たちの力で、神の住む天にまで届くほどの塔を作ろうと
 試みた。それを知った神は人々の行いに怒り、その塔を破壊した。
 そして罰として、人々がそれまで持っていた共通の言語を取り上げ、
 互いに言葉が通じないようにした」

私は、この塔が実在するのか、とても興味があった。
絵画は、何度か見たことがある。
聖書に出てくる土地や建造物は、実在すると言われることも多いらしいが、真実を知るすべはない。
ましてや、この絵画が、実物を見たのか、それとも完全な想像なのか。

子供時代、私はそれが完全な想像物とは思えないほどのち密さで、
これが、人の想像の産物だとは信じられなかった。
そして45歳を過ぎたとき、それはあり得る、と確信した。
人間が何かをゼロから創造することができるのか、は常々疑問だった。
だが私は多数の芸術や過去の遺物を見ることで、想像力というものが、
それを可能にしていると、信じていた。

実は後に、私たちには完全な創造能力は無い、と知るまでは。


~11~

聖書は、何度も読んだ。
というか、何度も強制的に目に触れる機会があった。
それは、親が私を周囲の子供たち馴染ませるために取った手段の
一つだったのかもしれない。

私は、幼稚園や小学校と言う集団生活の中でも、その集団に
馴染むことは出来ない子だったらしい。
もちろん、今となってはその記憶は定かではないが、私は
一人でも何かをしていた、そう親から聞かされている。
そこで友達のいない私を心配した親は、母親同士のつながりで、
友人の家で定期的に行われる聖書勉強会なるものに参加させていた。

そこで使われた教材が、今でも私の手元にある。
今思えば、この本に出会わなかったら、今の私のこの考えはなかったかもしれない。
子供向けに作られた、勉強用の聖書の本。
ちょっと見ただけでは、指輪物語でも書いてあるんじゃないのかと見間違えるくらいの豪華装飾。
中を開けば、見開きの半分以上を占める絵画のような挿絵。
その絵は、子供の私にはちょっと怖いものがあり、地獄や天国とはこういうものなのか、と洗脳されそうな雰囲気が漂う。
実際、私が地獄や天国を想起するとき、この絵を思い出しているのだな、
という自覚があるくらいだ。
一体、誰がこんな絵や、そもそも、誰が聖書なるものを作ったのか。

そして、私は一つの疑問に突き当たった。
この聖書、元々は何語で書かれていたのだろう?
そもそも言語とは、何なのか?
私は、長年考えた結果、一つの結論にたどり着いた。
人間が不自然な理由。自然とは、何が違うのか。
 言語を使う能力
これが、自然界から生まれるそれとは、明らかに違っている。
その言語能力は、人間以外の動物が持つ言語のそれとは、
全く違う特徴を持っている。

確かに、動物にも言語を持っているものがいるというその主張はわかる。
だが、その言語は本や人工物のような形のあるもので保存することが
できず、伝承できない。
人間と動物の差は、この程度だ。
これは、一見些細な違いに思えるかもしれないが、一部の人間は
何かのきっかけでさらにその意味に気づいているはずだ。
これは、不自然に進化の速度を早めることが可能である、と。
人間が過去にこのことに気がついたであろう確信は、聖書の記述に、
次のような解釈もあるからだ。

塔は壊されたのではなく、
 先に共通の言葉を取り上げられ、
 人々の意思疎通ができなくなり、
 塔の建設をあきらめた
と。

神は、なぜ人々を先に混乱させたのだろう?
今でも日本語で主流になっている聖書の記述を読むと、どうやら子供のころに聞いた、バベルの塔は、街の名前がバベル、というだけで塔自体に名前は
なかったようだ。
バベル、はそもそも・・・へブル人が、混乱のことをバベル、と
言っていた?
このことに、疑問を持つ人はどれくらいいるのだろうか。
そもそも、この話は架空の話で、疑問を持つ要素などない、
と思う人がほとんどであることは、私でも知っている。
しかし、今から私がここに記すことは、疑いようのない事実なのだと、
今でも思っている。


~12~

神が行ったことを、神の視点から考えてみよう。

もし、神には「できないことなど何もない」とすれば、別に、
塔ができてから、その塔を壊す、でもよかったはずだ。
それがたとえ作り話だとしても。
しかし、この話の「辻褄」をあわせるなら、私は、
「神がそうしなかったこと」
に、理由があるに違いない、と考えてみることにした。
なぜ、神は
「塔そのものを作らせなかったのか」
そこで、私は、もし塔が完成していたら、という仮説を立てた。
もし、塔ができたら、神はどうしたか。
人々が神に近づこうとすること自体を、神が是としないことは、
想像がつく。
聖書を何度も読むうちに、神は、自分自身を疑われることを
ひどく嫌うということを示す話は多数出てくる。
 なぜ、神は人々に「信仰」を求めるのか。
私は、子供のころから、これが不思議でならなかった。
人々は、何を信じたって、いいのではないか?
自由に想像していいのではないか?
私は、妄想するのが好きだった。
いや、むしろ、妄想することが好きではない子供など、
はたしているのだろうか?

