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2-11. 信濃路に昔の蕎麦の白き花

 保科正之は徳川家康の孫とは言え庶子であったため、徳川保守本流の人物ではなかった。それでも、六歳の時に信濃高遠藩三万石の藩主・保科正光の養子になり二十歳の時に藩主となった後には、山形藩二十万石、会津藩二十三万石の藩主となった。異母兄の三代将軍家光に認められて、移封のたびの加増はもとより仙台伊達藩に睨みをきかす会津藩を任されたことは、徳川家への忠誠心は言うまでもなく、名君としての実力があったからだと言われている。家光の遺言で四代将軍家綱の補佐役も務め、幕政にも大きな貢献をした保科正之が広めたのは、まんじゅうの天ぷらだけではない。信濃の蕎麦も各地に広めたと言われている。今でも山形の「寒晒しそば」や会津の「高遠そば」は有名で、いずれも保科正之が高遠からの移封に伴って蕎麦職人も引き連れて行ったことによるという。保科正之が食べ山形や会津に持って行った蕎麦は、品種改良されて現在多く出回っている信濃1号ではなく、在来種の蕎麦だったはずである。一般社団法人全国過疎地域連盟が発行する雑誌『De POLA No.58』に、高遠の蕎麦の在来種を復活させた話が載っている。なかなか感動的な話である。

 「高遠町に移住してボランテイアで公民館活動をしていた山根健司さん(当時42)は蕎麦打ち教室の席で『昔のそばはもっと小粒で味が濃くて・・・』というお年寄りの声を聞いた。」  

 このことをきっかけとして、山根さんは在来種の種を探し回り、ようやく長野県野菜花き試験場に高遠在来種が20g保管されていることを知った。2014年のことである。試験場の協力を得て3分の1に当たる約300粒の種を蒔き、この中で発芽したのがわずか6粒。6粒とはいえ何十年も経っていた種が発芽できたことは奇跡的だったという。その翌年には42粒となり、さらに種子を増やし、信州大学農学部のアドバイスと協力を得て、増やした種子を栽培することとなった。信濃1号を育てている蕎麦畑とは最低でも2Km離れた地域でないと交雑する可能性があるため、栽培地の選定にも注意が払われたという。

 「まずは種子を取るために植えられたそば畑。そこでとれた種子を蒔き、量産するための種子をとる畑。そして食用として採取するための畑が数ヶ所。畑だけでも3ステップになる。」

 と、大変な努力と時間が費やされたのである。収穫されたそばの試食会で、

 「シナモンのような黒砂糖のようなそんな強い香りに圧倒されました。なんだこれは⁉︎ 旨い、凄いと叫びました。皆も凄い凄いと大騒ぎでした。」

 高遠の在来種が復活したのである。今、山根さんは高遠町の「壱刻」という蕎麦屋の店主だという。高遠蕎麦といえば、絞った大根の汁に焼き味噌を溶かした蕎麦つゆであったり、さらにおろし大根を加えたりといくつかの食べ方があるらしいが『De POLA No.58』には、

 「何もつけない、あるいは塩だけで食べるというのが、最も贅沢な食べ方とも言えるだろう。」

 と、書かれている。喉越し重視で蕎麦粉八・小麦粉二などの割合で作られるものもあるが、喉越しよりも蕎麦の味そのものに重きが置かれる場合もある。それぞれの地方独特の味や配合による食べ方が生み出されたのである。

 保科正之が持っていった高遠の在来種も、山形や会津で、その地の気候や好みといった地域特性が加味されてローカライズされたに違いない。大名の移封は、徳川の幕藩体制の維持を目的としていたが、一方では地方と地方を結んで日本をより面白くする効果をもたらしたのである。地方と地方との結びつきだけでなく、当然のことながら地方と江戸との結びつきもあった。大名レベルでいえば参勤交代だが、江戸への人口流入も個人レベルで地方と江戸を結びつけたのである。池波正太郎の『にっぽん怪盗伝』に掲載されている「一月四日の客」は、映画にもなっているので、ご存知の方も多いと思う。江戸は本所の枕橋、信濃で食べられている「さなだそば」を一月四日だけ食べさせる蕎麦屋「さなだや」が舞台となる話である。原作と映画の結末は違うのだが、「さなだそば」が話の軸になっているのは変わらない。本文中で「さなだそば」は、次のように紹介されている。

 「信州は、そばが名物で、なかでも上田から松代まつしろにかけ、山国の痩地やせちに育つ細く貧弱な〔ねずみ大根だいこん〕をすりおろし、このしぼり汁をそばつゆにたっぷりあわせて食べるのが、あの地方の慣わしである。」もっとも、江戸の人には、
 「なにをまた粋狂に、あんなものを出すのだ。舌がひんまがるようなからつゆで、そばの味もなにもあったものじゃない」

 と、一月四日には客が来ないのである。それでも、信濃からきた老夫婦が切り盛りしているさなだやでは、一月四日にはさなだそばしか出さない。ある年の一月四日、飛び込みの客が来て天麩羅そばを注文するが、亭主はさなだそばしか出せないと丁寧に断る。客は仕方なくさなだそばを頼む。そして出てきたさなだそばを見て表情を一変させたものの、おかわりをして三杯も食べたのである。

 「お客さんも、信濃の?」

 と亭主が聞くが、客は言葉を濁し来年の一月四日に、また食べに来るといって店を出て行く。この後の池波ワールドは、本や映画で見ていただくとして、江戸時代にも今と同じように地方料理を出す店があって、江戸の人たちと地方出身者の交流の場を作っていたのかもしれない。いつの時代も、食は交流の原点である。高遠在来種の蕎麦を食べて「壱刻」の主人の話を聞いてみたいものである。

●『De POLA No.58』[でぽら]2024年(令和6年) 一般社団法人全国過疎地域連盟 2024年・・・長野県伊那市の話題として「入野谷在来『奇跡の6粒』を育てる 濃い香りと味わい『高遠そば』を復活」という記事が掲載されている。
●「一月四日の客」 池波正太郎『にっぽん怪盗伝』 KADOKAWA 2025年(初版は1972年)に掲載。


Eijyoさま
久しぶりに蕎麦の記事を書いてみました。

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