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【お仕事×心理学小説】紫陽花の咲くころに(前)

あらすじ

ある日、40歳を過ぎて仕事に行き詰まっていた新田冬美に、新しい社内プロジェクトの話が上司から舞い込んでくる。
なんてことのないプロジェクトだと思っていた冬美は、上司の勧めもあって引受けたが、そこには変わったリーダ、砂川がいてメンバーを混乱ばかりをさせる。
そのプロジェクトを通して、自分がいままで経験のしたことのない感情を持ち、ある疑問をもつようになるが、現実を生きるため、その疑問自体から目を背けてしまった。
彼女はその時の自分に向き合うために、当時の出来事を書きだすことにした。
彼女は書くことによって成長している自分に気がつきはじめるが、答えは見つからない。
彼女はもう一度、そこに目を向けるのか。
後編は、冬美が経験した出来事を、砂川目線でみることで、その心理状態を知ることでうまく行かない理由に気づくストーリー。
仕事の上司と部下の現場を描くビジネス×サイコロジーフィクション

~0~

「本当にあなたって、人の気持ちがわからない人ね」

たぶん、これが私が彼に向って発した、最後の言葉だ。
私、新田冬美にったふゆみ は、砂川すながわをどれくらい信頼していたのか、正直、自分でもわからない。

人を信じるとは、どういうことなのか。

彼は、重要なのは「言葉」だという。

そこで、私は今まで得意としなかった「文字を書く」ということに、
45歳を過ぎて、初めて向き合うことにした。
彼との出来事を書き出し、それを何度も読み返せば、彼が私に伝えようとしていたことが、少しは理解できるようになるかもしれない。
そういえば彼はよく、こういうことを口にしていた。

「どんな文章も、何度も読んだり、歳を重ねてから読むと、
 また違った景色が見えたりするものだよ」

私は、それは
 自分の書いたものも例外ではないはずだ
そう思い、筆をとった。


~1~

今思えば、何が好きで、何が嫌いなのか。
何が大事で、何が捨てられるのか。
あまり考えずに、生きてきたのかもしれない。
ただ、目の前にあるものに時には夢中になり、時には急に醒めたりした。
人ってそんなものだ、と周りは言う。
私も、そう思っていた。

しかし、人はみんながいつも、本音を言うとは限らない。
私自身も含めて。
人生いろいろあったけど、結婚もして、子供も生まれ、
もう二度と、男の人に夢中になることはないだろう、
そう思っていた時だった。

砂川に出会ったのは。

今から4年前、私の勤めるエンジニアリング会社で、新しい社内プロジェクトが立ち上がる話があり、募集が行われた。
内容はよくわからなかったが、私は上司に勧められて、その面接を受けた。その面接相手が、彼だった。

 「あなたは今まで何をされてきたのですか?」

私は、今までの仕事の経歴を話した。
しかし、彼の関心事はそこではなかったようだ。

 「あなたは・・・その仕事に疑問を持ちませんでしたか?
 本当は、もっと、したいことがあったのではありませか?」

その時、私は何を聞かれているのか、分からなかった。
彼は返答に困っている私を見て、もう少し、問いを具体的に、
そしてゆっくり、訊いてきた。

 「やり方が人によって異なるとか、効率が悪いとか・・・
  現状をそう感じたことは?」

私は、今思えば誰でも思うような、会社の不満のようなことを答えた。

「もちろん、感じてました。 私が今までしてきた仕事の中には、改善や手順書の作成もたくさんありますが、まだまだだと思います。もちろん、その活動はもっとすべきだと思います」

答えていく中で、思った。

そうか。

これは、壮大な、標準化プロジェクトなのだ、と。
この会社ではエンジニアリングの手法が属人化していて、なかなか効率が上がらなかった。私は当時、その標準化に少し関わっていた。
だから、上司も私に勧めたのだと思った。

その後、そのプロジェクトの内容を聞くと、
確かに、これは壮大な標準化プロジェクトに聞こえた。

私はその時、「大きな誤解」をしているとは気が付かすに、
俄然やる気になった。

今思えば、その時に彼に話をした、将来の夢を語る自分の言葉が、
人生で一番、熱量があったかもしれない。

私は、合格を確信して、部屋を出たんだ。


~2~

そのプロジェクトには砂川を含めて5名が参加しており、私は
唯一の女性メンバーとして採用された。
彼と私は、10歳離れていて、彼はそのプロジェクトのリーダーだった。