私の妄想は止まらなかった。
そして、塔についても、調査を重ねた。
その結果、私は、ある結論にたどり着いた。
 神が恐れたのは、塔の建設ではなく、
 人間のある可能性ではないのだろうか?
私が思う、バベルの塔の謎は
 先に共通の言葉を取り上げられ、
 人々の意思疎通ができなくなり、
 塔の建設をあきらめた
この理由、だ。
たしかに、これだけ世界中でインターネットが発達していれば、
人類がただ一つの言語を持つことに、なんら不都合はなさそうだが、
いまだにそうなる傾向にはない。
それどころか・・・
私の勤めている会社の中ですら、部署によって大きく仕事のやり方が
異なっている。
全体を見渡すことが可能な私にとって、これがどんなに効率が
悪いことなのかは、明らかだ。

しかし・・・
私は、
 人はそもそも、人とは違う言語を話したい
 という欲求すら持っているのではないか、

と思うこともある。

言語だけじゃない。
人は、他の人と違うものや情報を持つことを、喜びにさえしているのは、
誰しもが心当たりのあるところだろう。
社内で仕事のやり方が違うことも、ある意味喜びだ。
自分にしかできない仕事をしたくなる欲求。
もちろん、ごく一部の仕事のやり方という点に関してだけ言えば、
かなり規模の大きな企業でも、統一化に成功している例はある。
もしかすると、人類は塔を作っている最中に、何かに気がついたのか?

私は、聖書に書いてること自体の意味も考えた。
聖書は、人類に対しての警告であることがほとんどだ。
教訓、ともいえる。
だとすると、この理由についてははっきりさせておくことが、
人類の将来に影響があるのではないか、といつしか考えるようになった。

人類は、科学の進歩として核エネルギーを利用するようになった。
しかし、一方でそれは大量破壊兵器をも生み出すことになり、あやうく地球を失いかける・・・そういう時代があったことは否定できない。
その原因はなんだったのか。
国家間のコミュニケーションの問題だったのではないか。
もちろん、人類は自らの手で自分たちを滅ぼすような道に進まないと、
信じている。
私は、この不安だけを取り除きたくて、この会社である実験を
することにした。

この話の続きは、最後に書こう。
ここまで私の話をすれば、もう4年前の話をしても良いだろう。

~13~

今から4年前、私は社内で新しいプロジェクトを立ち上げた。
標準化プロジェクト。
話は単純で、社内の業務を可能な限り統一化していく、という
物だ。

こんな話はどこの企業でもありそうな話だし、たいして珍しいものでは
ないかもしれないが、きっかけは、若者の混乱だった。
彼らは、配属後に教えられた仕事が、他の人の下では通用しない、
という局面に何度も会い、優秀な人ほど早く辞めてしまうという
問題が起きていたのだ。
社内での業務が統一されていないのは、実は部署間の問題だけではなく、
部署内でも個人によって違う、というほど、深刻なものだった。

しかし、誰に気を遣ってなのか、部署内でも業務の手順は統一されていない、ということを指摘する人はそんなに多くなかった。
そこで私は、
 【標準化】部署間 業務統一プロジェクト
として、このプロジェクトを起こすことにした。
社内では、部署内でも業務手順統一されていないという認識はなかったので、あえて部署間という名称にしたのだ。
これは現状の問題解決だから、これは永続的に行う必要はないだろうという上層部の判断から、このプロジェクトは一時的なものとして扱われたが、私はそれでよいと考えていた。
というのも、
 私が本当にしたいレベルの標準化
は実現するにも、それについてこれる人材はいないと思っている。
会社から「どこまですれば成功か」を定義されれば、
サラリーマンの私はそれに従ったほうが楽たっだこともある。
その中でバベルの塔の謎のヒントでも得られれば良い程度に考えていた。

募集は1か月をかけて行われたが、応募者は若い男性3人だけだった。
それも、配属された先ではあまり使えない人材として、今の業務に影響のない人たちが応募してきたようで、私は、これでは何も変化は起きないな、
と直感した。
だが、面接してみると、彼らはみな現状に強い不満を持っているようで、
質問をいくつか行うと、これでもかというくらい、語りだす。
どういうことだろう。
これだけ話せれば、彼らはそれぞれの才能で最高のパフォーマンスを
発揮しそうなものだが。

長身の少し色白の彼は、名前を米川と言った。
名前のせいではないだろうが、彼は白ご飯がとても好きだという。
私は直感的に、彼を頭の中では「ご飯好き」というあだ名で呼んでいた。
人は一度あだ名をつけると、その印象から、なかなか抜け出せない
ものだが、私はあえて、こうしてあだ名をつけることがある。
それは、その人の成長を見るにあたって、初めの印象を忘れないようすることで、その人そのものが記憶に残りやすいというメリットがあるように感じでいたからだった。

そのご飯好きな彼は、今の仕事に全く関心がないという。
そもそも、この会社の主な業務はエンジニアリングではあるが、エンジニアリング=プログラミングというわけでもないし、エンジニアリング以外の業務もたくさんある。
彼の入社の動機はわからないが、そこに不一致でもあったのだろうか。
もう少し話を深く聞いてみると、どうやら彼は仕事の内容に文句があるのではなく、与えられ方のようだった。

「この仕事を、なぜ僕がしなければいけないのかが、
 理解できないんですよね」

なるほど。
彼は若いので、社会や企業というものを米川君はわかっていない
感じではあったが、私から見れば、彼の言い分に違和感はない。

「理由は、先輩に聞かないのかい?」

私は、軽い気持ちで聞いてみた。

「何度か、聞いたことはあります。
 でも、最後には『仕事だから』って。
 その仕事は、誰かがやらなければいけないことだから、
 理由はともかく、年下の僕がやるべきだ、
 みたいなことで終わるんです」

米川君の返答には熱がこもっていて、それでいて、
あきらめのムードを漂わせた、独特の喋りだ。

私は、確認するように、聞いてみた。

「それで、この募集に、手をあげさせられた、と」

すると彼は、少し下げ気味だった頭をあげて、はっきりと言った。

「違います! 僕はこれがやりたいんです!
 そもそも、仕事をする前に仕事の全貌がわからない、
 なんてこと、ありますか?
 スポーツをするにしても、料理をするにしても、
 完成状態を知らずに作業を始めるなんて、
 とてもプロのすることではありません。
 僕はあなたの作った資料の詳細を何度も見ました。
 そこには、僕のやりたいことがあるに違いない、
 と感じたんです。
 だから、僕はこのプロジェクトに手を上げました」

