偉人第三話 諸葛孔明「出師表(すいしのひょう)」(前編)
吉田松陰、橋本佐内、西郷隆盛等幕末の志士が常に懐に忍ばせ、擦り切れるほど読んだ書物がある。
浅見絅斎(あさみけいさい)の名著「靖獻遺言(せいけんいげん)」と會澤正志齊(あいざわせいしさい)の名著「新論」である。梅田雲浜(うめだうんぴん)は、吉田松陰から靖獻遺言で固めた男と言われた。
「靖獻遺言」は、古代中国の8名の高潔の義士を題材に、絅斎の志を激発した著書で、8名は、屈平(屈原)、諸葛亮(諸葛孔明)、陶潜(陶淵明)、顔真卿、文天祥、謝枋得、劉因、方孝孺である。
「靖獻」の出典は、中国古典の書経・微子篇にあり、箕子(きし)が微子(びし)に言った「自ら靖(やす)んじ、人々自ら先王に献ず・・・」の一節である。その意味は、「人々おのおの自ら安んじて己の志す道を進み、それぞれその身命を捧げて先王(王室代々の君)に報いるべきである。」※1
浅見絅斎は、8名の忠臣義士の精神に触れ、感激し、これを後世に伝え、志貴き士への指針とすべく記述した。
「絅斎」の名の由来は、四書(大学、中庸、論語、孟子)の中庸第19章「錦を衣(き)て絅(けい)を尚(くわ)う」(錦の衣を着てその上から薄ものをかける)による。これが意味するところは、錦の模様が煌(きら)びやかに外に出るのを嫌う。錦は、薄ものをすかしてこそ美しい。
それ故、君子のふみ行なう道は、人目を引かず、日に日にその真価があらわれるが、小人の道は、人目を引きながら、却って日に日に消え失せてしまう。※2
日本古来の奥ゆかしさにも共通する。何時の世も、大抵の人は、自分の能力を大きく見せ、高い評価を得ようとする。その稚拙な考えに対する戒めである。奥ゆかしさは、忍耐も必要。
浅見絅斎は、山崎闇斎(やまざきあんさい、崎門学派の創始者)の高弟、崎門の三傑(他は佐藤直方・三宅尚斎)の一人。山崎闇斎は、徳川第四代将軍家綱の時代、名君と謳われた初代会津藩主保科正之(ほしなまさゆき、徳川秀忠の四男、徳川家光とは異母兄弟)に客分として待遇された朱子学者であり、浅見絅斎は、山崎闇斎の30歳年下である。
靖獻遺言講義※1の著者近藤啓吾は、かくのごとく主張する。
「人々経済繁栄のみを目的とし、自己さえ富むならば祖国の運命など顧みぬに至った今日こそ、日本を再び日本たらしめるために最も大きな力を発揮すべき書物である。」「本書より教えを得るためには、我等自らが今日何をなすべきかという目標を持たなければならぬ。」今も、まったく色褪せていない深奥な言葉である。

前置きが長くなったが、これより本題に入る。
「靖獻遺言(せいけんいげん)」に、巻の二 諸葛亮「出師表(すいしのひょう)」が記述されている。
諸葛孔明(諸葛亮)は、三国志の英雄として、広く世に知られている人物、聡明で、穏やかな性格、品性に満ち溢れた賢人として名高い。漢の景帝の子「劉備玄徳」に仕え、ともに「蜀」を建国し、三顧の礼、天下三分の計や赤壁の戦いは、諸葛孔明の武勇伝として、必ず語られる。
しかし、ここでは、諸葛孔明の雄姿を讃えるのではなく、劉備亡き後、後主である劉備の子禪(ぜん、劉禪)を支え、戦場へ向かう諸葛孔明の苦悩に焦点を当てて、考える。
「出師表」は、諸葛孔明の劉備に対する忠誠心を顕したもので、2度の出陣に際しての遺言書である。
劉備は、病床で、孔明に、「我が子禪が帝位に値するだけの人物でなければ、遠慮なく禪に代わって、孔明が帝位について、我遺志『漢室興復』(漢王朝の復興)を継いでくれ。」と遺言すると、孔明は、感激のあまり涙を流し、「股肱(ここう)の臣として、忠貞の節義をなし、死力を尽くして任を全う致します。」と答えた。
劉備の死後、孔明は、北方を征伐するため、1度目の出陣に際し、禪に「先漢が興隆したのは、賢臣を親しみ、小人を遠ざけたから、後漢の頽廃は、小人を親しみ、賢臣を遠ざけたから。」と伝えた。
良薬口に苦し。君主が臣下の諫言を受け入れることができれば、国は栄え、諫言を嫌えば、亡国となることは、歴史が物語っている。唐の「貞観(じょうがん)の治」や宋の「慶暦の治(けいれきのち)」に、前者を見る。(筆者公開中の「第四話 小説 北宋里山十猫伝(ほくそうさとやまとうびょうでん)四の伝」筆者コメントをお読み下さい。)後者は常なることで、前者は特筆すべきことである。故に、孔明は、あえて、漢の栄枯盛衰を例に上奏した。
世界三大国(米・中・露)の現勢力の衰退は必至である。彼らには、諸葛孔明の「出師表」が届くことはない。
忠良誠実、節義のためには、死も辞さない。孔明の先帝劉備への誓いは、我を捨て、粉骨砕身、国事に奔走することに顕れる。

