0339 倒れた杉から桜が咲いた縁結びと起死回生復活「磐椅神社」(福島県)
磐椅神社のご利益
縁結び、恋愛運、開運・運気上昇、商売繁盛、仕事運、社運隆昌・事業発展、安産、子授け・子宝、育児・子育て、家内安全、夫婦・家庭円満、病気平癒、健康長寿、厄除け、除災・災難除け、五穀豊穣、国家安泰、郷土鎮護
磐椅神社の360度ビュー
磐椅神社について
樹齢八百年以上の杉が落雷で空洞になり、そこに山桜が寄生木となって咲き誇り、杉に桜が縁を結んだ「えんむすび桜」があります。恋愛運や縁結びとともに、荒廃から復興、開運、商売繁盛のパワースポットです。
徳川二代将軍秀忠の子、会津松平家初代藩主の名君、保科正之は磐椅神社を深く信仰し、「我死せば磐椅神社の末社となりて長く奉仕せん」と遺言したほどで、実際に奥の院の墓所に眠っています。
平安時代に、村上天皇直筆の書、御物とともに桜が一本奉献されました。
その時の桜が樹齢千年、会津五桜「大鹿桜」として今も咲き誇っています。
今でこそ参拝者でにぎわっていますが、昭和六十年頃までは月に一人も参拝者がないほど荒廃しました。そこから起死回生の復活を遂げた神社です。
その歴史の一端を紹介します(公式サイトに詳しく紹介されています)。
鎌倉時代には大いに栄えましたが、伊達政宗の摺上原の合戦の後は衰退しました。蒲生氏郷、上杉景勝が寄付を行いましたが関ヶ原の戦いの翌年以降、切支丹によって鐘楼や回廊などを焼かれ衰退しました。
その後保科正之により復興しますが、昭和に入って雪崩で拝殿が倒壊、一の鳥居、二の鳥居とも老朽化倒壊・解体、さらには長雨で杉が倒れます。
その杉に結果として「えんむすびの桜」が根付くことになります。
第16代伊藤家の宮司が復興にとりかかり、工業高校を出た17代宮司が昭和61年(1986)以降、自ら図面を引き、賽銭箱から神具一式まで自作、石垣の修復から鳥居の制作と設置、石段を積み直して車道の整備まで行いました。
水を求めて1988(昭和63)年、境内でボーリング工事をすると、地下23メートルから水が噴き出しました。そこから水道管を埋めて手水を設置します。
今も水は湧き続け、霊水磐梯山宝の水として多くの人に親しまれています。
宮司と妻の二人三脚で手作業で土木工事を始めて神社を復興、整備されたのには頭が下がる思いです。それだけに縁結びのご利益も抜群なのでしょう。