メンバーは私以外は非常に若い男性3人で、
いずれも15歳以上も年下だった。
長身だが典型的な日本人顔の色白の男性、外国人のような顔のやせ形、そしてゆうに100キロはあるだろう肥満型の男性。
社会人経験はまだ4年に満たない3人と、40歳を過ぎた女性の私。
この組み合わせが偶然なのか、意図的なのかは、今でもわかってない。
でも、今思えば、彼が意図しないことをするはずがない。
今ならその理由がわかりそうな気がするが、私にはまだ、言葉にできないようだ。

リーダの彼はチームビルディングが非常に得意で、飲み会や短い勉強会を
よく行っていた。
何度も繰り返しになるが、今思えば、これはとても深い意味があったのだと思う。
なぜなら、彼は「無駄なこと」をしないからだ。
だが、私は当時は彼に質問をする余裕がなかった。
いや、必要性を感じていなかったのだろう。
何か、質問することが、自分の価値を下げているような感じすらしていたのかもしれない。

彼は知識量なのか、情報量が圧倒的で、とても物知りだった。
時々、ことあるごとに
 「私は、みなさんからの質問には全て答える」
と言っていた。
この言葉、今、書いてみて思うが、「疑問」でなく「質問」という言葉を
使っていたのも、彼のことだろう。
意味を持たせている気がした。

そうか。
彼は確かに、疑問ではなく、質問に答えていた。
今なら、その違いが、はっきりわかる。

一方、彼は誰でも知っていそうなことには全く疎い時があって、
それで本当に日常生活が大丈夫なのだろうか?と心配になるほど、
知らないことがあったりもする。
そのため、男性3人はことあるごとに、私にこう言う。

 「砂川さんて、変ってるよね」

こう男性たちが言うのは、知識のばらつきだけが原因ではない。
彼の行動は、何もかもが、常識外れだった。
標準化とか手順書作成の検討会議で、いつも突拍子もないことを言う。
想定の範囲が広いというか、誰も気にしないようなことが、
突然指摘される。

 「それって、人間工学的に・・・」

手順書で人間工学ってそんなの聞いたことない。
確かに、人にやさしい手順書、というのはあるのかもしれないが、
彼が聞いているのは、そんな単純な話ではないのだ。

 「そもそも、その手順書が存在することを、
  どうしてその人はわかるのだろう?」

私は当たり前のようにこう言い返す。

 「手順書発行時はもちろん、改定時にも広報します。
 ホームページでも常に状況がわかるようにすれば問題ないかと」

しかし、彼は引き下がらない。

 「ホームページにあるって、どうしてわかるんだっけ?」

私は、彼は私のことをいじめたくてそんな質問をしているのか、
とすら思う。

 「すべての手順書はホームページにある、ということは
 エンジニアなら誰でも知っていることです」

すると彼は少し間をおいてから、突然こんなことを言ったりしていた。

 「エンジニアと言うのは、物を作っているんじゃないんです。
 サービスなんです。そして、サービスするときは、物ではなくて、
 人を見てください。その目的を外さないだけで、すべてが
 うまく行くんです。」

そういえば、彼の話し方には特徴があった。
彼は、会議ではメンバーを混乱させるような質問をし、
幾度がやり取りするのだけど、いつも最後まで行かない。

途中で、彼の気まぐれなのか、時間を気にしてか、
メンバーがいままでの議論は何だったのか、と思うところで、
メンバーの結論に同意して終わってしまうことが多い。

または、違う話をしだす。
その行為の意味は、その時はわからなかったし・・・
今でも、まだ、わからない。


~3~

砂川は、プロジェクトメンバーに対して時々、変わった研修を行う。
4年経った今でも、私はこの研修目的をわかっていないのかもしれない。
確か、こんな研修だったはずだ。
その時の気持ちを思い出しながら、あまり細かいことを気にせずに
書いてみよう。

 「これからみなさんには「花火」というカードゲームをしてもらいます。  
 ゲームと言っても、これは協力して一つの目標を達成する、という点では
 私たちの普段のプロジェクトの目的と何ら変わりません。
 このゲームの中で起きていることをしっかり理解して、
 今後のプロジェクトを引き続き成功させるために自分たちが
 すべきことに気がついてください」