作った資料?
ああ、あれか。
どうせ応募概要しか読まないだろうと思って、詳細資料の方には
20年ほど前に作った
「標準化とは何か?」
の論文を付けていたが、あれを読んだのか。

さて、私はなんて書いていたかな・・・

あの頃はちょうどインターネットが普及しだして、
この世界が、大きく変わると思っていたころだ。
その時、海外でエンジニアリングの委託生産を始めるにあたって、
日本と同じ仕事ができるように、標準化をしようとしていたんだっけ。

なつかしいな・・・

「あの・・・僕は、不合格ですか?」

米川君は自分の合否を心配したようで、声をかけた。

「あ、すまないね。
 合否は、追って伝えるよ。応募者は、君だけではないんでね」

「そうですか・・・」

彼は、心配そうだった。
私はそんな彼を見て、心の中からあった質問を、口に出してしまった。

「君は、このプロジェクトを、例えば・・・お金を出してでもやりたい、
 と思うかい?」

彼は躊躇なく、答えた。

「もちろんです」


~14~

あの論文を、まさか、読む人がいたとは。

残りの二人も、考えていることはだいたい同じだった。
確かに、部署では不要だと思われていたらしいが、どうやら本人の口から
動機を聞くと、このプロジェクトは、自分がしたかったことと一致しているという。

さて、残りは、あと一人・・・女性か。
うーん・・・
先入観があるわけではないが、女性が標準化ということに、
関心を持つものだろうか?
そもそも、男性社会の塊のような今の企業の中で、
女性がうまくやっていくには、想像以上のストレスがかかるだろう。
そのことを分かったうえでの応募なのだろうか。
私はその時は、何か理由をつけて、不合格にしておこうと思っていた。


その女性は、新田冬美にったふゆみ といい、態度は
非常にしっかりしていた。
「えっと」とか「しっかりと」のような抽象的な言葉の多用は気になったが、言葉の中身には芯を感じる。

しかし・・・周りがよく見えていないようだった。
これは、今までの会社生活を乗り切るための、彼女なりの処世術なのだろうか。
しかも、どうやら、自分で進んで手を挙げたわけではないらしい。
そういう人は取らない方針だったのだが、何か手違いがあったのだろうか。
私は、彼女にちょっと抽象的な質問をしてみた。

「あなたは今まで何をされてきたのですか?」

この質問に対して、答え方は大きく分けて二つある。
一つは、自分が何をしてきたか。
もう一つは、周囲に対して何をしたか。
作業者は自分の事ばかり話すが、リーダなら周囲へ与えた影響について話すものだが、彼女は紛れもない作業者だった。
うまくいかないのは、周囲の問題だと捉えているようだった。
しかし・・・

彼女の中からにじみ出る何かが、私に違和感を覚えさせる。
本当に単なる作業者なのか?
何か、そうならざる得ない理由が、環境にあったのでないか?
そうであれば、ある意味、貴重な存在だ。
本来の持つ力が、この男性社会の塊の中で発揮できなかっただけだとすれば、本当に正しいのはその彼女の内にあるもののほうだ、ということにさえ
気が付いてもらえたら・・・
このプロジェクトが本当の意味で成功すれば、この会社は変わり、バベルの塔の謎も、解けるかもしれない。
私は、ちょっと気分が高揚し、高ぶった声でこう訊いた。

 「あなたは・・・その仕事に疑問を持ちませんでしたか?
 本当は、もっと、したいことがあったのではありませか?」

彼女は、その大きな瞳をさらに少し開き、何を言われているのかがわからない、という態度を取っていた。
強く言い過ぎたか。

相手の気づきを待っている時間はない。
私は抽象的な質問をやめ、もう少し、問いを具体的にし、
そしてゆっくり、訊いた。

 「やり方が人によって異なるとか、効率が悪いとか・・・
  現状をそう感じたことは?」

彼女は、自信をもって答えた。

 「もちろん、感じてました。 私が今までしてきた仕事の中には、改善や
 手順書の作成もたくさんありますが、まだまだだと思います。もちろん、
 その活動はもっとすべきだと思います」

うーん。
やはり彼女は、周りが見えていない。
それがどういう影響を周囲の人に与えたのかの方には関心が無いようだ。
これでは、いくら経験を積んでも、その先の境地にたどり着くのは難しいだろう。

放っておくか。
しかし、私には残された時間が少ない。
人生は、無限ではない。
少なくとも次世代につながるものを残すレベルにまで、彼女は追いては
これそうにない感じがする。

しかし・・・
様々な条件が、そして私の本能が、彼女を手放してはいけない、
と警告しているように聞こえる。

彼女は、自分は満足な回答をした、というような顔をしている。
自分で手を挙げたわけでもないのに、これが自分のすべきことで、チャンスを得た、そんな感じだ。
きっと、優秀な上司の後押しがあったのだろう。

私は、この時、すでに合格をしていた3人には話さなかった、
このプロジェクトが部署内の属人化の排除まで狙っていることを話した。
当時の彼女にわかるような言葉で話したつもりだった。

