1月18日|振袖火事の日「火事のさなかに義を貫いたお話と、経世済民の精神を描いた一冊」
【今日は何の日】1月18日 / 振袖火事の日
【記念日本棚】江戸を造った男 / 伊東 潤さん

1657年1月18日。
江戸の街の約7割を焼き尽くした「明暦の大火」が起こりました。
未曾有の大火は江戸に、あまりにも残酷な爪痕を残します。
死者は約10万人。
当時の江戸の人口のおよそ3分の1にあたります。
焼失面積は市街地の約7割。
江戸城の天守閣、本丸、二の丸、大名屋敷約500軒、寺社300以上が灰となりました。
最も被害が大きかったのは町家で、江戸の主要な商業地はほぼ全滅したといいます。
この大火には、ある意図をもって語り継がれてきた伝説があります。
それが、この火事が「振袖火事」と呼ばれる理由です。
一人の少女が、一目惚れした少年の着物と同じ柄の振袖を作りました。
しかし恋は叶わず、少女は若くして亡くなってしまいます。
その振袖は古着屋に出されますが、手にした別の少女たちも次々と命を落とすという不可解な出来事が続きました。
「呪いの振袖」と恐れられ、供養のために寺で火に投げ入れた瞬間、突風が吹き荒れます。
燃え上がった振袖が空高く舞い、寺の屋根に燃え移ったことが、江戸中を焼き尽くす大火の始まりだった……。
そんな伝説から「振袖火事」と呼ばれるようになったのです。
しかし近年では、この話は火元となった寺や幕府が、管理不足の責任を「不可抗力の呪い」にすり替えるために広めた作り話だ、という説が有力です。
自分の責任を隠すために、物語を仕立てて他人に押し付ける人がいる一方で、自らの財を投げ打ち、すべての責任を背負って民を救おうとした人もいました。
その一人が、商人の河村瑞賢です。
江戸の街がまだ火に包まれている最中、彼はある確信を持って木曽へと走り、私財をはたいて木材を買い占めましたが、それは独占するためではなく、復興のための資材を適正な価格で、素早く供給するためでした。
そして、この型破りな瑞賢を認め「大欲者」と呼び、復興の舵取りを任せたのが、幕府の重鎮・保科正之です。
保科正之という人は、どこまでも「民」を見つめていた政治家でした。
明暦の大火で江戸が灰になったとき、
城ではなく人を選び、名誉ではなく責任を引き受けた男と、
失えばすべてを失う賭けに、自分の財を投げ売って江戸を生かした男。
江戸を焼き尽くした炎は、二人の男の「義」を照らし出し、今の東京の礎を築いた炎でもあったのかもしれません。

※作品の内容に触れていますので、ご留意いただけますと幸いです。
江戸を造った男 伊東 潤さん
朝日文庫 2018年発行
明暦の大火の折に材木占買で財を成した商人・七兵衛(河村瑞賢)は、海運航路整備・治水・灌漑・鉱山採掘などの幕府事業を手がけ、その知恵と胆力で難題を解決していく。新井白石をして「天下に並ぶものがいない富商」と唸らせた男の波瀾万丈の生涯を描く長編時代小説。《解説・飯田泰之》

この本を読むまで、私は河村瑞賢も保科正之という人物も知りませんでした。
明暦の大火の悲惨さが知れ、のちの瑞賢の数々の行動に、その時代の景色が蘇ります。
経世済民の精神で、常に人を思い行動した、今の世にいてほしい格好良い人。
500ページを超える一冊ですが、その厚みを忘れるほど引き込まれ、あっという間に読み終えました。

関西に住む私には、やはり、安治川 (USJの横を流れています。)を作ったのも、河村瑞賢だったということが、とても興味深いです。
江戸を作った男は、大坂をも作ったと言われています。
責任を誰かに押し付けて終わる物語と、責任を背負って未来を創った人たち。
今度は違った視点で、大阪や東京の街並みを歩いてみたいと思います。