彼はこういった研修のネタをたくさん持っているようだった。
作りこまれた説明用のスライドをプロジェクターに表示させて
説明するのがうまい。
 
「今回は、メンバー全員、4人で行ってもらいます。」

私たちには確か、4枚づつのカードが配られた。
 
 「まだカードは見ないでください」

裏面に灰色で山と樹木が描かれている、ちょっと紙質はよさそうな、
トランプサイズのカードだったと思う。
 
「みなさんには、今から協力して、花火を打ち上げてもらいます。」

画面に、ゲーム進行が丁寧に説明されたスライドが表示された。
カードには赤、青、緑、黄、白の5色の綺麗な花火が、
1個から5個、描かれていた。

 「それぞれの色のカードは、10枚ずつ、全部で50枚あります。
  ただし、1から5までが2枚ずつあるわけではなく、
  1は3枚、2から4は2枚、そして5は1枚しかありません。
  
7並べのように、つながってる花火しか出せないので、
  はじめはどの色でも、1しか出せません」

この手持ちのカードを順番に出して、この花火を色ごとに場に
並べるだけの、単純なゲーム。
ここまで聞いた時は何が難しいのだろうと思っていた。
しかし直後に、彼はこう言った。

「ではみなさん、自分のカードを、自分では見ないようにして、
 他の3人に見えるように、手で持ってください」

 え?
 この人は何を言っているのだろう。
 自分のカードだけが、見えない?

 私はその時、かなり焦ったことを今、思い出した。
 
「続きを説明します。 行動は、一人ずつ、時計回りに行います。
 自分の順番で出来ることは次の3つです。

 まずは、
 他の人に、カードの情報をひとつ教える
 みなさんは、自分のカードが見えませんが、それを他人から
 一部の情報として教えてもらうことができます。
 これは、コミュニケーションです。
 他人からのアドバイスですが、当然、それは一旦は
 受け入れてもらいたいものです。
 ただ、コミュニケーションは、相手の時間を奪う行為です。
 もちろん、それが有益であれば、時間を使う価値はあるでしょう。
 しかし、時間は有限です。よって、相手にヒントを教えるときは、
 この「ヒントトークン」が1枚、失われます。
 ヒントトークンは、初めに8枚、この4人一組のチームに
 お渡ししますので、大切に使ってください」

彼は、テンポよくスライドをめくった。

 「ヒントの出し方ですが、自分に番になったら、
  他の3人の中の一人に対して、一つの色か、または一つの数字に
  ついて、教えることができます。
  例えば、「これが赤だよ」とか、「これが3だよ」のようにです。
  ただし、「これが赤だよ」というときには、
  その人が持っているすべての赤のカードを教える必要があります。
  特定の一枚だけを教える、と言うことは出来ません。
  逆に言うと、「白がゼロ枚だよ」「2は持っていない」という
  ヒントでも構いません。」

彼はファシリテーションしながら、よく周りを気にするタイプだった。
質問が無いかどうか、周囲を見回して、納得がいっている様子を
確認していた記憶がある。

 「さて、このヒントトークンは8枚しか無いわけで・・・」

彼はその小さなトークンを再び机から1枚取り、みんなに見えるように
示す。実物を使って説明するのも彼の特徴だ。

 「これだけでは8回ヒントを出したら尽きてしまします。
 そこで、次の方法で、この情報トークンを一枚、復活させることが
 できます。それは、カードを捨てる、です」

スライドには、大きく

 2.カードを捨てる

と表示された。

 「どんな時カードを捨てるべきなのか? 
  それは各自で考えていただきます。
  その行為は誰の時間も奪いませんし、カードを捨てる、ということは、
  新しいカードを山札から補充できる、ということでもあります。
  あなたのその決断は、大いなる失敗になるかもしれませんし、
  プロジェクト成功のカギになるかもしれません。
  とにかく、その決断は、情報トークンの復活として評価されます。」

 そう話すと、彼はまたスライド送りをし、画面には
 
 3.花火を宣言する

 と表示された。

 「さて、3つ目。最後に取れるアクションは、「花火」と宣言して、
 場にカードを出すことです。
 先ほども言いましたが、1以外は、つながるカードしか出せません。
 例えば、赤の列が2まで出ていたら、次に出せるのは赤は3だけ、
 ということです。
 もし、赤の2が出ていないのに、赤の3を出してしまったり、
 すでに出ているカード出したりした場合には、「打ち上げ失敗」として、
 この点火トークンが失われます。
 点火トークンは、みなさんには始めに、3つお渡しします。」