たぶん、彼女はその本質には気が付いていない。
しかし逆に言えば、その方が自然な動きができるかもしれない。

本質は、男たち全員を壮大にだまし、

 何も考えずに全員が同じルールにしたがうことが自然

であるかのように思わせるプロジェクト。

ピラミッド建設は、大量の奴隷をひどい扱いで一つの大きな建造物を作り上げたと思われているが、実はきちんと健康管理や食事管理がされていて、ほとんど病人やけが人を出さずに、参加者はみな裕福になったという。
この、壮大な建造物を作ったのと同じことをこのプロジェクトで試したい。
一つの目標に向かい、大規模な人を操縦する技術。
彼女にはそこまでの話をしなかったし、話しても間違いなく、意味が分からないだろう。
しかし、彼女はどこかで合格を確信したのか、何か新しい目標を勝ち取った表情で、その部屋を出て行った。


~15~

私はまず、メンバー4人が持つ潜在能力を確かめることにした。
人は、必ず何かしら、特に若い頃は、寝食を忘れてして熱中するものを
複数持っていることが多い。
しかし、それらは社会生活の中で内に閉じ込められたり、人に知られるのが恥ずかしくなって、自分で手放してしまう人がほとんどだ。

私は、あらゆる知見を使って、彼らの内面を探った。
飲み会や短い勉強会などの中で、メンバーの関心ごとを探った。
4人ともおしゃべりで、特にお互いのことで新しいことを知ると、
さらにそれを展開して話すのがうまかった。
一方で、自分の話が相手にどう伝わっているのか、を確かめる技術はほとんど持っていなかった。
お互いが「同じ日本語」を話していると思っているので、多少の違和感があっても飲み会などでは無視されて進むので、これだけでは彼らの潜在能力を探るのは難しかった。

そこで時々、難しい話や、簡単な話に私がついていけないふりをしてみた。これには、想像通りの対応だった。
はじめに難しい話をされると、それを知ろうとする気持ちよりあきらめの
ほうが早くやってきて、
 なぜその人がその時にその話をしたのか
を想像する力はない。
一方で私が誰でも知っていそうなことを知らないふりをすると

「そんなことも知らないんですか?」

とやや蔑んだ態度を取られて、あっさりそのものを説明してくる。
時には自慢げに。
だから
 なぜその人がそれを知らないのか
ということを確かめようとはしない。

これから標準化を大人数に自然に、呼吸をするように行ってもらうには、
 人は生まれつき多様である
ということを理解する必要がある。
多くの人はそれを「個性」と言って、人はそれぞれ違うから、というけれど、実際に取っている行動は、
 相手は自分と同じ程度には物事を理解している
ように振る舞う。
特に長年同じ会社や部署にいれば、その傾向は強いようだ。
結果、自分の価値観を押し付けていることには、気が付かない。
これでは、メンバーが作った手順書が現場で使われることはないだろう。
誰にとっても自然なこと、を見つけるのは容易ではない。
けれども、人間はそのほとんどが同じような肉体を持ち、脳を持つから、
突き詰めて考えれば
 誰にとっても自然な行動がとれるようなデザイン
というのは可能なのだ。
見ただけで道具の使い方がわかるようなデザイン、座り心地の良い椅子、
思わず見てしまうポスター。
手順書のレベルをそうするような努力をせずに、自分たちだけの理想を押し付けるやり方ではだめだ、ということに、どうしたら彼らは気づくのだろうか。
私は、バベルの塔の謎以前の問題に立ち向かう必要があった。
私は彼らに、初歩的な質問をしてみた。

 「そもそも、その手順書が存在することを、
  どうしてその人はわかるのだろう?」

すると、年長だからか、新田さんが即座に答えた。

 「手順書発行時はもちろん、改定時にも広報します。
 ホームページでも常に状況がわかるようにすれば問題ないかと」

男性3人は、ちょっとその言い切った態度に引いてるようだが、
彼女の視界には入っていないようだ。
そこで、私はさらに質問をした。

 「ホームページにあるって、どうしてわかるんだっけ?」

彼女は、不機嫌そうな顔で、強い口調で答えた。

 「すべての手順書はホームページにある、ということは
 エンジニアなら誰でも知っていることです」

男性陣は私が彼女と言い合いの感じになって、困っているようだった。
この話をこのまま続けるのは彼女にとって良くないと思い、
私は話題を変えることにした。

 「エンジニアと言うのは、物を作っているんじゃないんです。
 サービスなんです。そして、サービスするときは、物ではなくて、
 人を見てください。その目的を外さないだけで、すべてが
 うまく行くんです。」

この話題の転換に、彼女はあきれ顔だったが、さっきまであった
緊張感は無くなった。

今は、とりあえずここまでにしておこう。


~16~

私は、具体的に自分たちが何に気が付いていないかに気が付いてもらうために、ちょっと変わったゲームを利用することにした。

 「これからみなさんには「花火」というカードゲームをしてもらいます。  
 ゲームと言っても、これは協力して一つの目標を達成する、という点では
 私たちの普段のプロジェクトの目的と何ら変わりません。
 このゲームの中で起きていることをしっかり理解して、
 今後のプロジェクトを引き続き成功させるために自分たちが
 すべきことに気がついてください」

私は説明用のスライドをプロジェクターに表示させた。
 
「今回は、メンバー全員、4人で行ってもらいます。」

メンバーには4枚づつのカードを配った。
 
 「まだカードは見ないでください」

このカードゲームはその業界で賞を取るほど、優秀な構造を持っていた。
また、カードデザインも素晴らしく、ついゲームそのものに夢中になってしまう心配はあったが、私は説明を続けた。
 
「みなさんには、今から協力して、花火を打ち上げてもらいます。」

ゲーム進行を説明したスライドに切り替えた。
カードには赤、青、緑、黄、白の5色の綺麗な花火が、
1個から5個、描かれていることを表示している。

 「それぞれの色のカードは、10枚ずつ、全部で50枚あります。
  ただし、1から5までが2枚ずつあるわけではなく、
  1は3枚、2から4は2枚、そして5は1枚しかありません。
  
