保科正之を大河ドラマに
私は、数多い歴史人物の中で、保科正之(ほしなまさゆき)という人が大好きです。是非ともNHKの大河ドラマに採り上げてほしいと願っています。しかし、知っている人は知っているけれど、その名前すら知らない人も多いでしょう。学校の歴史の授業でも、殆ど教えられることはありませんし、試験にも出題されません。
保科正之は、3代将軍・徳川家光の腹違いの弟です。2代将軍秀忠が側室に生ませた子で、正室お江与の方の嫉妬が凄まじいものだから、こっそり保科家へ養子に出されたのです。だから、家光も将軍になるまで、その弟の存在を知りませんでした。弟は弟で、自分は高貴の身であるのを知らされながらも、決してそれを表に出すことなく、成長していきます。
やがて弟の存在を知らされた家光は驚きますが、それでも、正之をすぐに側に近づけようとはしません。保科家の若き当主として 江戸城に登城する姿を、陰からじっと観察します。将軍の弟に相応しい器の男かどうか見極めるためです。
正之は、大名たちの控えの部屋でも、廊下に近い下座にいつも座っています。途中から将軍の弟君らしいというのが分かって、他の大名たちが上座に勧めても、「自分は若いから」と言って動こうとはしません。困った大名たちは、やむを得ず正之の後ろに列をなして座ります。そうすると、部屋の中は空っぽで、部屋の入り口から廊下に、ずらずらと大名たちが並んで座るという奇妙な光景になってしまったそうです。
そんな正之が、家光によって引き上げられたのは言うまでもありません。正之は、それでも驕り高ぶることなく謙虚を貫き、兄・家光のため、そして家光亡きあとは、家光の子・家綱のために終生尽くします。そして、武断政治から文治政治への転換を見事に実現させたのです。
後に寛政の改革を指導した松平定信の口癖は、「私がつねに心掛けているのは、かの保科肥後守さまのひそみにならいたいということだ」というものだったそうです。それほどの素晴らしい人物ではありますが、大河ドラマの主人公とするには、合戦などもありませんから、やはりちょっと地味なのでしょうかしらん。