 彼は、情報トークンと同じ大きさの、ただ情報トークンの青とは
 対照的な、橙色の点火トークンをみんなに見えるように掲げた。

 「つまり、3回、間違えた場合には、点火トークンはすべて無くなり、
 もう着火できないので、その時点でこのプロジェクトは終了です。
 あ、「花火」と宣言してカードを出したら、成功しても失敗しても、
 山札から1枚補充してくださいね。」

 彼は、このゲームがまるで簡単であるかのように、説明をつづけた。

 「もし「花火」が成功した場合、通常はただ打ちあがるだけですが、
  どの色でも、5まで繋がりきった場合には、ボーナスとして、
  この情報トークンを1枚、復活させてあげます。」

私はこの時、この「5」まで繋がったら情報トークンが復活する、
というのはこのゲームの鍵ではないかと思った。
今思えば、それは罠だったのかもしれないが。

「それと・・・」

スライドには、「ゲームの終了条件」が表示された。
スライドによると、このゲームの終了条件は、
 打ち上げに3回失敗する
 山札が無くなる前に5色の花火を全て完成させる
 山札のカードの最後の1枚が引かれたら、そこから一回りするまで

のようだ。

彼は、少し強めの声で、私たちに言った。

 「このゲームで重要なのは、コミュニケーションです。
 相手にアドバイスすることは、重要です。
 一方で、アドバイスだけをもらって、自分は何もしない、というのは、
 プロジェクトとしては最悪です。
 失敗を恐れず、出来ることを確実にしていく、そして時には・・・
 リスクを持って、チャレンジすることが、必ず必要になります。
 このゲームは、その意味が分かるまでやっていただきたいですが、
 今日は、とりあえず2回、チャレンジしてみましょうか」

そうだ。その時思ったんだ。
今日は?って言ってた。
これって・・・まさか毎日やるつもりなのか、と思ったが・・・

彼は、私の怪訝な顔に気づいてこう言った。

「そうですね、このゲームは、みなさんが25個の花火を全部
 打ち上げられる日まで、毎日1回、やります」

信じられない、と思った。
他のメンバーの顔だって、驚きと戸惑いに変わっていた。
毎日、このゲームをやる?
そんなことが、会社で許されるの?
その時はそう思っていたんだ。
でも、例えばこれが
 本当の意味でのコミュニケーション研修
だとすれば、毎日30分、やることに意味があったのかもしれない。
もっと何か、私たちがそのゲームに意味を見出せていれば。

彼は、私たちのその態度は予想の範囲内であるかのように、
説明をつづけた。

「君たちは、とても優秀な人材だと思います。
 誰がやっても一定の結果を出せるような仕事なら、
 この研修は必要ないかもしれません。
 しかし、

 これからも今と同じような仕事が存在する

 とは言い切れない時代が、もうそこまで来ています。
 しかし、それがなんであるか、を私はうまく説明する力がありません」

そういえばその時、彼は、少し悲しそうな表情をしていた。

 「もう少し、このゲームの話をしましょう。
 できるだけ少ないヒントで花火を完成させるには、
 相手が何故、今、このヒントを出したのか?
 という理由の裏をしっかりと考えなければならないでしょう。
 もしかすると、裏の裏、その裏・・・と、どこまで相手が考えたのか、を
 読み切る必要があります。
 しかし、私たちは、
 本当に相手の心を読む
 ということが出来ると思いますか?」

彼は、少し間をおいて、続けた。

「アドバイスがうまくいったのか、はそのあとの相手の行動で
 判断するしかありません。
 そのアドバイスが、必ずしも最善だという保証はどこにもないし、
 山札と言うまだ見えない未来がある段階では、どの順序でカードを
 出すべきだったのかは、誰にもわからないのです。
 もちろん、時には記憶違いや、アドバイスを忘れてしまう
 ということも起こります。
 しかし、私たちは、
 どんなプロジェクトも、目的に向って終わらせる
 必要があります。」