7並べのように、つながってる花火しか出せないので、
  はじめはどの色でも、1しか出せません」

私は続けた。

「ではみなさん、自分のカードを、自分では見ないようにして、
 他の3人に見えるように、手で持ってください」

メンバーは、何を言っているんだ、という顔をしていた。
それは私の想定内であり、さらに説明を続けた。
 
「続きを説明します。 行動は、一人ずつ、時計回りに行います。
 自分の順番で出来ることは次の3つです。

 まずは、
 他の人に、カードの情報をひとつ教える
 みなさんは、自分のカードが見えませんが、それを他人から
 一部の情報として教えてもらうことができます。
 これは、コミュニケーションです。
 他人からのアドバイスですが、当然、それは一旦は
 受け入れてもらいたいものです。
 ただ、コミュニケーションは、相手の時間を奪う行為です。
 もちろん、それが有益であれば、時間を使う価値はあるでしょう。
 しかし、時間は有限です。よって、相手にヒントを教えるときは、
 この「ヒントトークン」が1枚、失われます。
 ヒントトークンは、初めに8枚、この4人一組のチームに
 お渡ししますので、大切に使ってください」

私は、スライドを一枚、進めた。

 「ヒントの出し方ですが、自分に番になったら、
  他の3人の中の一人に対して、一つの色か、または一つの数字に
  ついて、教えることができます。
  例えば、「これが赤だよ」とか、「これが3だよ」のようにです。
  ただし、「これが赤だよ」というときには、
  その人が持っているすべての赤のカードを教える必要があります。
  特定の一枚だけを教える、と言うことは出来ません。
  逆に言うと、「白がゼロ枚だよ」「2は持っていない」という
  ヒントでも構いません。」

質問が無いかどうか、周囲を見回し、特に疑問はなさそうなことを確認して、私はつづけた。

 「さて、このヒントトークンは8枚しか無いわけで・・・」

私はその小さなトークンを再び机から1枚取り、みんなに見えるように
示した。

 「これだけでは8回ヒントを出したら尽きてしまします。
 そこで、次の方法で、この情報トークンを一枚、復活させることが
 できます。それは、カードを捨てる、です」

スライドを、

 2.カードを捨てる

に切り替えた。
この行動が、最も重要なポイントになるのだが、果たしてメンバーは気が付くだろうか。

 「どんな時カードを捨てるべきなのか? 
  それは各自で考えていただきます。
  その行為は誰の時間も奪いませんし、カードを捨てる、ということは、
  新しいカードを山札から補充できる、ということでもあります。
  あなたのその決断は、大いなる失敗になるかもしれませんし、
  プロジェクト成功のカギになるかもしれません。
  とにかく、その決断は、情報トークンの復活として評価されます。」

 私は話しながら、スライド送りをし、画面に
 
 3.花火を宣言する

 を表示した。

 「さて、3つ目。最後に取れるアクションは、「花火」と宣言して、
 場にカードを出すことです。
 先ほども言いましたが、1以外は、つながるカードしか出せません。
 例えば、赤の列が2まで出ていたら、次に出せるのは赤は3だけ、
 ということです。
 もし、赤の2が出ていないのに、赤の3を出してしまったり、
 すでに出ているカード出したりした場合には、「打ち上げ失敗」として、
 この点火トークンが失われます。
 点火トークンは、みなさんには始めに、3つお渡しします。」

 私は、情報トークンと同じ大きさの、ただ情報トークンの青とは
 対照的な、橙色の点火トークンをみんなに見えるように掲げた。

 「つまり、3回、間違えた場合には、点火トークンはすべて無くなり、
 もう着火できないので、その時点でこのプロジェクトは終了です。
 あ、「花火」と宣言してカードを出したら、成功しても失敗しても、
 山札から1枚補充してくださいね。」

 私は、説明をつづけた。

 「もし「花火」が成功した場合、通常はただ打ちあがるだけですが、
  どの色でも、5まで繋がりきった場合には、ボーナスとして、
  この情報トークンを1枚、復活させてあげます。」

私は最後のスライド「ゲームの終了条件」を表示した。

このゲームの終了条件は、
 打ち上げに3回失敗する
 山札が無くなる前に5色の花火を全て完成させる
 山札のカードの最後の1枚が引かれたら、そこから一回りするまで

だ。

私は、彼らに期待を込めて、少し強めの声で言った。

 「このゲームで重要なのは、コミュニケーションです。
 相手にアドバイスすることは、重要です。
 一方で、アドバイスだけをもらって、自分は何もしない、というのは、
 プロジェクトとしては最悪です。
 失敗を恐れず、出来ることを確実にしていく、そして時には・・・
 リスクを持って、チャレンジすることが、必ず必要になります。
 このゲームは、その意味が分かるまでやっていただきたいですが、
 今日は、とりあえず2回、チャレンジしてみましょうか」

このセリフに、嘘は無い。
しかし、気が付いてほしいのは、コミュニケーションの重要性という当たり前のことではない。

人間は、本当の意味で他人の考えを想像できるのか?

