保科正之の笏
笏の持ち方が癪に障るとか、そういうしょうもないおやじギャグではありません。。。。
会津藩のイメージ

福島の出身で小さい頃は会津若松で育ったこともあり、会津というのは印象的な土地です。
会津というのは中央(京都や江戸)からすると東北地方の要の位置にあり、支配者も変遷してきました。
江戸時代に入ると三代将軍家光の異母弟(腹違いの弟)である保科正之が入り、以降松平に姓を変え、親藩の重鎮として幕末まで統治します。
幕末まで将軍家に忠実だったことから、「忠誠」「尚武」「忠実」というイメージがあると思います。
そういうイメージの会津藩ですが、その藩祖の保科正之の肖像、見たときに、「ア、アレ?」と思ったことがあります。
笏の持ち方、変じゃない?

普通笏って下を持って、持つものだよね?

すごくまじめなイメージのある会津藩の藩祖がこれでいいの?
と他の大名も調べてみると。


うーん、意外とまじめに上に向けて持っている方が少数派かもな。。。。
ちなみに後代の会津藩主を見ると。。。


うーん、結構みんな思い思いの持ち方かも。
三代の持ち方は明らかに藩祖様の真似をしている感じがします。
だけど笏を横とか下に持つのと、上端を持つのとは明らかに意味合いが違うような気がします。だって下を持ってその笏を動かすのは動作としてあり得るが、上端を持つのは、ちょっと不自然な感じがする。。。
AI君の答え
私の独りよがりの考えでも何なので、AI君に聞いてみました。
ちょっと面白かったのは「威厳や厳格性ではなく、親しみやすさや砕けた感じを出して、統治にあたっていたのではないか」ということです。
うーん、だけど本当だろうか。
例えば保科正之は朱子学の徒で、上下関係に厳しい山崎闇斎を重用したとされます。山崎闇斎、いわゆる崎門派は「絶交の崎門」と呼ばれるほど、倫理的・身分秩序に厳格で、それに違う行為に対しては親しい間柄でも絶交したと言われるほどです。
そういう人物が「砕けた」、いわゆるフレンドリーなイメージを出して、統治に使おうとしたりするのかな。。。。
AI君に問い質すと「必ずしも矛盾するものではない」てな答え。うーん、分からん。。。。。
確かに崎門派を重用して「あの藩怖そう。。。。」という噂が立ってしまったので、あえてフレンドリーな演出をする、ということもありそうな気もしますが。。。。
皆さん、どう思いますか?
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