彼はその時、すべてを話し切った表情を見せていた気がする。
そして、少し息を吸って静かに言ったんだ。

「ちょっと説明が長かったので、ここで休憩を取りましょう。
 また、作戦を立てる時間も差し上げますので、そうですね、30分後に、
 ゲーム開始としましょうか。」

私は、その時、あることに気がついたつもりでいた。
逆に考えれば、今日のこの2回で、25個の花火を打ち上げれば、この研修は終わり、プロジェクトに集中できる。
きっと彼は、私たちに早く成果を出すよう頑張ってもらうために、遠回しに毎日やる、と言っただけに違いない。

そう思って、ひたすら戦略を考えた記憶がよみがえった。

手札の表側は常に相手の方に向けているので、自分だけ内容がわからない。逆に、他の人たちが持っているカードの内容は見えている。
さらに重要な情報として、
捨てたカードは全員がいつでも見ることができる。
やはり重要なのは、ヒントの出し方ではないか。

他の人の手札にある番号か色のどちらかの要素を1つだけ
教えることはできる。
これをお互いに行なうことで、しだいに自分の手札の内容がわかる。
しかし、ヒントを伝えるにはコストとして有限のチップを支払う必要が
ある。

ヒントを与えてばかりいると、どんどんチップが減っていってしまうので、それを復活させるには、いらないカードを捨てることだ。

しかし、自分にはそのカードは見えない。
以前の情報から、「このカードは目的達成には不要」という判断を、
周囲のアドバイスから決断する。

そうだ・・・

私は戦略を考えている途中で、ある疑問が生じたんだ。

一体相手は、私に、
捨てるカードと出すカード
どちらを教えてくれるのだろう?
そこまで考えてたのに。
「はい、時間です」
という彼の声で、私は、思考が中断し、現実に引き戻されたんだ。

今更、このゲームのことをもう考えたくはないが。

ゲームは、散々だった。
初日では、花火は6個しか打ち上げられず、次の日は
15個まで打ち上げられたが、それ以降は、一週間経っても、
15個を越えられなかった。

あの時やってみてわかったのは、アドバイスは何も次の人に出すとは
限らない、ということだ。

自分の前の人に出すのが有効な場合もあるのだが、
それがその人の手番になるまで有効とは限らなかったり、
当然、記憶違いも起きる。

アドバイスは他人からもらうが、決断は自分でする。
ただカードを捨てるだけなのに、こんなに緊張することがあっただろうか。
あの時私は、このゲームで奇妙な感覚に襲われた。

相手は、私に何を求めているのだろう
私のしていることは正しいのか?
カードを捨てたときの、男性陣のそのため息は何?

その表情は・・・
そうだ。私はこの時、

「自分のことを、自分だけが知らない」

という恐怖を、経験したんだ。

砂川の考える研修は、やってみると面白いのだが、
すっきりした気分になったことは一度もなかった。

結論が得られず、もやもやする。
一体、この研修には、どんな意味があるのだろうか。
研修だけではない。

彼は、私に何かと「疑問」を与える。

しかし、いつもそこには、答えがない。


~4~

私と砂川は、こうしていくつかのプロジェクトをこなしていくうちに
一緒に食事をするようになった。

そしてある日、お互いの夢の話になった。

 「新田さんは、どんな夢があるんだい?」

私は、自分の思いを語った。
彼の、はたからみると誘導尋問に近い質問に答えるうちに、

 私は、自分にはこんな大きなことを考えていたのだ

と自覚した。
そして・・・

あれ?
何を話したんだっけ?

思い出せない。
確か、かなりお酒を飲んでいた記憶がある。

そして・・・
なんだろう。
胸が苦しい。

私はこの記録を書いている最中に、涙が出ている自分に気がついた。

何か・・・
砂川からも、壮大な何かを話された気がする。
いや、私の過去に触れられたのか。
私は、あまり人には言えない過去が結構ある。
その話を、砂川にはなぜかしてしまった。

でも、どこまで話したか覚えていない。
もう、今は思い出せそうにない。

ただ、最後に、彼から申し出があったんだ。これからは社内での情報を
お互いに共有するのはどうか、という申し出があった。
酔いもあったのかもしれない。 
私は、彼のその申し出を受け入れ、その日から、信頼しあうという
意味での、ビジネスパートナーとなったんだ。
これは、そのあとの仕事にとても役に立つ、とその時は思ったからだった。
そして実際に、その直後から仕事がとてもうまく進んだんだ。