その疑問を持つことが期待値なのだが、正直、気づくのは難しいだろう。
とりあえず、訓練するしかない。

「そうですね、このゲームは、みなさんが25個の花火を全部
 打ち上げられる日まで、毎日1回、やります」

メンバーの顔が、驚きと戸惑いに変わった。
私は説明をつづけた。

「君たちは、とても優秀な人材だと思います。
 誰がやっても一定の結果を出せるような仕事なら、
 この研修は必要ないかもしれません。
 しかし、

 これからも今と同じような仕事が存在する

 とは言い切れない時代が、もうそこまで来ています。
 しかし、それがなんであるか、を私はうまく説明する力がありません」

私は、いつも言葉の限界を感じていた。
だから、体を動かしてもらうしかないのだ。

 「もう少し、このゲームの話をしましょう。
 できるだけ少ないヒントで花火を完成させるには、
 相手が何故、今、このヒントを出したのか?
 という理由の裏をしっかりと考えなければならないでしょう。
 もしかすると、裏の裏、その裏・・・と、どこまで相手が考えたのか、を
 読み切る必要があります。
 しかし、私たちは、
 本当に相手の心を読む
 ということが出来ると思いますか?」

私は、少し間をおいて、続けた。

「アドバイスがうまくいったのか、はそのあとの相手の行動で
 判断するしかありません。
 そのアドバイスが、必ずしも最善だという保証はどこにもないし、
 山札と言うまだ見えない未来がある段階では、どの順序でカードを
 出すべきだったのかは、誰にもわからないのです。
 もちろん、時には記憶違いや、アドバイスを忘れてしまう
 ということも起こります。
 しかし、私たちは、
 どんなプロジェクトも、目的に向って終わらせる
 必要があります。」

私は、少し息を吸ってから、静かに言った。

「ちょっと説明が長かったので、ここで休憩を取りましょう。
 また、作戦を立てる時間も差し上げますので、そうですね、30分後に、
 ゲーム開始としましょうか。」

メンバーはそれぞれが、考え始めた。
男性陣3人はどうやらお互いの考えを確かめ合っているようだが、
新田さんは一人で考え込んでいるようだった。
歳の差があったのが影響したか。
彼らにまだ、なじめないのだろうか。


ゲームの結果は、散々だった。
初日では、花火は6個しか打ち上げられず、次の日は
15個まで打ち上げられたが、それ以降は、一週間経っても、
15個を越えられなかった。

だが、問題は結果ではなく、そのプロセスだった。
結果には、運が絡む。
このゲーム、カードの並び順によってはすぐに行き詰まる。
その場合には、目標を25点から20点に下げて対応する、という臨機応変さが必要になるが、誰もそのことには気がつかないようだった。
それどころか、誰の行動が問題だったのか、同じ過ちをしないためにはどうしたらよいか、そういう反省しか出てこなかった。
仲間と協調して一つの目的に向かうために必要なことは何か、
そういう話題は出てこなかった。

私は、このゲームを続けることに、意味があるのかを考えた。
これ以外に、メンバーが「自分の課題」に気が付くことは可能なのか?
もっとほかの方法があるのではないか?
それとも、メンバーは
 会社で仕事をするとき以外は、仕事のことを考えないのか?
ふと私は、今の人々が私生活と仕事を分けて考えるように
洗脳されているのではないか?という恐怖を感じた。
自然界には仕事とそれ以外という区別はない。
私たちはただ生きていくために、この世界にいる。
もし、この世界で生きていくためには、私生活と仕事という境界線を
引くことが重要であるように洗脳されているとしたら・・・

地球に、国境はない。
ただ、人類が勝手に決めている。
それは誰もがわかりそうだ。
でも実際には、日常生活では国境は強く意識される。
それと同程度に、人類は時間軸にまで、境界線を引くように
洗脳されているのだろうか?


~17~

私は冬美と、いくつかのプロジェクトをこなしていくうちにかなりの頻度で
一緒に食事をするようになった。
そんなある日、お互いの夢の話になった。

 「君は、どんな夢があるんだい?」

彼女は、自分の思いを語った。
話していくうちに、自分のうちの中にある何か気が付いたのか、
時々涙を流しながら、自分の思いを話していた。
どうやら彼女の過去に、封印したい思い出がたくさんあるようだった。
これは・・・抑圧された記憶、か。
一体何がここまで、彼女を押さえつけていたのだろう。
どうやら根源は、社会人になる前からのようだ。
だが、抑圧の強度は、会社に入ってからも増加しているようだ。
もっと早く、彼女に会っていたら。
今からこれを解放するには、彼女はやや歳をとりすぎている。
抑圧された時間も長すぎる。
これを打破するには、どうしたらよいのだろう。

やっかいなのは、彼女の言語化能力が、極めて低いことにあった。
これを引き上げるのには認知療法が一番取り組みやすいが、
認知療法は、言葉選びが重要だ。
しかし、背景が違えば、同じ単語も違う意味に取られる。
私には、彼女との共通言語が少なすぎる。
言語をほとんど使わない芸術療法も考えたが、どちらも
彼女のプライドが許さないだろう。
とすれば・・・
ソリューションフォーカスアプローチか。
エンジニア相手なら、こちらが取り組みやすいだろう。
今はとにかく、前向きな話で彼女の心を解放させ、そのあと、
根源的な原因に向き合うようにしてもらうか。
今思えば、そこまで一緒にいられないとは、夢にも思わなかった。

酔いもあったのかもしれない。 
私は、彼女にもう少し深い話をした。
バベルの塔の謎についても、少し触れた。

そして、これからどうやって会社全体を理想の方向に持っていくか、
ポジティブな話をした。

これは、賭けだった。
これからすることの細部を、改革対象の人間に知られると、それは拒絶反応に変わる。
つまり、この話が彼女から他の人に漏れれば、その効果は一気になくなる。
政治でもよくあることだ。
しかし、改革を強行するには、周辺の情報を事前に集め、裏を取る必要がある。
想像では動けない。

