江戸前期の会津藩主。二代将軍徳川秀忠の実子でありながら認知されず、高遠城主保科正光に養育される。保科家を相続の後、兄家光に取立てられ、幼将軍家綱の後見として幕府支配体制を安定させ秩序化へと導いた。会津藩主としても家訓十五条を遺すなど、幕末にまで影響を与えた。神道家および儒学者としての側面にも触れ、六十二年の生涯に迫る。
※2026年7月13日 13:34時点
近世初期にあらわれた日本史上、屈指の大政治家・保科正之 会津藩主にして四代将軍・徳川家綱の輔弼(ほひつ)役。 「明暦の大火」(江戸市民十万人死亡)で示した抜群の危機管理能力。 あわてふためく幕閣たちを尻目に、沈着冷静、民の側にたったきめ細やかな処理で難民を救済し、 十万を超える遺体をきちんと慰霊し、迅速に江戸を再興した。 原発事故時の某首相とは人物、能力ともに雲泥の違い! 会津藩主としては、世界初の国民年金制度と救急医療制度の設立、 社倉米(不作時用備蓄米)、税の減免等、民にやさしい政治を行う慈悲の名君であった。 日本史に輝く数々の業績と魅力の人柄!
※2026年7月19日 5:33時点
被災した江戸復興を担った保科正之のリーダーシップと、会津藩士達が引き継いだ清貧と無私の精神、武士の信念を歴史の群像で読み解く
※2026年8月1日 12:33時点
※2026年7月21日 11:35時点
将軍家光の異母弟として悲運の生をうけながら、忠勤と民への慈愛に身をつくした、この稀有なる会津藩主の歩んだ清洌な生涯を辿る。 二代将軍秀忠のご落胤として生まれた幸松だが、徳川家の子とは認められず、信州高遠の保科家に養子に出される。その存在はやがて異母兄である三代将軍家光の知るところとなり、引き立てられ、幕閣に於いて重きをなすに至る。功績が認められ会津へ転封となるや日本一とも言われる精強な藩を作り上げる。家光の死後は、甥の四代将軍家綱を後見し、民政に力を尽くし、幕府の確立に貢献した名君、保科正之。その、名利を求めず、傲ることなく、「足るを知る」こそ君主の道とした清々しい生涯を、時に熱く、時に冷静に描く、著者渾身の歴史小説。
※2026年7月17日 20:32時点
秀忠の庶子として悲運の生をうけながら足るを知り、傲ることなくきよらかにこの世に身を処した会津藩主の全生涯。力作一千枚
※2026年7月22日 2:33時点
※2026年8月16日 11:32時点
※2026年7月28日 12:32時点
この清らかにして驕らぬ無私の精神を持ったリーダーが、今の日本に求められている。保科正之と時代を変えた武士達を描く歴史随想
※2026年7月25日 11:32時点
徳川秀忠の子でありながら、庶子ゆえに嫉妬深い正室於江与の方を怖れて不遇を託っていた正之は、異腹の兄家光に見出されるや、その全幅の信頼を得て、徳川将軍輔弼役として幕府経営を真摯に精励、武断政治から文治主義政治への切換えの立役をつとめた。一方、自藩の支配は優れた人材を登用して領民の生活安定に意を尽くし、藩士にはのちに会津士魂と称される精神教育に力を注ぐ。明治以降、闇に隠された名君の事績を掘り起こす。
※2026年7月21日 8:33時点