そういえば食事の帰りに、彼はこんなことを聞いてきた。

「君は、紫陽花の花言葉を知っているかい?」
「あれ…何だったかしら・・・一度くらいは、調べた気がするのだけど」「そうか。まあ、知らなくても別にいいけど」

彼は、いつも最後まで、話を続けない人だった。

なぜ、あの夜に話したことが思い出せないのか、それが今はちょっと辛い。

ただ、あの夜以降からだった。
私は、自分の行動に自信を持ち、自己肯定感、というものを持った。

私は今まで、自分が周りからどう見られているのか、ということを
あまり気にしてこなかった。

でも、それでいい、と彼に言われると、
それが良いことなのか、悪いことなのかはわからなかったが、
仕事が何もかもうまく行った。
今まで駄目だと思っていたことが、実はそうではないと分かった時、
私は解放された気持ちになった。

固定観念を取り払う、の意味が分かったような気がした。

そして私は初めて、
 人に信頼されている
という感覚を持つようになった。

私たちは、次々と社内での改革を行い、やがてそれは高い評価にも
つながった。

しかし、長く彼と一緒に仕事をするようになり、その評価を
思わしくないものがいたのか、やがて私たちは同じプロジェクトに
携わることはなくなった。

彼が、リーダから外され、私がリーダに任命されたのだ。

周囲は、彼が私にプロジェクトを任せすぎていることを
よく思わず、機会を均等にすべきとの主張が起こったからだ。
私は、仕事上で彼と別れることは、自分の実力を試す良い機会だと思った。しかし、彼は表立ったプロジェクトで一緒にならなくても、
ことあるごとに私に声をかけてきた。
彼は、私とビジネスパートナー関係を続けたいようだった。
それから、彼の要求が、とても面倒に感じてきた。
彼の言っていることはわかる。
でも、何をして欲しいのかわからない。
ああ、そういうことか。
今思えば、あの研修のときに感じたもどかしさと同じものが、
そこにあった。


~5~

今思うと、それからの私に対する砂川の要求は、だんだんエスカレート
してきているように感じてきた。

私は、これだけ今の仕事がうまくいっているのだから、
正直、彼のよくわからないアドバイスに対して、対応することに面倒さを
感じ、時には、無視することも増えた。

メンバーの男性3人は、私の指示はよく聞いてくれていた。
彼らと私のコミュニケーションは間違いなく、彼より上だと思っていた。

彼らは彼がリーダだった時よりもストレスが減り、
仕事もうまく回りだした。
特に米川君が生き生きとしていた。
標準化業務は順調に進み、社内には整備された手順書が整った。

彼がいなくなったおかげで、予定よりも早く、
このプロジェクトは終わりそうだった。

その時、私は思ったんだ。

私は、彼に頼る必要があるのだろうか?

確かに、彼は私にきっかけを与えてくれた。
そのことには感謝している。
でも、いつまでも、この関係を続けても、少なくとも、
今の私にはメリットがないし、それはメンバーだって同じ気持ちだろう。
そもそも、私たちは、
 心の底から何もかもを、信頼していたわけではない。
所詮、仕事の上で、利用していただけだ。

そう思った私は、彼を食事に誘い、関係の解消を切り出したんだっけ。

 「もう、ビジネスパートナーを解消したい」

その時の彼は、発狂したように、それを受け入れようとしなかった。

 「解消するって、どういうこと?」
 「大声出さないでよ」

彼は感情的になりやすく、公の場でも平気で大声を出す。
しかし、それは私には都合がよかった。
この場で私が出て行っても、周囲の誰もが、悪いのは
彼だと思うだろう。

私は、彼を無視して、その場レストランを離れた。


~6~

私から関係を絶ってからも、業務上の都合で、
砂川と会話をする必要性があるときには、会話をした。

しかし、業務のほとんどはオンラインで行われるため、
そもそも、私たちはもうお互い顔を見る関係ではなくなっていた。
それでも、彼の、なんとなくのアドバイスは止まらない。

私は、決着をつける必要があると思って、
ある日、彼と二人きりになり、
 もう過去のことは忘れて欲しい
と頼んだ。

私は、彼がまた強い口調で何かを言ってくるかと思ったが、
反応はそうではなかった。

 「君がそれで納得がいくなら、そうすればいい」

彼の話し方が、歯切れの悪さを感じた。

 「君は、分かってないね」

彼は震える声で、強く言った。

「僕の望みは、君の夢の実現だった。
 でも君はこの1年、目の前に横たわる機会を、何一つ掴まなかった」

そして彼は演説めいた口調で、こう続けていた。

「これからの時代、コミュニケーションという概念が、変わる。
 本質は変わらないけれど、その本質を知るものは少ない。
 でも、君はコミュニケーションの変化を学ぶ努力はしてこなかった。
 そのこと自体を責めるつもりは無い。
 でもね、