私たちは、社内のあらゆる情報を個別に手に入れながら、それを共有するというビジネスパートナーの契約を、その日結んだ。

食事の帰りに、私は冬美にこんなことを聞いた。

「君は、紫陽花の花言葉を知っているかい?」
「あれ…何だったかしら・・・一度くらいは、調べた気がするのだけど」「そうか。まあ、知らなくても別にいいけど」

私は、彼女の知識欲を確かめるために、ここで話を切った。
これから彼女は、言語能力を上げ、有限の時間の中で人を動かすために、
時間の使い方を自分で判断し、動かなければならない。
そのためには、この世界の仕組みを学ぶ必要がある。

それからだった。

冬美の行動は、わずかではあるが、生き生きとするようになった。
私の知見を利用していることもあるが、
彼女は本来持つ魅力的な女性へと変貌したようだった。

違和感に気づいたら、その原因を追究し、対策をするということに関して
ずば抜けたスピードを発揮した。

ただ、周りは見えていなかった。
周囲のアドバイスの意図をくみ取る力が、なぜかほとんどなかった。

そのため、彼女はいつしか、仕事を断らない人に見られてしまう部分も
出てきた。
それでもプロジェクトとしては、表向きではあるが、次々と改革を行い、
やがてそれは高い評価にもつながった。

そこに、悪意の影が差した。

組織は、協調性を重要視する。
本来は、このプロジェクトの成果は飛びぬけていていいはずだが、
それをよく思わない個人は必ず存在する。
それが同僚の不満程度なら問題ないが、相手が権力者の場合、まだ権力を
持たない彼女には、その悪意は悪意は容易に刺さる。

やがて私たちは同じプロジェクトに携わることはなくなった。
しかし、私は、彼女の実力を試す良い機会だと思った。
私はリーダを外され、彼女がリーダになった。
これは一見、私に悪意が働いているように見えるが、そうではない。

彼女がリーダなのは、女性だからだ。
私は、彼女がそのことに気が付いてるのか、心配だった。
ことあるごとにその話をすると
「わかっている」という。

その話とは何か。
この会社は、建前上は女性が働きやすい環境を作るということを
推進している。
そのため、女性たちには本来向いていないかもしれないその役割が、
割り当てられてしまう傾向があった。

彼女は、わかっていない。
無理して、うまくやろうとすることは、組織の要求であって、
このままでは、彼女はいつか壊れるだろう。
子育ての時期と重なっているのも、かなりまずい状況だ。
しかし、彼女には私の言葉が届かない。
言葉の意図が、わからない。

なぜこのタイミングで、このアドバイスなのか。
花火がうまく打ち上げられない彼女には、自分の見えている世界でしか、
判断ができなくなっている。


~18~

私は、早く彼女に「してはいけない行動」を伝えたかった。
花火を打ち上げる前に、捨てることの重要性を伝えたかった。
しかし、目の前の花火が打ち上げられるのなら、多少の無理をしてでもヒントトークンを使ってアドバイスしてしまう、その誘惑にはほとんどの人は勝てない。
見えない未来のカードを開くために、今の何かを捨てる勇気は、
今の彼女にはない。

もっと若い時に、この経験をしておけば、何かを止めるということの
重要性も理解できただろう。
しかし、人はチャレンジよりも、今できることをしがちであり、
それで短期的に成果が出ているように見えてしまうので、
ますますチャレンジしにくくなる。

彼女は「女性である」ということを理由に自分が忖度されていることには
気がつかない。
もしくは、認めたくなかったのか。

私は何度も彼女と会話の場を持とうとしたが、極めて低い言語化能力が障害となり、本題に入る隙が無かった。
彼女には、自分のカードが自分には見えていない自覚がないだけでなく、
他人の心が見えているという慢心すら、生まれていた。

それは、彼女のメンバーが全て若いということも関係した。
メンバーの男性3人は、彼女の指示ではよく動く。
それが、彼らのやる気や、彼女への忖度であっても、彼女にはそれを認める理由がない。
事実「思い通りに動いている」のだから。
わけのわからないアドバイスをしているのは、私の方のように見え、
彼女は私との会話も避けるようになった。

わかりやすさは、時に人を怠惰にし、そこにある罠を見えなくする。

ストレスが減ったことが、成長が止まったことと同じであることに気が付くのは、他の人に差をつけられた時くらいだろう。
それも、多くの人は環境のせいにして、人を妬んでしまうか、自分に才能がないと思いこんで、落ち込んでしまう人も少なくない。

社内には私の想像以上の量の手順書が、予定より早く整った。


~19~

私はある日、冬美に食事に誘われた。
珍しいな、と思っていたが、そこで出た話は、
私の想定をわずかに超えていた。
彼女は言った

 「もう、ビジネスパートナーを解消したい」

私は、そこまで行ってしまったか、と発狂しそうになった

 「関係をやめるって、どういうこと?」

私は多くの人がいるレストランにもかかわらず、声を荒げてしまった。

 「大声出さないでよ」

彼女は、小声でなだめるように私に言った。

私は、この時後悔した。
彼女を信じた自分が悪い。
そう思うしかなかった。

最初からこの会社をもう一度良くしよう、などと思うべきではなかった。
なぜ、もう一度自分の身体に鞭を打ってしまったのか。
私は、今、自分がどこにいるのかすら、わからなくなっていた。

彼女はいつの間にかレストランからいなくなっていた。


~20~

私はそれからはなるべく、冬美の業務にはかかわらないようにした。
多少、かかわることはあっても、業務のほとんどはオンラインで
行われるため、私たちはもうお互い顔を見る関係ではなくなっていた。

