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はじめてのnote|保科正之を語りたい!!

はじめまして。松の雪です。
皆さん、推しはいますか?それは誰ですか??

私の推しは

保科正之

です。

保科 正之(ほしな まさゆき)は、江戸時代前期の大名。会津松平家の祖。信濃国高遠藩藩主、出羽国山形藩藩主を経て、陸奥国会津藩初代藩主となった。

Wikipediaより

江戸幕府初代将軍徳川家康の孫、第2代将軍徳川秀忠の子であり、3代将軍徳川家光の異母弟、4代将軍徳川家綱と5代将軍徳川綱吉の叔父である。家光と家綱を輔佐し、幕閣に重きを成した。

Wikipediaより

江戸初期の大名です。
ご存知でしたか?あんまり知ってる人いないんじゃないかなと思います。私も2年くらい前に『光圀伝』(冲方丁)を読んで、初めて知りました。

この方の激推しポイントは三つです。

1.めっちゃくちゃ義理堅くて謙虚

義理堅さと謙虚さがレベチです。保科正之は、将軍の子でありながら父親(秀忠)から子どもとして公式に認められず、高遠藩(今の長野県のあたり)の保科家で養育されます。
この保科家に対する正之の恩義の厚いこと厚いこと!やがて正之は徳川家から「松平」の姓を名乗ることを許されるのですが、自分を育ててくれた保科家への恩を忘れず、生涯、保科を名乗り続けます。
また、自分を取り立ててくれた徳川への恩を忘れないよう、会津藩の家訓に次のような言葉を遺します。

大君の義、一心大切に、忠勤を存すべし。列国の例をもって自らを処るべからず。もしニ心を懐かば、即ちわが子孫にあらず。面々決して従うべからず。

会津若松市より

これ、「徳川将軍家に絶対尽くせ。尽くさないやつは私の子孫では無いので従うな。」と言ってるんです。自分の家を存続させようと思ったら、こんなこと言いませんよね。生き残るには長いものに巻かれるのが一番ですからね。
実際に会津藩は、この遺訓を忠実に守ったがために悲運をたどりました。

また、家光の遺命により4代将軍家綱の政治をよく支え、文治政治を実現させますが、自分のしたことが後世に残らないよう、自分に関する資料を部下に命じて燃やさせます。家綱と言えば末期養子の禁の緩和とか、殉職の禁止とか、玉川上水の開削とか、いろいろな政策がありますが、それらが保科正之によるものだったと語られてしまっては、徳川の威光を曇らせることになっちゃいますからね。私だったら「私がやりましたァ!!!!」って赤字で書き残しておきますけどね。自分の生きた証を消しながら生きる姿が、あまりにもエモいです。

2.人生が貴種流離譚

貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)は、高貴な生まれの人が試練を乗り越えて尊い存在になる物語のパターンです。
保科正之は将軍家の血を引いていますが、正室の子ではありません。この正室(お江与)が強烈に嫉妬深かったからか、正之は父親から認知されず、母親の静とともに見性院(武田家出身の女性)のもとへ身を寄せ、7歳になると保科家に預けられます。
尊い生まれでありながら小藩の子として育てられ、やがてその才覚によって将軍家から取り立てられ、将軍の補佐役にまで上り詰める。まさに貴種流離譚です。物語のような人生です。

3.一次資料が超少ない

先に述べたように、保科正之は自分に関する資料を燃やさせていますので、現存する資料が超少ないです。
保科正之という人物を知ろうと思ったら、周辺人物を調べたり、時代を調べたりして、「こんな感じの人だったのかもしれない」と、ぼんやりとした輪郭をたどりながら想像するしかありません。

それが最高に楽しいんです。推し活の極地です。

公式からの供給が無いのなら、自分で供給を作るしかないじゃない!自分なりに考えて、推しを形作ってみたっていいじゃない!!

保科正之は、イマジネーション型行動派オタクにぴったりの推されだと思います。

そんな保科正之を全力で推してゆきますので、楽しく読んでもらえたら嬉しいです!

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