  自分を知るためには、衝突を恐れずに他人と向き合う必要がある

 それを諦めた君には、もう僕からも、関わりたくない。
 というか、お互いのためにならないよね。
 君は、自分の見たいものしかみない。
 周りが、君をどう見ているか、知ろうとしない。

 僕に迷惑をかけるのは、構わない。
 しかし今の君が、「誰かと何か創り出すこと」が出来るとは思えない。

 君は、正しいよ。
 でも、それは、周囲の期待であって、君の心の正しさではないと思う。」

私は、その時、またあの時の記憶がよみがえったことを思い出した。

「自分のことを、自分だけが知らない」

私は少しうずくまって、耳を塞いで、叫んだんだっけ。

「本当にあなたって、人の気持ちがわからない人ね」

しかし、彼は声を張り上げて、話を続けてくる。

「私は、今のこの世界に疑問を持っている。
 君は、この世界に疑問を持っていない。
 そういう人と、一緒には歩けない。
 僕が、消えるよ」

そういうと、彼は、姿を消したんだ。
その日から、会社で彼の姿を見ることはなかった。


~7~

それから1年経って。
私は、砂川が言っていたことが少しわかる出来事が起きたんだっけ。

完備された標準化のシステムも、手順書も、そのほとんどが、
使用されなかった。
結果、経費をたくさん使っただけで、効率は改善されなかった。
なぜか。
デジタルがここまで普及していない時代と比べて、変化が速すぎて、
繰り返すような、同じような仕事
というのはほとんど無くなってしまったからだ。

彼は、
 周りが見えてない私のこと
を、見ていた。

すべてのアドバイスは、そのためだった。
私が何を学ぼうとしなかったのか。
今なら、わかる気がする。
ただ、それを表現できる言葉を、私は今も持っていない。

私はあの時、選んでしまった。
今の会社の状況を守るという選択を。

そもそも、私がしたかったのは、本当に標準化だったのだろうか。

彼とビジネスパートナーとなるきっかけの時に話したのは、
もっと、なにか・・・
根源的な・・・
そう、
 社員全員がお互いに信頼関係を持つ
そんな話だったんだ。

でももう、私には、あの夢を見るその気力が無い。
それに、私は何一つ、答えを手に入れていない。
今の社会は、私に暗黙の圧力をかけてくる。
 数少ない女性なんだから、
 与えられた仕事は計画通りにこなせ
それが私には心地よく、変化の激しい新しい技術情報や世界の構造の変化
からは耳を塞げば、楽になる自分がいる。

私はもう、そんなに若くないのだから。

このままこの会社が存続できるのか、
今の状況を守ったのは、未来を守ると等しかったのか、
経営が傾き始めた今、私の選択は正しかったのか、
こうして記録を書いている今も、悩む日々が続く。


~8~

そういえば、砂川の姿のを見なくなってから2年を過ぎるころ、
私にEメールでメッセージが届いた。

 「紫陽花は、どんな色でも紫陽花だ。
 見た目の色に、異なる花言葉があっても、
 本質は変わらない。
 君の決断、それでよいと思うよ。
 今が幸せなら、無理して夢なんて見なくても大丈夫だよ。
 僕がいなくても大丈夫なら、安心したよ」

仕事については、何も触れていなかった。
ビジネスパートナーについても、何も書いてない。

なぜ、紫陽花なのだろう。
彼は今、何をしているのだろう。

そして・・・
最後の一行が、気に食わない。
これは、私がいつだったか、プロジェクトの最中に、
彼にこんなことを言ったからだろう。

「もう、一人で大丈夫です」

彼は、私の本当の気持ちを、知っていたのだろうか?
それが私の本心だと、本当に思ってたのだろうか。
私はその時、心の中でつぶやいたつもりだったが、
その言葉は、声になって出て、メンバーをびっくりさせたんだ。

「本当にあなたって、人の気持ちがわからない人ね」

~後編に続く~


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