孔明の公正さを物語ることがある。
「泣いて馬謖(ばしょく)を斬る」
孔明の信頼する将軍馬謖は、孔明の指揮に背いて大敗した。孔明は、「我不明(欠点・過失)を攻められよ」と言って、馬謖を処刑した。ただでさえ、人材不足の小国の蜀にとって、有能な将軍を失いたくないもの。
ただし、馬謖は、理論に長けて、雄弁であるが、実践経験に乏しく、先帝劉備は、重用することの危険性を孔明に告げていた。孔明は、戦国時代、趙括(ちょうかつ)将軍率いる趙軍が百起(はくき)将軍率いる秦軍に大敗したこと、「趙括兵を談ず」※3の歴史を知らないはずはなかった。それにもかかわらず、孔明は、実践経験の豊富な将軍を差し置いて、馬謖を北方征伐の司令官に抜擢した。
それ故、孔明は、己の非を責めた。馬謖と兵を論ずることに酔っていた賢人孔明の失策である。
馬謖の処刑に対し、軍隊は、孔明の公正無私なることに感激し、国家に対する忠誠心が増し、民衆も失敗を咎める者はいなかった。えこひいきが常の世に、残る逸話である。当り前のことは、歴史に残らない。
処刑したこともさることながら、孔明は、馬謖(39歳)の遺族(妻子)に、その給与を与え続けて、生活の保証をしており、道に適っている。

ところで、現在、教育現場での不祥事件や政治家のあってはならない言動が頻発している。これは、社会全体が幼稚化していることが要因の一つと言える。
橋本佐内は、数え15歳で、啓発録を著し、その冒頭「稚心を去れ」と述べている。寿命が延びているとは言え、昨今の稚拙な人々には、閉口する。 反省どころか、開き直りの弁明、責任ある社会人には程遠い。
何故、このような幼稚な人が教育者や政治家に存在するのだろうか。
科学や医学は、発達し続け、生成AIを生み出している。それに反比例するかのように、人は、その精神において、実に幼稚になっている。人の本性、本質や生きる意味を深く考えなくなったことが大きな要因と考える。
真の学問を為さなくなり、可視化されたものに頼り、氾濫する情報に操られ、自らの考えを持たない。極めて薄っぺらな人生を送り、つまらぬ人間を増殖させている。もはや、「人間失格」ともいうべき者がはびこっている。

今こそ、偉人と向き合い、ともに考えるときである。もちろん、ハウツーを修得することは、生活の為、求めるものを得る為に必要であるが、その教育を受けたにもかかわらず、稚心を去ることができない。
では、「論語」を始め、四書五経(詩経、書経、易経、春秋、礼記)を読み、解釈し、覚えれば良いのか。それは、趣味を楽しみ、自己満足に浸るだけのこと(訓詁の学)。
今、為さねばならないことは、ハウツーの勉強を一旦置いて、偉人が自分自身と闘い考えたことを偉人とともに考え、さらにその考えを自分自身に置き換え、発展させること。
今の平和の世に、幕末の志士の奮発を求めることはできないが、せめて、人の本性、本質からのずれや歪みを是正しなければ、泥の渦に吞み込まれてしまう。
「偉人に学ぶ」意識では、偉人の考えに近づくことすらできない。だから、「偉人と考える。」受動から能動へと進展することが不可欠である。
アフガニスタンで命を落とした中村哲医師の中学校での講演の一節。
「お金があれば幸せになれるという迷信、武力で平和は守れるという迷信に惑わされないでほしい。本当に人間にとって大切なものは何なのか。大切でないものは何なのかを考えてほしい。」
中村哲医師の生き様に、言葉の重み、奥深さを感じる。
何も、高潔である必要はなく、ただ稚心を去ればよいだけ。
参考文献
※1 靖獻遺言講義/近藤啓吾著/昭和62年9月10日発行
※2 大学・中庸/金谷治訳注/岩波文庫/1998年4月16日発行
※3 十八史略(上)現代活学講話選集1/安岡正篤著/2007年10月17日第1版第4刷
明治維新の人間群像/安岡正篤著/2002年2月1日発行
「三国志」の英雄 実説 諸葛孔明/守屋洋著/1990年8月3日発行
後編へ つづく