しかし、私はまだ冬美を初めて見たときに持っていたオーラに、
何か意味があるのかもしれないと思い、時々、アドバイスをしていた。

そんなある日、私は冬美と二人きりになり、こう切り出された。

「もう過去のことは忘れて欲しい」

過去。
そうなのか。
彼女は、私たちの時間の流れにさえ、境界線を引き、過去を否定して
生きていけるのだろうか。

そんな人間はいない。

ただ、彼女はまた、封印するだけだ。
やはり彼女は、過去にも何度も、封印する記憶を持っているようだった。

それがすべて、今の自分を作っているということを、
理解できていないのだろう。

私は、考えた。
一生、気が付かなければ、それは存在しない世界。
それが、彼女の幸せなんじゃないだろうか。

 「君がそれで納得がいくなら、そうすればいい」

言ってみたものの、うまく、言葉が繋げられない。

 「君は、分かってないね」

私は自分の声が震えていることに気が付いた。

「僕の望みは、君の夢の実現だった。
 でも君はこの1年、目の前に横たわる機会を、何一つ掴まなかった」

私は演説めいた口調で、続けた。

「これからの時代、コミュニケーションという概念が、変わる。
 本質は変わらないけれど、その本質を知るものは少ない。
 でも、君はコミュニケーションの変化を学ぶ努力はしてこなかった。
 そのこと自体を責めるつもりは無い。
 でもね、

  自分を知るためには、衝突を恐れずに他人と向き合う必要がある

 それを諦めた君には、もう僕からも、関わりたくない。
 というか、お互いのためにならないよね。
 君は、自分の見たいものしかみない
 周りが、君をどう見ているか、知ろうとしない。

 僕に迷惑をかけるのは、構わない。
 しかし今の君が、「誰かと何か創り出すこと」が出来るとは思えない。

 君は、正しいよ。
 
でも、それは、周囲の期待であって、君の心の正しさではないと思う。」

彼女は耳を塞いだ。
しかし、私は声を張り上げて、続ける。

私は、今のこの世界に疑問を持っている。
 君は、この世界に疑問を持っていない。

 そういう人と、一緒には歩けない。
 僕が、消えるよ」

私は、その場を立ち去った。

その日、私は会社を辞めた。


~21~

あれから1年。

別の同僚から、あのプロジェクトで作られたほとんどのものが
形骸化していると聞いた。
結果、経費をたくさん使っただけで、効率は改善されなかったらしい。

私は、バーチャル企業を立ち上げ、VR空間でエンジニア専門のコンサルや
プロンプトエンジニアリングの指導、AIの活用法などの情報を売りながら、
相変わらずバベルの塔の謎を追っていた。

VR空間ではアバターで世界中の人と話すことができ、毎日奇想天外な情報が入ってくる。
VR空間のアバターのほうが、その人のイメージをデフォルメさせた結果、
より深い人間性を知った気になるのが不思議な感じだった。
今までの現実世界の洋服や肌の色、髪の毛の色や装飾品も、実は単なるアバターのアイテムだったのでは、と思ってしまう。

そう、相手の心は、見えない。
それを知るには、言葉を駆使し、想像する。
今は、ビジュアルも、自分の意図で自由に変えられるから、コミュニケーションの質は間違いなく変革しただろう。
神は昔、人類の言語の統一を恐れたのかもしれないが、
遠くの人と話せることは、禁じないのだろうか?

お互いの時間を邪魔せず、好きなときにタイミングが合えば会える、
それでも引き受けた仕事は必ず納期までにする、そういう

コミュニティ全体でお互いに信頼関係を持つ

ことが、自分が人類の一員である安心感につながっている気がする。

時には、難しい依頼が入ってくる。
でもそれは心地よいストレスとなり、必ずそれは乗り越えられる壁だ、
と思うようなった。

私は、今は一人ではない。


~22~

私は幼いころから、紫陽花を不思議に思っていた。

紫陽花が咲くころに、いつも思う。
どうして、こんなにも見た目が多彩で違う花を
「紫陽花」とひとくくりにできるのか。
同じ株なのにいろいろな色になっているのはもちろん、
真っ白な紫陽花や、形の多様性を見ると、
だったらすべての花を紫陽花と呼んでもいいのではないか?
とすら思う。

でも、いつもそんな難しいことばかりを考えているわけじゃない。
ただ、見た目の美しさ、七変化する楽しさ、それを見て
気分が高揚する自分も受け入れている。

私は紫陽花そのものを
理由もなく、ただ愛していた。

会社を辞めて2年経ったが、冬美のことは時々同僚から聞いている。
今でもまだ、冬美は気づいていない。
自分のすべきことを。
彼女にはもうしばらく、私への苛立ちを原動力にしてもらうために、
私は冬美にメールでメッセージを送った。

 「紫陽花は、どんな色でも紫陽花だ。
 見た目の色に、異なる花言葉があっても、
 本質は変わらない。
 君の決断、それでよいと思うよ。
 今が幸せなら、無理して夢なんて見なくても大丈夫だよ。
 僕がいなくても大丈夫なら、安心したよ」

人は、本質は変わらない。
どんなに色が変わり、その意味が変わっても、その人であることには
変わりない。

しかし
「誰に見られているか」
で自分が変わったように見える、というは、正直、多くの人は信じられないだろう。
自分が変わっていないのに、相手が「変わったね」という。
そこには、どんな意図があるのか。

人は、本質は変わらない。
でも。

厳密にいえば、常に変わっている、ともいえる。
体の組織は食事によって入れ替わり、気分だって一定じゃない。
ただ、そこにたまたま漂っているエネルギーの塊が人間なんだ、
とも言える。

バベルの塔の謎は、ヨーロッパのコミュニティと協力して、
解くことができた。
でも、まだこれを公表できる段階に、人類が進化していない。

冬美との出会いは、私がこの発見をするためだったとすれば、
やはり彼女には感謝しかない。
彼女は、あのメッセージを見て、こうつぶやいているだろうけど。

「本当にあなたって、人の気持ちがわからない人ね」

~完~




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